57話。彷徨するG
ある日、一人の少女が母親と手を繋いで街を歩いていた。まだ幼い頃のリエと彼女の母親、アリサである。赤い髪に金色の瞳を持ったアリサの特徴は、しっかりリエに受け継がれていた。
フンフンと楽しそうに笑いながら、アリサから手を放さないリエ。アリサもニコリと微笑み返して、このひとときを謳歌する。
その時、辺りがやけに騒がしくなったかと思いきや、突如として轟音が響いた。二人はついつい騒ぎの場所を遠くから注目すると、そこには無惨にも横転している馬車がいくつもあった。馬のほとんどが絶命しており、生き残りも既に虫の息。治癒魔法を用いても、復活は難しかった。
荷台は散乱し、その中でもとりわけ大きな木箱の上で、一体の異形の存在が佇んでいた。その姿はあまりにもアシダカグモに近しく、右手には男性剣士の頭を高く持ち上げている。剣士は身動き一つせず、とうとうは投げ捨てられる。近くにいた野次馬たちが事の危険性に気づき、逃走を始めるには数秒も掛からなかった。
瞬間、クモ怪人は吠える。耳がつんざくような声量に人々は逃げ惑い、彼の身体から放たれた突風に巻き込まれる。それは遠くにいたリエたちにも襲い掛かり、風で勢い良く飛ばされた荷車が複数台落ちて来た。
突然の出来事にリエは付いていけず、茫然とする。寸後、彼女はアリサに抱き抱えられるものの、荷車の下敷きとされてしまうのだった。
※
突然の落石で鈴斗と離ればなれになってしまったリエは、ふと昔の事を思い出した。半ばトラウマに近いものだが、落石の瞬間に当時の事件を重ねてしまった。昔も今も、何もできなかった自分を呪う。
そうと決まれば行動は早かった。落石で塞がれた道を迂回し、鈴斗を探す。悲観的になるよりも先ず行動だ。何もしなければ始まらない。
「アレックス!」
道なりに走っていると、ジルフロストに追われているアレックスを見つけた。剣を抜いてこそいるが、ジルフロストの物凄い形相に恐れを為して逃走一択になっている。ちょくちょく剣を振れども、短距離ワープでかわされては叫ぶ。
「Kyaaaaaaaaaaaaa!!」
「こえぇぇぇぇぇ!?」
一方でリエは初めて見る魔物の姿に驚きつつも、冷静に努めて蛇光剣を構える。一思いに高くジャンプし、光鞭を瞬間的に出して上からジルフロストを斬り付ける。
光鞭は魔力のみで構成されている。短距離ワープ発動条件を満たない攻撃をジルフロストは胴にあっさり受けて、地面に倒れ伏した。
突然の援護にアレックスは足を止め、ジルフロストの死亡をきっちり確認した上でリエと合流する。
「ハァ……ハァ……リエさん! 兄貴とティナさんは!?」
「はぐれたから探してるの! だから――」
「Gaoooooo!!」
悠長に話している暇はなかった。道から逸れた先にある森の中から双首キマイラが飛び出し、邪魔な木をボキボキと破壊して二人の前に姿を現す。すぐに襲いはしなかったが、煩わしいように首をブンブン回す仕草をやってのけるぐらいの余裕は持っていた。
背中の連撃砲の照準があらぬ方向へぐるぐる動いている様子が、実に生々しい。さらにこの場で毛繕いを始めるものだから、ギャップ差は激しさを増す。リエたちはすぐに逃げようとするものの、双首キマイラが目ざとく見つめてくるので怖じ気ついてしまう。目の前の魔物がどれだけ恐ろしいのか、否応なしに理解していた。
そんな時、どこからともなく一人の騎士が馬で駆け抜けてきた。アンジェラだ。
この乱入により、ある種の膠着状態が破かれる。咄嗟に双首キマイラが砲口をアンジェラにかざし、リエとアレックスは巻き込まれないように散開する。
「retaw llaw【水壁】!!」
バラララララララララララ!!
連撃砲が放たれるよりも早く、魔法を詠唱したアンジェラは正面に水の壁を展開させる。彼女が注意を引き付けていたおかげで、左右に散らばっているリエたちに双首キマイラの攻撃は届いていない。火線はアンジェラ一人に集中していた。
水壁が見事なまでに岩の弾丸を防いでいる最中、アンジェラは馬を乗り捨てて地を走る。その手に持つのは剣と、側で見ればなんと心細いものか。しかし、彼女は微塵たりとも恐れず、人並み外れたスピードで双首キマイラに近づく。
その際、空いた手を背中側に隠し、無言で黒魔法の火球を天へ数発撃つ。双首キマイラがふと上空の火球に目を逸らさせると、それらは軌道を変えてアンジェラの目標へと降り注がれる。
火球は全て胴体に着弾し、怯む双首キマイラ。燃やし尽くすには至らないが、連撃砲の攻撃が止む。この隙にアンジェラは一気に詰め寄った。宙に漂う水壁の隙間を掻い潜り、跳ぶ。
勝負は一瞬だった。擦れ違い様に連撃砲の回転部を片方斬り落とし、双首キマイラの背後に着地するや否やその後ろ脚を素早く切断。動揺と絶叫をさせる暇を与えず、背中に飛び乗って真下に剣を深く押し込める。後ろ脚を不意に失った双首キマイラは、ろくな足掻きもできずに仕留められてしまった。目に光がなくなり、その場で静かに横たわる。
「そこの二人! 早く避難を!」
また、アンジェラは平然とした様子でリエたちに避難指示を飛ばす。まるで双首キマイラの討伐が作業と言わんばかりに。
「あっ、こら! 待ちなさい!」
しかし、それをリエは聞き入れずに鈴斗の捜索を再開する。アンジェラの制止を振り切り、その後ろ姿がどんどん遠ざかっていく。
「えっと、俺が連れ戻してきます!」
すかさずアレックスがリエの後を追い掛け、一人残されたアンジェラの元に馬が戻ってくる。アンジェラは無造作に開いた探索時計で周辺の魔物の位置情報を確認しながら、舌打ちする。
「ちっ、冒険者め……」
リエたちが消えた方向に魔物反応はなく、今も村の周辺に複数の魔物がたむろしている。アンジェラは彼ら二人を一瞥し、馬に跨がり村の防衛を続行していった。
森の中に自然と出来上がっている道をリエは駆け抜ける。それを追うアレックスは、なかなか彼女を捕まえられずにいた。お互いの距離は縮まず、比較的重たい装備をしているハンデもあってアレックスが徐々に引き離されていく。
「リエさん待ってぇぇ!! 一人はマズイっす!! 何か上級ダンジョンに出てくる魔物がうじゃうじゃいるんすよぉぉぉ!?」
それでもリエは止まらなかった。鈴斗が一人でいるなら、尚更マズイ。とことん命の危機に立たされてしまえば、彼はニグラムに変身する事に頓着がなくなる。自分を守るため、身近な人を守るため、ついでに手が届く人たちも守るため。
かねてより、鈴斗は冒険よりも平穏にのびのびと生きていく事を本意にしていた。あくまできっかけを与えたに過ぎないとはいえ、彼を冒険へ駆り出したのはリエ自身。楽しさ・面白さを教えて上げたいと思っての行動だったため、こんな状況に不可抗力でも巻き込ませてしまった事に責任を強く感じている。
(スズトを一人にしちゃダメ! 一人にしちゃダメ! 後悔はしたくないの! まだ見せたい景色とか残ってるのに! まだ教えたい事が残ってるのに!)
辛い事、悲しい事で終わらせていいはずがない。その一心だ。
すると、道の先に一人の黒い戦士――通常態のニグラムがいた。その大事なさそうな様子にリエがほっとするのも束の間、足元が妙に覚束ない事に気付く。夕陽がニグラムの後ろ側にあり、影が掛かって細部がよく見えない。青いゴーグルが暗く光る。
リエは思わず立ち止まり、とぼとぼ歩いてくるニグラムを見つめる。遅れてやって来たアレックスも、事情が飲み込めずに顔をしかめさせた。
直後、ニグラムのゴーグルが僅かにひび割れたかと思うと、そこから微かに仮面の下に隠されている複眼を覗き込めた。ゴーグルの色と同じく、青く光っている。
瞬間、とてつもない寒気が二人――とりわけアレックスに襲い掛かってきた。全身に鳥肌が立ち、訳もわからずに嫌悪感と恐怖心を掻き立ててしまう。
ニグラムの特性、Gの魔眼。効果、目を合わせたもの全てを恐慌状態へと陥らせる。これの耐性を持っている者は極めて少なく、恐怖に弱い者はたちまちGの魔眼に飲み込まれる。
「ひっ!?」
また、ニグラムはG魔法の生存本能活性により、すっかり意識が飛んでいた。周囲にいる生き物の抱く感情に一層と敏感になり、怯えた声を出したアレックスに視線を向ける。加えて彼が自衛にと剣を手にした瞬間を見て、少なからず敵意を察知。おもむろに歩くのをやめて、敵排除のために駆け出そうとする。
だが、それよりも早くリエが動き、正面からニグラムを抱き締めた。目を固く閉じながら、意を決した表情で彼に語り掛ける。
「ダメ、スズト! 大丈夫だから! 私たち味方だから! いいんだよ? 戦わなくていいんだよ?」
恐怖心は拭い切れていない。それでも、ここで鈴斗を止めなければと彼女は思った。語り掛ける言葉はろくに考えておらず、思い付いたのをひたすら述べているだけ。ただし、彼の身を案じれば留まる事は知らない。気が付けば目尻に涙が溜まっていく。
ここまで恐ろしいと感じたのは、カラス怪人との一件以来だった。人間味が消え去り、まるで仲間はいらないと言わんばかりの刺々しさがある雰囲気。常に孤立していて、温もりが一切感じない冷酷な破壊者。例え味方だとしても生きた心地はせず、畏怖の念を持つばかり。鈴斗にそうあって欲しいとは、微塵足りとも思えなかった。
鈴斗の名を聞いて愕然とするアレックスは放置し、今もなお彼を放さないリエ。行動の邪魔をされたニグラムは無造作にリエを払い除けようとして――手を止めた。ニグラムが止まった事に彼女は訝しみ、淡い望みも込めながらゆっくり顔を上げる。
動かないニグラムのゴーグルは明滅を数回繰り返す。複眼を至近距離で直視してしまうリエだが、不思議と呑まれる事はなかった。
そして、ニグラムは静かに変身を解除しながら彼女に力なく寄り掛かる。人間の姿に戻った鈴斗は気絶しており、頬に青い痣が目立っていた。




