雷鳴の剣と、泥沼の聖遺物 2 〜召雷刀と、剣の助手〜
2.
「……ねえ、雷鳴のバスチアンさん」
「ん、何だ?」
「その剣だけどさ、もう抜かないで歩けないかな」
旧道に入ってから一時間。
コロの忍耐は、すでに底をつきかけていた。
先頭を行くバスチアンは、道端の茂みや垂れ下がった枝を、一々『召雷刀』を振り回して焼き切っている。
当然、道中に出てくる魔物もあっという間に消し炭だ。
「ははは!お嬢ちゃん、何を言う。この『召雷刀』の威光を見せておけば、野盗も魔物も寄り付かねえんだ。これぞ英雄の歩き方よ!」
バチッ、と鋭い放電の音が弾け、周囲に焦げ臭い匂いが充満する。
ウルの耳は不快そうに後ろへ伏せられ、自慢の鼻は、焼き焦げた植物の異臭に何度もくしゃみを繰り返していた。
「……魔物の肉が欲しいんだけどね」
コロの声は、ズカズカと歩みを進めるバスチアンの耳には届いていないようだ。
彼は鼻歌交じりで機嫌良さそうに、肩で風を切って歩いている。
『……コロ、限界だ。あの男の撒き散らす「騒音」と「悪臭」のせいで、森の気配が全く読めん。……今すぐあの喉元を噛みちぎっていいか?』
「……待って、ウル。悪人でもない人類を殺すのはマズいよ。さすがにそこまで迷惑ではないからね……。あそこの分岐点で、どさくさに紛れて撒こう」
コロは小声でウルを宥めるが、その瞳には冷たい苛立ちが宿っている。
彼らはウルが食べるためなのか、「獲物」を探していたのだ。
ウルが好む「新鮮で血抜きされていない肉」を。
だが、バスチアンの放電がすべてを台無しにしていた。
「おっと、出たな!雑魚め、俺様の魔剣『召雷刀』の錆びにしてくれるッ!」
茂みの奥でガサリと音がした瞬間、バスチアンは過剰なまでの放電と共に剣を突き出した。
そこには、ただ怯えているだけの小型の角ウサギがいた。
だが、次の瞬間には、激しい電光によって「真っ黒な炭の塊」へと変わり、無惨な煙を上げていた。
タダでさえ焦げ臭いバスチアンの周囲に、一層焦げ臭さが蔓延する。
「どうだ、見たか!この神速の雷撃!」
いちいち振り返ってくるバスチアンに対し、コロは貼り付けたような笑みを浮かべる。
「うん、見たよ。便利な剣だね」
「俺にかかれば、どんな魔物も一撃よ!」
バチバチとうるさい剣を天高くかざしたまま、バスチアンはズカズカを先を進む。
彼に引かれている馬も、先程から度々くしゃみをしている。
しかし、派手な音に驚いたりしない辺り、常日頃からこの「バチバチ」に馴染んでいるのかもしれない。
『……あ。……俺の肉が……』
ウルが呆然と、炭化したウサギの残骸を見つめる。
コロもまた、無表情のまま、炭になった「元・食料」を一瞥して、小さくため息をついた。
「行こう。どうにか穏便に離れよう……」
『いっそのこと、俺の黒雷を見せつけるか?』
「そんな事をして、対抗意識を燃やされたらどうするのさ……。それこそずっと着いてきちゃうよ」
『うーむ……』
コロとウルの周囲はどんよりとした空気が滞留している。
「……ねえ、雷鳴のバスチアンさん。それ、もう食べられないよ。……お肉はね、血抜きをして、ちゃんと捌かないと。消し炭にしたら、ただの苦いゴミだよ。毛皮も台無しだ」
せっかく出てきた珍しい猫の魔物を、再び雷により消し炭にしてしまったバスチアンの背中に向け、コロがやんわりと苦言を呈している。
しかしバスチアンはチラリとコロを振り返り、鼻で笑ってみせた。
「ははは!嬢ちゃんは食いしん坊だな。いいか、英雄ってのはな、そんな肉だの毛皮だの、些細なことには拘らねえんだよ!圧倒的な力を見せる、それこそが大事なのさ!」
バスチアンは誇らしげに鼻を鳴らし、再び『魔剣』を鞘に収めた。
だが、その動きすらぎこちなく、剣の重みに振り回されているのが丸分かりだった。
よく見れば、彼の歩き方は剣の重心に引きずられ、常に右側が浮いている。
剣がなければ、ただの「足の遅いキノコ」だ。
「……この人、自分では何もしていない。これじゃあ剣の助手だね……」
『言い得て妙だな』
「……ウル。やっぱり次の角で別れよう。このままだと、ストレスで『器』が壊れちゃうよ」
『お前さんが人類に対してここまでイライラするとは、ヤツはなかなかの器の持ち主だな」
コロとウルの視線の先には、時々ヨロヨロとしつつも、肩で風を切って歩いているバスチアンの背中があった。
そんな二人の心中も知らず、バスチアンはいよいよ上機嫌になったのか、朗々と喉を鳴らし始めた。
「聞いてくれお嬢ちゃん!これから歌うはこの俺、雷鳴のバスチアンが一つ目の巨人を討ち取った時の叙事詩だ!…… 荒れ狂う~空を裂いて~紫の~雷がぁ~走ぃ〜るぅ~!」
音程が外れているどころか、もはや叫び声に近い。
コロとウルにとって、静寂が美徳である深い森の中において、その歌声は「私はここにいますよ、どうか食べてください」という特大の看板を掲げて歩いているようなものだ。
『……コロ。あいつの喉笛、今なら三秒で黙らせられる。許可をくれ』
「……ダメだよ、ウル。今はとにかく耐えて。……ほら、あそこの草むらで休んでいた鹿の親子が、ものすごい勢いで逃げていったよ。あーあ、いい肉が手に入りそうだったのに……」
バスチアンは逃げていく鹿に気づくどころか、「俺の歌声に恐れおののいて逃げ出したか、はっはっは!」とさらに声を張り上げる始末。
しばらく歩くと、道を塞ぐように巨大な倒木が横たわっていた。
馬一頭が飛び越えるには少々高く、脇を通るには藪が深すぎる。
「困ったね、私たちはともかくとして、さすがに馬は……」
「はっはっは! 遠慮するな、嬢ちゃん!こういう時こそ、俺様の出番、というわけだ!」
バスチアンが『召雷刀』をこれ見よがしに構える。
嫌な予感がして、コロはウルを連れて素早く十メートルほど距離を取った。
「喰らえッッッ!雷鳴斬!」
――ドガァァァンッッッ!
凄まじい爆発音と共に、倒木が文字通り「爆散」した。
飛び散った木っ端と、激しく舞い上がった煙。
バスチアンの傍らに居た馬に、泥と炭の汚れがべったりと付着してしまった。
「どうだ、見ろ!この圧倒的な破壊力!斧でチマチマやるより数倍早いだろう!」
煙の中でバスチアンがドヤ顔を晒しているが、肝心の道はといえば、燃え残った木の残骸がさらに複雑に絡み合い、おまけに周囲の地面が熱で泥濘んで、歩きやすくなるどころか「通行不能な障害物」へと悪化していた。
泥と灰を被った馬も、心底不快そうに、何度もブルっと勢いよく全身を動かしている。
『……あいつ、わざとやってるのか?』
「……無自覚なのが一番性質が悪いね。本人に悪意がこれっぽっちもないのが厄介だ……」
結局、コロとウルは馬を引くバスチアンを助けながら、泥まみれになってその「障害物」を乗り越える羽目になった。
さらに進むと、コロの目がキラリと光った。
道の脇、湿った岩の影に希少な薬草――『月光苔』が自生していたのだ。
「あ、ウル、見て。あれはかなりいい品質だよ。丁寧に摘めば銀貨三枚には……」
「おっと! 危険だぞ嬢ちゃん!そんな湿った場所には毒虫が潜んでいるものだ!」
バスチアンが叫ぶなり、鞘から半分抜いた剣を岩場に向けた。
「はっ!」
――バチリ!
紫の電火花が岩を叩く。
コロが手を伸ばそうとしていた月光苔は、瞬時に真っ黒な灰となり、岩肌には焦げた跡だけが残った。
もはや、コロは何の反応も示さなかった。
ウルもただ静かに、コロの側に座って、その様子を醒めた目で眺めている。
「ふう、危なかったな。俺がいなきゃ、今頃その可愛い手は腫れ上がっていたところだ。おっと!礼ならいいぜ?剣士の務めだからな!」
「…………」
コロは差し出した手の形を保ったまま、しばらく固まっていた。
彼女の頭の中の『収支計算書』には、今、明確な赤字が刻まれていることだろう。
「……ねえ、ウル。……そろそろいいよね」
『……ああ。十分すぎるほど我慢した」
「巻こう。久しぶりに背中に乗せてもらうよ」
『いつだって背中くらい貸すと言っているのに。一向に構わんぞ』
そんなウルの頼もしい言葉に、コロは優しい手つきでポンと彼の首元に手を載せた。
「ウルは乗り物じゃないからね。私が嫌なんだ」
ウルは何も言わず、ただ、コロに身体をこすりつけた。
日が完全に落ち、森が深い闇に包まれた頃。
旧道の開けた場所で、コロは手際よく枯れ枝を集め、火打ち石を取り出した。
そう。結局、コロとウルがどうにかバスチアンを巻こうと画策しても、このバスチアンという男は目ざとくそれに気が付き、いちいち大声で「勝手な行動は危ないぞ!」と、不必要な大声で注意喚起をしてくるのだった。
「雷鳴のバスチアンさん、集めた枝で火を起こすから、ちょっと馬を……」
「はっはっは! 待て待て、嬢ちゃん!そんな古臭いしみったれた石っころでチマチマ焚き火をやるなんて、英雄のすることじゃねえ!」
バスチアンが、さも名案を思いついたという顔でコロを制した。
彼は『召雷刀』の柄に手をかけ、大仰な構えを取る。
慌てたコロとウルは咄嗟にバスチアンから距離を取る。
「いいか、これぞ魔剣の力――『雷鳴点火』だ!瞬時に極上の火種を作ってやろう!」
嫌な予感しかしない。
コロは無言で拾い集めた貴重な乾いた薪を抱え、ウルを連れて更に後退した。
「喰らえッッッ!英雄の火よ!」
――ドガァァァンッッッ!!
夜の静寂を木っ端微塵に粉砕する、凄まじい爆発音。
バスチアンが薪の山に向けて魔剣を全力で振り下ろした瞬間、激しい雷光が炸裂した。
爆風と共に、コロとウルが苦労して集めた薪は火がつく暇もなく四散し、一部は炭を通り越してただの灰へと姿を変えた。
地面には直径一メートルほどの小さなクレーターができ、周囲の草木は爆圧でなぎ倒されている。
「……ふぅ。見たか、この手際の良さ!まさに一瞬だろう!」
煙の中から、煤で顔を汚したバスチアンがドヤ顔で現れた。
だが、肝心の焚き火はどうだ。
火種どころか、燃えるべき薪が一本も残っていない。
ただ、焼け焦げた地面から力なく細い煙が上がっているだけだ。
『……おい、コロ。俺は今まで数多くの「剣士」を見てきたが……』
ウルが、これまでにないほど深く、魂が削れるような溜息をついた。
その瞳には、もはや怒りすらなく、救いようのない虚無が宿っている。
『ヤツは「剣士」を一体なんだと思っているんだ……?倒木に全力で喧嘩を売り、獲物を爆破し、焚き火に奥義とやらを叩き込む……。そんなのは剣士でもなんでもない。ただの、力の使い道を知らん破壊魔の幼児だ』
「……同感だよ、ウル。……というか、あのお兄さん、今までどうやって一人で旅をしてきたんだろうね。……きっと、行く先々で誰かがこっそり後始末をしてくれていたか、あるいは、ただ運が良すぎただけか……」
コロは、若干の煤を被った自分の鞄を悲しげに一瞥し、自分の胸の内にこう刻み込んだに違いない。
「過剰な力を持つ無能は、自然災害よりも質が悪い」「避けるべきは魔物ではなく、目的を履き違えた人類である」と。
「……雷鳴のバスチアンさん。火、ついてないよ。……というか、薪が殆どないよ」
「ん? おかしいな、威力が強すぎたか!軟弱な薪だったようだな!はっはっは、これも英雄の溢れ出す力の証明だな!なんとも罪なものよ!」
ガハガハと笑いながら、召雷刀をガンと地面に突き刺す。
『本当に罪なものだ。無自覚な無能とは……』
ウルの声がバスチアンの耳に届くことはない。
直後、ウルの喉の奥から地を這うような低い警戒音が漏れた。
『……おい、コロ。この鼻をつく甘ったるい匂い……。これは、間違いなく――』
「そうだね。正解だと思うよ、ウル」
コロの声はどこまでも平坦だ。
彼女の視線は、バスチアンの影の先、闇が最も濃く渦巻く一点の茂みを静かに見据えていた。
ガサッ、と濡れた木の葉が擦れる音が響く。
その瞬間、それまで呑気に鼻歌を歌っていたバスチアンが、弾かれたように肩を震わせて剣を構えた。
パチパチと放電が激しさを増し、周囲を不気味な紫の光が明滅させる。
「な、何だ!?誰だ!俺様を奇襲しようったってそうはいかねえぞ!」
殺気立って叫ぶ男の前に、ゆっくりと、その姿が霧の中から現れた。
長い銀髪を露に濡らし、薄布一枚を纏ったような、あまりにも不自然で絶世な美女の姿。
バスチアンは一瞬息を呑み、見開いた瞳に卑屈な欲望と、それ以上に強い困惑を浮かべた。
「……こんなところに女性――?いや、噂に聞くラミア……か!?」
大蛇のようにうねった下半身を持つラミアは、バスチアンの視線を受けると、弱々しくその場にへたり込んでみせた。
「な、なんだ!?一体何を――」
「……たすけて。……こわい。……ひと、……さま。……わたし、……まいご。……おねがい……」
そして、震える指先を彼へと伸ばし、たどたどしい、けれど人類の庇護欲を容赦なく突き刺すような声を絞り出す。
その言葉はまるで、覚えたての言葉を披露するかのようにぎこちない。
だが、自分を物語の主人公だと信じて疑わないバスチアンにとって、それは天から与えられた「正当な報酬」に聞こえたのだろう。
「お、おいおい……大丈夫か!?案ずるな、俺は『雷鳴のバスチアン』!この魔剣に誓って、お前さんのような可憐な乙女を放っておいたりはしない!」
先程までのイライラした警戒心はどこへやら、バスチアンは鼻の下を伸ばし、魔剣をパチパチと鳴らしながら、自らその「顎」の前へと歩み寄っていった。
彼の視線はチラチラと、ラミアの胸元に向かっている。
コロはその背中を、まるで穴の空いたバケツが川に流されていくのを見送るような、冷めた目で見つめていた。
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