それは…?
たいへんお久しぶりです。
なんかふっと……ほんとうに何故かふっと思い浮かんだので、書いてみました。
楽しんで頂ければ幸いです。
それは、イオラたちがマルクール領を出てからちょうどまる二年が過ぎたある日のこと。
「ちょっと出かけてくる。そなたも好きに過ごすと良い」
すらりとした長身に長い手足、広い肩幅、精悍な顔つき。そして隠しきれていない、得体の知れない威圧感。
ヒトの姿をとっているドラゴンがほんのりと笑みを浮かべて、そう言った。
「この街は治安が良いが、ひと気のない場所や薄暗い場所は行かぬようにな。ああ、港に大型船が泊まっていたから、市場に珍しい物が出ているかもしれぬぞ」
ぽんぽん、と頭に手をやるその手つきと言葉の優しさに、イオラはまるで自分が小さな子供になったような心地になる。
相手はうん百年、うん千年と生きているドラゴン様である。彼にとっては成人したヒトでも子供、いや赤児のようなものなのかもしれないが、ちょっと微妙な気分だ。
旅を始めた最初の頃、ヒトの暮らしに慣れていないドラゴンの世話を焼いてあれこれと教えていたのはイオラのほうだったから、なおさら。
イオラの頭をぽんと押さえ髪をくしゃりと弄んでから、手が離れる。
そんなドラゴンの、ヒトの形をした腕を、がしっと彼女は両手で捕まえた。
ちなみに、イオラにとってドラゴンの圧はなんともない。
単に相性が良かったのか、意図的に和らげてくれているのか。慣れもあるだろうが、最初からそれほど恐怖は感じなかったように思う。
据わった目で見上げると、ドラゴンはきょとんと瞬く。
「……うん?」
「マルクールに行くんだったら、わたしも連れてって下さい」
このドラゴンはときどき、一日二日イオラの前から姿を消すことがある。
それは別にいい。むしろちょっとしたご縁があったとはいえ、いまだに一緒に旅を続けていることのほうがイオラには不思議で仕方がない。
彼女が一緒に行くと言い出したのは、これが初めてだった。
「……いや、それは」
「連れて、行って、ください」
「……」
故郷のマルクール領を出てからちょうど二年。季節もちょうど、あのときと同じ。
つまりイオラとリードンの集落の人々の知恵と汗と努力の結晶、王室御用達にもなった村の特産物、高級果物“リードン”の収穫時期が、今年もやってきたのだ。
二年前に食べて大好物になったらしい“リードン”が気になるからか、それともイオラが気にかけているからか。すでに故郷からだいぶ離れているというのに、このドラゴンはたびたびマルクール領まで様子を見に戻っているらしい。
その都度、故郷を心配するイオラに様子を教えてくれるのは素直に嬉しいのだが。
何しろ、ヒトの形をしてはいても彼はドラゴン様である。
彼の基準では大したことがなくてもヒトの基準では大問題、ということが無いとも言い切れない。
「……連れて行けない、ことはないと思うが」
「はい」
「ヒトの身には、ちょっときついと思うぞ」
「大丈夫です」
「……そなたが我慢強いのは知っているが」
「お願いします」
一緒に旅をして二年。
伝説の“悪しきドラゴン”様が、実はとてもお人好しで優しい性格をしていることを、イオラはもう知っている。
そこにちゃっかりつけ込むあたり、我ながら図太くなったものだとも思う。
内心でため息をつく彼女は、しかしその優しさが彼女限定であることにはまだ気付いていなかった。
☆ ☆ ☆
「ううぅ………」
青い顔をして腕にしがみついているイオラを心配そうに見やりながら、ドラゴンは呟いた。
「だからきついと言ったであろう」
「う……はい」
イオラは素直に頷く、というか力尽きたようにがっくりと頭を垂れた。
これまでも、一瞬で離れた場所に移動するということは何回か経験していた。原理はわからないが、たぶんドラゴンがその有り余る魔力でなんとかしているのだろう。
そのときに軽いめまいを起こすことはあったので、今回だって大したことはないだろうと思っていたのだが。
目を開けていられないくらいに頭がくらくらする。
地面が揺れているかのように足元もふわふわしていて、何かにしがみついていなければ立っていることも出来ない。
「移動する距離が長ければ長いほど、身体への負担が大きくなるのだ」
「……はい」
「抱えて行こうか?」
「う……いま揺れるのはちょっと……」
ドラゴンがふう、とため息をついた。
「次は、時間がかかっても移動を数回に分けるのが良いだろうな」
「……はい。それでお願い…します」
ふたりの姿を見つけたリードンの村人数名が駆け寄ってきたのは、このときだった。
「ドラゴン様……っと、まさかと思ったけどイオラお嬢さんまで⁉」
「ひさしぶり。元気だった?」
「元気だったー、とか言ってる場合じゃないですよ!」
「ちょっとこっちに!」
「え、待って、いま……うぅ」
「大丈夫か、イオラ?」
村人たちは慌てたようにぐいぐい彼らを引っ張っていく。
集落ではなく、果樹園の方向である。
「はあ、マズいですよお嬢さん……」
「え、どうしたの?」
「ヤツが来てるんです」
「ヤツ?」
集落のほうを見つめていたドラゴンの目が、すっと細くなった。
「ああ……アレか」
イオラの視力ではわからなかったが、どうやら誰が来ているのか、彼には分かったらしい。
「あれ……って?」
「アレですよ。領主様のところの顔だけ坊ちゃんとそのお供」
―――顔だけ坊ちゃん。
「あれ、お嬢さんが最初に言ったんでしょ? 顔だけ坊ちゃん。口だけ坊ちゃんだったかな? あー、ちょっと本当の名前は忘れたけど」
「……えーと。なんだっけ」
領の端っこにあるこんな田舎で、領主やその家族の名前など口にする機会はほとんどない。向こうだって平民相手にわざわざ名乗ったりしない。
領主は“領主様”、その息子は“ご子息様”もしくは“坊ちゃん”である。
なので、村人が名前を覚えていないのも仕方がない。何ならイオラだって忘れている。
「別に思い出さなくても良かろう。どうせ今後も呼ぶ機会などないのだ」
眉をひそめたドラゴンに言われて、それもそうかとイオラは頷いた。
とりあえず、顔だけだろうと口だけだろうと、マルクール領主の子息はひとりだけである。
イオラにとっては因縁の相手だ。名前は忘れたが。
「それでその人、なんでこんな所にいるの?」
「それは、ほら。いま“リードン”の季節でしょ」
いまやリードンの集落だけでなくマルクール領の看板商品となった王室御用達の高級果物“リードン”。彼らはそれを手に入れに来たのだという。
昨年も一昨年も、マルクール領は収穫された“リードン”の一級品を手に入れることが出来なかった。
理由は、正体不明の商人が買い占めて行ったから。
……ということになっているが、じっさいに持って行ったのは“リードン”大好きドラゴンさんである。ちなみに、ちゃんと代金も多すぎるくらいに払っている。
買い取った果物はドラゴンの大きな胃の中にほとんど収まってしまうので、どこかに売りに出されることもない。そのためマルクール領は“商人”の正体がつかめず、二年間ずっとやきもきしていた。
そして今年こそ希少な“リードン”を奪われてなるものかと、収穫時期に合わせて彼らが村にやって来てずっと見張っているのだった。
「うわー迷惑……」
「でしょ。気使うし、もう畑仕事がやりにくくてやりにくくてしょうがないんですよ」
「そんなわけで、お嬢さんたちは逃げた方がいい」
「せっかく来て下さったんですけど……」
そのとき、集落のほうから慌てて手を振る村人が見えた。
虫を払うようなその仕草は、たぶん「早く逃げて」「どこかに隠れろ」という感じだろう。
「あ、やべ。なんか勘付いたかな」
「ふむ。あれも“大地の魔女”の末裔であろう。強い魔力に敏いのかもしれん」
膨大な魔力を持つドラゴンが呟く。
と、そのときであった。
「あっ……!」
遠くから声を上げられ、そして指をさされた。
げ、とイオラが数歩、後退る。
「おまえは、イオラ⁉」
やたらと大きな声で、名前まで呼ばれてしまった。
「あれ、ご子息わたしの名前覚えてたんだ」
「イヤどうでもいいでしょそれは!」
「うわ、こっち来る」
マルクール領の跡取り息子と、彼を追いかけるようにしてそのお供と集落の人々がわらわらとこちらへやって来る。
今さらどこかへ隠れるのは無理だ。
どうしよう、と思っていると。
「え、え、ええー?」
イオラのすぐ隣から、ものすごくわざとらしい声が上がった。
「えー? イオラって、お嬢さんの、ことですかー?」
上ずった声に、ほかの男たちも白々しく続く。
「イオラお嬢さん? え、どこにー?」
「お嬢さん? えー、本当に?」
きょろきょろと周囲を見回す村人たちは、イオラをここまで引っ張ってきた張本人である。
きょろきょろしながら動いてさりげなくイオラの姿を隠すようにしているが、さすがに手遅れである。どう考えても無理がある。
申し訳なくて声を上げようとしたイオラだったが、必死の視線で止められる。
ドラゴンも「黙っていろ」と言いたげに彼女の手をぎゅっと包み込む。
このとき。イオラの側にいた村人たちと集落から子息らを追いかけてきた来た村人たちが、目にも止まらぬ速さでお互いに目配せし合った。
目と目の会話をしたあと、村人たちは息もぴったりにとぼけ始める。
足が止まった跡取り息子に、恐る恐るといった風に話しかけた。
「え? お嬢さん? ご子息にはお嬢さんが見えてるんですか?」
子息のナナメ後ろから、彼がにらみつける方向を不思議そうに眺める村人その一。
「ええ? どこです? 果樹園のほう?」
「うちの兄たちしか見えないんですけど……」
目を凝らしては首をかしげる村人その二とその三。
けっこう冷や汗をかいていたのだが、表情には意地でも出さない。
「イオラお嬢さん? 帰ってきたの?」
「ええっどこ?」
「……見当たらない、よね?」
「ねえ?」
「そもそもお嬢さん、けっきょく生きてるの? 死んでるの?」
ざわつく村人たちの様子に、子息の連れてきた部下たちがぎょっと目をむいた。
死んだとはっきり公表していたものを実は生きてますと言えないマルクール領主家は、けっきょくそのあたりをうやむやにしたままなのだ。
それに彼らだって、イオラが生きているかどうかはっきりと分かっているわけではない。
死体が見つかっていない。それだけである。
まあ、目の前にいるのだが。
村人のうち、若者たちがこそこそと、けれどもちゃんと周囲に聞こえるように話しはじめた。
「もしかして。あっち? にいるのはお嬢さんのゆうれ―――」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
「でもわたしたち、誰も見えてないよね?」
「ないない。見えてない」
「それでご子息だけ見えてるってことはつまり、そういうことじゃ」
「なんで坊ちゃんだけなんだよ」
「え。なんでかしら。霊感が強いとか? もしくは何か恨みを―――」
「きさまら、滅多なことを言うな!」
さすがに聞き捨てならなかったのか、慌てて遮られた。
睨まれた若者たちはびくっと肩をすくめる。
年配の村人たちが、深く頷いて部下たちに同意した。
「そうそう。滅多なことは言うもんじゃない」
「だってイオラちゃんだぞ。そもそもそんな無駄なことしないだろう」
「うむ。あの子は化けて出るような、ねちっこい性格はしとらん」
「それはそれで寂しいような気もしますねえ」
「それなら。わしらと果樹園が心配で、様子を見に天から下りてきたというのはどうじゃ」
「魔女様みたいに、集落に加護をくれちゃったりして?」
「まあ素敵」
「ロマンチックじゃないの」
「今年の“リードン”の出来がどうとか肥料や水のやり方がどうとか、ぜんぜんロマンチックじゃない事ばっかり言い出すんだろうけどなあ」
「ははっ、イオラちゃんだからな」
「面白い言われようだな、そなた」
ドラゴンが、イオラの耳元で楽しそうにささやいた。
そして足元に向かって、指先をわずかに動かす。
ほのぼのとした雰囲気で暢気に話し始めた村人たちに気を取られ。
ふざけてんじゃねーぞ、と男たちが振り返って怒鳴りつけ、そして再び前を向いたその一瞬の間で。
周囲に、ひゅるりと風が吹いた。
土埃がさらりと舞い上がり、イオラとドラゴンの姿を包み込む。
「な……っ消えた⁉」
次の瞬間には、彼女たちの姿は跡形もなくなっていた。
まるで、最初からそこに居なかったかのように。
☆ ☆ ☆
リードンの集落の人たち総出による渾身のすっとぼけのおかげで、けっきょくイオラがその場に居たかどうかは謎のままになった。
あのときのイオラは風よけのための外套を頭からすっぽりとかぶり、足取りもふらふらとしていた。うつろな目をして、顔色も悪かったように思う。だって瞬間移動の直後で、体調が最悪だったのだ。
でもって舞い上がった土埃で姿がぼやけてやがてふっと消えたものだから、つまり、幽霊と言われればなんとなく幽霊っぽかったかもしれない、という演出が出来上がっていたのだ。
村人たちは一様に「見ていない、見えない」と言い張るし、その後どれだけ調べても彼女らしき人物がこの村やその周辺を訪れたという形跡が見当たらない。
その上さらに、集落の倉庫からいつの間にか収穫を終えた“リードン”の一級品だけがなくなっていた。
朝から晩まで抜かりなく、厳重に見張っていたにも関わらずである。こちらもまったく手がかり無しだ。
怪しんでいたマルクールの子息の部下たちも、時間が経つにつれてほんとうにイオラの実体を見たのかどうか、確信が持てなくなっていった。
そのうち、アレはほんとうに幽霊だったのではと言いだす者まで現れた。
マルクールへの恨みと集落へ帰れなかった心残りで、化けて出たのではないかと。
冤罪と分かっていながら問答無用で捕らえ、“悪しきドラゴン”への生け贄としてほこらに放り込んだのは彼らなのだ。さぞかし恨まれているに違いない、と。
「マルクール領の“リードン”は、領主子息への恋に破れた女性の怨念で実がつかなくなったのだそうだ」
今年も無事にせしめた高級果物“リードン”を頬張りながら、楽しげにドラゴンが言う。
恋だの怨念だの、まったく身に覚えのない事で騒がれてイオラはぜんぜん楽しくなかったが、差し出された“リードン”は頂く。
今年も甘くてみずみずしくて、とっても美味しい。
ただ、なんとなく後味がほのかに苦く感じるのは、収穫時期が遅かったのか、それとも気分的なものなのか。
あのムリヤリ幽霊騒ぎの、どこがどうねじ曲がってそう広まったのか。
当事者でもあるリードンの集落の皆が聞いたら笑い転げそうな噂だが、マルクール領主家がどれだけ否定しても噂は収まらないらしい。
子息の婚約者候補だった女性がひとり亡くなっているというのは、そのマルクールから出された確かな情報である。
女性は他の婚約者候補に危害を加え、その罪の呵責で自ら命を絶った―――という彼らがねつ造した理由付けに今回の幽霊騒ぎも加わって、明らかに怪しい話なのに妙に説得力が出てしまったようだ。
「ちょっと様子を見に行きたかっただけなのに……」
なんだか大事になってしまった。
しょんぼりと肩を落とすイオラの背中を、ドラゴンがぽんぽんと柔らかく叩く。
「行きたければ、行けば良いのだ。彼らも面白いからときどき遊びに来てくれと言っていたではないか」
「……そうですけど」
「領主のところは、自業自得であろう」
「そうですね」
そこはイオラも否定しない。
これ以上の悪評を広めるわけにはいかないと、リードンの集落や果物に余計な手出しをしてこなくなったらしい。
「結果的に良かった……のかなあ?」
イオラは苦笑いで呟く。
自分ひとりだったなら、いまも理不尽な思いをしていたかもしれない。
それどころか、あの分厚い岩の扉に閉ざされた暗く冷たいほこらから、一生出られなかったかもしれないのだ。
「お互い様だ。そなたが噂通りの、怨念にまみれた幽霊になりそうな女性であったなら……そなたも我も、この場には居なかったであろうな」
ドラゴンもしみじみと言う。
何百年と封印されていたほこらの中にいた自分は、ふたたび明るい日の下に出てのんびりと果物を食べて過ごす日が来るなど、思いもしなかった。
夢を見ることすら諦めていた。
“悪しきドラゴン”はそれで良いと、むしろ朽ちて無くなるその日が早く来ないものかと、焦がれてさえいたのに。
「マルクール領主家の者らに対してお礼を言う気には、まったくなれぬが」
「ですよね」
イオラとドラゴンは顔を見合わせ。
そして、声を上げて笑った。
ありがとうございました^^
現在、ちょっとお返事を書く余裕がないので、感想は受け付け停止にさせていただいております。
感想書こうと思って下さった方、いらしたら申し訳ございません。