第63話 第二王子、再登場
「──何の騒ぎだ?」
響く足音に続いて、厳しい声が投げかけられる。
人けのない回廊に伸びるのは、涼やかな長身の影と、夕闇の中にも目立つ美貌の顔立ち。
「第二王子殿下!」
眉目秀麗な容姿を険しくしかめた美青年は、国王の次男であるリュディガー王子だった。
「またおまえか。マティアス・アウグスト・ヴァルテン」
リュディガーは切れ長の瞳を鬱陶しそうにすがめて、聞き覚えのあるセリフを放った。
「王家主催のパーティーを、自分たちのための晴れ舞台か何かだと勘違いしているのか?」
王子の姿を見たマティアスの顔に、安堵の色が広がった。
──助かった、とつぶやいて、腫れた頬に手を当てながら呼びかける。
「リュディガー王子殿下! どうかお聞きください!」
まだ足腰が萎えたままの情けない体勢から、マティアスはルカとアレクシアを交互に指さした。
「リートベルク辺境伯令嬢が私を侮辱し、兄が私に暴力をふるったのです!」
「君は被害者だと?」
「もちろんです。私は王家にお仕えする忠臣。名誉と誇りにかけて無実であると誓います! 殿下、どうか不埒なる二人をお裁きください! 私に正義を遂行する許可をお与えください!」
「……だそうだよ。アレクシア」
「そなたも大変だな。リュディガー」
リュディガーが水を向け、アレクシアが答えた。
──支離滅裂な正義を語られて許可を求められるとは王子も楽ではないな、と続けるアレクシアに、まったくだ、とリュディガーはうなずく。
「で、殿下?」
唖然とするマティアスに、リュディガーはあきれた様子で肩をすくめた。
「君は王家の系譜も頭に入っていないのか? アレクシアの亡き母君は、私の母の妹だ」
リュディガーの母とアレクシアの母は、ともに四大公爵家のひとつオステンブルク公爵家の出身だ。
長女は現国王に見初められて後宮に入り、次女はリートベルク家のヴィクトルと大恋愛の末に辺境に渡ったが、嫁いでも変わらず仲の良い姉妹であったという。
「あ……さ、先ほどの方は……!」
マティアスが声をかける直前。
アレクシアは見慣れない上品な貴婦人と談笑していた。
アレクシアを誘おうと鼻息を荒くしていた他家の令息たちが、それでも「待て」を命じられた犬のように辛抱強く待機していたのは、それだけあの女性が高位にある人物だからということ。
つまり、アレクシアが伯母と呼び、再会を約束していたあの貴婦人は──。
「私の母だ。めったに社交界に出ない人だから、若い人たちには顔が知られていないかもしれないな。今日はアレクシアが出席すると聞いて久しぶりに参列したんだ」
「そ……そんな……」
マティアスは絶句した。
現在の国王には王妃以外にも何人かの寵妃がいるが、その中でももっとも長きにわたり、王の寵愛を一身に受ける妃の名は有名だ。
国王の最愛の女性、元オステンブルク公爵令嬢エリーゼ。
由緒正しい公爵家に育ち、美貌と気品を兼ね備えたエリーゼ妃は、第二王子リュディガーの母である。
権力欲が薄く、ほとんど表舞台に現れることはないが、その謙虚で控えめな立ち居ふるまいが好ましいと、国王のみならず王妃からさえも信頼を得ている賢妃だ。
ルカも辺境伯ヴィクトルとの晩酌の際に聞いたことがあった。
ヴィクトルと妻ルイーゼの結婚は、ルイーゼ側の実家の方が格上であり、当初は難色を示す声もあったと。
しかし当時の公爵家からは《《ルイーゼの姉がすでに王家に嫁いでいた》》こともあり、次女のルイーゼは比較的自由な恋愛が許されたのだと。
リュディガーは冷然とマティアスを見下ろした。
「君のように不勉強な連中は、リートベルク家が侯爵と同等の位でありながら私の妃候補に上がらないのはアレクシアが野蛮だからと言っているようだが、それは違う。私たちがいとこ同士で、血が濃いからというのが理由だ」
もしも、と仮定して、リュディガーは端正な顔を傾けた。
「もしも我々の血縁がもっと離れていたとして、アレクシアが妃候補に選ばれたならば……私はやぶさかではなかったが」
「冗談はよせ。リュディ」
アレクシアは肩をすくめた。
愛称で呼ぶ上に、「お戯れを」ではなく「冗談はよせ」と言えるところが、気心の知れた親しいいとこ同士の仲をうかがわせる。
「ちなみに母はたいそう姪を可愛がっていることも伝えておこうか。なんなら息子の私よりも、だ」
さらに追撃を重ねるリュディガーに、マティアスは返答に窮して固まる。
王族の系図は確か家庭教師から習ったはずだ。だがリュディガーのことは「正妻の子ではなく、王位を継ぐこともない第二王子」と侮っていたこともあり、重要視していなかった。
辺境伯令嬢の母もとっくに鬼籍に入っていて、社交界での存在感などあるはずもない。まさか令嬢と王子が母方で血縁関係にあるなどと、把握してはいなかった。
「で、ですが! 殿下!」
マティアスは必死の形相でかぶりを振った。
「わ、私ではありません! 悪いのは兄です! 兄が私に暴力をふるったのは公然とした事実なのです! 何の非もない私に兄が突然殴りかか──」
「おそれながら、殿下」
進み出たのはルカだった。リュディガーに一礼すると、長剣の飾られていた壁を示す。
壁の黒い留め具には白い手袋の指先部分が、破れた状態で引っかかっていた。
「これはマティアスの手袋です。先に剣を取り、抜いたのは彼だと証言します」
「ルカ・ヴァルテンの証言が正しいようだ」
リュディガーは言って、床に突き刺さったままの剣の鍔に手を置いた。
「つくづく愚かだな。止めてくれた兄に感謝するがいい。アレクシアは素手でも君の骨くらい簡単に砕けるからな」
リュディガーの言葉に、マティアスはすでに蒼白になっていた顔をさらに愕然と青ざめさせた。
「さて、アレクシア。この愚か者の処遇をどうしたい?」
国家の祝祭の場で激昂し、剣を手に取り、王子の親族でもある辺境伯の令嬢につかみかかった。
貴族といえど審議にかけられ、断罪されても文句は言えない暴挙だ。
「大ごとにする気はない」
そう言って、アレクシアは侍従が運んでいた銀の盆からフルートグラスを一脚取る。
次の瞬間。グラスに満ちていたワインが勢いよく、マティアスの頭に注がれた。
「ヴァルテン男爵令息はワインを少々過ごされたようだ……そうだな?」
「君がそれでいいのなら、そう収めるけれど。ずいぶんと寛大だな」
「乗ってきたのはこの男だが、挑発したのは私だからな……」
「ああ、なるほど」
ワインの紫色がマティアスのセットされた髪を無惨に崩し、新品の服を濡らし、凝った繻子織りの生地に染み込んでいく。
腑抜けたように茫然自失とするマティアスに背を向けて、リュディガーはアレクシアに笑いかけた。
「野蛮令嬢と評判の君が、まっとうに着飾ったのは初めて見たが、よく似合っているよ」
いとこ目線で見ても、アレクシアは昔から飾り気のない少女だった。リュディガーの叔母ルイーゼ譲りの美貌の持ち主なのに、磨けば光る容姿を磨く気がまったくない。
「とても綺麗だ、アレクシア。いや……」
リュディガーは率直に褒めてから、誰にも聞こえないほど小さな声で、
「彼が君を綺麗にしたのかな……」
とささやき、丁重に礼を取るルカに微笑みかけた。




