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【受賞・書籍化】追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚れする  作者: 朝森さな
【本編】追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚する

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第126話 王太子エドガー

「リートベルク辺境伯令嬢、話がある。少しだけ顔を貸してもらえるか?」

 

 判事や書記官たちがやれやれと腰を上げて退室しはじめた時。

 

 立会人席から立ち上がった王太子エドガーはおもむろに原告席まで降りてくると、アレクシアに声をかけた。

 

「ルカ。王太子殿下と話してくる」

「え?」

「大丈夫だ。心配するな」


 心配するなと言われても心配である。


 わかりやすく不安そうな顔をするルカに、アレクシアは苦笑した。


「すぐに戻る」


 去り際に頬に軽く唇が触れて、ルカははわあああと身もだえた。

 

 アレクシアの感触の残る頬を押さえたままの不自然なポーズで、官吏かんりたちと今後の手続きの確認や書類のやりとりについて話し込んでいると、不意に扉が開いた。


「無事に終わったようだな」

「リュディガー殿下!」


 現れたのは第二王子リュディガーだった。いつ見ても思わず背筋が伸びるような眉目秀麗な容姿をしている。


 リュディガーはアレクシアと親族であるために今回の裁判の立会人からは除かれたという話だったが、近くまでは来ていてくれたらしい。閉廷したと聞いて中へ入ってきたようだった。


「ルカ・ヴァルテン。君だけか? アレクシアは?」

「先ほど、王太子殿下と話があると言……」

「は?! 兄上と?!」


 言いかけた言葉を途中でさえぎられて、ルカはきょとんとした。

 

「兄上とアレクシアを二人だけで行かせたのか!? 何をしている!」

「心配はいらないと……。それに王太子殿下は既婚者でいらっしゃいますし」

「関係ない! むしろ既婚者だからこそまずいのだ!」

 

 白皙の美貌に汗さえにじませて、リュディガーは秀麗なかぶりを振った。


 ルカは今さらながら危機感を覚える。


 いつも静然としているリュディガーが、こんなに取り乱している姿は初めて見た。


「すぐに行くぞ! 兄上を止めなければ!」

 

 


 ***

 

 


「……久しぶりだな。アレクシア。君との再会が裁判所の大法廷になろうとは思いもしなかった」


 裁判所内にある控えの間の一室で。


 エドガーは初めてアレクシアを名前で呼んだ。

 

「建国記念祭のパーティーでも、君に声をかけたいと思っていたのだ。いつの間にか退出してしまっていて残念だったが、あれもヴァルテン家に行っていたのだな」

「はい。王太子殿下」

「君にそう呼ばれるのはつまらないな。エドガーと呼んでくれ。昔のように」

「エドガー殿下。何の御用ですか?」


 エドガーはやれやれと息を吐くと、緑色の視線を尖らせた。


「……実に大胆なことをしたな、アレクシア」


 彼女の身を案じる思いがにじむ声音だった。


「今回の裁判、正攻法で戦っても君は勝てたのだ。あの《《元》》男爵令息を有罪にすることは確実にできた。だが……君はそれだけでは満足しなかったのだな……」


 二十年も前のヘルミーネの不義を突き止め、暴露したインパクトは大きい。


 先ほど一部始終を目撃していた傍聴人たちは、早く誰かに話したくてたまらない様子でうずうずしていた。


 アレクシアが何もしなくても、今日の法廷での話は風のように広がっていくことだろう。


 未婚の時から下男と通じ、不義の子を夫の子と偽っていた男爵夫人。


 血統を何よりも尊ぶ貴族社会でどれほど陰口を叩かれ、白い目で見られるかは想像に難くない。


 ヘルミーネは実刑に問われるわけではないが、二度と世間に顔を出せないほどの赤っ恥をかくことになる。


「なぜそこまでした? 他家に過度な干渉をしたと非難される可能性の高い、危険な真似に踏み切った? これから男爵夫人の姦通と不義の子の話題を吹聴するであろう者たちは、彼らをひとおり面白おかしく叩き終わった後、いったい何と言うと思う?」

「私を、個人の秘密を法廷の場であばいた非情な女だと言うでしょう」

「そうだ。それでは終わらない。予言してやろうか? 人々は君がヴァルテン家の資産めあてに男爵夫人を告発したのだと、そう言うはずだ」


 人間は何かしらの事件が起きると、まずは非のある者をよってたかって責めたてる。


 それが一周すると、穿(うが)った意見を述べ始める者が必ず現れるものだ。


 まるで人と違う角度から物事を見られる自分に酔っているかのような(さかし)ら顔で。


「人々は君が自分の婚約者をヴァルテン家の相続人にするために男爵夫人とその息子を蹴落としたのだと、そう噂するだろう。そして狙い通りに男爵家を潰し、まんまと全財産をリートベルクが奪うことに成功したと。真の悪女は君なのではないか──と」


 エドガーは苦々しそうに言った。にぎりしめた拳がかすかに震えている。


 風の噂は人々の口を回るうちに、面白おかしく形を変えることだろう。

 

 男爵夫人の不貞はとんでもなく非常識なスキャンダルだが、その事実をわざわざ公の場で知らしめてまで夫人を失脚させたリートベルクの令嬢も実に残酷だと。彼女は婚約者を利用して、ヴァルテン家の富を独占することに成功したのだと。

 

 事実は歪曲わいきょくされ、好き放題に脚色されて、どろどろのお家騒動が吹聴されることになる。


「君とて考えなかったわけではないだろう? 抜け目のない悪女で金の亡者だとそしられることが、気にはならないのか?」

「考えなかったわけではありませんが、気にはなりません」


 アレクシアはきっぱりと答えた。


 アウグストとマティアスの父子関係が否定されれば、ルカがヴァルテン家の相続人になることはもちろん想定していた。

 だが、二の次だった。


 ルカを後継者にすることが目的ではなかった。誰にも信じてはもらえないかもしれないが、ヴァルテン家の財産さえどうでもよかった。


 アレクシアはただあの恥知らずな男爵夫人に不義密通の証拠を突きつけ、マティアスの出生を白日の元にさらしたかった。


 長年に渡って夫を騙し、婚家を欺きながら、正真正銘ヴァルテン家の血を引くルカを虐げてきたヘルミーネを、正当な法廷の場で裁いてほしかった。


 ルカを蔑み、見下しながら、男爵家の後継者だとふんぞり返っていたマティアスに、そんな資格はないと思い知らせたかった。


 ルカを苦しめてきたあの二人を、ヴァルテン家とは血の一滴さえつながりのない他人なのだと知らしめて、ルカから切り離したかったのだ

 

「どうして君がそこまでする?」

「もちろん、好きな男のためです」


 アレクシアはあっさりと言って、エドガーのあっけに取られた顔を見返した。


「エドガー殿下、私は好きでもない男と婚約したりはしません」

「……本気なのか?」


 エドガーの新緑色の瞳が驚きに見開かれる。


 しかし、その目は意志を失わなかった。アレクシアの手を取り、甲に口づける。


「あいにくと私は君をあきらめていない。ルカ・ヴァルテンとの婚約は考え直してくれ」 

「……エドガー殿下。離してください」

 

 静かに請うアレクシアの声音は低い。


 動物なら本能的にすくみ上がるような凄みのある声だったが、エドガーは鋭いまなざしで射られても怖じなかった。


「先日リートベルクから提出された婚約書だが、まだ正式に認可していないと言ったらどうする? 私が止めさせていると言ったら?」

「速やかに受理していただくようお願いします。他の男と婚約を結ぶ気はありませんので」


 さらりと答えるアレクシアに、エドガーはますます満足そうな顔をする。

 

──さすがの胆力だ。やはり並の令嬢とは違う。


「私は本気だ、アレクシア。君が別の男のものになるというのなら、このまま帰すことはしたくない」


 やはり欲しい。王家の力をもってすれば、どんな心ない声からでも彼女を守ってやれる。


「……」


 アレクシアはけわしい視線でエドガーを見すえた。


 他の者が相手なら、即座に腕をひねりあげるか足で蹴り倒して離れるところだが、さすがに王太子に対して手荒なことはできない。


「豪傑のリートベルクと優婉(ゆうえん)のオステンブルクの血を引く姫君。私は君を王族に迎えたい。……ずっとそう願っていた……」

「エドガー……」


 思わず、昔のようにそう呼んだ瞬間だった。


 ノックもなくドアハンドルが動いたかと思うと、扉が曲がるほど大きくたわんだ。


 割れんばかりの音を立てて開いた扉の向こうから、リュディガーとルカが飛び込んでくる。

 

「兄上!」

「アレクシア!」

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