第四十三話
翌朝、リリアが目を覚ますと、ハイドが隣でぐっすりと眠っていた。
「本当に眠れるのね……」
リリアはハイドが熟睡している姿を初めて見た。
寝顔は少年のようで、いつものハイドと違って見えた。
リリアはハイドを起こさないよう、そっとベッドから降りた。
暖炉の前のテーブルの上に、ティーセットが置かれている。
ティーポットは温かく、蓋を開けてみると、ビンセントが淹れてくれたお茶の香りがした。
「ビンンセントがこの部屋に来ていた……」
リリアはバスルームへ行き、着ていた服を脱いだ。
胸の傷はほとんど消えて、痛みも無くなっている。
ビンセントなら、この傷の事を知っているかもしれない。
だが今は勝手に行動して、これ以上ハイドを心配させるわけにいかない。
リリアが新しい服に着替え、部屋に戻ると、ハイドはまだリリアのベッドで眠っていた。
リリアはハイドが目を覚ますまで日記の続きを読むことにした。
「……?」
引き出しを開けると、しまっておいたはずの日記が無かった。
リリアは部屋中を探したが、日記はどこにも見当たらなかった。
「おはよう、リリア。朝から何をしているんだ?」
リリアの引き出しを引っ掻き回す音で、ハイドを起こしてしまったようだ。
「あ……、少し探し物があって」
「俺も一緒に探そうか?」
「ううん、いいの。大した物ではないから」
リリアは引き出しを閉じた。
「探し物を見つける術が使えたら簡単なのにな」
ハイドがテーブルの上のティーポットの中を覗きながら言った。
「そんな呪文があるの?」
「ああ。俺は使えないが、ラルフやビンセントなら使えるだろう」
「ビンセントなら探し出せる……」
リリアは小さく呟いた。
「ハイド、ビンセントに聞きたいことがあるの。
今から会いに行ってもいい?」
「言っただろう?
ビンセントは春になるまで部屋から出て来ない」
「……でも。中庭で倒れていた私を部屋まで連れて来たのはビンセントでしょ?
このお茶を淹れたのも。ビンセントはこの部屋に来ている」
ハイドの顔色が変わった。
「リリア。前に一度言ったよな。悪魔が人間を嫌っているって。
ビンセントは俺達以上に人間を憎んでいる」
「本当に人間を憎んでいるのなら、私を助けたり、お茶を淹れたりなんかしない」
「リリア、ビンセントには会いに行くな」
「どうして?」
ハイドはリリアの前で膝まずいた。
リリアの目の前に、ハイドの真剣な顔が近づいた。
「リリア。俺はリリアが傷つく姿を見たくない」
リリアは確信した。
ハイドは何かを隠している。
「……分かったわ。ハイド、安心して」
リリアはハイドを抱きしめて、耳元でそう言った。
リリアとハイドは朝食を食べ、ビンセントが淹れたお茶を飲んだ。
朝食後、ハイドがリリアが怪我した所の薬を塗り直したいと言ったので、リリアは素直にベッドの上で横になった。
「大分治りかけているけれど、跡が残らないようにしないとな」
ハイドが丁寧に塗り薬を塗っていく。
ハイドはリリアの事を大切に思ってくれている。
「……ハイド、ごめんね」
「どうした?」
ハイドが笑顔でリリアの顔を覗いた。
「……ごめんなさい」
リリアは両手で自分の顔を隠した。
「ハハ。リリアは何も悪くないじゃないか」
リリアは自分の顔を隠したまま、首を横に振った。
ハイドがリリアの両手を掴むと、リリアの瞳が涙で濡れていた。
「……リリア、どこか痛いのか?」
リリアは首を横に振った。
「ハイド。私はハイドの事が大好きよ」
「俺もリリアが大好きだ」
ハイドは優しく笑った。
ハイドは『ビンセントには会うな』と言った。
もしハイドの忠告を無視してビンセントに会いに行き、何かあったら……。
ハイドの笑顔は二度と見られなくなってしまうかもしれない。
それでもリリアは、目の前で起きている事実をうやむやにしたくはなかった。
夜になって、リリアはハイドとカードゲームをした。
「リリア、そろそろ寝る時間だ」
ハイドがぐっと背中を反らしながら言った。
リリアはベッドに入り、ハイドはソファーで毛布にくるまった。
リリアはベッドの中で、ハイドと出会った時の事を思い出した。
この世界に来て、リリアの目に一番に飛び込んできたのはハイドの笑顔だった。
水竜に乗ったり、人形達に名前を付けたり、雪の上を滑ったり……。
リリアの目の前には、いつもハイドの笑顔があった。
夜更け過ぎ、リリアはハイドが熟睡しているのを見計らって、ベッドからそっと降りた。
リリアは物音を立てないようにゆっくりと、ハイドが眠るソファーに近づいた。
「ハイド、ごめんね……」
リリアは眠っているハイドにそう呟いて、部屋の扉へ行こうとした。
「……!」
突然、リリアの腕を眠っていたはずのハイドが掴んだ。
リリアは驚いて、ハイドの方を振り返った。
「リリア、俺は元兵士だ。
小さな物音にも体が反応するようになっている」
ハイドはリリアを引き寄せて、リリアの顔をじっと見た。
「……ハイド。……ごめんなさい」
リリアの目から涙が落ちていく。
「……リリア。
俺はリリアがビンセントの元へ行ってしまう事ぐらい、分かっていたよ」
ハイドは優しい顔で言った。
「お前はビンセントの事を心配しているんだろう?」
「……」
「リリア、ここに座って」
リリアは黙ってハイドの隣に座った。
「リリア。ビンセントは今、リリアの知っているビンセントではないんだ」
「……私の知らないビンセント?」
「……ああ。ビンセントは今、自分をコントロールできなくなっている。だからお前を傷つけてしまうかもしれない。俺は、傷ついたリリアの姿を見たくない」
「私は何があっても傷ついたりしない」
「ああ。分かっている。
俺がリリアを止められないことも、ビンセントを救えるのは、リリアしかいないことも……」
ハイドはリリアの髪を優しく撫でた。
「今から一時間だけ、ビンセントの所へ行く事を許すよ。
一時間経ってもリリアがこの部屋に戻って来なかったら、俺はリリアを助けに行く。その時はビンセントを殺すつもりで」
「ハイド……」
「逆に俺がビンセントに殺されるかもしれないけどな」
ハイドは静かに笑いながら言った。
「ハイド、心配しないで。
私は必ずこの部屋に戻って来る。ハイドもビンセントも傷付け合わなくていい」
ハイドはリリアの頬に落ちた涙をそっと拭い、黙って頷いた。
リリアはハイドをぎゅっと抱きしめて、
「行ってきます」
と、ハイドの耳元で言った。
ハイドは自分の額とリリアの額をくっつけて、
「必ず帰って来るんだ」
と、言った。
リリアは黙って頷き、自分の部屋を後にした。




