第3章 決意 2
「バニー殿」
昼食を終え、小一時間ほどするとセシルが新弥を呼びに来た。
暇なので取り出していた、スマートフォンの電源を切りポケットにしまう。ここでは、電波も届かないし充電もできない。いずれただの板になるのかと、新弥は寂しく感じた。
「レノア様がお呼びです。お茶と、今後について話があるそうです」
聞き心地のいいアルトで、セシルはそう告げた。
「あの、殿はいいですよ」
ハーフエルフであり少し年上の少女に仰々しく呼ばれ、新弥は照れ気味になった。
「そうは参りません。バニー殿は、異界からフェルナージアに渡ってこられたお方。徒人ではありませんから」
生真面目にセシルは琥珀色の瞳で、新弥の黒い瞳を見詰めた。
「あ、あの僕、ジャンヌみたいに異能を使えたりするわけじゃありません。ただの凡人です」
慌てて新弥は手を振って、セシルの言葉を否定した。
レノアにも散々言われたことだ。
およそ、新弥は異界の勇者などと呼ばれる存在ではない。平々凡々な少年に過ぎない。元の世界で英雄にして聖女と称えられるようなジャンヌとは違うのだ。立てられた言い方をされると、現実の自分との隔たりで情けない思いになる。
「わたくしとしては、異界から来られた方というだけで特別なのですよ」
優しげな笑みを、セシルは繊細な美貌に浮かべた。
「は、はぁ」
瞬間、心奪われるように新弥はセシルに魅入ってしまった。
今更ながら、人間とは違った種族なのだと再認識させられる。尖った耳、細身の身体。細かく整った面差し。ハーフエルフだということだが、人間とは違うと意識させられる。それは決して奇異であるとかそのようなことではなく、美しい種族だと新弥は思った。
エルフは、ファンタジー小説や映画などに出てくる架空の存在であるといった認識だった新弥にとって、本物を見るのはとても斬新だった。ジャンヌのこともありこの世界にやって来たことを悔やむまいと思い始めた新弥にとって、セシルの存在はとても素敵だった。
異世界であるフェルナージアに興味が湧いてくる。魔王だとか魔人だとかは勘弁だったが、どんな世界であるのか知りたかった。
「僕には、この世界はとても不思議に見えます」
その一端であるセシルを見詰めながら、新弥は本心から思った。
「わたくしにとっても、バニー殿のいた世界はとても興味をそそられます。あとで、じっくり話を聞きたいものです」
にこやかな笑みを浮かべながら、セシルは新弥を見た。
「セシルさんくらい、レノアも異世界のことに興味を持ってくれたなら、僕への態度も少しは増しになるのに」
そう、新弥は思わず愚痴ってしまう。
別に、来ようと思ってこのフェルナージアへと、やって来たわけではない。レノアによって召喚されたからだ。なのに、ジャンヌと比べると扱いが酷く感じてしまう。
「レノア様は、責任のあるお立場です。わたくしのように、脳天気に異界への興味を持てないのでしょう。領地を接した隣国エスターク公国は魔王が支配し、魔人の軍勢がイシュタリア王国――ここシュティーミル伯爵領にいつ攻め入ってもおかしくない状況ですから。それを、解決するために異界の勇者を召喚したのです」
セシルは、慰め顔をした。
「まぁ、分からなくはありませんが。僕は戦いには役立たずですし」
一つ、新弥は溜息を吐いた。
戦いなどとは、無縁の世界にいた。このような剣と魔法の世界に呼ばれても、全くもってどうしようもない。ファンタジー小説では、異世界へ行った主人公は何故か活躍をしてヒロインに恋心を寄せられるものなのだが、平和な日本で暮らしてきた新弥ではそんなうまくいくはずはない。
現実は、無情だとついつい思ってしまう。それに比べて、ジャンヌは正にファンタジー小説や映画などの、英雄を地でいっている。元の世界でも英雄にして聖女だったが、こちらの世界でも異能を発現させ、活躍した。
「それは、おいおいに。バニー殿、レノア様をいつまでもお待たせするわけには参りません。行きましょう」
セシルに促され、新弥は部屋をあとにした。
セシルが向かったのは、居間だった。そこには、レノアの他にジャンヌがソファーに腰を下ろしていた。
「来たわね」
レノアは、気の強そうな綺麗な顔を、にっと笑ませた。
対面のソファーを新弥に示す。素直に従い、新弥は座った。セシルはジャンヌの隣に座る。
「で、話って?」
新弥は、切り出した。
「バニーの処遇のことよ。このまま遊ばせておくわけにはいかないから」
少しだけ意地が悪そうな言い方を、レノアはした。
その様子に、新弥は嫌な予感を覚える。レノアは、戦いのために異界の勇者を召喚した。では、勇者でも何でもない自分には、一体この世界でどんな生き方が待っているのか、甚だ不安だった。レノアにとって、新弥は用なしなのだ。
「バニーには、あたしの従者をやってもらうわ」
レノアの口調も表情も、面白がるような雰囲気があった。
新弥は、嫌な予感は当たったと思った。具体的に従者とは何なのか分からないが、語感から何故かレノアの奴隷的立場を想像してしまう。
「従者って、何なのさ?」
新弥は、用心しつつ尋ねる。
「あたしに付き従って、供をする者のことよ」
レノアは、しれっとしている。
「冗談!」
やはりと思い、新弥は抗議を口にする。
「何? 不満?」
湖面を思わせる碧い瞳に、レノアは剣呑な光を浮かべる。
「そんな奴隷みたいなことをッ!」
「失礼ね。奴隷と従者を一緒にしないで。これって、最大限の譲歩なのよ。あたしの従者をするなら、戦場にも一緒に来てもらうことになるし。軽く考えないでちょうだい」
表情を厳しくして、レノアは言い放った。
「似たようなものじゃないか」
およそ他人に仕えるなど封建的なこととは無縁に育った新弥は、とても嫌に感じてしまう。
「本当は使用人にしようと思ったんだけれど、ジャンヌやセシルに反対されて」
新弥の様子にレノアは、表情を厳しくした。
「異界から来られた方です。異能を持っていないとも限りません」
セシルは、生真面目にそう言った。
「バニー。戦場で従者というのは、一種の見習いのようなものなのです。従者を経て騎士になる者が多い」
ジャンヌの口調は、諭すようだった。
そうジャンヌに言われ、嫌だと新弥は言えない。従者をすることは勿論嫌だし、正直戦いになど参加したくなかった。本音では、元いた世界に戻りたいと思っている。
だが、それはジャンヌを否定してしまうことなので、口にできない。ジャンヌは、異界の勇者としてレノアたちに必要とされている。ジャンヌに本来待ち受けていた破滅を、この世界に召喚されることで回避できた。戦いを否定するのは、ジャンヌの存在を否定することだった。
戦いのない国に新弥はいた。
だから、戦いを否定しそうになる自分がいる。それが、この世界では許されない。化け物と戦う者がいなければ、この世界は滅ぶのだ。
ジャンヌの存在、レノアたちが置かれた状況。
新弥は、自分には無理だと思いながらも、拒否はできない。
「ジャンヌがそう言うなら。従者をやります」
心から納得したわけではないが、新弥はそう答えるしかなかった。
「ちょうどよかったわ。あたしも一五歳に今月なってきちんと成人したから、従者くらい欲しかったのよ」
碧い瞳に満足そうな色を、レノアは宿した。
同い年か少し年下だろうと新弥は思っていたが、当たったようだ。
「今月で一五歳って、僕より一つ年下じゃないか。それなのに偉そうに」
年下の女の子に、言いたい放題されたことが新弥には面白くなかった。
「当然じゃない。あたしは、シュティーミル伯爵家の当主なのよ。これでも、バニーには随分生意気な口の利き方を許してきたわ。感謝して欲しいものだわ」
ふふんと、レノアは余裕を漂わせ新弥を見た。
新弥は、上目遣いでレノアを見た。
年下の少女にやり込められたような、悔しい気持ちだった。
話が一段落すると、ジャンヌが口を開いた。
「バニーとわたしは、元の世界が一緒ということは勿論ですが、それ以外にも縁があります」
そう言いつつ立ち上がると、ジャンヌは新弥の胸元に下がる銅の指輪をそっと手のひらに載せた。
「それがどうかしたの?」
怪訝な顔を、レノアはした。
「これは、元々わたしの物だったんです」
愛おしそうに、ジャンヌは簡素な銅の指輪を見詰めた。
「おや? ジャンヌ殿は、バニー殿と生きた時代が違うのでは? 国も遠く離れていると聞きましたが」
セシルが、不思議そうな顔をした。
「家族で、ジャンヌの生まれ故郷へ旅行に行ったんです。僕が生きていた時代ではジャンヌは尊敬される歴史上の有名人でしたから。そのとき、たまたま広場の地面から覗いていたそれを見付けたんです」
新弥自身、不思議な巡り合わせを感じながら答えた。
「ほう、それは。時代も国も違うというのに」
興味深そうな顔を、セシルはした。
「つまり、その指輪はジャンヌに縁の品ってことね?」
確認するように、レノアが尋ねた。
「はい。礎の指輪と神に言われました。祖国を救いたいと願い、対価として地中に埋めた物です」
懐かしそうに、ジャンヌは答えた。
「なるほどね。それほどジャンヌにとって大切な物だったのね。どうして、二人も召喚されたのか、何となくだけど分かったわ。異界と異界は、時間軸も空間軸も一点に集中して繋がっているの。だから、ジャンヌが召喚されるとき、最も縁の深い品を持っていたバニーも引き寄せられたんだわ」
形のいい頤に指を添えつつ、自分自身納得するようにレノアは言った。
「なるほど――」
セシルが何ごとか言いかけたとき、居間のドアからノックの音が響き開かれ使用人が姿を現した。
「レノア様、アンセルム・ラ・アレンス様がお越しになりました」
濃紺を基調としたエプロンドレスを着た使用人の女性が告げた。
レノアとセシルの顔に緊張が走り、身体を固くしたのに新弥は気付いた。
何だろうと思う。
「客間に通してちょうだい」
レノアはそう言うと、立ち上がった。
やって来た客の相手をするために、レノアとセシルは客間へと移った。
新弥とジャンヌは、二人居間に残された。
「何だか、レノアとセシルさんの様子がおかしかったですね」
確かに使用人が客の名を告げたとき、レノアとセシルの顔に緊張が走った。
「歓迎している様子ではありませんでした」
確かに、とジャンヌも頷く。
「何でしょう?」
情けない自分に対するときの不機嫌さとは明らかに違った雰囲気――敵意といっていいものをレノアから感じ新弥は首を傾げる。
出会ったばかりだが、レノアは捌けた性格をしていると思える。それが、わだかまりのようなものを、新弥はレノアから感じた。
「昨日、このフェルナージアという世界に来たばかりですので分かりかねますが、レノア殿はこのシュティーミル伯爵家の当主、立場のある方ですから面倒ごともあるのではないでしょうか?」
穏やかな声音で思慮深そうな表情を凜然とした美しい面に浮かべ、ジャンヌは落ち着いてそう言った。
ジャンヌの言うとおり、新弥はこの世界に来て間もない。ここがフェルナージアという世界でイシュタリア王国にあるシュティーミル伯爵領であることくらいしか、分かっていないのが現状だ。貴族であるレノアがどのような立場であるのか、皆目見当がつかない。
「そうですね」
新弥は、ジャンヌの言葉に頷いた。
あれこれ憶測しても無意味だ。レノアやセシルと一緒にいるうちに分かってくるだろうと、新弥は思った。
そう思った瞬間、自分はこの世界で生きていくつもりなのかと、問いたくなる。ジャンヌの前である。新弥は、口が裂けても元の世界に戻りたいとは言えない。
元の世界でジャンヌは、火刑に処せられ、その生涯を閉じたのだ。そのような残酷な運命からレノアの召喚によって逃れたというのに、それを否定することは口にはできない。
本心では、新弥は戻りたいと思っている。平和な日本で暮らしてきた新弥だ。近代戦などよりも遙かに過酷な白兵戦など、レノアではないが軟弱な新弥にできるはずもなかった。正直、このままこの世界で生き続ける自信など皆目なかった。自分はどうなるのだろう、というよりどうしたいのだろうと自身に問いかける。何となく流されている自分を感じてしまう。
「あー、全く」
乱暴に、居間の扉が開かれた。
明らかに機嫌が悪く苛立った様子のレノアが、入ってきた。
その後ろで、華美な格好をした青年――客というアンセルムだろう者が、使用人に案内されていく姿が見えた。いかにも貴族の貴公子然とした姿に、一瞬新弥は見とれた。着ている物は上等なあつらえで絹か何かでできているらしく、シャツの飾り襟が豪奢さを醸し出していた。
太股の半ばまで隠れる茶色い革のスカートにブーツを履き、青い柄の入ったシャツを帯で身体の前に縛った格好をしたレノアと、ついつい比較してしまう。
あれが貴族だよなと、新弥は失礼なことを思った。
「いきなり来るだなんて」
いきり立ちながらソファーに歩みより、ドサリとレノアは腰を下ろした。
あとからやって来たセシルが、居間のドアを閉じた。
「何をそんなに怒っているのさ?」
ぷりぷりしているレノアに、新弥は尋ねた。
「別に、怒ってなんていないわよ」
ギロリと、碧い瞳をレノアは新弥に向けた。
綺麗な顔立ちをした気の強そうなレノアにそうされて、新弥は怯んでしまう。
「アレンス公爵家の者が、陣中見舞いと称してやって来たのです」
苦笑を細やかに整った面に浮かべ、セシルが近づいてきた。
「レノア様、機嫌を損ねるのは構いませんが、バニー殿に当たらないでください。わたくしとて、レノア様と同じ思いです」
そう注意しつつ、セシルはジャンヌの隣に腰を下ろした。
「悪かったわよ」
セシルに視線を送っていたレノアが、ちらりと新弥を見遣った。
「我がシュティーミル伯爵家の仇敵、アレンス公爵家の者が様子見なんて言ってやって来たから、苛ついてしまったわ。アンセルムは公爵家の当主レオンの甥よ。暫く逗留するつもりでいるみたい」
不機嫌そうに、レノアは言った。
「仇敵ですか?」
ジャンヌは、小首を傾げる。
「そうよ。このシュティーミル伯爵領がイシュタリア王国軍の助けを得られないのも、公爵家が原因なの。王国は進撃してくるだろう魔人の軍勢の迎撃に全力をもって万全の体制で当たるべきって、アレンス公爵の意見が入れられてね。国の重要部を守るように、王国軍が配置されなおされたわ。シュティーミル伯爵家は、全力を尽くし領地をエスターク公国から防衛せよって、命令が届いた。孤立無援ってわけ」
忌々しげに、レノアは吐き捨てた。
「なるほど」
ジャンヌは、一つ頷く。
「どうして、そのアレンス公爵とやらは、シュティーミル伯爵家に不利になるようなことをするのさ?」
素朴な疑問を、新弥は口にする。
「アレンス公爵は、シュティーミル家に伝わる秘宝――召喚石に執着しているのです」
セシルが、控えめに口にした。
「我が家が譲らないから、昔から嫌がらせをしてきているのよ」
吐き捨てるように、レノアが言った。
ポケットから青いときおり赤い光が走る六角柱の石を、レノアは取り出した。
「それが、召喚石……」
呟くように、ジャンヌは口にした。
「それで、僕たちを召喚したのか」
新弥は、召喚石をまじまじと見詰めた。不思議な意思だった。青い石にときおり赤い光が走るのは、まるで呼吸をしているようだ。石が生きているように感じる。
「そうよ。このフェルナージアに数個存在しているの」
言いつつ、レノアは召喚石をポケットにしまい直した。
「なるほどね」
異界から勇者とやらを召喚できる、希少な石だ。それはとても貴重な物なのだろうと、新弥は思った。
「ところで、さっき廊下を歩いて行った奴が、アンセルムなんだろう?」
先ほどから気になることがあり、新弥は話題を変えるように尋ねた。
「そうよ。それがどうしたの?」
つっけんどんに、レノアは聞き返した。
「いや、正に貴族って感じだったなって思って。着ている物も豪華そうだったし」
ついと、新弥はレノアの服装に目をやった。
「な、何よ?」
新弥の視線に、レノアは軽く身を抱きすくめる。
「レノアももうちょっと、貴族の令嬢らしい格好をすればおしとやかに見えるんじゃないかって、思っただけ」
精一杯の嫌みを、新弥は込めた。
「バニー殿」
軽く、咎めるような視線をセシルは投げかけた。
「ああ、そのこと」
軽く、レノアは嘆息した。
それから、少しだけ寂しそうな顔をする。
「隣国が魔王に乗っ取られた非常時よ。ドレスのような華美な格好は、特別な場合を除いて控えているの。いざっていうとき困るし、領民に無用な負担はかけられないからお金を節約しているの。あまりドレスは持っていないのよ」
恥じる様子もなく、レノアはそう答えた。
「領民のためを思って……」
ジャンヌは、感動した様子だった。
新弥は、レノアの言葉を聞いて、馬鹿な質問をしたと思った。貴族の令嬢らしからぬ格好をからかってやるつもりで尋ねたのだが、自分のゲスさが嫌になった。