第45話 男子会
「辺境伯、お待たせしました」
ルカが両手に皿を持って、辺境伯ヴィクトルの私室を訪ねたのは、夜もすっかり更けた頃だった。
初めて会った日、大いに意気投合してからというもの。二人はたびたびこの部屋で酒を飲みかわすようになった。
特に取り決めたわけではないが、ヴィクトルが秘蔵の酒を開けるかわりに、ルカは調理場を借りて酒肴を作ってくるのが、いつの間にか習慣になっている。
今日のつまみは燻製にした羊乳のチーズに焼きソーセージ。それに「棒の形」と呼ばれるごく細いパンだ。
シュタンゲンは名前の通り、生地を細く伸ばして棒状に切ってある。粉チーズを練り込んでから短い焼き時間で香ばしく仕上げ、最後に粗塩をパラパラとまぶしたらできあがりだ。サクサクとした食感が格別で、ビールのお伴にすると手が止まらない。
「美味いな、これは」
「良かった! ありがとうございます!」
ヴィクトルが褒め、ルカはにこにこと礼を言う。
「こっちも普通のソーセージかと思ったら、風味が違うな。辛味が利いていて酒が進む」
「そうなんです。辺境伯がお好きだと思って辛味を多くしてみました。オーブンではなく、松かさやもみの木を使って焼いています」
「それで燻製のような風味になるのか。いい発想だな」
ヴィクトルは素直に感心した。ルカは的確にヴィクトルの好みを理解し、工夫してくる。初めて会った時も思ったが、気が利く上に賢い。
晩酌の回数を重ねるごとに、着実に胃袋をつかまれて、今やヴィクトルはルカの作る肴なしでは杯が進まない体になりつあった。
数日前から始まったヴィクトルと妻ルイーゼのなれそめ話は、今まさに佳境を迎えていた。
「な、なんて清らかで、美しい純愛……!」
わくわくとヴィクトルの話に聞き入っていたルカは、酒も回っていないのに早くも目元を潤ませていた。
「うぅ……お二人……結婚してくださってありがとうございます……」
「そう言ってもらえると照れるな……」
ルカは感涙にむせび泣き、ヴィクトルは大いに照れている。
アレクシアの母ルイーゼは、名門として知られるオステンブルク公爵家の出身だった。
二人の出会いはヴィクトル自身の語った通り、彼の一目惚れから始まったらしい。
辺境伯令息のヴィクトルと公爵令嬢のルイーゼは身分違いの恋であり、反対の声もあったようだ。
「城」の名を持つ高貴な公爵家の令嬢が、「山」の名を持つ辺境貴族に嫁ぐことを懸念する向きもあったが、最終的には無事に結婚することができた。
当人たちの意志はもちろんだが、当時のオステンブルク公爵家からはルイーゼの姉がすでに王家に嫁いでおり、次女のルイーゼは比較的自由の身であったことも大きいらしい。
「ルイーゼはな……身体は弱かったが、芯は誰よりも強い女性で……」
「はい……!」
「それはそれは女神のように美しく、天使のように心優しく、笑顔は太陽のようで目がくらむほどに神々しくて私は……私は……」
これが娘のアレクシアならば遠い目をして「それは何度も聞きました」と流される話なのだが、ルカは違う。
前のめりで聞いてくれて「アレクシア様の母君ですもんね! 女神で間違いないです!」と同意してくれる。
つい何回も同じ話をしていたことに自分で気が付き、何度もすまんなとヴィクトルが詫びると「名曲は何度聴いても名曲なんです! もっと聴かせてください!」と汚れなき眼で言ってくれる。
何だろうこの可愛い生き物は、とヴィクトルはほっこりした。
いつも卓上に飾っている、小ぶりの肖像画のルイーゼを愛おしそうに見つめながら、ヴィクトルはしみじみと彼女を偲んだ。
「妻は今でも私の最愛の女性だ。共に過ごせた時間は短かったが、アレクシアという宝物を残してくれた……」
肖像画に描かれたルイーゼは、永久に若いままの姿で優雅に微笑んでいた。
美しい顔立ちはアレクシアとよく似ていて、瞳も同じ青玉の色だが、ルイーゼの方が清楚で柔らかい雰囲気をまとっている。
ルイーゼはアレクシアがまだ幼い頃に病死した。
寡夫となったヴィクトルの元には、ルイーゼの喪が明けた頃から、ちらほらと再婚の話が舞い込んだ。
国王からさえも直々に、後妻を迎えてはどうかとすすめられたことがあるが、最愛の妻を亡くしたヴィクトルは誰も娶る気になどなれなかった。
もう何年も前になるが、とある上位貴族の当主が自分の妹だか娘だかを妻にしろとしつこく売り込んできたことがあった。
その貴族はまったく取り合おうとしないヴィクトルに業を煮やし、一度会ってみるだけでも良いからと促すも無視されたことに立腹して、こう言い放った。
『名門貴族、それも武を恃む辺境伯の家に男子がいなくてどうするのか。娘が一人だけなど、リートベルク家は終わりではないか!』
話を聞いたルカは、信じられないといった様子で、水色の目を大きくまたたいた。
「え? 本気ですか? 男が十人生まれるよりもアレクシア様が一人いる方がいいでしょう?」
「君もそう思うかね」
「当たり前です!」
ルカはごく真剣に断言し、ヴィクトルもごく真剣にうなずく。
家や爵位は男子が継ぐのがふさわしいとする風潮は根強く、女当主や女性の有爵者は王国の歴史を紐といても数えるほどしかいない。
一人娘しか持たないヴィクトルに、善意であれ嫌味であれ、再婚して息子を作れ、後継ぎの男子をもうけねば家が絶えるぞ──と口出ししてくる人間は少なくなかった。
別の夜会で出会った、とある貴族もそうだった。
その貴族は子沢山で、息子だけでも三人いた。酔った勢いでヴィクトルに絡み、なれなれしく軽口を叩いた。
『リートベルク家は建国以来の由緒ある名家だというのに、後継者を欠いてはさぞかし不安だろう。その点、我が家には男子が三人もいて将来安泰だ。どうだ、羨ましかろう』
その後には、我が息子の一人を養子にやってもいいが──という売り込みが続くはずだったのだが、その言葉は発することなく封じられた。
手に持っていた真鍮製のグラスを紙のようにめきめきとにぎり潰したヴィクトルが、怒気を秘めた眼光で威圧したからだった。
『私は娘が男であれば良かったと思ったことなど、ただの一度もない』
──たとえ神が娘を息子に変えてやると言われても断る、とヴィクトルがきっぱり言いきると、相手の貴族は盛大にたじろぎ、その場に尻もちをついた。
余談ではあるが、その貴族の息子三人はそろいもそろって放蕩者で、それぞれが財産を食い潰すほどの遊興にふけった。
賭博、豪遊、娼館通い、後先を考えない贅沢品の購入。
浪費に次ぐ浪費で資産を使い果たした息子たちは、実家に金を無心できなくなると暴れ出し、ついには刃傷沙汰にまで発展して、身代はすっかり傾いたらしい。
父親である当主は恥も外聞もなく、かつて嘲ったリートベルク家にまで援助を求めたが、ヴィクトルは一笑に付した。──息子が多くても安泰ではなかったようだな、とにべもなく一蹴して。




