白い街と、嘘の匂い 2 〜欲望の匂いと、市場の喧騒〜
2.
翌朝。
山道の険しい勾配がようやく緩やかになり、世界から「色」が溢れ出した。
視界が開けた先には、陽光を照り返して白く発光する街並み。
その向こう側には、水平線まで続く深い青色の海と、大蛇のように横たわる半島が見える。
フェルムの鈍色と煤に慣れた目には、それは暴力的なほどの鮮烈さだった。
そんな折、山を登ってくる一団とすれ違った。
立派な毛並みの獅子の獣人をリーダーに据えた、多種多様な獣人たちの傭兵パーティだ。
彼らは一人と一匹の風体を鋭い目で見分けると、無用な衝突を避ける旅人の作法として、軽く手を挙げた。
コロもそれに倣い、左手を少しだけ高く挙げて応える。
「おい、嬢ちゃん。その銀狼を連れてあの街に行くのか?」
獅子の男が、牙の覗く口元を歪めて笑う。
その笑みには、警告と、見知らぬ同胞への僅かな同情が混じっているように見える。
「うん、そうだけど。何か問題でも?」
「はは!問題は大ありだ」
「へえ、どんな?」
「あそこはな、交易都市『アル・ハザード』。言葉の数だけ嘘が飛び交い、油断すれば尻尾の毛までむしり取られる街だ。……特にその連れの立派な毛並みと装備だ。奴らにとっちゃ『歩く金貨』が自ら飛び込んでくるように見えるだろうな。せいぜい、身ぐるみ剥がされないよう気をつけるんだな」
「……尻尾の毛まで、ね」
コロは一度視線を落とし、それから口角を僅かに釣り上げた。
「じゃあさ、逆に言えば、立ち回り方によっては、誰かの尻尾の毛までむしり取れる街ってわけだ」
その言葉に、獣人の一団は一瞬の静寂の後、愉快そうに笑い合った。
鼻頭に立派な角を持ったサイの獣人の男が、景気よくパチンと指を鳴らしてみせる。
「はは!その通りだ。だからこそ、ギラギラと欲望を滾らせた連中が集まってくる。……いい面構えだ、嬢ちゃん。やっぱり只者じゃねえな。上手いこと立ち回れよ」
「うん、そうする。アドバイス、ありがとう」
「同胞にご武運を!」
傭兵たちが砂埃と笑い声を残して、山道へと消えていく。
コロはその背中を見送ることなく、再び眼下の白い街へと視線を戻した。
『……ふん。尻尾をむしる、か。あいにく俺の尻尾は、噛みつこうとする奴の喉笛を叩き折るためにあるんだがな』
「いい情報を聞いたよ、ウル。……そこは、力じゃなくて『欲』が歯車を回すシステムなんだね。それなら、やりようはいくらでもあるよ」
遠くに見える街を見下ろし、コロは小さくほくそ笑む。
ウルは興味なさげに、尻尾をぱふんと地面に叩きつけ、新しい土地の匂いを嗅ぎ始めた。
「さて、行こう」
『行くぞ』
乾いた音を立てて歩き出しながら、コロがふと独り言のように漏らした。
「やっぱり、獣人っていう器は本当に便利だね。仲間意識が強いし、匂いで本能的に相手の大まかな『特徴』を捉えられる」
『お前が人間族の器じゃ、こうはいかなかっただろうな』
ウルがくつくつと喉を鳴らして笑うと、コロはウルの首元にそっと手を添えた。
「だね。お陰様ではじめの頃は何かと助けてもらったよ。……『同胞』、か。とても簡単で、便利な魔法だね」
コロは、眩しそうに目を細めてアル・ハザードの街を見下ろした。
その瞳には、知的な好奇心の火が灯っている。
アル・ハザードの城門をくぐった瞬間、熱気が津波のように押し寄せてくる。
それは単なる気温の高さではない。
数多の商船が運び込む香辛料の刺激、干し魚の生臭さ、そして何より「欲望」という名の熱を帯びた数万人の吐息だ。
白い石畳の通りには、色とりどりの布が揺れ、天秤を掲げた商人たちが通行人の財布を品定めしている。
銀狼という「歩く金貨」を連れた少女の登場は、彼らの目には格好の獲物が飛び込んできたように映っただろう。
「……ねえウル、さっきから視線が痛いね。みんな、ウルの毛皮を剥いだ後のことばかり考えているみたいだよ」
『……ふん。奴らの喉笛を噛み切った後のことを考えている俺と、お相子だな』
「はは、そうだね。……でも、まずは軍資金。あの角を曲がったところにある店、あそこがこの辺りで一番『嘘の匂い』が濃いよ」
コロが顎でしゃくった先には、軒先に吊るされた無数の乾燥植物が厚いカーテンとなって店内の暗がりを隠し、そこから得体の知れない香草の匂いが、粘りつくような熱気と共に吐き出されているかのような雰囲気を醸し出す、一軒の薬草屋があった。
薬草屋の店内は、天井から無数の乾燥植物がぶら下がり、床にはスパイスの入った麻袋が積み上げられており、外観同様に薄暗い印象の薬草店だった。
エルフ族の男の店主は日焼けした肌をテカらせ、羽ペンの動きを止めずにコロたちを一瞥した。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん」
「銀玲草を買い取ってほしいんだ」
「……ほう、銀玲草か」
店主は羽ペンを持つ手を止め、コロが鞄から取り出した銀玲草に視線を送る。
「うん。昨日採取したばかり。全部で30株はあるよ」
「昨日か……ふむ、上等だ。上等だが……生憎だねぇ、今は時期が悪すぎる」
店主はわざとらしく重い台帳を叩き、鼻で笑った。
「時期?」
「ああ、今朝、大規模な行商人がこれの倍以上の量を持ち込んできてね。今、うちの在庫はパンパンだ。……まあ、素材を悪くするのも可哀想だし、端金で良ければ引き取ってやらんこともないが?」
そう言って店主は、手元にあった算盤をパチパチとはじき、コロの方へ向け、カウンターをすべらせる。
提示された額は、一般的な相場の三割にも満たない。
「驚くのも無理はない。しかしな、今は必要ないからな。とはいえ、このまま持ち歩いても品質が悪くなるだけだろう」
コロは表情を変えず、台の上に置かれた自分の銀玲草と、店主の顔を交互に眺めた。
「……おかしいね。この銀玲草は高地の奥深くにしか生えない。そう簡単にダブつく類じゃないはずだよ。そもそも、そんなに在庫を抱えて困るものなの?」
「ははは! お嬢ちゃん、知識だけじゃ商売はできんよ。在庫があると言ったら、あるんだ。……嫌なら他を当たることだ。もっとも、どこの店も同じようなもんだろうがね」
店主はまるで、コロが折れるのを待っているかのような余裕の笑みを浮かべている。
その瞳の奥には、幼い旅人をカモにする、いやらしい愉悦が透けて見えた。
コロは店主の言葉を遮るように、鞄からもう一束、より鮮やかな緑の草を取り出した。
「ふうん。……それなら、これはいらないね」
ぐしゃり。
コロは店主の目の前で、その草の束を無造作に、力任せに握りつぶした。
「あ……っ!」
店主が反射的に身を乗り出し、喉を鳴らしたのを、コロとウルは見逃さなかった。
「……おじさん、おかしいね?」
「――なっ……!?」
「在庫がパンパンで、いらないはずの薬草なのに……今の反応は何?おかしいね」
「な、何を言って……」
同様が隠せない店主は、咄嗟に仰け反るようにしてコロと僅かに距離を置こうとする。
しかし、コロの瞳も、ウルの瞳も、ジッと店主の瞳を捉えて離そうとはしない。
「自分の家のゴミが潰されたのを見て、そんなに慌てる人はいないよ。ひょっとして、これがフイになると困るの?困るのだとしたら、さっきの話は全部『嘘』ってことだよね」
コロは、店主の瞳をじっと見つめた。
その視線は、昨日森で死にゆく男の腸を鑑定した時と同じ、温度のない「人外の観測」そのものだった。
「……。チッ、分かったよ。お嬢ちゃんの言い値で買おう。……それでいいんだろ?」
店主が苦々しく折れた瞬間、コロはパッと子供っぽい作り笑顔を浮かべてみせた。
「ありがとう、おじさん。一株あたり5000リトが相場だよね」
「ケッ、そうだよ。そのとおりだよ……」
「あ、ちなみに。……さっき潰したのは、そのへんでいくらでも手に入る単なる香草だよ。華肚草。よく似ているから、うっかり間違えちゃったかな?」
「……え?」
「銀玲草はフイにしないよ。今のは、ただの演出。……ちょっと上手くいきすぎたかな」
コロは呆然とする店主から、ずっしりと重い銀貨の袋を受け取った。
150枚もの銀貨が詰まった革袋は、少女の細い腕には不釣り合いなほどの重量感がある。
『なかなかの重さだな。これだけの「嘘」を剥ぎ取ったと思えば、悪くない重みだ』
「そうだね。……でも、銀貨150枚をそのまま持ち歩くのは効率が悪いかな。どこかで金貨に替えてもらわないと」
コロは、悔しそうにこちらを睨む店主を背に、機嫌良さそうに尻尾を揺らしながら店を後にした。
『……ふん。コロ、お前あいつの嘘の匂いと、流した冷や汗を正確に読み取っていたな?』
「私たち相手に嘘をつこうなんて、無理な話だよ。さあ、行こう、ウル。……この『大ハズレ』な街の仕組みをもっと有効活用しなきゃだね」
コロはそう言って、ウルの背中にゆっくりと銀貨の詰まった袋を乗せてみせる。
乗せられたウルは『俺にとっては重くもなんともない』と、鼻を小さく鳴らした。
市場の喧騒を抜け、懐の銀貨の重みを感じながら歩を進めると、さらに強烈な匂いの塊が鼻腔を突いた。
炭火で焼かれる脂の爆ぜる音と、鼻の奥を痺れさせる大量の香辛料。
二人の足は、大通りに面したオープン形式の食堂へと自然に向いていた。
店の中央では、恰幅のいい人間族の男の主人が巨大な肉の塊を前に、派手な立ち回りでナイフを振るっている。
「さあお立ち会い!今日の目玉は砂漠の至宝、『紅蓮走鳥』のスパイスローストだ!脂の乗りは最高、ナイフを入れるだけで肉汁の洪水だぞ!こんな珍しい肉、滅多に入らないよ!」
主人が極厚のナイフを肉に突き立てる。
じゅわっ、と透明な脂が噴き出し、鉄板の上で弾けて、「ジューッ」という豪快な音とともに、白煙をモクモクと上げた。
周囲の客たちが「おおっ!」と歓声を上げ、次々と注文の声が上がる。
「……紅蓮走鳥。一皿で――銀貨二十枚と書いてある。……強気な価格設定だね」
『……コロ。妙だぞ。あの鳥の肉は、何度か食ったことがあるが……』
「……うん。分かっているよ。ウル、お座り。……一番いい席で、その『洪水』を見せてもらおうか」
一人と一匹はカウンターの端に座り、慌ただしく立ち回る店員に注文を告げた。
ほどなくして、湯気を立てる肉の塊が一人と一匹のテーブルまで運ばれてくる。
主人はこれ見よがしに二人の前でナイフを入れ、やはり中から不自然なほどの脂を溢れさせてみせた。
「さあお嬢ちゃん、召し上がれ!こんな贅沢、他じゃ拝めないぜ!」
満足げに立ち去ろうとする主人の背に、コロの無機質な声が突き刺さる。
「……ねえ、おじさん。この鳥、本当に砂漠の南で捕まえた紅蓮走鳥?」
「ん?ああ、そうだよ。一番足の速い、活きのいい奴を仕入れたのさ!」
「ふぅん、そう……。おかしいね」
コロはフォークで肉の断面を軽く押し、溢れ出る脂を観察しながら、声のトーンを落として淡々と告げた。
「紅蓮走鳥はね、一日の大半を馬なんかよりも早く走り続ける筋肉の塊だよ。体内の水分を逃がさないために脂肪層は極限まで薄くてね、肉質は本来、驚くほど淡白でパサパサしているんだ。……ウル、匂いは?」
『……豚のラードと、薬のような匂いが混じっているな』
「だね。家畜の豚のラードの匂いと、保水剤かなにかの匂いだ。多分だけど、筋肉繊維の隙間に、針で脂でも注入したかな?それとも、中に脂の袋を仕込んで蒸し焼きにしたか、だね。うん、後者かな。……あの機動力を削ぐような、こんな脂の乗りはね、残念だけどあり得ないよ。この辺が『世界』な人たちには違いが分からないかな?」
醒めた目で、ニヤリと主人に視線を送ってみせるコロ。
主人の顔から、営業用の笑みが一瞬にして消え失せた。
「……お嬢ちゃん、何が言いたいんだ。うちの看板料理にケチをつける気か?」
「演出としては満点だけど、この『単なる家畜の走鳥の肉』を『魔物の紅蓮走鳥の肉』として売るのはね、分かる人には分かるよ。安い放牧豚の脂を混ぜて、五倍以上の価格を付けている。……『嘘のない商売』を信条にしている人が見たら、卒倒しちゃうような仕事だなって思ってね」
「……っ。おい、声が大きいぞ……!」
主人が慌てて周囲を伺う。
客たちはまだ「演出」の余韻に酔いしれている。
ここでタネ明かしをされては、店の信用は丸潰れだろう。
「……バラされたくなかったら、この肉を適正価格でちょうだい。あ、もちろん、この『細工』の手間賃と、混ぜられた余計な脂の分は引かせてもらうよ。私は純粋に、家畜の走鳥の良質な栄養が摂りたいだけだから」
コロが子供っぽい「交渉の微笑」を浮かべると、主人は額に脂汗を浮かべ、力なく肩を落とした。
「……チッ。……分かったよ。一皿銀貨二十枚のところを二枚でいい。……その代わり、食ったらさっさと出ていってくれ」
「どうもありがとう。ウル、安く済んだよ。……ねえ、おじさん」
「あ?な、なんだよ。まだなんかあるのか?」
「次からはもう少しね、『野生の理』を勉強したほうがいいね。……魔物っていうのはね、人類が思うよりずっと、無駄のない身体をしているんだ」
コロは、不自然な脂を丁寧に取り除き、本来の力強い肉だけを口に運んだ。
周囲の客が「洪水」に歓喜する中、少女と銀狼だけが、冷徹なまでに「真実」の栄養を摂取していた。
不自然な脂を取り除いた後の鳥肉は、驚くほど硬く、そして淡白なものだった。
周囲の客たちが「絶品だ!」と脂塗れの口を動かす中で、コロとウルだけが顎の筋肉を使い、無機質な栄養の塊を飲み込んでいく。
『……不味くはないが、顎が疲れるな。だが、あの男の嘘を食わされるよりは、この硬さの方がよほど信頼できる』
「そうだね。でも、スパイスの味付けはやっぱりプロだよ。ただ焼くよりよっぽど美味しい。これで一皿銀貨ニ枚なら、相当な得をしたと思う」
ナイフで切り分けた肉にフォークを突き刺し、口に『家畜の走鳥の肉』を放り込むコロ。
コロは銀貨四枚をカウンターに置き、憮然とする店主を置いて店を出た。
街は夕暮れ時を迎え、白い壁がオレンジ色に焼けている。
昼間の熱気は引かず、代わりに夜の享楽を求める人々の影が長く伸び始めていた。
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