第五話 コートの争いは、コートで解決 ④
試合の準備のために硬式部と軟式部はネットを挟んで別れた。あちら側ではツインテールが早速アップを始めていた。試合はシングルスでワンセットマッチである。
「ああは言ったけれど……ど、どうしようっ」
ツインテールの前でこそ大見得を切った先輩だったけれど、軟式部の置かれた状況は絶望的で、今になって焦っていた。使用するボールは硬式のもので軟式部にとって圧倒的不利なうえ、硬式部は全国大会常連なのだといい、そもそもの実力差があるからだ。
「そういえばみゃーちゃんって昔、テニスやってたんだよね。もしかしたらーー」
「無理ですわよ。最後にプレーしたのも何年も前ですし、マイラケットを持ってきておりませんの」
助けになりたいのはやまやまなのだけれど、という前置きを置きつつもミヤさまは断った。軟式部のほかの部員も、硬式なんてプレーしたことがないという人ばかりで、誰もツインテールとの対戦に名乗りを上げなかった。重苦しい空気が私たちを覆う。
「ちょっと、何してるのよ! 不戦敗でいいのかしらー?」
奥のほうからツインテールがこちらを挑発するように声をかけてきた。その後ろでは例によって取り巻きたちがくすくすと嫌な感じで嘲笑している。
「ねえ、先輩」
「……?」
「あたし、出ていい?」
いやいや、イチョウが相手になるのだけはあり得ない。そもそも彼女は部員ではないし、テニスなんてしたことがないと言っていたじゃないか。たとえ軟式の試合でもツインテールに負けてしまうだろう。
「えっ、でも、加古川さんは……」
「もしヤバかったら交代してくれたらいいですから。ルールとラケットの振り方だけ教えてくれたら、あたし、やります」
先輩は悩んだ。現時点でのテニスの実力はイチョウなんかより先輩のほうがよっぽど上だろうけれど、その実力をもってしてもツインテールには到底かなわないだろう。でも、イチョウはある意味でダークホースかもしれない。正攻法でやっても負ける。ならば。
「わかった、基礎だけ教えるね。ちょっと来て」
イチョウは予測不可能な生き物だ。それはこの数週間一緒に過ごしてきている私たちが一番よく知っているし、そのせいで何度も迷惑している。けれど、予測不可能であるということは武器にもなりうる。先輩はきっと、それに賭けたのだ。
わずか十分でイチョウはラケットを持ち、クレーコートに現れた。いつものように軽い足取りだった。
「はあ?ちょっと、バカにしてんの?体験入部の子なんか出して、負ける気満々じゃん。まあいいわ。その方が早く終わらせられるものね」
ツインテールは余裕しゃくしゃくと言った感じで黄緑の硬式ボールを受け取ると、白線の位置に立った。いよいよ、試合開始だ。成り行きで審判役になった川端委員のコールで、彼女は強烈なサーブを放った。イチョウは打ち返そうとしたけれど、あまりの速さに腕が届かなかった。
「フィフティーン・ラブ」
「何よ、つまんないの。打ち返すくらいしなさいよね」
イチョウは無言だった。のみならず、その両目すら閉じていた。ツインテールのつまらない挑発にも乗らず、私たちの声援すら彼女には聞こえていないようだった。
「イチョウさん! 目を瞑っていてはラケットに当てられるものも当てられません! 目を開けて、ボールの弾道をよく見てください」
ミヤさまはそう声をかけたけれどイチョウから反応はなく、私たちは顔を見合わせた。
「じゃ、次、行くわよ」
そう言ってツインテールが放った二回目のサーブ。再び高速かつ鋭い弾道のボールが飛ぶ。しかしボールが私たちの側のコートに入り、ワンバウンドしたかと思った瞬間、球は消えた。直後、ボールはコート裏の塀に直撃し、まるで大砲が撃ち込まれたかのような音を立てた。
「「きゃあっ!」」
後ろでボスのツインテールの応援団に徹していた硬式部の取り巻きたちは散り散りになって逃げだした。当のツインテールも、ぽかんと口を開けてたたずんでいた。
「サーティン・ラブ」
もっとも、ボールはコート外に飛んでいったため点数はツインテールに入った。しかし、イチョウは妙に嬉しそうだった。
「やったあ、打ち返せたよ! よく見たら全然速くないよ、あれ」
「イチョウさん! コートの内側に入れないと点が入りません!次は入れてください!」
とミヤさまはアドバイスを飛ばしたけれど、
「今のは、何……」
と、戸惑いを隠せていない。今のはいったい何が起こったのだ。あれはイチョウが打ったボールなの? あんなの、「打つ」というより「撃つ」に近い。もし身体にでも当たったら骨が砕けそうだ。
「じ、じゃあ、次……」
三度目のサーブ。相変わらず鋭いサーブだ。しっかりとイチョウが取りにくい位置にボールを落としてきた。それでもーー
「ひゃあっ!」
またボールが消えたかと思えば、今度はコートの白線ギリギリのところにボールが刺さっていた。あまりの衝撃に砂ぼこりが大きく舞い、ツインテールはもろにそれを浴びてしまった。
「げほっ、げほっ……あれ、ボールがっ、嘘でしょっ!?」
ツインテールが拾い上げたボールは恐ろしくも真っ二つに割れた。こうなると私たちも素直に喜べなくなってくる。このままでは死人が出そうな勢いだ。
「イ、イチョウのあれは本当にテニスをしているの?」
「分かりませんわ……」
これで点差は一に縮まった。そして次もそのまた次も、イチョウは殺人的なボールを次々と撃ち込んで見せ、あっという間にイチョウがマッチポイントになった。この瞬間だけは、ツインテールも含めてこの場にいる全員が同じ感情を共有していた。恐怖である。
「ただで終われるわけないでしょ……見てなさいっ」
ツインテールが本日何度目かのサーブを放つと、再びボールは消えた。しかしツインテールはここにきて意地を見せた。
「絶対、絶対取ってやるっ……!」
けれど、それはもう残酷な結末だった。イチョウの放つボールの弾道が毎回同じだという点に気づいたのはよかったものの、あのボールに近づくこと自体が危険だったのだ。
「うっ……」
わずかにブレたイチョウの球がツインテールの下腹部に直撃し、彼女は痛々しい声を上げて倒れた。取り巻きたちはとっくの昔にどこかへ逃げてしまっていて誰も彼女に近づこうとせず、辺り一面を静寂が支配した。
「あのお、大丈夫?」
彼女に銃弾を撃ち込んだ張本人がツインテールを心配して、軽々とネットを飛び越えて彼女のもとへ向かった。その跳躍力自体も超人的なのだけれど、あの試合を見せられた私たちにはそれに驚く気力すら残っていない。
「あんた……テニスやったことないって……嘘ついてるでしょ」
息も絶え絶えにツインテールはつぶやいた。
「え? 今日が初めてだよ。テニスって楽しくていいね」
「冗談言わないで。……お願い。硬式部に入って。一か月後、インターハイの予選があるの。相手は三連覇中の強豪校よ。あんたならアイツらに勝てる」
ツインテールが「間に合わない」と言っていたのはこのことだったのだ。インターハイに向けての練習で硬式部は必死になり、その焦りからかストレス発散なのか、軟式部からボールかごを奪い取ったというところなのだろう。しかし、先ほどまであんな嫌な態度をとってきていたのにそれは虫が良すぎる話だった。
「うーん、嫌。だって、硬式部って全然楽しくなさそうなんだもん。誰かをけなして、それで笑って、みんなでバカにして。そんなことしてインターハイに出て、何が楽しいの?」
「軟式部には謝る! だから……」
「そういう問題ではありませんわ。あなたたちのやり方はテニスを楽しむ淑女のそれではありません。予選で強豪校の方たちに叩きのめされるのは当然です」
「冷たいこと言うけどさ」
私もぐったりと倒れるツインテールに声をかける。
「あんたの取り巻き、イチョウが一発ボールを打っただけで逃げ出したじゃん? 同じ部の仲間なのに、全然団結できてないよね。今のままじゃインターハイの本選には進めても、絶対に優勝なんてできっこない」
私はそういうスポコンじみた説教は嫌いなのだけれど。ツインテールは黙って目を閉じた。その目には涙はない。けれど、自分がいまどれだけ惨めかくらいは、理解できたと信じている。
「あら、気絶してしまっていますね。すぐに保健委員を呼びましょう」
審判台から降りてきた川端委員はツインテールをとりあえずコートの端に移動させ、無線で保健委員の派遣を要請した。あとはこちらで処理しておきますので、ということで私たちはようやくお役御免となったのだった。
* * *
「にしても、出禁ってひどくない!? あたし、あんなに活躍したのに」
あの後、イチョウは軟式部の先輩から感謝を伝えられつつも、テニスコートへの出禁を言い渡されてしまった。それも、「そのうち本当に死人が出そうで怖いので……」と申し訳なさそうに。
「当たり前でしょ。あんたがスマッシュなんてしようもんなら地面が割れちゃうよ」
「一体どういう原理であんな球を……」
「うーん、相手の動きを真似しただけなんだけどなあ。でも、地元を思い出したんだ。昔ね、木と木の間を飛んでる鳥さんをよく追いかけてたから」
「だからボールの動きが読めた、と」
「そうそう! 『考えるな、感じろ』ってね」
イチョウはファイティングポーズを取り、中国の格闘技の真似をした。格闘技もあまりやらせない方がいいかもしれない。
「結局、あんまり入りたい部活はなかったよね」
昨日は色々な部活動のブースを見て、今日は女子軟式テニス部の体験入部とやってきたけれど、刺さる部活は今まで見当たらなかった。
「うーん、あたしはもう帰宅部でいいかなって思っちゃったなあ。朝練とか放課後練とかあって大変そうだし」
「私も特に入りたい部活はありませんでしたわね。今のままの方が気楽でいいですわ」
「ということは、私たち三人で帰宅部結成だねっ!活動記録とか付けた方がいいかなあ?」
「いいね、アザラシとか描いた方がいい?」
「今のアカリんのツッコミはよく分かんない……」
たった一度の学園艦生活を棒に振る活動をする、そんな部活ではないことをお断りしておく。
テニスコートから再び船上鉄道に乗って『法科高専前』で降りると、既に太陽は沈んで、学生寮の光だけが道を照らしていた。私たちも早いところ寮室に戻らなければならない。
「アカリさん……倉庫でのこと」
ミヤさまは寮への道すがら、顔色を伺うように私をのぞきこんだ。ミヤさまのおかげもあって川端委員は不問に付してくれたけれど、私があの時、自我を失ってあのツインテールに襲いかかろうとしたのは事実だ。
「うん……ごめんね、なんかパニックになっちゃった」
「パニックになったって……そんな軽いものなの、あれ。本当に大丈夫なの」
イチョウまでもが心配して私を見る。
「平気平気。滅多にないから」
「『滅多にない』、ですか。逆に言えば今までに同じようにパニックになったことがある、ということですわね」
イチョウのことはごまかすことができても、ミヤさまの目はごまかせない。ミヤさまはあの日、既に私に宣言していた。私に独りで我慢させることはしない、と。
「……うん」
ミヤさまは、はあ、と溜息をついて私に問うた。
「そのことを誰かに相談したことは?」
「……ない」
相談できるはずもなかった。そもそもあのことは思い出したくもないのに、それを他人に話すなんて耐え難い。寮でたまに聞こえるトラックのクラクションだけでも少し肩を震わせてしまうのだ。私にとってあれは、封印しておきたい記憶。
「みゃーちゃん、怒ってるわけじゃないんだよね?」
「もちろん。ですがアカリさん、お辛いかもしれませんし、自分が一番分かっていると思いますが、それにはきちんと向き合う必要がありますわ」
「そうなんだけれどね……」
イチョウは珍しく遠慮がちに聞いてきた。
「パニックの原因って、話せないよね」
「……ごめん」
「じゃあこうしない? 私たちはできる限りアカリんのそばにいる。アカリんは、もしパニックになりそうだったらすぐに報告すること!」
「でも、今日みたいにまた暴れそうになるかも」
あの時の私は、別の人格に支配されているようだった。あの人格は完全な憎悪だけで成り立っていたみたいで、私の負の感情をすべて詰め込んだ最悪のアソートパックだった。今更思い出して鳥肌が立つ。
「その時はボールを撃ち込んであげるよ」
「私を殺す気?勘弁してよ」
「私は柔術を身につけておりますから、アカリさんを傷付けずに守れます。なので、ご心配なく」
ミヤさまは少しばかり安堵した表情を見せ、私の左腕に控えめに引っついた。一方、イチョウは右腕の方にぶつかるようにして抱きついた。普通に痛い。
「ちょっと、恥ずかしいから」
「やめません。アカリさんを守るためです」
「そうだよ!こうしておけば安心でしょ?」
私はミヤさまとイチョウの温もりの中で寮まで戻った。たしかに今までで一番、心の底から安心して道を歩くことができたような気がしたのだった。
第五話 完




