今日もなんとなく妄想が浮かんできたので、エッセイを少し書いてみた。
どうも、またまた飛狼の妄想エッセイにお越しいただき、ありがとうございます。
さて今回のお題は。
『表現力としての効果音について』
まあ、今更ながらなのですけどね。
表現力とは何かと考えたら、やはり重要なのは描写力ですね。
以前のエッセイで、地の文や描写はいらないなどと、馬鹿みたいな事を言ってた私ですが……色々と私も進歩をしているという事で、ご容赦を。
昨今では、ライトノベルなどで、読者にストレスを感じさせず読みやすくするためか、出来るだけ描写を抑えているように感じます。しかし、なろう以外では一般書籍しか読まない私は、やはり一般書籍を視野に入れて小説を書いてしまいます。
そこで私は実家に帰ると、かつての私の部屋で眠る蔵書と格闘しています。以前は何も考えずに読んでいたのですが、改めて読んでみると作家さんによって様々な表現の仕方、描写などが書かれていて驚いています。
今の私にとっては、正に宝の山ですね。
そこで気付いたのですが、プロの作家さん達は巧に様々な擬音や効果音を取り入れてます。
以前、なろう内の小説の書き方で読んだのか、それとも他の書籍で読んだのか判然としませんが、擬音は小説を駄目にするみたいな事が書かれていたので、私も多用しないように心掛けていました。
しかしそれは、私の勘違いだったようで、擬音で描写を表すのはだめですが、効果音或いは感覚として書くのは有りかなと。当然、多用すれば作品が安っぽくなるので駄目ですけどね。
ですが、要所で上手く使えば、身近に感じる事が出来ます。
以前テレビで見たのですが、あの稲川淳二さんが恐い話をするコツを語ってました。
それは要所で、的確に効果音を使うといったものでした。それによって怖さが倍増するらしいです。
例えば、背筋にゾゾゾッと寒気が上がってくるとか、背後からヒタヒタと誰かがついてくるといった感じでしょうか。実際に検証実験をやってみると、やはり効果音があるほうが恐いようでした。
私もうろ覚えなので、ちょっと違っていたらご容赦を。
私は現在、剣豪が異世界に行くといったファンタジーを書いています。
そこで、実家の蔵書にある時代小説、その中でも剣豪物といった小説を読みあさってみました。
すると、結構皆さん効果音を使っていますね。どうやら、バトルと効果音は切っても切り離せない関係のようです。
するりと刀を抜いたとか、さっと身を翻したとかいった感じです。
そこで私も最近は、効果音を考えながら使っています。
『最後に残った狼が牙を突き立てようと口を開けた口中に、太刀をずぶりと突き入れた。狼がビクンと体を震わせ、動かなくなったのを確認すると、ズルリと引き抜き血振れをくれる』
これは拙作からの引用ですが、“ずぶり”“ビクン”“ズルリ”といった三つの効果音を使っています。
どうですか。効果音があるほうが、臨場感が増したような気がしませんか。
最近はこんなことを考えて書いてます。
今更何を言ってるのと思った貴方、文章が素人だった私ですのでお許しを。
ざっと今回はこんな感じです。それではまた次回の妄想エッセイにて。