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012.泣きそうな目をした男の子

 鳳花が初めて東馬と出会ったのは、鳳花の七歳の誕生日の翌日だった。


 その日の前の晩、つまり誕生日の夜から鳳花は大分不機嫌だった。なぜなら誕生日当日に、よりによって十年ぶりとなる『ろ』級の一の霊獣が領内で発生したことで、鳳花の誕生記念祝賀会が台無しになってしまったからだ。


 平民の者達に照らし合わせれば当時の鳳花は義務教育期間に入ったばかりの幼子(おさなご)そのもの。幼子に霊獣の脅威度や皇家の特異性、お役目の重さなどを理解しろと言っても無理な話で、その晩鳳花はふて腐れながら布団の中に入った。宥めようとする都木子の言葉も耳に入らなかった。


 ただ、父親が傷だらけになって霊獣討滅から帰ってきたときには、さすがに不機嫌ではいられなくなった。


 当主が率いる第一隊は御伽衆全八部隊の中でも最精鋭の部隊。討ち手が集まれば相手が『ろ』級霊獣であろうとも危なげなく勝利できる。そのため目立つような損害などそれまでの鳳花の記憶になく、当時の鳳花にとって霊獣討滅とは害獣駆除とほとんど同義だった。それだけに討ち手最強を謳われる父がぼろぼろになっていたことは、鳳花に強い衝撃を与えることになった。


 しかし幸いにも、その衝撃は長くは続かなかった。父が自分と同い年くらいの見覚えのない少年を連れて帰ってきていたからだ。



「お父様。その子は?」

「戦場で見つけた拾い物だ。我が家に迎え入れることにした」



 子供を物扱いし、ほとんど拉致同然に家に連れて帰ってくる。ある意味貴族らしい横暴ぶりだが、鳳花は特に疑問を挟むことなく父の後ろに控えている少年を見つめた。


 少年は鳳花の視線に気付いたのか、俯かせていた顔を上げた。

 美少年という訳ではないが、目鼻立ちはそれなりに整っており、大陸では一般的な黒髪と黒目の外見をしている。初見で悪い印象を持つ人は少ないだろう、というありきたりな感想が、鳳花の石動東馬への第一印象だった。


 戦場にいたという話だが、護法によって治療が施されたのか怪我はなく、着ているのも真新しく清潔な服。しかし肌の血色は決して良いとは言えず、立ち姿には覇気も元気も感じられない。

 また、その黒い目は怯えと悲しみに染まっていた。今にも泣き出してしまいそうなほどに。



「想定よりもより早く霊獣が出現してしまってな。運悪くその近くに人里があり、私達が駆けつけた時にはあの子を除いた生存者はいなくなっていた」



 静養のために少年を離れへと連れて行った後、父威三朗は苦々しく鳳花に語った。霊獣より人と世を守るお役目を持つ皇家の当主としての、悔悟の念がそこにはあった。

 鳳花はその惨状と少年の境遇に痛ましさを感じる一方、同じくらいの驚きをその内容に覚えた。



「討ち手でもない子供が、『ろ』級と遭遇して生き残ったの?」

「そうだ。見つけた時にはすでに死に体だったが、人意を行使した形跡も見つかっている。あの少年は正真正銘自力で『ろ』級の一から逃げ延びたのだ」



 その声には悔悟では隠しきれない喜色が滲んでいた。

 そして父は身寄りが無くなってしまった責任を取るという名目で、少年を皇家で引き取り討ち手として養育することを霊獣討滅の直後に決めたのだという。



「彼には優れた資質がある。将来御伽衆を率いる立場にさえなるかもしれない。鳳花よ、今の内からあの少年のことを気にかけておけ」

「……うん、分かった」



 都木子から教えられた作法の通り頷いたものの、この時点ではまだ、鳳花は東馬の強さについて半信半疑だった。『ろ』級霊獣相手に生き残ったこともそうだが、何より父に連れられていた時の弱々しい眼差しが、父の言う“優れた資質”と結びつかなかったのだ。


 ただ鳳花の疑念が長続きすることはなかった。早々に始められた修行にて、東馬は“優れた資質”を門下の者達に示したのだ。


 三日で人意の基礎技術である“循環(じゅんかん)”を習得。


 それからさらに十日で応用の“運功(うんこう)”に足を踏み入れ。


 ついには修行開始からひと月で、皇家譜代家臣の中でも名門である天見(あまみ)家の、神童と謳われていた嫡子に勝利した。


 教えを請う東馬の姿勢が礼儀正しかったことも大きかった。指導する者達はその折り目の良さに感心し、惜しみなく己の技を東馬に伝授した。東馬もまた水を吸うようにその教えを吸収し、自分のものにしていった。


 東馬の名が皇家中に知れ渡るようになるのにそう時間はかからなかった。討ち手達は東馬を見出した当主威三朗の慧眼に感服し、威三朗もまた東馬の成長を聞くたびに満足そうに頷いていた。


 そんな空気に囲われるのにも慣れ、初めて見た時の東馬の弱々しい眼差しを鳳花が忘れかけていた頃だった。



「体調を崩した? あの子が?」



 きっかけは二日続けて東馬が修練場に姿を見せなかったことだった。不審に思った鳳花が都木子に尋ねると、その時の鳳花にとって意外な答えが返ってきた。


 鳳花はこの時点ではまだ本格的な御技の修行を始めておらず、神威の効果も人意と五十歩百歩という低いもの。経験の長さで言えば生まれながらに人意を知覚していた東馬には勝てず、東馬から一本取ることも難しくなっていた。


 だから鳳花の中で東馬=強者の印象が根強くなっていたのだ。


 皇の血を引く者は風邪を引かず、いかなる病気にも罹らない。生まれてから常に無病息災が続いていた鳳花にとって、風邪を引いたり熱を出したりすることは想像の埒外で、まして強者であるはずの東馬が体調を崩すなど想像すらできなかった。


 逆にそれが自分の興味を引いたのだろう。鳳花は夜になった後、人目を忍んで東馬の住む離れへと足を運んだ。

 鳳花は覚えている。離れへと向かっている道中の自分が、体調を崩した東馬の様子がどのようになっているかを色々と予想していたことを。その予想の内容はもう忘れてしまったが、きっと碌でもないものに違いなかっただろう。


 何せ寝込んだ東馬を前にして、鳳花は体を固まらせていたのだから。



「父さん……母さん……」



 そこに鳳花の思い描く強者の姿はなかった。同年代の有望株をなぎ倒してきた天才少年は影も形もなくなっていた。

 いたのは寂しくて泣いている独りぼっちの男の子だった。



「何で死んじゃったんだよ…………こんな誰も居ないところ……ひぐっ、来たくなんてなかったのに……」



 両親が死んだ。


 友達が消えた。


 知り合いが誰もいなくなった。


 引き取られたのは縁もゆかりもない貴族の家で、出会う全てが知らないもの。


 強いられるのは戦うための修行。力を鍛えるよう求められ、それが引き取られた理由のために断るなどできる訳もなく。

 身寄りの無くなった自分にできるのは、期待に応えられるよう結果を示し続けることのみ。


 それができなければ――



「……家に、帰りたい……」



 失われた故郷(ふるさと)を思って涙する東馬の姿を鳳花は生涯忘れないだろう。


 霊獣がもたらす被害と、それによって失われる平穏と、平穏を失った人が抱え続ける苦しみ。


 この時ようやく鳳花は皇家の役目の重みを知った。


 ごめんなさい、と呟いた言葉は、一体どんな理由で、誰に向けたものだったかは今でも分からない。自分の感情を整理する前に、東馬が鳳花の存在に気付いて目を向けてきたからだ。


 ただでさえ濡れた東馬の目が怯えで震えているのが分かった。弱音を吐く姿を主家の人間に見られて恐怖していることが伝わってきた。


 目の前で怖がっている男の子に何をしてあげられるだろう、と鳳花が考えた時、頭をよぎったのは遠い日の出来事。

 今よりも幼くて、一人だと怖くて寝れなかった頃。まだ存命だった母が“それ”をしてくれたことで、幼い自分は安心して寝ることができた。同じ事をすれば安心してくれるだろうか、と思いながら――



「よしよし」



 ――鳳花は布団に潜り込んで東馬を抱きしめ、その頭を優しく撫でた。



「よしよし」



 胸に抱え込んでいたから東馬の表情は窺えなかった。これで良いのか分からなかったけれど、東馬の動きが固まっているのをいいことに頭を撫で、ぽんぽんと背中を叩き続けた。



「よしよし」



 続けている内に東馬の体から力が抜けていくのが分かった。そのまま頭を撫でていると、今度は東馬の方から鳳花にしがみついてきた。



「よしよし」



 やがて腕の中で東馬は震えだした。服の胸の部分が徐々に温かく濡れていっているのを感じながら、鳳花は東馬を抱きしめ続けた。



「……よし……よし」



 東馬の寝息が聞こえてきても鳳花は頭を撫でていた。抱きしめる力を弱めながらも、背中を優しく叩くのを止めなかった。


 そうしている内に自分も寝てしまい、翌朝部屋に居ないことに気付いた都木子によって大目玉を食らうことになる。東馬の部屋にいたことは幸いにもバレなかったが、しばらくは行動を制限されるようになってしまった。


 ただ鳳花に後悔はなかった。次に会ったとき、東馬が初めて見る穏やかな顔で「ありがとうございました」と言ってくれたからだ。


 この一件を境に鳳花の人を見る目は変わった。強く見える人は強さだけを持っているのではなく、弱く見える人も弱さだけを抱えているのではない。強い人にだって悩みや苦しみはあり、弱い人にもその人にしかない長所がある。


 東馬の様子も変わった。修行に打ち込む姿に鬼気迫る危うさを孕んでいたのが、真剣さはそのままに地に足を着けたような力強さを感じるようになった。鳳花の姿を見るたびに顔を輝かせるようにもなった。


 鳳花が父に、東馬を自分専属の従者にするよう頼んだのはそんな時だ。


 愛娘の頼みとはいえ、家に招き入れて一年も経っていない少年を娘の従者にすることに威三朗は難色を示していたが、鳳花は折れなかった。



「親を失ってすぐに引き取られた人が不安を感じないはずない。私は東馬に安心できる居場所を作ってあげたいの。東馬なら、いつか必ず私の力になってくれると思うから」



 優秀だという話はいくらでも聞けて、いつか凄腕の討ち手になると確実視されていることも知っていた。

 けれど東馬にだって悩みや不安はある。もしかしたらあの後もどこかで泣いているのかもしれない。大義のためとはいえ、身勝手な理由で強引に引き取った同い年の男の子を放っておくことなど、あの泣いている姿を見てしまった鳳花にはできなかった。


 いくらか反対の声が上がったものの、最終的には当主の鶴の一声によって東馬は鳳花の傍付きになった。いきなりの決定に東馬は戸惑っていたが、「よろしくお願いね」と鳳花が手を取ると、東馬は嬉しそうに「はい」と手を握り返してくれた。


 ただ鳳花がお姉さんぶっていられたのは短い間だけで、あらゆる面で天才だった東馬に、鳳花はいつしか逆に世話を焼かれるようになった。東馬は鳳花が無茶なお願いをしても笑顔で承り、大抵はそつなくこなして鳳花の期待に応え続けた。


 鳳花にとって東馬は、従者の前に幼馴染みであり、家来の前に友人であり、護衛というよりも遊び相手だった。


 二人は勉強も、修行も、出かける時もいつも一緒だった。一年も経つ頃には共にいるのが当たり前になっていて、東馬に居場所を与えるという最初の理由なんてすっかり頭から抜け落ちていた。東馬が自分の傍から居なくなるなんて、考えもしなくなっていた。


 その考えが思い上がった甘いものだと突きつけられたのは、東馬が皇家に来て二年が経とうとした頃のこと。


 鳳花は九歳を目前に、初めて外部の人間によって誘拐されそうになった。


 調子に乗った鳳花が監視の目を掻い潜り、東馬を引き連れて街に繰り出したところを狙われたのだ。予測が困難だったため計画的ではなかったのだろうが、鳳花の習性を調べ上げた上で機を窺っていたことが分かる、手際と段取りの良さがあった。


 鳳花が薬で眠らされて連れ去られた時、東馬は手傷を負いながらも誘拐犯達に食い下がり、応援が到着するまでの時間を稼ぐことは出来た。


 しかし従者として主の身を護りきれなかったことで、家臣達に溜まっていた東馬への不満は爆発した。



「傍に付いておきながら何たる失態、何たる体たらくか! 天才などともてはやされていても所詮はこの程度。やはりあのようなどこの馬の骨とも知れぬ小童(こわっぱ)に、姫様の従者を務める資格は無かったのだ!」



 事前に父に言い含められていなければ、鳳花はその言葉を吐いた家臣に掴みかかっていたことだろう。


 確かに東馬は護衛としての役割も与えられながら十全に役目を果たせなかった。しかし東馬のおかげで最悪の事態を免れたのもまた事実だったのだ。それは自分の身も顧みず、重傷を負ってなお主君の安全が確保されるまで倒れなかった、東馬の誇りある姿を見た鳳花が一番よく分かっていた。


 けれど声の大きい譜代の家臣達にその言葉は届かなかった。鳳花を守り切れなかったのは本人の力不足であり、実力が不足している者を大切な嫡子の従者に据えておくことはできない、と口々にわめき散らした。


 その声の大きさは東馬を高く評価している威三朗をも閉口させ、勢いの強さは鳳花の体を固くした。


 鳳花はこの時初めて、東馬が自分の隣にいるのは“不自然”なことなのだと気付かされた。


 高い能力を持っていても、固く強い絆を築いていても、それらを証明する歴史があっても……貴族家の跡取りと身寄りの無い平民とでは埋めようのない立場の差があるのだと、まざまざと思い知らされたのだ。


 これ以上娘の我が儘を通せば、将来に禍根を残しかねない。威三朗がそう判断し、決定を下そうとした時だった。



「資格が無く、実力も不足していると仰るのであれば、私に『洗礼』を受けさせて下さい。それを乗り越えることによって、私が従者に相応しい者である証明とさせて頂きたい」



 東馬のその言葉に、鳳花も含めて誰もが耳を疑った。


 皇家の家臣ならば誰もが知る『洗礼』。常人を皇の一族の規格へと作り替える“人体再構成”の儀。最悪の結果が死を招くこともあって、名門出身の家臣でさえ尻込みする過酷な試練だ。


 洗礼は本来であれば心身が成熟する年齢を待って行われる。試行錯誤の結果、最も成功率が高いのは十七歳の成人前後と統計が取れており、それも確かな研鑽を積んだ上でのこと。厳しい修行を積んできたとはいえ十に満たない子供が挑むのは無謀。自殺行為と変わらない。


 そのことを理解した上で東馬は洗礼を受けると申し出たのだ。洗礼の過酷さを知る者ほど東馬の覚悟に反対意見をすぼめ、洗礼を越えたなら東馬を認める、と言質を得ることに成功した。


 当然鳳花は反対した。決定になった後も発言を撤回するよう求め、東馬が死んでしまうくらいなら甘んじて他の者を従者にする、とも言った。

 しかし東馬の決意は固かった。



「姫様が良くても俺が嫌なんだ。俺はこれからも姫様の傍に居たいから」



 それを聞いた時の鳳花の感情は到底言葉では言い表せない。


 対照的に東馬の表情はどこまでも澄んでいた。



「だからこれは姫様のためにやるんじゃない。俺が俺のためにやることで、俺が姫様の傍に居たいと思ったから洗礼を受けるんだ。だから今回だけは姫様の命令は聞けない。絶対に聞かない」



 そして東馬は見事洗礼を越えた。滝のような汗を流し、息も絶え絶えになりながらも、鋼の意志と忠誠心を示して見せたのだ。その姿になおも罵倒の言葉を投げつけるような恥知らずはおらず、東馬は今まで通り従者の立場に居続けることを認められた。


 ただ二人の関係は今まで通りとはいかなかった。この一連の出来事によって、鳳花の中の東馬への感情は決定的に変わってしまった。



「東馬はどうして洗礼に挑むなんて無茶をしたの? 拉致同然に引き取られたようなものだし、痛くてキツいお役目だってある。あなたが命を懸けるほどの義理が私や皇家にあるとは思えない」



 霊獣が出現しなければ。

 霊獣が東馬の住む町を襲わなければ。

 討ち手の到着が間に合っていれば。

 東馬の親族が生きていれば。


 どれか一つでも実現していれば東馬が皇家に引き取られることはなかったかもしれない。東馬が鳳花の近くへと来ることになったのは言わば不幸による巡り合わせで、そこに祝福すべき理由など無い。従って鳳花や皇家に忠義を尽くす義務もなく、命を対価にした奉公を強いるには時代が二百年はズレている。


 鳳花は知っている。家に帰りたい、と東馬が誰にも見られないように泣いていたことを。家族を失った悲しみを癒すことは誰にもできないけれど、皇家に引き取られなければ誰かに縋り付いて泣くことは許されたはずなのだ。


 お(いとま)を許されるかどうかはともかくとして、皇家という居場所の少ない家に、東馬が命を懸けてまで留まり続ける理由が鳳花には分からなかった。


 それに対して、洗礼を境に遣い始めた敬語で東馬は言った。



「私の知らないところで姫様が泣いていたら嫌ですから」

「……そんなことで?」

「他にも、姫様の笑っているお顔が見たいからとか、無理をしている姫様を放っておけないとか、色々理由はありますよ」

「私のことばかりじゃない。他の理由だってあるでしょう?」

「ありませんよそんなもの」



 言葉を失う鳳花をよそに、東馬は拗ねたように――まるで、外を見れば分かるのに天気を聞かれたかのような顔で答えた。



「人が命を懸けるのは自分より大切なもののためでしょう? 何で姫様以外のことで命を懸けなきゃいけないんですか?」



 照れもせずに言い放った東馬の言葉に、鳳花は心臓に針が埋め込まれたかのような痛みを覚えた。


 調子の良い言葉だ、と疑えるだけの過去が少しでもあれば、鳳花の感情はまた違う種類になっていたかもしれない。まだ鳳花が窮地に追い込まれたことがなかったなら、その言葉に将来の期待()()を感じられたのかもしれない。


 けれど過去現在を見渡しても東馬の献身に疑いは無く。


 その言葉通りの鋼の覚悟を、東馬はまさに示したばかりで。


 鳳花は自分に埋め込まれた“種”を吐き出すこともできず、ただ東馬から受け取った熱を一人抱きしめるしかなかった。

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