【旅するロボットⅨ】 麻衣:品数
『水を映す場所』の後日譚にあたる短編です。
家族を支え続けたロボット・ハチが止まったあとに残されたものは何だったのか。
今回は母・美咲の視点から、ひとつの記憶をたどります。
本編未読でもお読みいただけます。
静かな時間を楽しんでいただければ幸いです。
ハチが止まってから、長野に行く回数が増えた。
月に一度だったのが、二度になった。
行きたいから行っている。
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ハチがいた頃、長野から帰る日は決まって夕食の品数が多かった。
気づいたのは、悠斗に言われてからだった。
「ママが帰る日だけ、ハチの作るごはん、多いんだよ」
悠斗は小学生だった。
私はその時、何も言えなかった。
翌日、ハチに確認した。
「長野から帰る日に、品数を増やしていた?」
「はい」
「なぜ」
「旅から帰った日は、空腹である確率が高いと判断しました」
「それだけ?」
ハチは少し間を置いた。
「……それだけです」
それだけ、ではないと思った。
でも、それ以上は聞かなかった。
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ハチが止まった日、私は長野にいた。
悠斗から電話が来た時、工房で轆轤を回していた。
手が泥だらけだった。
電話を取って、「ハチが」という声を聞いた瞬間、手が止まった。
轆轤だけが、しばらく回り続けた。
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新幹線の中で、ずっと窓の外を見ていた。
何を考えていたか、よく覚えていない。
ハチのことを考えようとしたけど、うまくいかなかった。
代わりに、昔のことばかり思い出した。
ハチを選んだのは、私だった。
型番を見て、「ハチ」と名付けたのも、私だった。
最初の三年間は本当に助かった。
次の三年間は、助かりすぎた。
その次の三年間は、何かがおかしいと思っていた。
最後の九年間は、もうそこにいるのが当たり前だった。
十八年というのは、そういうものかもしれない。
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家に着いたのは、夜の十時過ぎだった。
台所の前で、少しの間立った。
ハチがいるべき場所に、何もなかった。
シンクだけがあった。
勇樹と悠斗が食卓にいた。
二人とも、何も食べていなかった。
私は冷蔵庫を開けた。
卵があった。
卵焼きを作りながら、泣かないようにしていた。
泣いたら、二人がもっと困ると思った。
泣かなかった。
うまく泣けなかっただけかもしれない。
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あの夜、工房の縁側でハチに話したことを、今も思い出す。
毎日がうまく回りすぎていた、と言った。
私がいなくても誰も困らない、と言った。
ハチは黙って聞いていた。
最後にハチが言った。
「あなたは家を出る前に、誰かのために何かをしていった。その事実だけは、記録されています」
その言葉が、ずっと残っている。
私が教えたレシピは、ハチの中のどこかにあったはずだ。
カレー。肉じゃが。卵焼き。豚汁。ぶり大根。
今はもう、取り出せないかもしれない。
でも、あった。
確かにあった。
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先月、工房で新しい壺を作った。
少し歪んだ。
でも、捨てなかった。
歪んだものの方が、なぜか愛着がわく。
昔からそうだった気がする。
壺を窯に入れながら、ハチのことを考えた。
ハチも歪んでいたと思う。
設計通りではない何かが、十八年の間に少しずつ混ざっていた。
それが何かは、わからない。
わからないまま、止まった。
わからないままでよかった。
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長野から帰る日、駅のホームでいつも少しだけ立ち止まる。
新幹線を待ちながら、思う。
今夜の夕食は、何品になるだろう。
自分で作ることになる。
それでも、思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品では、喪失そのものではなく、失ったあとにふと気づく小さな記憶を書きたいと思いました。
夕食の品数が少し多いこと。
帰宅した日に当たり前のように用意されている食卓。
そんな何気ない出来事の中に、人との関係や思いやりは残っているのかもしれません。
ハチが何を思っていたのか、その答えは最後まで明かしていません。
けれど、美咲が「わからないままでよかった」と思えたこと自体が、一つの答えなのだと思います。
少しでも心に残るものがあれば嬉しいです。
ありがとうございました。




