脆弱な夢
希望としていた夢はとうに悍ましく変質して、現実を直視することが苦痛となっていた。
私がOSEの入社を許されて、否応なしに見せつけられたのは輝かしいヒーローの業績とは別の、ハリボテで取り繕われた徹底した商業主義の姿勢。
誰もが夢見たヒーローの姿をあざ笑うかのようなヒーローの称号を得た者たちの醜い虚栄心を満たすための箱庭、それがこの場所だった。
頭を抱えて私は苦しいばかりの息を押し殺してどうにか気力を保とうとしていた。
『ブリーフィングを開始します』
作戦管制員の冷静な声で私はハッとする。
現実感が抜けた落ちたここ最近でどのように動いていたのかも定かではない私は無意識に出社していたようだった。
ヒーロー衣装に身を包んで、出動用装甲車の座席に座り込んでいた私の耳に装着されたインカムの通信音声は今日の日程を通知する内容だ。
『今日の業務は南東にある港付近にて発砲事件の調査をしてもらいます。ここ数日連日連夜に亘り、コンテナ集積地で銃声を伴う騒音が確認され昨日爆発があったと通報がありました。犯行現場にて我が社に所属する特別社員アーム・クランチのセルナノメタル反応もありましたが現在は連絡も取れず、それらも並行して調査してもらいます』
「…………っ」
頭の中で掠めるとある情景に思わず吐き気が込み上げた。
初業務でのアームとシェイプたち二人の単独的で非人道的な所業。そこに道徳心からの勧善懲悪などなくただ利益、金だけを追求した殺人を行っていた。
こんなヒーローを求めていたのかと私は愕然とするしかない。
装甲車のエンジンが始動して車体全体が振動し目的地へと動き出した。
たかだかハイスクールの女子学生の私にヒーローとは何かというリアルを突きつけるこの世界に逃れえない絶望感が押し寄せてくる。
望んで手に入れた立場で、そこは奈落の底のように冷たい現実を突き付けてくる場所であったなんて誰が想像し得ようか。
輝かしい表舞台はただ用意された演劇の舞台であり、その裏ではそれらを良しとする人種しか心を開かない所がこの立場だった。
ヒーローと言う立場に大いなる責務など存在しなかった。あったのはただそれを演じられる人間を求めたひどく形式的で独善的な場所。
そしてその場所は人権など無視して業務契約と言う名前で個人の自由も、それらの家族の立場も脅かしてくる。
「私に、どうしろってのよ……」
続けるほか道は残されていないように思えて、絶望感はさらに深みへと落ちてゆく。
チャンバーの能力を活かして、このギフトを世の為に、人々の笑顔の為に活かす機会は奪われたようなものだった。
私自身が心から笑えないのに、他人を笑わせようなんて事が出来るのだろうか。
出来るはずがない。
私がここまでの人生で出来た事がないのにそれを今実現しようなど不可能だ。
忸怩たる思いを払拭すべく首に掛けたブルートゥースヘットフォンを耳に被せて周囲の音を掻き潰すように爆音で音楽を流す。
鼓膜を破らんばかりの大音量のヘヴィーメタルミュージックで心の淀みを覆い隠して、自分の世界へと逃避する。
夢にまで見たヒーローの生活。それだけで構わないのではないか。
見たいものしか見ない。聞きたいものだけしか聞かない、感じたいものしか感じない。
それで十分ではないか。
「──っ、出来るかっての」
しかしこの気持ちだけはどれだけ無視を決め込もうと恭しいく私の感情を乗っ取って居座ってくる。
幼い頃に身に着けた道徳心が私の心を強く突き動かして、目の前の現実に反抗の雄叫びを上げてうるさい。
自家中毒だ。私は逃げ出すことのできない出口のない迷路に投げ込まれた憐れな囚人だ。
スッと瞳を閉じて考え込むこと自体を放棄して深く、とにかく深く深呼吸をして不安に高鳴る鼓動を鎮めようと努めた。
車輛の動きが止まり、後部ハッチが開かれ夕焼けに暮れる日の光が差し込んで私の瞼を通り抜けて赤々とした色を眼球に伝えてくる。
「…………」
出来うるだけのポーカーフェイスで覆い隠す表情の仮面を付けて私は装甲車を降りた。
眼前に広がる錆の浮かんだコンテナ集積地の鉄の巨大な積木達。その一部が見事に崩れてどこか現実味がない光景を作り上げていた。
あちこちに残る弾痕の生々しい跡、廃車になっている盗難車。
巨大なコンテナがまるで溶かされたように外壁をはぎ取られ、地面に突き立てられた無数の黒々とした棘がまるで植物のようにコンクリートの地面を割って生え伸びていた。
辺り一帯に撒き散らかされた赤黒い液体は乾燥してらてらと照り輝いていた。
OSEの事件検査ドローンたちが世話しなく走り回って地面を這っている。
足で現場を確認するものはすでに廃れた文化だ。現在は街中に配備された治安監視型の警備ドローンが巡回するのが主だ。
通常ならばドローンの回収した情報を照らし合わせるだけで済むのだが、ここはオーロヴィル・シティでも屈指の犯罪多発地域。ドローンの機械部品を盗難すると言う事が多々あるそうだ。
私がここに来た理由もドローンの警護とそのドローンたちが収集したデータを直に受け取るというものだ。
大型の親機の指令哨戒機に歩み寄った私は会社より支給された端末をかざして指示されたように命令コードを唱える。
「指令哨戒機。S0025指令。オールスター・エンターテインメント特別社員『ディーヴァ』の巡回よ」
『御足労ありがとうございます。現在当該データの収集及び照会中…………データが見つかりました』
オーナーを不快にしないようにとドローンの音声がポンと音を立てて、現場状態の情報を端末に転送してくる。
データの内容の確認も業務内に入っていた為に、私は端末の画面を開いて理解できない内容のモノに目を通し始めた。
犯罪多発地域と言う事もあり、周辺住民へのドローンの情報収集率が芳しくないようだった。
現場の状況は見ても理解が追い付かない。難解な語呂で構成された文章にため息をついて静かに端末の画面を閉じようとしたときだった。
「…………」
私は無言で空に眼を向けた。
奇妙な空気の唸りの音。どこか飛行機のエンジン音の様であるがどこか人が大きく息を吸うっているような音にも聞こえる奇妙な音が耳を掠め、夕焼けに染まる空の端にそれがこちらに向かってきていた。
「──スカイ・ライド?」
そう思った時には現場に落ちてくる頂点の一人、飛行ヒーロー『スカイ・ライド』が重力を忘れたかのようにふわりと地面に激突するギリギリの場で停滞して降り立った。
美しい空を思わせる水色のセルナノメタルの装皮が波のさざめきの様に流線的なフォルムをとっていた。
『ディーヴァ、どんな感じかな。現場は?』
「まだ私には経験が足りない。ひどい戦闘があっただけに見える」
私は声のトーンを落として警戒心をまるで隠さない声でそう言った。
スカイの装皮が解けるように変身した姿を解いた。
若々しい、私とさほど歳も変わらないと思われる。
バンダナとド派手な柄のストリートファッションで極めた青年が私に手を出して端末を寄越す様にと手を開いた。
私は黙って端末を差し出して、質問した。
「どうしてここに? 業務命令ですか」
「シヴァルドがアームの行方が未だに見つからないのが気がかりなんだって、それで一番早く現場に急行できる僕ってわけ? 新人研修も兼ねてかもね?」
「……あの人、探すほどですか。一応ヒーローですよ」
「キヒヒ。そっか。ディーヴァはまだ知らないんだったね」
「何をですか」
可笑しいと言った様子でケラケラと笑うスカイの様子に私は目元を細めて、その態度に対してそしてその意味を訊き返した。
「何か私に知らされていない事でも」
「んん……? 多分? アームのファイブ降板に関与したあるヴィランに今回のアーム失踪に関連するかもって?」
「…………」
よく意味が分からなかった。
アームのファイブ降板と今回の失踪の件に何が関わっているのだろうか。
私はそれらを聞こうとするが先んじてスカイは答える。
「君がファイブに上がる前に? とある事件でスーパーヴィランかもしれない容疑者を確保してたんだけど、どうにもその人物? アームを手ひどく痛めつけてたみたいで、命を狙っているかもって予測?」
スカイの軽い口調に反して私は驚愕の感情に支配される。
途轍もない一言をさも当然かのように言い放った。しかもその情報はOSE社内でも限られた人間しか知らされていない重要な案件だった。
──スーパーヴィランが現れた。
その意味は平和の崩壊を意味していると言っても過言ではない。
現在の連邦はオーロヴィル・シティを筆頭に『ヒーロー』という絶対的な犯罪抑止力があるからこそ、諸外国に比べてここまでの平和を享受できている。
スーパーヴィランとは即ち、ヒーローと対等に戦って通常以上の被害を生み出す存在だ。
そのヴィランは一体どのような理由で犯罪を行っているのかは定かではない。しかし、狙いがアーム、ヒーローとの戦闘を望む狂った狂人ならば──私は、どうなってしまうのだろうか。




