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不完全な世界の残し方 ―選ばれなかった現実たちへ―  作者: stracchino


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第9話 揺れを固定させるな

 圧力が降りてくる。

 空気ではない。

 重力でもない。

 もっと根本的なもの。

 世界そのものを、一つの形に押し込めようとする力。


 ユウは、その中心に立っていた。


 周囲の景色が歪む。

 道路の白線が真っ直ぐになりすぎる。

 建物の輪郭が、異様なほど明確になる。

 人の足音が、一つのリズムに揃っていく。


 すべてが、整えられている。


 だが、それは気持ち悪かった。


「……なんだよ、これ」

 リクが言う。

「綺麗すぎる」


 ユウも同じことを思っていた。

 ズレがない。

 遅れがない。

 迷いがない。


 それは、生きている世界ではなかった。

 完成された図面のような世界。


『――修正進行』


 “それ”は進む。

 止まらない。


 ユウは目を閉じた。


 自分の中にある揺れを探す。


 影の遅れ。

 音の重なり。

 消えなかった可能性。

 決まらなかった世界。


 それらは、まだある。


「……固定されるな」

 小さく言う。


 誰に向けた言葉でもない。

 自分に向けた言葉だった。


「揺れを止めるな」


 その瞬間。

 視界が変わった。


 世界の表面が剥がれる。

 いや、剥がれたのではない。

 奥が見えた。


 無数の層。

 細かな振動。

 選ばれたものと、選ばれなかったものの境界。


 すべてが、微細に揺れている。


 世界は、一枚の板ではない。

 無数の揺れが、重なり合って“現実”に見えているだけだ。


「……見えた」


 ユウは目を開ける。


 “それ”の圧力は、相変わらず強い。

 だが、ただ押し返せばいいわけではないと分かった。


 固定されようとしている箇所をほどく。

 揺れを残す。

 決まりかけた現実に、余白を戻す。


 それが、対抗手段だ。


「ユウ、何か分かったのか」

 リクが聞く。


「ああ」


「説明しろ」


「あとで」


「そういうとこだぞ」


 リクの声に、わずかに日常が戻る。

 その一瞬の軽さに、ユウは救われた気がした。


 “それ”が、手を伸ばすように動いた。


 近くの街灯が揺れなくなる。

 その下の影が、本体に完全に重なる。


 ユウは踏み出した。


「決めるな」


 手を伸ばす。

 固定されかけた場所に触れる。


 すると、強烈な反発が来た。

 頭の奥が白くなる。


 だが、離さない。


 固定された構造に、揺れを戻す。

 選ばれなかった可能性を、ほんの少しだけ滑り込ませる。


「ここは、決まらない世界だ」


 圧力が歪む。


 街灯の影が、ほんの一瞬だけ遅れる。

 音が、二重に戻る。


 世界が息を吹き返す。


『――抵抗』


 初めて、“それ”の意味に変化が生じた。


 ユウは小さく笑う。


「そうだ」


 一歩、前に出る。


「抵抗だ」


 “それ”が再び圧力を強める。


 だが、今度はユウも押し返さない。

 ほどく。

 ずらす。

 揺らす。


 固定に対して、揺れで応える。


 ミナが、後ろで呟く。

「均衡に戻してる」


 リクが言う。

「勝ってるのか?」


 ミナは首を振る。

「違う。負けてないだけ」


 その通りだった。


 ユウは勝っていない。

 ただ、世界が一つに決められるのを拒んでいるだけだ。


 それでも。

 十分だった。


「……やれる」


 ユウは息を吐く。


 “それ”は止まった。

 初めて、明確に。


『――異常構造』


『――観測対象』


 意味が落ちる。


 ユウは見返す。


「見てろ」


 一拍。


「これが、俺たちの世界だ」


 その言葉に呼応するように、影が遅れた。

 音が重なった。

 世界が、揺れながら立ち直る。


 だが、その瞬間。


 空に、また線が走った。


 一本ではない。

 二本。

 三本。


 リクが顔を上げる。

「……おい」


 ユウも見上げる。


 亀裂の向こうから。

 さらに複数の“それ”が、落ちてこようとしていた。


 ミナが、静かに言う。


「始まった」


 ユウは拳を握る。


 これは、一体との戦いではない。

 上位世界そのものから落ちてくる“修正”との戦いだ。


 空が、また開いた。

空が、裂ける。


 一本ではない。


 二本、三本と、同時に走る。


 まるで、上から世界を“開いている”ようだった。


「……来るぞ」

 リクの声が低くなる。


 ユウは答えない。

 ただ、見ていた。


 落ちてくる。


 同じ存在。


 だが、完全に同じではない。


 それぞれ、微妙に違う。


 動き方が違う。

 圧力の質が違う。


「……種類がある」

 ミナが言う。


 最初に現れた個体が一歩下がる。


 入れ替わるように、別の個体が前に出た。


 その瞬間。


 音が消えた。


 完全に。


「……っ」

 リクが口を開く。

 だが、声が出ない。


 違う。


 音が“出ていない”のではない。


 “存在していない”。


 ユウはすぐに理解した。


「音を削ってる」


 ミナが頷く。

「記録ごと」


 さらに別の個体が動く。


 今度は、影だ。


 人の影が、消える。


 本体だけが残る。


 立体感が失われる。

 奥行きが消える。


「……なんだよ、これ」

 リクが言う。


「分解してる」

 ミナが答える。


 ユウは歯を食いしばる。


 これは、単純な修正ではない。


 分業だ。


 上位の存在が、役割ごとに“世界を整形”している。


「……効率化かよ」


 その言葉に、ミナが反応する。


「違う」


「もっと正確」


「無駄を消してる」


 ユウは理解する。


 揺れは無駄。

 ズレは誤差。

 可能性は未処理。


 だから消す。


 合理的に。


 完全に。


「……ふざけんな」


 ユウは一歩踏み出す。


 音を消す個体に向かって手を伸ばす。


 触れる。


 瞬間。


 何も聞こえない。


 自分の心音すら消える。


 だが。


 それでも、感じる。


 “揺れ”は残っている。


「……消えてない」


 ユウは呟く。


 音がなくても。

 影が消えても。


 完全には消えない。


 存在の奥に、まだ揺れがある。


「なら――」


 ユウは、その揺れを引きずり出す。


 音の代わりに、振動として。

 影の代わりに、ズレとして。


 世界に戻す。


 次の瞬間。


 音が戻った。


 わずかに。


「……っ!」

 リクが息を吐く。


「今の……」


「戻した」


 ユウは短く言う。


 だが。


 別の個体が動く。


 今度は、記憶だ。


 周囲の人間の表情が変わる。


 誰かを忘れている。


 隣にいた人間を。


 さっきまで話していた相手を。


「……やめろ」


 ユウが言う。


 だが止まらない。


 記憶が削られていく。


 存在の痕跡が消える。

 これは――


 前と同じ現象。


「……同じじゃねえか」

 リクが言う。


「違う」


 ユウは首を振る。


「規模が違う」


 個別ではない。


 一括処理だ。


 世界単位での整理。


 ミナが静かに言う。


「……止めきれない」


 ユウも分かっていた。


 一人では足りない。


 一つのやり方では足りない。


 そのとき。


 最初の個体が、再び前に出た。


 すべてを統合するように。


 圧力が、重なる。


 音、影、記憶。


 すべてをまとめて、固定しようとする。


「……来るぞ」


 ユウは構える。


 これが、次の段階だ。


 単体ではない。


 複数による“完成形”。


 揺れを完全に消すための構造。


「……一人じゃ無理だ」

 リクが言う。


 ユウは頷く。


「分担する」


 短く言った。


 リクとミナが、同時に動く。


「お前は音」


「ミナは記憶」


「俺は固定を崩す」


 その瞬間。


 戦いが、完全に成立した。


 上位の修正に対して。


 下位の“揺れ”が、組織的に抗う。


 世界が、激しく揺れた。


 だが――


 崩れない。


 まだ、保っている。


 ユウは空を見上げる。


 裂け目の奥。


 さらに深い層が見えた。


 そして。


 そこから、もう一つ。


 “違う存在”が動こうとしていた。


「……まだ上があるのかよ」


 リクが呟く。


 ユウは答えない。


 ただ、理解する。


 これはまだ序章だ。


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