011.求めるもの
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「は~…………疲れました」
夜。全ての公務を終え、屋敷に戻った鳳花は自室の布団に倒れ込む。化粧を落とし、体を洗い、寝間着にも着替えた。夜の稽古は東馬の指示で取り止めとなったので、後の仕事は寝て休むだけ。
誰の目も無くなり気が緩んだことで、鳳花は自分の体がどんどん睡魔に包まれていくのが分かった。
王都に来る前から多忙な日々を過ごしているため、こうして落ちるように眠りに入るのは珍しいことではない。何せ昔は寝間着に着替える余力さえ無いほど忙しい時期もあったのだから。
仰向けに寝転がり部屋の照明を見つめながら、鳳花は今日の出来事を振り返る。
新正屋は皇家が公爵の立場で支援している呉服屋であり、その王都二号店落成記念式典に当主の名代として参加。祝賀会では常に礼服姿の人の群れに取り囲まれ、食事に手を付ける暇も無かった。
油絵展覧会では上座から一歩も動かずありがたい置物になっていた。一般客も大勢来ており、自分の顔に注がれる視線がくすぐったくて仕方なかった。
逆に、第二大陸中央統轄隊との会合では自分に向けられる視線が減った。討ち手の命と世の平穏に関わる大事な会議の場では鳳花におもねる視線は長続きしない。前二つを通った後ということもあり、肌がピリッとするような緊張感はむしろ心地よいほどだった。
大鳥公爵との会食では食事に味を感じなかった。相手は皇家と同格の四公爵の一つ。食卓外交という言葉があるように、食器の音が鳴る場所だろうと会話の一つ一つが大局に関わる。せめて不利益になる言質を取らせないようにするのが、まだ学生の自分には精一杯だった。
今日だけで服を三度も着替え、肌着を四回変えた。夏を迎えて気温が上がっていることなど関係ない。冷房の利いた部屋の中に居ても背中を伝う冷や汗の量は減ってくれなかった。
そんな緊張の一日を今日も乗り越えることができた。電気を消す気力も湧いてこず、鳳花はそのまま目を閉じそうになる。
「……あ」
体勢を変えた鳳花の目に、部屋の隅に置いてあった紙袋が映り込む。
頭をよぎるのは風呂から上がって自室に戻ろうとした自分に東馬が言った言葉。
『サークルの方から聞いた今流行のものを紹介して頂きました。お部屋に置いてありますので、気を紛らわせたい時などにお読みになって下さい』
立つのは億劫なので這って近付き、紙袋を倒す。するとぶちまけられた中身がドサドサと重い音を立てて床に散らばった。
紙袋の中に入っていたのは漫画だった。好きな時に好きな場所へ行くことが許されない鳳花が、他人が創った空想の世界に行くための道具にして、趣味とも言えない気晴らしのための娯楽。
統一王国では王家や公爵家への不敬以外は表現の自由が認められている。最後に起こった戦争が終結してから四十年。太平の時代は新しい文化や娯楽を生んだ。
漫画は戦前にも存在していたが、鳳花が子供だった頃と比べても爆発的に作品の数を増やしている。加えて大学受験や討滅の試し等に始まり、色々と多忙だったこの数ヶ月は新作を追う余裕が全くなかった。今の鳳花は世間で何が流行っているのか把握すらできていない。
「えーっと……どれどれ」
鳳花には明確に好きなジャンルと嫌いなジャンルがある。
まず戦いを扱っている漫画は問答無用で弾く。既に戦場に立っているのに娯楽でまで血生臭さを求めたくはない。
次に一般的な人にとっての超常的要素が絡んでくるのも駄目だ。神威というある種非現実的な力を持っている身として醒めた目で見てしまう。
あと人間関係がドロドロしているのも苦手なので避ける。これは純粋に鳳花の好みではないためだ。
では鳳花の好みは何かと言えば、いわゆる“日常”を扱ったもの。恋愛であったり友情であったり運動競技であったり文化であったり、主となる題材は何でも良いが、少年少女達が切磋琢磨し合い、時にぶつかり時に認め合い、時に泣いて時に笑う、輝かしい日常を描いた物語だ。
東馬も鳳花の趣向は分かっているので嫌いなジャンルは最初から入っていない。その中でも“今の”鳳花の気分に合いそうなものを表紙と作品名から選び、掴み上げる。
――とりあえず今日はこのシリーズをいくつか読んで休むことにしましょう
鳳花は心の中で呟き、布団に仰向けに寝転がって本を開いた。
漫画の内容は中学校を舞台にした恋愛喜劇。一人の男子を美少女達が取り合う様を描いた、いわゆる“ハーレム”もの。主に漫画を読む男子層が好むあまり珍しくない類いの話だ(東馬談)。
こういった話は暗くなり過ぎず頭も空っぽにして読めるため鳳花は割と好んでいた。一人の女子を美男子達が取り巻く“逆ハーレム”もまた然り。読んでいる時はクスクス笑えて、本を閉じた後はすっぱり忘れられる手軽さがいいのだ。
漫画の絵は流行っているだけあって綺麗で読みやすい。登場人物も個性的で、恋愛以外でも見所がある。周囲で巻き起こる騒動に右往左往する主人公は、その中の行動で色々な人達と交流を深めていた。
人気が出るのも分かる、と思うくらいには面白かった。
しかし読み進める内に鳳花の中でムクムクと疑問が膨らんでくる。
「そこまでモテるような男性でしょうか、この主人公……」
外野から見ている分には面白い。近くに居れば愉快な騒動に巻き込まれやすいのなら、友人として付き合うのはありかもしれない。しかし異性として惹かれるかと言えば正直言って、無い。
ご都合主義と言ってしまえばそれまでだが、様々な男性と引き合わされて肥えてしまった鳳花の目が、主人公へ冷静な分析をし始める。
――美少女に近寄られただけで赤面して腰が引ける男に、異性としての興味を持つものだろうか。
――勉強も運動も人並みなのは構わないが、特に向上心も見せない男に期待できる要素はあるのだろうか。
――危険に対して逃げるだけで誰かを守る力を持たない男を、格好良いと思える思考回路はどこから生まれるのか。
これが一人だけなら相性云々で解釈できるが、それが二人三人と増えれば度が過ぎている。同級生から知人に、知人から友人に、友人から好きな相手に、という段階を踏まずに一足飛びに瞳を潤ませている姿は、はっきり言って桃色の頭をしているようにしか鳳花の目には映らない。
主人公は普通の性格の一般的な平民なのが一層滑稽さを際立たせている。主人公に(少なくとも異性としての)魅力がそこまでないように見えるために、それに惚れている女性達の株も相対的に下がって見えてしまうのだ。
「これはそういうものだ」と頭を切り替えれば楽しむこともできただろうが、疲れている体でそこまでする気は起きず、結局鳳花は二巻目の半分を過ぎたところで本を閉じ、明かりを消した。
とはいえ瞼が重くなるまでの間で頭に浮かぶのはやはり漫画の内容だ。
「平民の方だったら疑問に思わず楽しめたのでしょうが……」
皇の血を引く者には平民のような恋愛は許されない。与えられた特権と任されたものへの責任があるためだ。
一方で条件の厳しさは、それこそ王家にも勝るだろう。不心得者が上に立つことは御家の崩壊を招く。そんな下らない理由で皇家が断絶するなど、あってはならない。
鳳花の伴侶となる相手には高い実力と確かな立場と絶対の忠誠心が求められる。この条件に例外はない。鳳花が平民の恋愛を描いた漫画を好むのは、彼らのような自由な恋愛に憧れているのもあった。
しかし憧れは憧れで現実とは違う。伴侶の条件については鳳花も納得して受け入れており、幼少時から歳の近い男性と会うたびに将来の夫として相応しいかを見定め続けてきた。
だからだろう。鳳花は男性と会うたびにその人物を品定めするという、上から目線も甚だしい癖が否応なしに付いてしまっていた。
例えば、将来御伽衆の精鋭達を率いる討ち手になれるかどうか。
例えば、出身が怪しかったり皇家に臣従する背景が後ろ暗いものではないかどうか。
何より、決して皇家と鳳花を裏切らず忠義を示し続けてくれるかどうか。
その上で鳳花の希望を付けるなら、何があっても守ってくれるという安心感を抱ける男性がいいな、と思いながら。
結婚相手に求める条件としてここまで高いものもない。王家の姫でももう少し敷居を下げるだろう。性格の悪い女ここに極まれり、と我ながら思う。
けれど仕方ないことだろう。その全てを叶えてくれる相手が、小さい頃からずっと隣に居たのだから。
それ以上の男性が鳳花の人生に現れたことなど、一度たりともなかったのだから。
「……東馬……」
他に誰も居らず、誰の目も無い真っ暗な部屋でその名を呟く。
この秘めた恋心を、理想の相手そのものとなった幼馴染へ抱き始めたのは、一体いつからだっただろう。
熱を孕んだ自分の声にはしたなさを覚えつつ、鳳花は眠りへと落ちていく。
脳裏では幼い頃の東馬との出会いが思い起こされていた。




