第十五話 犬神人
成王丸は捨て子だった。
捨て子だった彼を拾ったのは同じく犬神人の幸王丸だった。
物心つく頃からこの仕事は嫌で仕方なかった。
祇園社の清掃という名目での死体の処理には辟易していたし、たまに山門(延暦寺)から住宅の破壊を命じられては嫌々仕事をしていた。
人に誇れることの少ないことがかえって犬神人たちを荒れさせるのだろうか。
仲間同士の喧嘩も絶えなかった。
幼心にどうしてこんなことをしないといけないのだろうと毎日疑問に思ってきた。
そんなとき成王丸を慰めてくれたのは兄貴分の幸王丸だった。
彼はいつも明るく成王丸を笑わせてくれた。
だから彼には恩があるし頭が上がらない。
「おまえが頼み事をするなんて生まれて初めての事なんじゃないか」
幸王丸は俺の頭をがしがし撫でる。
「もしかしてこれか?」
小指をたてるしぐさに成王丸は首を横に降った。
「ちがう」
「つまんねえな」
がははと幸王丸は笑う。
「まあ婿にいくときは俺に相談するんだぞ」
冗談っぽく言うと成王丸は口許を緩める。
「俺はどこにもいかねえよ」
生まれてこの方犬神人としての生き方以外知らない。
だから恐らく誰かと結ばれることもないだろう。
「でもおまえ変わったよな」
「どの辺りが?」
「最近なんとなく嬉しそうだ」
それにと付け足される。
「あれだけ夢中だった弦作りもやっていないじゃないか」
副業の事を指摘される。そういえば長いことやっていないと思い出す。
弦を作るのは成王丸の趣味のようなものだった。
縮れた麻糸をのばし弦の太さに応じて麻糸を束ねる。
それを一間半(約270cm)に伸ばしていきそれを水に浸し竹に張っていき、なんどもたわしで上下にこき下ろしそのあとに乾燥させてを繰り返し、最後に天日で乾燥させくすねという松脂を油で煮た薬剤を塗り、麻ぐすねでなんども擦りなおしてくすねを染み込ませる。
出来上がった弦には上部には赤い絹を下部には白い紙をまきつける。
これで完成だ。
手間のかかる仕事だがこれも犬神人の仕事の一部だ。
趣味ということもあったがこれが一番手っ取り早く現金収入を得られる方法だった。
だから周囲には夢中になっているように見えたのだろう。
それと同時に何でも屋をやっていた。
犬神人に仕事を依頼する人間は少なくない。たまに小遣い稼ぎに彼らの依頼を受けていた。
「弦売りはしばらく休業だ。もっと実入りのいい話ができたんでな」
正直言えば十日で一貫は少ないほうだ。拘束時間は長いし、雑事もある。
だけどこの仕事に久しく抱いてこなかったやりがいを感じていた。
あの娘。浅黄といったか。
陶器のように白い肌にほっそりとした体つき。年のころは十四、五くらいだろうか。
黒目がちの濡れたような瞳にスッとした鼻梁。
端的に言えば整った顔立ちだった。
本人は歩き巫女だといっているが現在は仕事がなく宿で下女のような真似をしている。
一応呪術は使えるようだがまだ半人前だ。
それが今上帝の妹宮だから話は面白い。
だが彼女が妹宮でなくとも成王丸は彼女のために働いただろう。
それだけ彼女に惹かれるものがあった。
凛とした仕草。どんな苦境にも負けない意思の強さ。
それが瞳に宿りこちらを見上げるとき。
自分は彼女から逃れられないと悟るのだった。
彼女の運命からも。
「やっぱり楽しそうじゃないか」
幸王丸は笑いかける。
「いつも退屈そうにしていたあのおまえがそれだけ夢中になるんだ。終わったら中身のほうも知らせてくれよ」
おそらく浅黄の話だと彼は察しがついているのだろう。
だがあえて深く詮索しないでいてくれる。
ありがたいことだった。
仲間を巻き込んでいる以上隠し事は少ないほうがいいのだが彼らに秘密を明かすわけにもいかない。
元々彼らは犬神人。身分が違いすぎる。
口の軽い者が話せば噂はすぐに立ち上る。
彼らには悪いがこの話はしばらく秘密にしておこうと思った。
「悪いな話せないことばかりで」
「いいってことよ」
幸王丸は成王丸の肩をバシバシ叩く。
「おまえ一人がここまで変わるんだ。それだけ必死になれる相手がいるってことだろう」
そいつを大事にするんだぞ、と念を押された。
「大事なものっていうのはなくなってから気づくもんだ。気づいたうちにできることはしておけ」
そう呟く姿はどこか苦しそうで彼にも過去に何かあったのだろうと察しがつく。
「わかったよ」
「今のおまえなら心配要らないんだろうけどな」
と幸王丸は笑う。
「俺、昔と比べて変わったのかな」
「そういうのは自分じゃ気づかないもんだよ」
そう言われて少しだけ安堵している自分がいる。
だけど。と成王丸は振りかえる。
浅黄と出会ってから自分は少しでも変われたのだろうか。
今までのただの無愛想でつまらない男からなにか変化があったのだろうか。
少しだけ期待する。
もし少しだけでも変われたのならと反芻する。
それは間違いなく彼女のお陰だ。
浅黄のくるくる変わる表情を思い出して思わず笑みがこぼれる。
彼女のお陰だと言ったら彼女はどう反応するのか。
楽しみだったが成王丸は胸のうちにとどめるのであった。
きっといつか浅黄に伝えられる日が来ればいい。
その時まで今の思いを秘めておこう。