第十七話 里内裏
京の内裏は平安時代後期には荒れ果ててしまったので現在帝が暮らしているのは二条富小路殿だった。
私は尼の口利きで女孺の仕事を任せてもらうことになった。
女孺は内侍司に属し掃除や灯りをつけるなどのことをする仕事だった。
宮中では末端に位置するので直接帝とお会いすることはかなわなかった。
それでも近くにいればなにかできる。浅原のことはおいおい考えよう。
「伊勢、何をぼんやりしているの?」
典侍が私に声をかける。
内侍は平安後期には廃止され内侍司のなかで一番偉いのは典侍だ。
「はい。初めての参内するものですから緊張してしまって」
伊勢という名前は尼が考えてくれたものだ。この時代女性の諱は公表するのは憚れたのでこうして親族の官位を借りて名乗ったのだった。
「まあもの珍しいのはわかるけれど伊勢も気を引き締めてちょうだい」
典侍は少しあきれたような顔をする。
「ではあなたには裁縫を任せることになるわ」
「裁縫ですか……」
裁縫はするにはするがあまり器用ではないので心配になる。
だが今自分にできることをするのみだ。
「あら自信がないの?」
「いえっ。一生懸命やらせていただきます」
「その意気ね」
ふふっと典侍が笑う。どうやら悪い人ではないらしい。
ただ内侍司の頂点にたつ人間だから人を見る目は厳しそうだ。
私も失敗はできない。
「今は冬だけれどそろそろ夏の準備をしないと。袿の用意をしないとね」
案内された先には同じ女孺がいる部屋だった。
「あとは長袴の準備もしなくては」
彼女は私に夏物の紗を見せてくる。
「まあきれいですね」
「ふふっ。こちらは典侍のためのものです」
彼女は小さく笑うと私に話しかける。
「伊勢、それではこちらの反物の縫製を一緒にやっていきましょう」
かくして私は女孺の仕事を担うことになった。
「伊勢、あなたの叔父様は伊勢守なのよね」
噂好きの女孺が私に話しかける。
「あなたのご家族で結婚していない方はいないかしら」
「申し訳ありません。母の子供は私一人なもので近しいものではおりません」
正しくは私自身が歩き巫女であり家族は母以外いなかったので紹介できるような男性はいなかった。
「そうでなくても腹違いのお兄様とか弟とかいないのかしら」
知り合いなら犬神人の成王丸ならいるが彼女が望むような相手ではないだろう。なにせ口は悪いし不器用な男だから女性相手に失礼がないようにするのは無理だろう。
「ああ良い殿方は近くにいないものかしら」
女孺は宮中に使えているとはいえ末端の人間だ。退屈な生活に刺激を求めるのは自然なことだろう。
だが女孺は思いもよらないことを口にする。
「あら伊勢。あなたも良い殿方を見つけたのでしょう」
「ええっ。そんなわけありませんよ」
「だって私が話をしているのにぼんやりしているから」
今日二度目の指摘に私は驚いた。そんなにぼんやりしているのだろうか。
「ねえねえお相手はどんな方なの?」
「ええっと……」
興味津々で聞かれると私は困った。話をそらすことが得策とは思えなかったのでとりあえず成王丸の話をしておこうと思った。
「相手は市井の人なんです」
「まあ身分差の恋なのですねっ。それで?」
女孺は頬に手を当てて続きを促す。
「顔は私からははっきりとはわからないんですけど人に言わせれば美形らしいです」
「まあいいじゃないのっ」
好奇心旺盛な瞳で見つめられるとごまかしがきかなくなる。
「それで出会いはどうだったのですか」
「私が困っているときに助けてくれた人です」
正確には一貫で契約した仲だ。彼女が想像するような色っぽい話ではない。
「まあ命の恩人ってことですね」
うっとりとした表情で言われれば否定はできない。
「あなたにとって彼はどんな存在ですか」
難しい質問をされる。
私にとって成王丸はどんな存在なのだろう。
命を救ってくれた相手でありどうしてかどこか放っておけない存在でもある。
一緒にいれば落ち着くし優しい気持ちになれる。
時おり失礼な発言もするがそれも彼の不器用さ故だろう。
素直になれないところが私たちはよくにていた。
「大切な存在でしょうか」
思っていたよりありきたりな答えになってしまった。
でもそれ以上ではなくそれ以下でもない存在だ。
「まあうらやましいわ」
女孺は楽しそうに笑った。
でも私は笑っていられる場合ではなかった。
なにせ浅原が里内裏にやってくる可能性が高い。
引き続き警戒に当たることにするのが無難だろう。
夜には成王丸がやってくることになっている。
人目を盗んで入ってくるから逢い引きと勘違いされないか心配だ。
だが浮わついていられる場合でもない。
なにせ帝の命がかかっているのだから。
「待たせたな」
里内裏の庭で待ち合わせをしていると男の声がする。
「ええ成王丸」
待ち人はようやく来たようだった。