・番外
世間では、婚姻関係となって半年から一年以内の間柄を新婚と呼ぶらしい。新婚と呼ぶ期間が半年か一年かは諸説あり、地域や年代によっても異なるが、とにかく私はそのどちらの意味でも新婚に当てはまる位置にいる。
しかし、私達の新婚生活は他とは少し違う。
近くでは暮らしている。同じ建物を家としている。されど同じ家で眠る日は酷く少ない。同じ場所に帰るけれど、戻る場所は同じではない。
私達は、そんな夫婦。
だって隊長さんは隊長さんで今日も隊長さんをしているのだから。
「ふんふんふーん」
歌詞を正確には思い出せない音楽を鼻歌で流しながら、鍋をかき混ぜる。くつくつ小さな泡と中くらいの泡が浮かんでくるスープは、私がお玉を回す度に散らせた泡を即座に沸き上がらせてきた。
今日は、三週間ぶりにこの家で眠った隊長さんを見送った日だ。
最近はちょっと忙しかったらしい。三週間ぶりに会った隊長さんは、一晩この家で過ごしてすぐに砦へとんぼ帰りして行った。
滞在時間約半日。いくら砦まで馬で二時間以内とはいえ、行き帰りの体力も考えるとかなりの強行軍だ。はっきりいって、一日の休みなんて砦内で過ごしていても疲れが取れるかぎりぎりだろう。
それなのに隊長さんは、休みが取れれば必ず帰ってきてくれる。
それは嬉しい。嬉しいけれど、医に携わる者としてはしっかり眠って休んでほしい気持ちがせめぎ合うのでなかなかに複雑なのだ。
「トマトがあればよかったかなー」
鍋の中では、みじん切りにした野菜も一緒に回っている。
大根、キャベツ、人参、セロリ、瓜、サツマイモ、南瓜、ハーブ五種類、葱、玉葱、葉野菜六種類、茸四種類……そろそろ数えるの面倒になってきた。
中途半端に残った野菜は何でも入れた、即席野菜スープ。
本日の晩餐一押しメニューになる予定だ。
どうしてこんなにいろいろあるか。そして残っているか。
決して私が在庫管理できない人間だからではない。いや、きっちりかっちりぴっしりした人間かと言われると、きっぱりしっかりはっきり否定させてもらうけども。
しかし今回のこれには、屋根より低く水溜まりより浅い理由があるのだ。
即ち、隊長さんのお仕事事情と、新婚であろうがなかろうが隊長さんが大好きな私の事象という、極々当たり前の理由である。
隊長さんは隊長さんだ。
だから、休暇の予定を例え家族といえど知らせるわけにはいかない。つまり、いつも突然帰ってくる。
それは仕様がない。隊長が砦を留守にする日など、おおっぴらにすべきではない。忙しいのなら尚のことだ。
それは理解しているし、元々不満など一つもない。
長い間会えないと寂しくて泣いてしまう、なんてこともない。勿論会えると嬉しい。会えないと悲しいより会えて嬉しいばかり考えているせいか、寂しいという気持ちはあまりない。
つまり私は隊長さんが大好きなのだ。
帰ってきた隊長さんに美味しいものを食べてもらいたいし、ゆっくり休んでもらいたいし、美味しいものを食べてもらいたいし、楽しく過ごしてもらいたいし、美味しいものを一緒に食べたいのだ。
つまり、買い出しが捗るし、絶好の備蓄開放日和と相成るのである。
だから、隊長さんを見送って以降の食事が余り物合戦になるのは当然の仕様だ。
くつくつ揺れる鍋は一旦放置を決め、火だけ緩める。さっき混ぜたばっかりだし、火を弱めればしばらく噴き出すことも焦げ付くこともないだろう。
そう判断し、私は鍋に背を向け、作業台を向いた。台の上にはまだまだ中途半端に残った食材が転がっている。どれもこれも、一品にするには少ないが、種類だけは豊富にあって一人で食べるには多すぎる上に、足が速い食品がわんさかある。
そんな惨状だ。
それでも、どこの王族ですかと隊長さんが笑ってくれるほどの品数を出した後だと考えると、我ながらいい感じに収めたとは思う。元々あった材料と合わせても、絶対に食べきれない! と嘆くほどの量は残っていない……はずだ。
最初の頃は、二人でひいひい言いながら食べたものなので、これは上出来だろう。
しかし、その原因のほとんどは私にあるので大変申し訳なかった。私は結構やらかしてしまったが、あちらは結構綺麗に収めているに近しい量しか残っていない場合が多かったので、本当に申し訳なかった。
それでも「こういうのがいっちばん楽しいんですよ」と笑ってくれる人なので、私は本当に素敵な人と家族になれた。心の底からありがたい。こんなに素敵な人と家族になれたのだ。結婚って最高である。
私が、結婚してよかったなぁと思っていると、玄関に取り付けてあるベルが音を立てた。ぱっと顔を上げると同時に声も届く。
「お姉さぁーん」
「はぁーい! 台所にいまーす! 開いてますからどうぞー!」
返事をすれば、ドアが開く音と錠が閉まる音がする。ついで、廊下がゆっくり、そして弾むように軋む音。
その音をわくわくと聞きながら、台所に辿り着いた音を出迎える。
「いらっしゃいサミウさん! 待ってました!」
「お待たせしましたお姉さん!」
一足先に一日休みとなったショシユさんを見送っていたサミウさんが、ほとんど荷物となって現れた。
すらりとした長い手足いっぱいに荷物を抱えたサミウさんから荷物を受け取っていく。私が受け取った分から自由になった手で、サミウさんも作業台に荷を置き始める。
サミウさんは荷を置きながら、器用に上半身を捻って鍋の中を覗き込む。
「お、お姉さんのやけっぱちスープだ。やった。私これ大好きなんですよねぇ」
「嬉しいです。あ! サミウさん特性のお肉種! やったぁ! 私これ大好きなんですよ!」
サミウさん特性のお肉種は、お肉の旨みと調味料の塩梅が完璧で、最高に美味しいのだ。そのまま焼いてもよし、丸めて煮てもよし、炒めてもよし、炙ってもよし。なんにでも使える万能お肉種。うっとりである。
しかし、私も負けてはいない。
「サミウさんサミウさん」
荷を下ろしきり一息を就いたサミウさんの肩を、とんとんと叩く。くるりと振り向いたサミウさんの前に、じゃじゃんと差し出したるは王家御用達のソーセージ三本。サミウさんの目がきらりと光った。
「最っ高。あ、うちはハムです」
「あ! これ前に王都で大行列ができてたお店!」
「後、チョコ」
「チョコ! あ、そうだ。これサミウさんが好きそうだなと思ったんですけど」
「うわ、最高。ここの肴最高においしいんですよ……」
私達は、残り物を互いに披露し合う。
そう、私達は自分の夫を見送った後、こうして二人で残り物晩餐会を開くのだ。
隊長さんもショシユさんも同じ砦なので、忙しくなるときも休みが取れる日程も被る。大体入れ違いで帰ってくる関係で、私とサミウさんはほぼ同時に同じ状況に陥るのである。
そうして開かれる、二人っきりの残り物晩餐会。
残り物といえば聞こえが悪いかもしれないけれど、これがかなり楽しい。
何せ、隊長さんとショシユさんの帰宅は、二人に送られた物も一緒に帰ってくるので、地方ではちょっとお目にかかれない良い物もたくさんある。かなり宝箱感満載の残り物だ。
「あ、トマトがある! サミウさんこれもらっていいですか!?」
「勿論。おぉ、このチーズおいしいんですよねぇ。これもらいますね。肉種に乗せて焼いちゃいましょう」
「うわ、最高」
「あー、そっちの山菜はそろそろあやしいかも」
「芽の部分が紫になってないので大丈夫ですよ。スープにぶちこんじゃいましょう。これ、出汁が出ておいしいんですよねぇ」
「やった、お姉さんのフルーツパンがある! 私これ大好きなんですよ」
「えへへ、サミウさんが前にそう言ってくれたからちょっと多目に焼いちゃいました。でも隊長さんも大好物みたいでもりもり食べていたので、足りなくなるかもってちょっとはらはらしちゃいました」
残り物、もとい残そうとした物含む。
そんな晩餐会は、文字通り晩餐会。夫と別れた後の夜は、私達の楽しみなのだ。
正直、これを含めて隊長さんの帰宅が楽しみで堪らない。隊長さんが帰ってきてくれても嬉しいし、帰った後も楽しみが待っている。私はいつだって幸せだ。
互いに台所でごそごそ調理しながら、私とサミウさんはにっと笑った。現在の時刻は夕方だが、実は私達、すでにお風呂に入っている。
つまり後は、食べて眠るだけだ。
焼き加減や煮加減を見ながら並んだ台所で二人同時にマグカップを掲げ、ごんっとぶつける。
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」
さて、今日も楽しい晩餐会の始まりだ!
ちなみにこのお酒も、先日の残り物である。
王都のちょっといいお酒とかなりいいお酒が、蓋を開けた状態で何本もある。私と隊長さんが一緒に飲んだ分と、ショシユさんとサミウさんが一緒に飲んだ分だ。
これも早く飲んでしまわないと風味が飛ぶし、味も落ちるし。
という大義名分の元、私達は料理をしながら飲んでいる。最高においしい。
二人だけの晩餐会では、私達はいつもよりうんと行儀が悪くなる。料理をしながらお酒を飲むし、お酒はグラスではなくマグカップに入れるし、飲みきった後洗わずに次のお酒を入れるし、立ったまま食べるし。
「あ、うっま。これほんとうまいですよ、お姉さん!」
「え? どれですか?」
「この肉焼いたやつ!」
「なんで味付けしたっけな……」
料理名:サミウさんが持ってきてくれた豚肉と、うちで余っていた鶏肉と、あとなんかいろいろ入れて混ぜて焼いてからめた肉
最早何を入れたか定かではない。材料でさえその有様なので、調味料など覚えているはずもなく。
私はサミウさんが抱えているお皿からつまんだお肉をもぐもぐ噛みながら、スープのお代わりをサミウさんに渡す。そして、お酒でお肉を流し込んで空になった口に、料理名:サミウさん特製肉種焼きチーズと薬味添えを食べる。
塩加減もハーブ加減も焼き加減も最高である。
「んー! おいしい! サミウさん、ほんとお肉料理上手!」
「ツマミしか作れないですけどねー。お姉さんは全般上手ですよね。どれもうまい」
「あり合わせで適当は得意ですけど、上手とは似て非なる技術では……?」
「適当は基礎がないとできないんですよ。独自性も。粋がってる職人に多いんですよねー。基礎を馬鹿にして派手な技術にいこうとする奴。基礎を簡単だと思ってる奴は、何やっても駄目っすけどね。土台できてないと崩れるのは家も技術も一緒ですし」
「なるほど……深いですね」
「いや、浅いっすね」
「え!?」
そうなのだろうか。
でも確かに、医療も同じだ。基礎がないのに手術がしたいだなんて言ってもできるはずがない。基本は大事だ。基礎とは知識と理解で成り立つものである。それは、何が対象であってもそうだろう。
だから常識であり事実だから浅いと言うことだろうか。でもやっぱり深い気もするのだが、お酒がおいしい。
「あー、寛げるー。向こう帰ったら大量の桶があるとか思い出したくないな……」
「……ショシユさん、またたくさん託されて帰ってきたんですか?」
「あいつが帰ってきた姿は、桶商人ですよ桶商人。それも売りさばかないと帰れない奴」
「オッケ売りのショシユさん……」
桶は燃やしてもごちそうは浮かばない。桶の持ち主達の絶望顔は浮かぶだろう。もしくは水虫。
火を使った料理を作り終わると同時に、私とサミウさんはお皿とマグカップを手にずるずると床に座り込む。だって今日はとびっきり行儀が悪い日なのだ。
隊長さんがいると、ありのままの私を見てほしいと思う。ありのままの私を好きだと言ってくれると嬉しいからだ。でもやっぱりちょっと背伸びした私も見てほしい。ちゃんとした私でいたいと思う。
だけど気を張るんじゃなくて、ほどほどに。
それが苦ではない人と、結婚した。
だけど今日は隊長さんはいない。今日もいない。けれど一人でもない。
戸棚を背に床へと座り、足の上に乗せたお皿からご飯を食べ、マグカップでお酒を飲む。
私とサミウさんは視線を合わせ、にへっと笑った。
お互い、行儀が悪いと分かった上で崩した行儀を楽しんでいる。今の私達は、まるで子どものようだ。
大人がいない場で、子どもだけの無礼講。いつもは一つのお菓子も、三つ食べちゃう。座って食べなきゃいけないのに立って食べ、普段は切り分けて食べる物を丸かじり。
子どもの時、普段はできないからこそ特別だった大人に内緒の時間。そんな時間は、大人になった今でも楽しい。今だからこそ楽しい感情も、きっとあって。
怠惰で堕落で見ていられない、楽しく浮かれて笑いはしゃぐ。全部が楽しい。全部が嬉しい。わくわくとうきうきとまったりと。そんな感情で構成されたこの時間がとてつもない贅沢だと、大人になったからこそ知っている。
洗濯も掃除もお風呂も終わっている。だから後は楽しんで眠るだけ。
明日はいつもよりちょっと遅く起きるのだ。二人でのそのそ起き出して、今日の残りをつまみつつ後片付けをして、洗濯をして、掃除をして、仕事をして、食料を買い出しに行って。
またいつも通り。いつもをいつも通り。手を抜くところはしっかり抜いて、ちょっとしっかりしたいところは頑張って。おいしいお茶を飲みたければお湯の温度をこだわって。忙しいときは渋かろうが薄かろうが気にせずに。
丁寧に、雑に、適当に、大切に。
そうして日々を暮らしていく中で、ちょっと贅沢な今日という時間を楽しんで。
私とサミウさんは、今日も新婚生活を楽しんでいる。