18話
エルドゥアリンとの戦いは終わったが、ルヴェールではいまだに混乱が続いていた。
エルドゥアリンがイリスを模倣して発動した大規模な『模倣』の爪痕は未だにルヴェールに住む人々の精神を蝕み、また同時にルヴェール市で影響力を握っていて何人かの要人がエルドゥアリンの死と共に姿を消し、あらゆる意思決定に遅滞が生じていた。
「局長。親衛隊隊長が面会を希望しています」
山のように積み上げられた書類をめくる手を向け、顔をあげたヴァルネルヴィア。その表情には疲れが滲んでいる。
◆
「フィル。お前のところはどうだ。何人か消えたか?」
「えぇ。確かに数か月前から言動がおかしい仲間たちが何人かいた。呼んでも来ないことがあるのは魔女だから仕方がないとしても……それでも忘れてはいけないことを忘れたり、魔術の使い方が下手になってたりしていた」
「魔女に化けていることもあったのか。ヤツは」
「そっちは勢力図がずいぶん変わってるみたいだね」
「あぁ。長期的には好都合だが……」
「なんにしても、脅威的ね。それだけ多くの人物に成りすましていたなんて」
「終わったことだ。それより、あのふたりはどうしてる?」
「いいニュースがひとつ。エルカさんの傷はだいたい癒えたみたい。魔術も前と変わらず使える。悪いニュースがひとつ。都市の人々は今回の事件のことを正確に理解していない。エルドゥアリンの洗脳がまだ溶け切ってないのは、その魔女がまだ生きているからだという噂は根強くて……エルドゥアリンの正体が虹目の魔女イリスであると喧伝している人々まで出てきてる。彼女は今、人前に出られる状態じゃない」
「そうか。本当に気の毒だな」
「えぇ。でも私たち親衛隊も、あなたたち政府の兵隊も、本当のことを理解しているでしょう」
「あぁ。それにこちらの兵隊たちも先の件で魔女に対する見方がいくらか変わってきてる。もしかしたらこれからルヴェールは、変わっていけるかもしれない」
「そうなっていけばいいね」
「あぁ。それとフィル。私からもいいニュースがひとつある」
「何?」
「近いうちに我らが市長、ルヴェルティカが戻ってくるそうだ」
フィラムヴェクスは、優しく微笑んだ。
「私も聞いたわ」
「だから、今のうちに山のように積み上がってる仕事を全部片づけなくちゃいけない。ルヴィが戻ってきたときに、少しでも時間を作れるように」
「なら、これ以上あなたの貴重な時間を奪うわけにはいかないわね、ヴァル」
「すまない」
「次は、3人で会いましょう」
「あぁ。また昔のように、人と魔女がともに生きる世界の理想を、語り合いたいな」
◆
顔がやけただれた兵士のひとりが、職場に復帰してきた。同僚たちははじめこそ気を使っていたが、時間とともにその顔や性格の変化にも慣れてきた。
ある日、もっとも仲のいい同僚のひとりが、こう尋ねた。
「あんた、あの事件から少し変わったね。あんなに魔女を嫌っていたのに」
「うん。そうだね。エルドゥアリンが私の中に入ってきたから、確かに魔女に対する見方は変わった」
「すべての魔女があの魔女ほど邪悪じゃないってわかったから?」
「ううん。違う。かわいそうだって思ったから」
「かわいそう? 百相の魔女、エルドゥアリンが? あんなに大きな力を持っていたのに?」
「うん。あの人は、私たちと変わらない心を持っているのに、欲した覚えのない生まれついての心象に縛られて、その通りにしか生きられなかった。他の魔女もそう。自分で生き方を選べない私たち人間よりずっと不自由な存在。それが、魔女なんだなって、思うようになった」
「……じゃああの人は? この都市を救ったのに、罪を着せられてそれを晴らすこともなく自分から去って行ったあの人は」
「だから私はあの人を、特別な魔女だって思うんだ。あの人は、自分が魔術に縛られないために、魔術を縛っているんだ」
「それができるなら、魔女は不自由ではないんじゃない?」
「魔女の固有心象を実現したいと感じる欲の強さは、私たち人間のすべての欲を総合したものを凌駕してる。食べること。寝ること。愛し合うこと。ねぇ、自由と誇りは、すべての欲を完全に諦めるのに見合うだけの価値があると思う?」
◆
人はそれぞれ別の色を持つ。その視線の交わる先にいるひとりの魔女。
それが虹目の魔女、イリスだった。
「見ること。そして見られることが私の本質」
大切な友人を前に、静かにそう告げるイリス。
見るのに必要なもの。それは目。
見られていることに気づくために必要なもの。それも目。
生成本質――目
見ることの意義は、視覚的な情報を得ることに留まらない。意識を向けること。何かの存在を認める事。捉えること。
あらゆることが見ることによってなされる。
見ないこと。閉ざすこと。逸らすこと。外すこと。忘れること。
そして――合わせること。同じくすること。
転化本質――同調
「同調の象徴。同調なんていう高度で奇妙なことができる生き物はひとつしかない。私を象徴する生き物はたったひとつ。それが私の召喚本質」
召喚本質――人間
「正確には大衆。私は……顔も名前も過去もない人間を、際限なく生み出すことができる」
「エルドゥアリンがやったのは、人を媒介にして洗脳の範囲を広げていた。逆に言えば、その場に人がいなければそれ以上広がらない魔術行使だった。だがあんたの場合は……」
「際限なく拡大する。私が死んだ後も」
「本当に危険な魔術だな。その気になれば世界を滅ぼせる。イリス。あんたは、災厄の魔女にも劣らない危険な魔女であることを隠していたってわけか」
「ごめん。嫌だよね、そんな魔女とこれからも友達でいるの」
「ずっと黙ってたってことはムカツくけど、あんたがそういう魔女であるということはどうでもいいね。だってそうだろう? 世界を滅ぼせるほど危険な魔女は、別にあんただけじゃない。それにあんたの魔術は魔女にはほとんど効かないんだろう?」
「うん」
「なら別にいい」
「でも現実浸蝕は別だよ。魔女にも効く」
「そっか。まだあんたの現実浸蝕は見ても聞いてもいないんだったな。はぁ。聞くの、また後ででいい? 今日はもう頭使いすぎて疲れた」
「うん」
「なぁイリス」
「何?」
「あんたはこの都市を救った英雄だろう? もっと誇れよ。そんな寂しそうな顔してないでさ」
「私、今寂しそうにしてる?」
「うん。まるでこの世界にひとりぼっちで取り残されたみたいな顔だ。出会ってすぐのころ、私がおいていくふりをしたときと同じ顔だよ」
「はは……ねぇエルカ。私、ルヴェールを出ようと思ってる。この都市のみんなは、エルドゥアリンと私の区別がついてない。この前少し外を出たら、石を投げられたんだ。叫び声をあげて逃げ出す人たちもいた。いろんな魔女が受け入れられてるここルヴェールでさえそうなら、私の魔術が知られてなお、私を受け入れてくれる場所なんて、世界のどこにもないのかなって、そんな気持ちになってるんだ」
「たとえこの世界のどこにも自分の居場所がなかったとしても、この世界のことを愛さない理由にはならないだろ?」
「そうだけど。でもひとりは寂しいよ」
「なら私の隣にいればいい」
「え?」
「一緒に行こう。イリス。私にだって居場所はない」
「そうかな。エルカはその気になれば、ルヴェールでもみんなに受け入れてもらえるよ」
「なぁイリス。友達を傷つけるような連中のいるような町が、私の居場所にふさわしいと思う?」
そう言ってエルカは胸を張り、イリスの腕を強引に掴んだ。
「行くぞ、イリス。私たちにはできることがある。落ち込んでる暇なんてないぞ!」
◆
荒れた道を歩く二人。
背後には、100年前にはすでに崩壊していた都市国家ルヴェール。
それでも人々は変わらず元気に生きている。当然、魔女たちも。
「ねぇ、いつまで拗ねてんのイリス」
「だってひどいじゃん! こんなに頑張って、こんな仕打ちなんて!」
「まぁでもそんなもんじゃない。魔女の人生なんて」
「はぁ。エルカってさ、達観しすぎじゃない?」
「そう? 普通だよ。それにさ、得たものもあった」
「何? 得たものって。経験とか言わないでよ?」
「この髪飾り。あんたが選んでくれた」
「え! エルカぁ」
抱き着こうとするイリス。
ひらりとかわすエルカ。
足の怪我も治り、銀もすべて抜けていた。体調は万全。
「でもそれさ、多分パチモンだよ? オブシディアンって言ってたけど、それならもっと重いはずだし、エルカが寝てるときにちょっと確認したんだけど、刻印された文字のスペルも間違ってた」
「イリス」
「何? 怒った?」
「魔女ならそんな細かいこと気にするな!」
イリスの背中をバシッと叩き、いたずらっぽく笑うエルカ。
「あいたっ。ちょっとエルカ、力強くなってない?」
「休んでる間暇だったから、ちょっと鍛えてみた」
「じゃあエルカもフィジカル系魔女の仲間入りか」
「あんたみたいなゴリラと一緒にすんな」
「誰がゴリラだ!」
◆
荒れた道を歩き続けていると、背後から軽快な足音が響いてきて、ふたりは振り向いた。
「はぁ。やっと追いつきました」
聞き覚えのある低い女性の声。姉妹団の連絡係、カイネだった。
「ルヴェールまで来るのも大変だったのに、そのうえルヴェールからもいなくなってるし。そもそもなんで私はこんな厄介な仕事ばかり押し付けられるのか」
「カイネ久しぶり! どうしたの? もしかして任務か何か?」
「えぇ。北方で日照りから人々を救い、その元凶であるアリディスと倒し、戦線の英雄ガエザルを退け、さらに魔女殺しの魔女ゾルン・ペシミウスと一戦交えてなお生き延び、さらにルヴェールで災厄の魔女のひとり、百相の魔女エルドゥアリンを見事討伐したふたりの有望な若い魔女に新しい任務ですよ」
「だいたいイリスだけどね、それ。私いるだけ」
「いやいや。エルカいなかったら私普通に死にまくってるよ? どんだけ水の魔術が便利なことか」
「うざいんでいちゃつかないでください。任務は、南方の帝国で、すべての魔女をこの国から脱出させること。近いうちに、そこで戦争が起きます。その前に、魔女たちを避難させてください」
◆
「ゾルン・ペシミウス。ただいま戻りました」
この物語の舞台である西部大陸の中央部には、巨大な湖が広がっており、その周辺に山岳が連なっている。そこでは大量の銀が産出され、その近辺はすべて魔女絶滅戦線の勢力の支配下にあった。
魔女殺しの魔女がその司令本部に戻ってくると、戦線の将軍たちは味方の魔女を睨んだ。
「ペシミウス。貴様は、百相の魔女の追跡を独断で中止し、筆頭断頭官ガエザルを討った魔女ふたりをさらに独断で追跡したあげく、姉妹団の象徴的な人物で目録の優先順位の最下位に列せられるルヴェルティカと交戦ののち、ふたりを取り逃した。間違いないな?」
「はい」
「つまり、結局何の成果もあげられず舞い戻ってきたのか、貴様は」
「その通りです。元帥」
煙草を吹かす初老の男。隣には天秤頭の魔女。
「次の任務だ。帝国へ向かえ。このリストにある魔女を追え」
強欲の魔女。灰の魔女。竜の魔女。その他幾人か。
「なるほど。目録の最上位に記されていながら、あなた方人間の軍隊では分が悪い連中ですね」
元帥は舌打ちをして、銀の短剣を、広げられた地図の一か所に突き刺した。
「全員、帝国の都だそうだ。近いうちに帝国で『夜会』があるという情報があった。お前はそこに向かえ」
「百相の魔女についてはいかがしますか」
「ヤツはルヴェールで死んだ。お前が殺し損ねたふたりが殺したそうだ。結果的にお前の判断が正しかった、などとは言うなよ?」
「はい。私は規則通り目録に従ったまでです」
「そうだ。あくまでお前は我々人間の道具だ。ゆえに、我々をお前たちを例外的に生かしているに過ぎない。そうだな?」
「その通りです。すべての魔女は、殺さなければならない」
「あぁそうだ。すべての魔女は殺さなければならない。例外は、ない。お前は最後のひとりであると我々が決めているに過ぎない。それをゆめゆめ忘れるな」
「はい」
◆
「ペシミウス様」
帰り際、ため息をついたペシミウスに声をかけた副官。
「なんだ」
「司令部は腐っています」
「百年前……いや、戦線が発足したその瞬間、つまり三百年ほど前からずっとそうだ。だが、それでもやつらはどんな魔女よりもまともだ」
「そうですかね。私としては、ペシミウス様の方がまともだと思いますよ」
「はは。連中から私の真意を探れと言われているのか?」
「はい。やはり魔女は疑り深いですね」
「お前は人間にしては妙なほど正直だな」
「で、本音はどうなんですか? 私たちあなたの部下も、時々あなたが恐ろしくなります。なぜそこまでして魔女を殺すのか。憎悪を向けてくる人間たちの下につくのか。いつか、私たちはあなたに殺されるのではないか」
「私は……私は、確かにまともなどではない。はっきりいってしまえば、魔女の中でも狂っている方だとも思う。でもその狂い方が、人間たちにとって都合のいいように転んだに過ぎない」
「なるほど」
「もし私が、人間たちに不利益を与える存在に変わったなら、その時はお前たちが私を殺してくれ。あぁいや、それはダメなのか。軍規違反か。人間の規則は私たち魔女には難しい」
「ははは。たとえそれが許されていても、私たちは恐ろしくてあなたに矢を向けることなどできはしませんよ。せいぜい頭を地面に擦りながら、命だけでも許してくれと懇願することしかできません」
「魔女が存在しているだけで、最も誇り高い兵士たちの尊厳でさえ危ぶまれるのであれば、やはりどんな魔女も存在しているべきではないな」
「えぇ。間違いなく。すべての魔女は殺さなければならない」
「あぁ。すべての魔女は殺さなければならない。帝都に向かおう。災厄の魔女たちを仕留める」
「倒せますかね」
「ひとり仕留められればいい方だ。連中は勘がいいし、逃げ足も速い。そのうえ、命の危機を感じると周りを巻き込んで大惨事を引き起こす」
「おそらく、我々と帝国の間で何かしら決裂があったのでしょう。あなた様がその地で災厄の魔女と一戦交えるというのは、国にとっては重大な損害、危機を意味します。上は帝国に、何かしらのペナルティを与えたいのでしょう」
「だとしても、私は政治的な話に関わるべきではないな」
「えぇ。あなた様は、ただ目の前の魔女を殺すだけでいい」
「そうだな。すべての魔女は殺さなければならない」




