1 おっさん、タイムリープする
五十歳精神疾患持ち団地住み無職素人童貞ゴミクズ役満の俺は、死に場所をさがしていた。
そう思って都内をひと晩じゅう彷徨ったが、東京に死ぬことを許してくれる場所はなかった。どこか田舎にでも行けば死に場所が見つかるのだろうか。
——疲れた。いろんなものに疲れてしまった。死にたい。俺はもう死ぬしか選択肢がない。ならできるだけはやく——
——朝が来る。
ふと気づけば、いまいるここは見覚えのある場所だ。そう、ここは俺の通っていた高校のちかくだ。まだ「俺の人生には可能性がある!」と信じていた青春時代。
駅前にある、複数の線路を跨ぐこの橋は、鉄道オタクたちに聖地とされている場所だ。橋の下にはたくさんの線路がならんでいて、これはこれで壮観だ。ここに色とりどりの電車が行き交うことを想像してみれば、鉄道オタクの気持ちも多少はわかるというものだ。
だが、橋から飛び降りるには、この高すぎるフェンスを乗り越えねばならなかった。それはしんどい。
飛び降りは諦めて、俺はなんとなく、高校のあるほうへ歩みを進めていた。
——なんも変わんねえなぁ。
卒業から三十年以上経っているのに建て替えもせず、コンクリートの校舎にはヒビがはいっている。
青春時代だからって、いい思い出なんてほとんどない。時間だけ無限にあって、ほんとに人生に終わりなんてあんのかって思っていたあのころ、いま思えば、十代の貴重な時間をゴミ箱に捨てるように無為にすごして、もったいないことをしていたもんだ、といまの俺なら思うし、やり直すのならそんなことは絶対にしないし、一秒たりとも無駄にせず、有意義な人生を送るんだ——とか、なろう系の主人公が考えそうなことは考えるな、俺。死ね。
さて、死に場所だ。どこで死のう——
そのときだった。俺は唐突な頭痛におそわれた。頭痛なんて生やさしいもんでなく、頭蓋骨にドリルで穴をあけられているような激痛だった。
たまらず俺はその場に膝をついて、亀のように丸まった。
「ぐぁがががが」
——死ぬのか、俺? 頭の病気で? 頭の病気ってなにがある? 脳梗塞? 脳出血? わからねえ。あああ、いってェ、いてェよ、死にたくねェ——
× × ×
すこし気を失っていたのかもしれない。朦朧とする意識のなか、俺はだれかに両わきをかかえられ、引きずられていた。どこかへつれてくつもりだ。
「先生、気がついたみたい」
「おい、伊福部! しっかりしろ」
「亮平! 大丈夫か」
声にリバーブがかかって、ぐわんぐわんイッていた。き、きもちわる……
先生って、ここは病院か? つか、なんで呼び捨てなんだよ。あとでクレームいれてやる、と……
そこでまた俺は意識を失った。
ふたたび目を覚ますと俺はベッドの上にいた。
さっきまでの激痛が嘘みたいに、清々しい目覚めだった。こんなすっきりした目覚めはいつぶりだろう。
ここは、病院のベッドか? カーテンに仕切られてまわりが見えない。ナースコールをさがしたが見つからない。俺は手をのばして、カーテンを引いてみる。
「え」
病室ではなかった。
ここは、いわゆる学校の保健室? 事務机で書きものをしている女がいる。
「す、すいません」
俺は恐る恐る声をかけた。書きものをしていた女がふりかえる。知らない人だ。
「ああああ、伊福部くん。気がついてよかった。校門の前で倒れちゃったのよ。たぶん、貧血ね。どうする? 救急車、呼ぶ?」
胸のネームプレートに『椛山』とある。
「いやいや、呼ばなくて大丈夫です」
「授業いけそう? つらいならここで寝ててもいいけど」
「もうちょっと、ここにいてもいいですか?」
「かまわないわよ。カーテン閉めるね」
待て待て待て待て! なにがどうなってる? なんで学校にいるんだ、俺。こんなおっさんが校内にいたら完璧不審者だろ、ふつう。
これは夢か? 俺は自分のほっぺをペチペチ叩いた。すんごいリアル感。
じゃあ、ドッキリ? カメラどこだ? って、こんなきたねえおっさんのドッキリなんてあるわけないだろ。
俺は混乱して頭を掻きむしった。残り少ない髪の毛が抜けるし、毛根が死ぬから、ふだんなら絶対にしない行為だ。
「あれ、うそ」
髪の毛がありあまるほどある。しかもかなり丈夫な毛根で多少引っ張っても全然抜けない。
あと、腹だ。ぶよんぶよんで、腰まわりに浮き輪のように脂肪が乗っかっていた腹が……薄い! 細い!
これは……やはり、夢?
「痛ッ!」
股間に痛みが走る。こ、これは——起床時の血管拡張によって陰茎海綿体に血液が大量にながれこんでおこる生理現象——
朝勃ち!
何年ぶり……いや、何十年ぶりだろう、陰茎の皮膚が痛いほど引っ張られるこの感覚は。股間が熱い。股間が喜んでいる。股間が自己を解放して——
仕切りのカーテンが勢いよく開き、
「伊福部くん、うるさいわよ。そんな元気なら教室にもどりなさい」
と、椛山に怒られた。
というわけで、教室にもどることになったのだが、
「先生、俺、何年何組っすか」
椛山は深刻な顔で俺を見つめた。
「やっぱり救急車呼ぼうかしら」
「いやいやいや、冗談ッす、冗談。それでは失礼しまーす」
そそくさと保健室を出た俺は、とりあえずだれもいないであろう授業中の屋上へ避難した。
——いったいどうなっちまったんだ、俺は。病気が悪化したのか。現実と空想の区別がつかなくなってゴチャゴチャになっちまったのか。そうかもしれない。
チャイムが鳴った。
教室もわかんねえし、今日はここに隠れてよ。
屋上のドアが勢いよく開いた。
「亮平!」
だれかが俺の名前を呼んだ。顔を見て懐かしくなる。皆川と松井だ。
「亮……おお、やっぱここにいたか。タバコ一本くれよ」といったのは松井のほうだ。
タバコ? そんなもん持ってんのか。ズボンのポケットをまさぐるとマイセンがあった。松井に一本渡す。俺も一本咥えて火をつける。三十年ぶりの喫煙は糞まずかった。
「大丈夫なのか、朝、倒れたんだって」
そう訊いたのは皆川だ。
「ああ、寝不足だ」
タバコで脳味噌が酸欠になりクラクラする。こんなもんよく吸ってたな、と自分で思う。俺はすぐにタバコを揉み消して、
「やるよ」
と言って、残りのタバコを松井にやった。
「え、いいの」
「禁煙するから」
「そろそろもどろうぜ」
この二人と仲良くなったのは、二年のときにおなじクラスになってからだから、俺はいま二年か三年だな、なんてことを考えていた。
ついていくとふたりは、『2年2組』のプレートがかかっている教室にはいっていった。
——ああ、そうだ。二年のとき、俺二組だったか。
いろんなことが芋づる式に思い出されていく。
「伊福部くん、体調は大丈夫かね」
ベテランの国語教師で『2年2組』の担任の小柴が言った。
「大丈夫です」
俺は言った。みんなの顔を見る。どいつもこいつも懐かしい。
「そうですか。具合が悪くなったら我慢せずに言ってください。では、席について」
席って、どこだ? ひとつ空いている席があったのでそこに座る。だれもなにも言わないので、当たっていたようだ。
「授業をはじめます」




