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「ファ糞がよォォォ………………っ」
吐血した逐人よりもよほど苦しそうな呻き声で、荒砂は悪態を吐き捨てた。その瞳からは強い恨みの色が窺える。
「なんで……、お前が?」
ただのクラスメイトにすぎないと思っていた荒砂が謎の敵の正体であったことに、逐人は驚きを禁じ得なかった。
ガラの悪いヤンキー。時々絡んでくる面倒な不良。逐人の中での荒砂の印象はその程度のものであり、日常の厄介ごととして記憶には留めているが、ハッキリ言ってしまえばどうでもよい奴でしかない。
その荒砂が、収束者やパラレルワールドといった日常の枠から逸脱した事態の中で姿を見せるのは、全くの予想外だった。
なぜ自分を襲ったのか?
自分に踏板をぶつけた犯人とはどういう関係なのか?
いつから収束者だったのか?
どれだけ収束者業界やパラレルワールドについて知っているのか?
訊きたいことはさまざまだった。
しかし、荒砂がそれらの疑問に素直に答えるとは思えない。彼はそもそも逐人の疑問など聞いている様子ではなかった。
「糞、糞、糞、糞、だから嫌だったんだ……っ。あの野郎、オレはこいつらとなんか関わりたくなかのに! なんなんだよお前らっ! そろいもそろっておかしな力を使いやがってっ!」
自分の確率収束を棚上げに、荒砂は怒声を上げる。
「空木君、荒砂君は……」
「ああ……」
そばに来た蕨に逐人は頷いた。
……荒砂の言葉から理解できたことは二つ。一つ目は、彼は収束者や確率収束について詳しくは知らないこと。そしてもう一つ、彼は何者かの指示を受けて自分たちを襲撃してきたということ。
そこから、導き出される答えは、
「はずれか」
彼はなんらかの理由で遣わされてきただけで、踏板の落下やパラレルワールドに関することとは直接関係ないということだ。ただの邪魔者でしかないはずれ。逐人は荒砂をそう結論づけた。
それを聞いた荒砂は、
「……いい気になってんじゃねぇぞぉ…………」
こめかみを震わせながら逐人を睨みつけ、言う。
「お終いだよ、オレは……。テメェらに面ぁ見られた、糞! 空木ィ……、テメェさえ病院送りにすりゃ良かったのに、これじゃあもうダメだァ……。こうなったらよー、塔野も! 鉈橋も! 生徒会長の野郎も! 全員ブッ殺すしかねぇじゃねぇかよオッ‼‼‼」
悲壮感漂う声音で荒砂は咆哮した。
彼の目的は逐人だけだったらしい。だが、顔を見られてしまったらそうもいかない。全員の口をふさがなくては捕まってしまう。隠ぺい策もなく殺人などしてしまえばどうせ遅かれ早かれ捕まってしまうのだが、冷静さを欠いた荒砂はそんなところにまで頭が回っていない。
荒砂はポケットにつっこんでいた土を取り出し、逐人たちにまき散らした。
しかし、冷静さを欠いて無駄な大振りで投げられた土は、二人には目を閉じることで防がれてしまう。本来なら、その目を閉じるという行為もまた視界の封殺という結果につながるが、焦りのあまり野球の投球のように全身を使って土を放った荒砂には、その隙をつくことができない。
けれども──、
「ぐっ⁉」
「う⁉」
土が逐人たちの瞼をこじ開けるように殺到し、ほんのわずかな隙間から瞳に侵入した。
「力が、進化している……っ?」
蕨が呟く。
確率収束が未来を確定する力は使用者の集中の度合いや習熟度によって変わる。よりありえなさそうな状況でも事象を強制することができるようになる。
荒砂左右吉は強い絶望感を餌に、土壇場で確率収束を使う精神の集中力を引き上げ、進化したのだ。
「良し……!」
荒砂は逐人たちが目の痛みにひるんだ隙に、シャベルをとって二人から逃走した。ぶっ殺すとまで宣言したからには敗走ではなく、先程の逐人と同じでなにか策があっての逃走だろう。
「待、て。痛っ」
追おうとした逐人だが、ダメージの大きさから体がよろめいてしまう。蕨が寄り添うようにその体を支える。
荒砂が向かったのは風上にある噴水池の方だった。池の上に架かるウォータートンネルの中に姿が消える。トンネルの壁面は曇った半透明の薄い板でできていて、内部も影程度なら視認できる。荒砂は反対側の出口に向かって駆けていったようだ。
「追うぞ、塔野」
「空木君は無理しない方が……」
蕨は血のこびりついた逐人の口元を見ながら彼の怪我を心配する。だが、逐人は自分を支える蕨から体を離し、トンネルの方を見ながら言った。
「相手の面が割れても、こっちは僕がいるから警察に通報はできない。公的機関に荒砂が捕まって、僕のことを話されるわけにはいかないからな。そして、あいつはさっきよりも積極的に僕たちを害しに来る。結局、やることはかわらねぇ。ここであいつを仕留めんぞ」
ブレザーを着直し、歩き出す逐人の足取りは、余裕があるとは言えないものの、躊躇いなく前へ進む。
逐人を止めるのは無理と判断したようで、蕨も後に続く。
「それにしても荒砂君の確立収束の成長、やっかいですね。瞼を閉じても確実に砂が入ってきて、視界を奪われます」
「と言っても、今までだって防ごうと思ったら目は閉じなきゃいけなかったんだ。その隙がほんの一瞬長くなっただけじゃたいした違いはないよ。近づいて、見えなくてもこっちの攻撃が当たるようにする。今度こそ確実にだ」
「無理はしないでください。ここは私が」
ふらつく逐人の手から、蕨は『ダイレクト』を取り上げ先行しようとする。逐人も胴の痛みを無視して、その後を追おうとした。
その時だった。
トンネルが障害物になって見えない噴水池の反対側から、ガシャンッ! とガラスでも割れたような音がした。
その音は立て続けに何度も鳴り響く。
「なんだ?」
警戒しながらトンネルの中に入る。そう長いトンネルでもないので出口の先も見えるが、その範囲の中に荒砂の姿はなかった。
その間も先よりは小規模だが、執拗になにかを叩くような音が続く。
不安を煽るような音を聞きながら、逐人たちはトンネルを出た。
そこで見たのは、四~五十メートルは先、潰れた小さなコンビニサイズの売店の前で地面にシャベルを叩きつけている荒砂の姿だった。
逐人からすれば荒砂は襲撃者であり、明確な加害者であるが、彼は自分の意志で望んで襲撃を行ったわけではないらしい。彼の言葉を信じれば誰かに命じられてやむをえず逐人たちに向かってきたようだ。追いつめられた現状に彼なりに理不尽を感じているのだろう。
その怒りをそのままぶつけるようにシャベルを地面に幾度となく振り下ろしている。
二人は荒砂に近づく。そうすると気付くことがあった。
荒砂の背後の閉店した売店の窓ガラス、それが派手に割れている。ガラスは荒砂の足元に散乱していおり、彼は地面ではなくそのガラス片を叩いていたのだ。
「オレの力はよォ‼」
ガラスを砕く音にかき消されないように大声で荒砂は言う。
「人の目ん中にゴミぃブチ込むことができる! この力がなんなのか知らねぇが、さっきは瞼ぇ閉じられてもテメェらの目ん玉の中にブチ込んでやれたァ! 最高にファッ糞な状況だが、この力が成長したってことだけは不幸中の幸いだっ!」
そこまで叫んで、荒砂はシャベルを止めた。
「んでェ! その『ゴミ』っつーのはなにも砂や土だけじゃねェ! ちっちぇモンならなんだって良いんだァ! この意味が分かるか!」
「野郎……ガラス片を…………っ⁉」
逐人が荒砂の狙いに気付く。
執拗に、細かく細かく砕かれたガラスの欠片。小さくなってもなお、やわらかい物ならたやすく傷つけるその砕片を、荒砂は確率収束で逐人たちの瞳に入れるつもりだった。殺到するガラス片が目の中に入れば瞳はズタズタに切り裂かれる。失明も充分にあり得るだろう。
そして、恐ろしいことに今の荒砂の確率収束をもってすれば、瞼を下ろした程度ではガラス片から目を守ることはできない。わずかな隙間をこじ開ける力があるなら服などで目を覆っても繊維の隙間を潜り抜けてくる可能性も高い。
……おそらく、荒砂がこの必殺級の確率収束を今まで使わなかったのは自身も怖かったからだろう。元々、荒砂は逐人を病院送りにできればそれで良かった。だから、失明という生涯に渡る怪我を相手にさせる覚悟がなかった。
しかし、タガは外れてしまった。警察に通報されればそれだけで未来がなくなる窮地に立たされた荒砂は、もはや躊躇わない。
「……荒砂君、あなたがもし望まず誰かの言いなりになっているのなら、私たちでその問題を解決します」
冷や汗を流しながら蕨は交渉を試みた。うかつに接近もできず、そのままの距離を保つ。
「先程の発言から、あなたがこんなことを望んでいないのは分かっています…………。もし、ここで手を引いていただけたら、こちらは襲われたことを警察に通報もしません。ですから」
「ダメなんだよ‼」
荒砂がひときわ大きな声で蕨の言葉を遮った。嫌な汗をかいているのは蕨だけでなく彼もだった。
「空木や鉈橋相手ならまだ交渉の余地はあったかもしれねェ! だけど、テメェやあの生徒会長みてぇなタイプじゃダメだっ! 結局、オレはムショ送りになっちまうだろうがよォッ‼」
シャベルをブンッ、と振って、拒絶を示す荒砂。
荒砂の中にどんな基準があるのか、正確なことは分からなかった。
それを問いただすだけの余裕はない。
「逃げんぞ! 塔野!」
逐人は蕨の背を押し、走り出した。
これ以上、話し合いに拘泥しても無意味と判断。
二人は走ってウォータートンネルに引き返す。
荒砂の確率収束は、近距離で撒くでも、風で運ぶでも、ある程度は相手の近くまで細かいゴミを飛ばす必要がある。逃げるなら風下から離れなければならない。しかし、風上は荒砂におさえられている。ガラスを風に乗せられるよりも早く五十メートルの距離を詰めることはできない。
ならば目指すべきは風の届かない場所。十字に伸びるトンネルの中の左右の曲がり角だ。中心まで引き換えし横に曲がって風から身を隠す。
間に合うかは、ほぼ五分五分。
いや、蕨だけならおそらく荒砂がガラス片を巻き上げている間にトンネルの十字路までたどり着けるだろう。
しかし、負傷した逐人は逃げきることは難しい。
「先、行け」
逐人は自分を気遣う蕨の背を軽く叩き、進ませる。なるたけ余裕のある声で、大丈夫だという意思を込めて。蕨は逐人の言葉を信じ、足を加速させて先にトンネルに入る。
──って言っても、防ぎようがないなこりゃ。
内心で逐人は舌打ちした。負傷を軽くする方法はあるにはあるが、防ぎきる方法は思いつかない。
風下から抜けられないなら、なにか風以上の勢いを持ち、かつ、隙間のない面でできたもので、ガラス片を吹き飛ばさなければならない。だが、そんな方法が都合よく存在するはずもなく。
諦観はいつも通りに。速やかに、被害が最小限ですむ方法の模索に思考をシフトさせる。
と、その時だった。
「逐人! それに、荒砂……?」
逐人がトンネル内に入る直前、噴水池の外周を回るかたちで、直刃が姿を見せた。
荒砂の叫びが届き、こちらに逐人たちがいることを知ってやってきてしまったのだろう。
直刃は状況を呑み込めず、荒砂を警戒しつつも逐人の方を見る。荒砂の確率収束の攻撃範囲に入ってしまった危機に気付かず。
荒砂も一瞬、気をとられるが、直刃を巻き込むことを躊躇う理由もなく、シャベルでガラス片をすくい上げる。
最悪のタイミングでの登場だった。
直刃は危険域に踏み込んでしまい、あと少しで風の届かない範囲に逃げられた蕨も、直刃の声に反応して足を止めてしまった。逐人の思考もストップしてしまう。
直接的に戦力にはなれない直刃には、この状況に対処する術もない。
しかし、全てが悪かったわけではなかった。
ガラス片が突き刺さるのを待つばかりだった逐人の瞳に、
意志が宿った。




