13句 金糸雀の羽根
「憩様、もう少し腕は上に」
「はい!」
矢桐が少女に護身術を教え始めてから3ヶ月。
形などの技術に関することはまだまだだったが、精神面では成長を見せていた。
これまで嫌々受けていた舞の稽古も、少しずつではあったが前向きに取り組むようになっていたのだ。
今日もこれから舞の稽古か……。
仕えている自分の方が気が滅入る。
額から汗を流す主人に手拭いを渡すと、矢桐は口を開いた。
「憩様、本日も午後から舞の稽古がございます」
「はい! 今日こそは優雅に舞えると良いのですが……」
「あまり気にしなくて良いのですよ。憩様には憩様の舞がございます」
「そうですね」
汗を拭いながら笑顔を見せる少女。
あれからも指南役は、事あるごとに憩の舞に口を出していた。
矢桐はそれを許すことができず、旭にも相談をしたのだが……。
——憩が嫌というまでは、様子を見てほしいんだ。
そう、言われてしまったのだ。
……旭様は、一体何をお考えになっているのか。
そんなことを考えていると、満面の笑みを浮かべた少女に声をかけられる。
「矢桐さん、稽古の前に着替えをしてまいります!」
「ご一緒いたします」
少しだけ頼もしくなった主人の背を、矢桐は誇らしく思った。
*
「ですから前回もお伝えしましたよね!?」
不安は今日も的中した。
相変わらずの強い口調で、指南役が憩を責め立てる。
しかし、少女は臆することなく舞を続けていた。
「では、こうでしょうか?」
「違います! どうして儚く舞えないのですか!?」
「これでも儚く舞っているつもりなのですが……」
「儚く!? それでですか!? 和様はその様に舞っていらっしゃらないですよ!?」
憩の言葉に、指南役の眉が吊り上がる。
姉妹で性格が真逆なのだから、同じ様に舞えというのがそもそもの間違いなのだ。
しかしそんなことが理解できるのであれば、指南役である彼女がここまで苛立つ理由もない。
「舞は儚く舞ってこそなのです! わかりましたか!?」
全く成長が見られない少女に、彼女はさらに語気を強める。
さすがにそろそろ止めに入ろうと、矢桐が足を踏み出したタイミングで憩が口を開いた。
「そもそもなぜ、儚く舞わなければならないのですか?」
「なぜ? 舞とはそういうものだからです!」
「でも、力強く舞う方もいらっしゃいますよ?」
「あなたには必要ありません! 憩様は相楽家の御令嬢なのです! 儚くて弱々しい、守ってもらわないと生きられない金糸雀でいらっしゃればいいのです!!」
急に口を返し始めた少女に相当腹が立ったのだろう。
指南役は金切り声をあげながら、その言葉を切り捨てた。
*
「憩様、大丈夫ですか?」
「はい……、今日も叱られてしまいました」
「あんな人の言うことは、気にしなくて良いのです」
弱々しい笑顔を見せる主人の姿に、矢桐は気づかれないように歯噛みする。
あの後、指南役は「こんなに口を返されたのは初めてです!」と怒りを露わにし、稽古を早々に切り上げた。
主人を散々罵倒され、挙句勝手に稽古を終えられては、矢桐も腹の虫が収まらない。
取っ捕まえて一言言ってやろうとしたのだが、憩に止められてしまい、2人は床に座り込んでいた。
「私は、質問を間違えてしまったのでしょうか?」
「なぜ、儚く舞わないといけないのか、と言う問いですか?」
「はい。お姉様はお仕事柄そうなのかもしれませんが、私は弱く見られたくないのです」
自分の目を真っ直ぐに見つめる主人。
これまで長らく側にいた矢桐でさえ、憩のそのような姿は初めて目にするものだった。
「……大変申し上げにくいのですが、世が求めるのは彼女が仰ったような御令嬢なのです」
「弱くて、守られるしかないのにですか?」
「はい……。ですから和様も本当はお強いのに、舞は儚く詩歌はか細く詠われるのですよ」
1つ1つの言葉を飲み込むかのように少女は頷く。
真実を伝えるのは簡単なことだ。
常に殿方の1歩後ろに立ち、良妻として彼を支え、有事の際には守ってもらう。
侯爵家の令嬢として、自らの足で立てるようになる必要はどこにもない。
それどころか、下手に自立している御令嬢は嫌厭されることもある。
でも、憩様はそのような生活を望まれてはいない。
黄山様も、御兄姉様たちも、憩様が望むように生きてほしいと考えていらっしゃる……。
矢桐の表情がどんどん暗くなっていく。
そんな中、少女の明るい声が稽古場に響いた。
「世ではそのような姿が求められているのですね! では明日、老師にも同じ質問をしてみます!」
「彼にも同じ質問をされるのですか?」
「はい。老師はたくさんの御令嬢をお教えになってきたはずですから、色々な考えに触れてきたと思うのです!」
「なるほど、それは面白い視点ですね」
突拍子はないが理にかなっているその視点に、矢桐の表情も気づけば明るくなっているのだった。
時代としては指南役の考え方って真っ当なんですけれどね……。
相楽家が侯爵家でありながら異端すぎるだけで。




