書籍発売記念SS「吾輩は山猫である」
吾輩は山猫である。名前はバルー。
どこで生まれたかはだいたい見当がついている。リートベルク辺境伯領の生い茂った深い森の中だ。
親と何匹かの兄弟と一緒にいたはずだったが、いつの間にかはぐれてしまった。
まだ子猫だった吾輩は一匹でフラフラと森をさまよったあげく、不覚にも野鳥に囲まれてしまった。
しつこくつついてくる嘴に、こんニャろと思った時だった。不意に体が浮いた。
「大丈夫か?」
その時、吾輩ははじめて人間というものを見た。
黒くて長い髪が風にニャびいている。吾輩を見つめる二つの瞳は、頭上に広がる空のように青かった。
これが吾輩の飼い主になる「お嬢」との出会いだった。
「一匹か? おまえの親は?」
お嬢は吾輩を手のひらに乗せて、そう尋ねてきた。わからん。吾輩が知りたい。
「怪我をしているな」
うむ、痛い。それにとても眠いのだ。
体がふわふわする。吾輩はうとうとと目を閉じた。そのままお嬢の手の中で眠っている間に、吾輩はいつの間にか見知らぬ場所に連れてこられていた。
リートベルク辺境伯の城──お嬢の巣だ。お嬢はこの巣のボスの娘らしい。
お嬢は吾輩の汚れた体を温かい布でぬぐい、乳を温めたものを飲ませてくれた。鳥につつかれた傷の手当てもしてくれたおかげで、吾輩はすくすくと大きくなっていった。
やがて怪我もすっかり癒え、乳離れもして、自力で餌を取れるようになった頃だった。
──もう大丈夫だな、とお嬢は吾輩の頭を撫でた。
「安心して森へ帰るといい」
森へ帰る? お嬢は何を言っているのだ?
吾輩がそんな薄情猫だと思っているのか?
受けた恩は返すのが猫の流儀というものだ。吾輩はこれからもお嬢と一緒にいてやるから、お嬢こそ安心しろ。
吾輩は断固としてお嬢のそばを離れなかった。そして「バルー」と名付けられ、晴れてお嬢の飼い猫となった。
バルーとはこの地に伝わる古語で「熊」という意味らしい。
ふむ、悪くニャい。猫よりも上等な生き物はこの世にいないが、熊もそこそこ勇猛な部類である。
吾輩はやがて子猫から成猫になった。そして城の厨房に出るねずみを捕獲する隊長と、菜園を荒らす野鳥を退治する隊長に就任した。
やれやれ。責任ある職を二つも兼任とは、有能なのも大変である。
そんなある日のことだった。吾輩はひなたぼっこをしながら、ぺろぺろと毛づくろいをしていた。
褐色の毛皮。黒く美しい縞模様。ふさふさの長いしっぽ。どれも吾輩の自慢である。体の隅々まで丁寧に舐めていると、ギギッと音が鳴った。
跳ね橋の巻き上げ機が回る音だ。お嬢が帰って来たのだ。
──お嬢! おかえり!
橋が降りきると同時に、吾輩は跳ね橋を駆け抜けた。
「ただいま、バルー」
顔をすり寄せると、お嬢は首元を撫でてくれる。
さすがはお嬢。吾輩のツボを押さえたモフりテクだ。あっ、いい……! そこぉ……もっとぉぉ……!
自然と喉がゴロゴロ鳴った時、背後から知らない男の声がした。
「猫?」
吾輩をのぞきこんだのは、若い人間の小僧だった。蜜を流したみたいな明るい金髪に、くりくりとした大きな水色の瞳をしている。
(お嬢。誰だ、こいつ?)
吾輩は警戒してピンとひげを伸ばしたが、若造はお嬢に撫でられている吾輩を心底羨ましそうな目で見ている。
──こいつはお嬢の番になりたいらしい。
賢い吾輩はすぐにそう察知し、お嬢の腕を飛び降りて、すんすんと小僧の匂いを嗅いだ。
「バルーが初対面の人間になつくのはめずらしいな」
──なついていニャいぞ、お嬢! 吾輩はこやつを駆除すべきか確認しているだけだ!
……しかし……悪い匂いはしないな。お嬢に発情するフェロモンはむんむん出ているものの、害はなさそうだ。
吾輩はかつてリートベルクの森でお嬢に拾われた。
そしてこの小僧も今日、同じように森でお嬢に拾われたらしい。
つまりこいつは吾輩の後輩というわけだ。先輩として、後輩を導いてやらなくてはニャらない。
責任感の強い吾輩は、この小僧の面倒を見てやることにした。
*****
鳩が飛び立つ一瞬を逃さず、素早く襲いかかる。羽に爪を立て、喉笛に噛みついて、一撃で仕留める。
ぐったりと弱った鳩を口にくわえて、吾輩は塀を飛び越えた。
「あっ、バルー」
吾輩の後輩となった小僧──「ルカ坊」は、厩舎で馬の世話をしていた。
吾輩はかすかに息のある鳩をルカ坊の足元に置いて、ニャーと鳴く。
──ルカ坊! 土産だ!
「くれるの? ありがとう」
ルカ坊はにこにこ笑って、吾輩の喉をよしよしと撫でた。
──うむ……お嬢にも劣らぬモフりテクではないか……。やるなルカ坊……!
ルカ坊がこの城に来てからしばらく経つが、こいつはなかなか感心な小僧だった。いつ見てもまめに動き回り、あくせくとよく働いている。人当たりもいいので、城の人間たちにも好かれているようだ。
しかしながら、ルカ坊がお嬢と番になれたかというと……全然なれていない。はっきり言って前途多難である。
──ルカ坊! 貴様はオスとしてアピールが足らんのだ!
猫の求愛行動はオスとメスで異なる。猫の恋愛はメスが主導権を握るからだ。
オスはメスに選ばれなくては番えない。だからこそ自分が強くて、立派で、子孫を残すにふさわしいオスであることを積極的にメスに主張する必要があるのだ。
オスのアピールポイントとなるのは、主に三点。体の大きさ、年齢の高さ、声の大きさである。
まず最初、体の大きさだが……うーん……。
ルカ坊は吾輩よりは大きいが……人間の男として特別大きいかというと……その、がんばれ……。
次に行こう、次。年齢だ。
若すぎる猫のオスは頼りなく、メスにあまり好かれない。ある程度年を重ねた大人のオスの方がメスにモテるものなのだ。
ではルカ坊の年齢はというと……お嬢よりも下だそうだ。
うーん……これは体格以上にいかんともしがたい。
体重ならまだしも増やせそうなものだが……年の差は……がんば……りようがないな。あきらめろ。
ならば最後、声の大きさだ。
ルカ坊! とにかくメスを惹きつけるべく大声で鳴け! 「ニャオーン!」とか「アオーン!」と全力で鳴くのだ! これならば気合と根性でいける!
と、吾輩が熱心に指導してやっているというのに、ルカ坊の視線はあさっての方を向いていた。
──おい! やる気があるのか!
目線の先には、錬武場から戻ってきたばかりのお嬢がいた。さんざん振るってきたらしい剣を鞘に納めて、汗の浮かぶ額を拭っている。
ルカ坊はとろんとした目で、手を合わせてお嬢を拝んだ。
「……すき……」
──声が小さい!
思わず吾輩はツッコんだ。
何が「……すき……」だ! そんなぷるぷる震える声でアピールになると思うのか?
おい、天を仰ぐな! 目を閉じるな! 意識を失うなぁぁぁ!!
「どうしたの? バルー。お腹が空いた?」
吾輩が鬼指導してやっているというのに、ルカ坊はのんきにそう聞いてくる。
「ちょっと待っていて。ここが終わったら、バルーのご飯を作るからね」
ご飯と聞いて、吾輩のしっぽがぴんと立った。
早く早く! 今日のメニューはなんだ? ルカ坊!
ルカ坊は手先が器用なのだ。特に料理が上手くて、他の者が作る餌とはひと味もふた味も違う。
ルカ坊は手際よく残りの作業を終わらせてから、吾輩の昼ご飯を作ってくれた。今日は鶏肉を茹でて細かく割いたもののようだ。
「はい、バルー。お待たせ〜」
とはいえ、いくら餌をもらおうとも、その程度でこの吾輩がほだされるはずがな……うまいニャこれ!
鶏は低温で茹でているのでパサついていない。野菜も数種類すり潰して加えてあって、肉と絶妙なハーモニーを奏でている。うまぁぁい!
「可愛いね、バルー」
夢中でムシャムシャ食べている吾輩を、ルカ坊はにこやかな笑顔で見つめている。
自分はまったくお嬢に気持ちが通じていないというのに、まったく甘い後輩だ。
この若造がはたしてお嬢の番になれるのか……それはまだわからない。
だがお嬢に拾われた仲間の先輩として、そして美味い飯の礼として──ルカ坊が危険な時は駆けつけて救ってやるかと、吾輩は心に決めたのだった。
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発売を記念して、表紙も飾った本作のもふもふ担当、山猫のバルーのSSをお届けしました。
ぜひ2巻も発売して、『吾輩は山猫である』の続きも書きたいです!
どうかどうか応援よろしくお願いいたします~!!




