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旅するロボット

【旅するロボットⅨ】 麻衣:品数

作者: macchao
掲載日:2026/06/23

『水を映す場所』の後日譚にあたる短編です。


家族を支え続けたロボット・ハチが止まったあとに残されたものは何だったのか。

今回は母・美咲の視点から、ひとつの記憶をたどります。


本編未読でもお読みいただけます。

静かな時間を楽しんでいただければ幸いです。

 ハチが止まってから、長野に行く回数が増えた。


 月に一度だったのが、二度になった。

 行きたいから行っている。


---


 ハチがいた頃、長野から帰る日は決まって夕食の品数が多かった。


 気づいたのは、悠斗に言われてからだった。

 「ママが帰る日だけ、ハチの作るごはん、多いんだよ」

 悠斗は小学生だった。

 私はその時、何も言えなかった。


 翌日、ハチに確認した。

「長野から帰る日に、品数を増やしていた?」

「はい」

「なぜ」

「旅から帰った日は、空腹である確率が高いと判断しました」

「それだけ?」

 ハチは少し間を置いた。

「……それだけです」


 それだけ、ではないと思った。

 でも、それ以上は聞かなかった。


---


 ハチが止まった日、私は長野にいた。


 悠斗から電話が来た時、工房で轆轤を回していた。

 手が泥だらけだった。

 電話を取って、「ハチが」という声を聞いた瞬間、手が止まった。

 轆轤だけが、しばらく回り続けた。


---


 新幹線の中で、ずっと窓の外を見ていた。


 何を考えていたか、よく覚えていない。

 ハチのことを考えようとしたけど、うまくいかなかった。

 代わりに、昔のことばかり思い出した。


 ハチを選んだのは、私だった。

 型番を見て、「ハチ」と名付けたのも、私だった。

 最初の三年間は本当に助かった。

 次の三年間は、助かりすぎた。

 その次の三年間は、何かがおかしいと思っていた。

 最後の九年間は、もうそこにいるのが当たり前だった。


 十八年というのは、そういうものかもしれない。


---


 家に着いたのは、夜の十時過ぎだった。


 台所の前で、少しの間立った。

 ハチがいるべき場所に、何もなかった。

 シンクだけがあった。


 勇樹と悠斗が食卓にいた。

 二人とも、何も食べていなかった。

 私は冷蔵庫を開けた。

 卵があった。


 卵焼きを作りながら、泣かないようにしていた。

 泣いたら、二人がもっと困ると思った。

 泣かなかった。

 うまく泣けなかっただけかもしれない。


---


 あの夜、工房の縁側でハチに話したことを、今も思い出す。


 毎日がうまく回りすぎていた、と言った。

 私がいなくても誰も困らない、と言った。

 ハチは黙って聞いていた。


 最後にハチが言った。

「あなたは家を出る前に、誰かのために何かをしていった。その事実だけは、記録されています」


 その言葉が、ずっと残っている。


 私が教えたレシピは、ハチの中のどこかにあったはずだ。

 カレー。肉じゃが。卵焼き。豚汁。ぶり大根。

 今はもう、取り出せないかもしれない。

 でも、あった。

 確かにあった。


---


 先月、工房で新しい壺を作った。


 少し歪んだ。

 でも、捨てなかった。

 歪んだものの方が、なぜか愛着がわく。

 昔からそうだった気がする。


 壺を窯に入れながら、ハチのことを考えた。

 ハチも歪んでいたと思う。

 設計通りではない何かが、十八年の間に少しずつ混ざっていた。

 それが何かは、わからない。

 わからないまま、止まった。


 わからないままでよかった。


---


 長野から帰る日、駅のホームでいつも少しだけ立ち止まる。


 新幹線を待ちながら、思う。

 今夜の夕食は、何品になるだろう。


 自分で作ることになる。

 それでも、思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この作品では、喪失そのものではなく、失ったあとにふと気づく小さな記憶を書きたいと思いました。


夕食の品数が少し多いこと。

帰宅した日に当たり前のように用意されている食卓。

そんな何気ない出来事の中に、人との関係や思いやりは残っているのかもしれません。


ハチが何を思っていたのか、その答えは最後まで明かしていません。

けれど、美咲が「わからないままでよかった」と思えたこと自体が、一つの答えなのだと思います。


少しでも心に残るものがあれば嬉しいです。

ありがとうございました。

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