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第九十三小節〜Polonaise in A-flat major, Op. 53〜


「おめでとう、ユイ」

「ユイちゃん、おめでとう」

「凄く綺麗だよ、ユイーブちゃん」

 

 ユイーブは祖父ナブラと、叔母夫婦に祝福されていた。


 ここはアダーの小さな教会。彼女は豪奢なウェディングドレスに身を包み、その隣には愛する男、フィリップが竜討騎士の正装で並んでいる。


 その蒼いマフラーは煤に汚れ、紅いマントは綻んでは居るが、彼にとっては『誇り』の象徴。


 どんな高価な燕尾服よりも、『ファウリー』の家名を正統に継ぐ覚悟が見えた。


──時は少し遡る。


 

 そこは新婦に用意された部屋だ。


「お姉ちゃん、私だけ結婚式してもいいの?お姉ちゃん達してないのに?」


 ユイーブは自分の髪を手入れしてくれているレーネ、義姉に問いかけていた。


 彼女の赤みを帯びた長い黒髪を梳かし、ドレスに合う様な髪型に仕立てていたレーネは、義妹の髪型が決まった事に満足し、鏡越しに柔らかな笑顔を作る。


「知ってるよね?私、死にそうだったんだよ?だから……、海岸でちゃんと結婚式したのよ」


「えぇ!何かその方がロマンティックじゃない!?ズルいよお姉ちゃん!」


 目の前で膨れっ面のユイーブの額に、レーネは思わず親愛のキスをした。


「あんなバカ弟を好きになってくれてありがとう」


 耳元で囁かれた彼女の言葉に、ユイーブは頬を赤らめながら応える。


「ゴメンね、お姉ちゃん。私、ずっとアイツの事……。」


 ユイーブはすうっと息を吸い込み、胸の内を吐いた。


「私ね、お爺ちゃんが他所から来た家だから。小さい頃、背が高くてこの黒い髪も、紅い瞳も、凄く虐められたの」


 レーネはハッとしたが、次の言葉を待った。


「でも、フィルだけが違ったの。『見た目がどうかは知らねぇし、話してみないと分かんねーじゃん』って……。」


 一息ついた。


「その頃から好き。お姉ちゃん大好きなフィルが欲しくてたまんなかった。だから、ゴメン」


 レーネはユイーブを背後から抱きしめる。部屋の小さなステンドグラスからの光が、二人を優しく包むと、海鳥がクワッと声を上げて飛び立っていく。


「あの子を、よろしくね……」


「うん、任せておいて」


 二人は見つめ合い、優しく微笑んでいた。



──場所は変わり、新郎の部屋。


「兄貴!マントよれてねぇか?マフラーも変に歪んでないかな?」


 フィリップは使い込まれた祖父の装備を几帳面に整えている。その指先は緊張のあまり震え、表情筋も引きつって口角が不気味に吊り上がっていた。


「全く……、だから夕べに燕尾服にしとけって言っただろ?」


 ロウェルは眉間に指を当て、溜め息を吐く。だが、その表情は柔らかく、心から義弟を祝福しているのが伺える。


「もう帝国は無いんだからさ。まぁ、お前が爺さんの事を誇りに思っての事だし、止めはしないよ」


 チクリとロウェルの胸が痛む……。


 『その帝国は、俺が壊した』

 『そしてその着衣は、俺から全てを奪った』


 その感情を圧し殺し、彼は続けて口を開いた。


「夕べに散々皺伸ばししただろ?キマってるぜ、竜討騎士様?」


「お、おう。やっぱこの装備すると、気が引き締まるぜ!」


 パーン!とフィリップの背中を叩き、ロウェルは「行ってこい!新郎さん!」と、彼を笑顔で送り出した。


 ──二人はその後、肉親だけの質素な式を挙げた。


 ユイーブの「やっと手に入れる事が出来た」眼差し、そしてフィリップの、「やっと手に入れる事を許された」眼差し。


 それらはお互いに絡み合い、誓いの口付けは長く、甘かった。



──それから数日後の事だ。


「号外!号外だよー!」


 新聞売りの少年がけたたましく走る。腰には、溢れんばかりの新聞が詰め込まれ、彼によって撒き散らされた記事が街を賑わせていた。



 ユイーブは街の小さな弁当屋で売り子をしていた。いつもと変わらない普段の日々。


 ふと、指輪の煌めきに視線を移す。だが次の刹那、左薬指の紅紫色の宝石が、午前の晴れ渡った太陽の光を受けて、鮮やかに灯る。その灯りは、彼女自らの虹彩と鏡合わせ。


 彼女は柔らかな笑顔を浮かべながら、声を挙げた。


「お弁当いかがですかー!?旅や漁のお供に絶品ですよー!」


 街を歩く人々に客引きの言葉を投げていると、常連の熟年女性が、目をまん丸と見開いて話しかけて来た。


「ユイちゃん?確かファウリーさんの家に入ったのよね?あの坊や、新聞に載ってたわよ?」


「ミーリーさん、こんにちわ。え?新聞って?」


 ミーリーは腰から先程配布された号外の新聞を取り出し、ユイーブに見せる。


「フィル坊。……あ、ごめん、フィリップ君。こんな顔だったっけ?見違えたわ、凄く凛々しいじゃない」


 見せらせた新聞に写る最愛の人は、自分には見せたことも無い猛々しい表情で、首級を掲げている写真だ。


 その『吠える』顔は、モノクロの写真でも判るほど鮮明に『返り血』の『紅』を浴びた『黒』に覆われており、記事からは『血』の臭いがした。


 さらには注釈も付いてある。


『ビルデン王政を覆した、反乱軍の英雄フィリップ。彼は数々の功績を得たが、突如、その姿を消した。』


と。


「何……、コレ?」


「数ヶ月前の出来事みたいだけど。ヤダ、おばさんフィリップ君にときめいちゃった」


 ミーリーは頬を赤らめながら話すが、ユイーブは一気に血の気が引いた。それこそ、その音が鮮明に聞こえる程の勢いだ。


「内戦?クーデター?え……?待って。人を、人を殺したの??」


 記事はさらに続く。


『このクーデターで王政派の死者は百五十人を超え、見事に民主化に成功したビルデン。その中で旧フェルダイ帝国のエリート騎士だけが持つことを許された装備を纏った彼の活躍は凄まじかった。』


 ユイーブは新聞の文字を指でなぞりながら読み進める。


『国王アルフェルスト=ビルデンⅨ世、近衛騎士団長エーウディア=エスメラルダ。さらには緑竜の竜依戦士、グラマス=ボーグマンの三名の首を獲るに至った。彼の持つ金色の強弓は、その他大勢の王政派軍を屠ったとされている。』



「え……?三人以上?多数……?」


 ユイーブの呼吸が浅くなる。彼女の知っているフィリップは、元は悪の権化たる魔石を砕き、その後野山で兎を獲り、猪を狩り……。


「フィルが……、たくさん人を殺し……た?」


 ポソリと声に出したユイーブは、薬指の宝石に目をやる。紅く灯っていたはずのその石は、今では紫が顔を覗かせる。


 鼓動が昂ぶる。自分の中での彼の笑顔は、全ての人々に向けて平等に照らす太陽の輝き。


 そして今、その太陽は自分のものの筈だ。だが、燦々と照らす光には必ず影が出来る。しかも、光が強ければ強い程、その影は濃く、鮮明となる。


 その影がこんなに残酷だとは……。だが、その影が有るから、今が『有る』。


 血の気が引いたユイーブは、その日は仕事を早く抜け、ファウリー家へと帰宅した。


 ──その日はロウェルとレーネは、これから住まう新居の手入れと、引っ越しの段取りの為に帰宅しない段取りだった。


 ユイーブは部屋に設置された魔導ランプの光の下、号外の記事を読み進んでいた。読み返す度に自然と涙が落ちる。


 

 すると、家の外から蹄の音と、一番聞きたかった義姉の声が聞こえた。


「ロウェル、少し忘れ物したから取ってくるね!」


 その言葉と同時にドアが開く、まだ誰もいない筈の家にランプに照らされたユイーブの姿が見えると、彼女は驚きの声を挙げた。


「えぇ!?ユイちゃん?まだ仕事だったんじゃないの?」


 驚いたレーネの翠の瞳には、涙で潤む義妹の紅い瞳が。


「お姉ちゃん……」

 

 ユイーブの表情はレーネを見た瞬間に崩れ、頬に一雫、ランプの光を孕む小川が流れた。そのテーブルの上には、今日の号外記事が広げられている。


「お姉ちゃん。フィルが、人殺しって嘘だよね?あんなにバカで優しいのに……。そんな事無いよね!?」


 その言葉にレーネは目を細めた後、外で待つロウェルに声を掛けた。


「ロウェル、ごめん!ちょっとユイちゃんとお話するから待ってて!」


「ああ、ん?ユイーブちゃん帰ってたのか、分かったよレン。ユイーブちゃんもお帰り」


 ……、この二人はこんな記事が出た日にもいつもと変わらない会話をしている。


「お姉ちゃん!?なんでそんなに平然としてられるの!?」


 ユイーブは感情が抑えられずに、頬からは大粒の涙が流れ、レーネに抱き着いた。ユイーブの濡れた頬がレーネの横髪を濡らすと、レーネは息を深く吐き、義妹に語りかける。


「ユイちゃん、この際だから言うね……。私達ファウリー家は代々騎士の家系なの、その末裔のフィルが、お爺ちゃんの装備を持って戦いに出たの」

 

 ユイーブの泣き顔を見据えるレーネの顔は凛と引き締まり、翠の鋭い眼光は揺れる紅い瞳を射抜く。


 その眼光はまるで、『送り出した者は、愛する者の死の覚悟を持て』と語ってるよう。


 そう、それは『騎士』の『妻』を体現している。


「フィルも、ロウェルも、武器を持って外国まで行ったのよ、どういう意味かわかる?」


 レーネはユイーブの肩を掴み……、いや、握り締め、深い声で続けた。


「……。己が『殺される覚悟』と、己が『殺す覚悟』を持って旅立ったのよ……。共に『殺される』か、『片方だけ帰ってくる』か。そんなのザラにあるわよ」


 浅かったユイーブの呼吸が落ち着きを取り戻し、安堵の顔に変わる。


「ね、ユイちゃん、『二人共帰って来た』じゃない?こんなに誇らしい事、そうそう無いわよ?」


 笑顔に戻ったレーネは、放心状態で、瞳を右往左往しているユイーブの頬にキスをした。


「にゃ!?お姉ちゃん!?」


「あ、ユイちゃん帰って来た」


 レーネが笑顔で言うと、ユイーブも笑顔が戻った。


 突如、家の外からロウェルの愛馬の嘶きが響く、それと同時に、彼は「どうした?腹減ったのか?もうちょっと待ってくれ、どぅどぅ……」


 ユイーブとレーネはクスリと笑う、「ゴメン、お姉ちゃん。何かスッキリした。フィル帰ってきたら、私かお姉ちゃんのどっちの為にこの仕事してきたんだ?って聞いてやる!」


 いつものフィリップの愚行に腹を立てる彼女の表情に戻っていた。


「吹っ切れた?ガッツリ聞いて上げなさい!……。多分、ユイちゃんの欲しい答え返ってくるよ?あの子」


 レーネはユイーブの頬に口付けすると、「あの子帰ってくるとややこしくなるから、お邪魔虫は退散するね!」


「ありがとう、お姉ちゃん!ぜっっったい問い詰めてやるんだからっ!」


 笑顔の二人は手を振り、その場の別れをした。



──そろそろ火中の男、フィリップが帰ってくる頃だ。テーブルに拡げられた号外記事を見据えるユイーブの眼光は、獣のソレに変わっていた。



「だでーま!」


 フィリップの明るい声が響く。が、ユイーブはテーブルの椅子に住まったまま、ピクリとも動かない。


「ん?どうした?ユイ?どっか痛いのか?」


 心配気な顔で近付いてくるフィリップに向けて、ユイーブは号外記事を見せた。その写真に、フィリップは「げげっ!」と声を上げたが、彼女はフィリップの胸倉を掴み問いただした。


「フィル?この『人殺し』は本当の事なんだよね?」


 彼女の瞳は既に覚悟が決まっているように見える、そしてその瞳に、自らの心の深淵を覗かれたような感覚に陥ったフィリップは、左頬を書きながら……。そして、照れくさそうな表情で応える。


「ホント事だよ、ユイ」


「……何の為に行ってきたのよ?」


 彼女は膨れっ面をしながら上目遣いで問う。


 フィリップは深い息を吐き、頬を掻きながら答えた。


「お前を……、ユイが欲しかったから。その為には、先ずは姉ちゃんを……だな」


 言葉途中でユイーブは彼に抱きついた。


(本当に欲しかった言葉を聞けた!)


 「なら、この記事はもういらないね!」と、彼女は号外記事を丸めてゴミ箱へと投げ捨てた。


「さぁ、ご飯の準備するから、アンタはさっさとお風呂に入ってきなよ!全く……、臭いったら!」


 笑顔のユイーブに、フィリップは疑問符だらけの顔で一日の汚れを落とす為に風呂に入り、その後、二人で質素な夕食を取った。


 ユイーブの『いつもと変わらない』表情で、会話を楽しみ、夜が更けていく……。



──フィリップは、就寝前の柔軟体操をいつものベッドで進めていた。


「あー……、やっぱ一日の終わりは柔軟だよなぁ……。痛ぇけど気持ちぃー……」


 すると、寝室のドアが開き、ユイーブが姿を現した。


 その姿にフィリップはギョッとする、彼女の着衣は妖艶で甘美な物。


「フィル……。覚悟しなさいね!」


「ええ!?ええー!?」 


 フィリップに馬乗りになった彼女は、身体を擦り付けるように、そして己の体温をその男に託すかのような接吻をした。



 ──この夜の二人の夜伽は、彼女主体の淫猥で野性的なものだった……。





 

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