【四七《歩き抜く理由》】:六
「多野くん」
「なんでしょう」
「凛恋が寝てて、今ここに喜川くんが居なくてよかったね」
希さんの向こう側で横になっている切山さんの声が聞こえ、俺は小さくため息を吐いた。
「俺は別のところで寝るって言ったんだけどな……」
今、俺の右側には凛恋が寝ていて、左側には何故か希さんが寝ている。そして、二人共俺の手を握って寝ているのだ。
右側は全く問題ないが、確かに左側は栄次に怒られそうだ。でも、寝た後に握られたらどうしようもない。
払い除けるのも失礼だし、せっかく寝ているのに起こすのも可哀想だ。
「刻雨一年の人気女子二人を両手にはべらせて寝るなんて、男子が見たら多野くんへの恨み辛みがどんどん増えちゃいそうだよねー」
「俺は何も悪いことはしていないんだけど」
「でも、希が多野くんの隣で寝るのは意外。希って、男嫌いだし」
そういえば、希さんは去年の夏にキャンプへ行った時、そんなことを話していた。
栄次は特別好きな男の人で、その他の男の人は特別嫌いな男の人。しかし、その他の男の中に俺は入っておらず、俺は希さんにとっては普通の男子らしい。
「希って大人しいし恥ずかしがりで、高校に入ってすぐは私達ともそんなに話さなかったの。凛恋の後ろにくっついてニコニコ笑いはしてたけどね」
「まあ、切山さん達のグループは明るい人が多いからな」
「そうね~。里奈なんて、最初は希に避けられて凹んでたのよ? 里奈って結構誰にでも壁無しに話し掛けちゃうから」
「ああ」
確かに溝辺さんは、毎回凄いテンションで話し掛けてくる。よく言えば明るくて社交的な人だが、俺からしたらちょっとめんどくさい。
「でも、毎日話してる間に希も打ち解けてくれて、初めて希が声を上げて笑ってるの見た時は、みんなでガッツポーズして喜んだの」
嬉しそうにはにかむ切山さんの話は、本当に切山さん達が良い友達関係だということが分かる話だ。
その幸せそうな話を聞いていると、俺まで心が温まってくる。
「でもね、そんな希がどんなに時間が経っても嫌いなのが男子なの」
切山さんはネガティブな話を始めたのに全然暗そうな声はしていない。それどころか、なんか呆れた様子だ。
「ハァ~。まあ、それに関しては私は全部周りの男子が悪いと思う。あいつら、ホント、バカばっかりだし。女子の胸の大きさとか、スカートが捲れないかとか、そういう視線をバレてないって思ってるみたいだけど、あのキモい視線ってめちゃくちゃ目立つのよ。それに、男子内で話してる話も伝わってくるし」
人の噂話。俺はそれに大して良い印象はない。
確かに誰が格好いいとか誰が良い人とか、そういう噂話もあるのかもしれない。だが、噂話と付くものは大抵良い話ではない。
「これは喜川くんには言わないでほしいんだけど……希は大人しいから告白すれば断れないだろうとか、付き合っちゃえばこっちのもんだろとか、酷い奴だと希の胸を揉みたいとか言ってる最低な奴も居てさ。私達はそういう話が希に伝わらないようにしてたんだけど、やっぱり私達が聞いちゃう話だから希も聞いちゃって。それから、どんどん希の男嫌いが加速したの」
男として、そういう欲求があるのは仕方がない。
俺だってそういう欲求は人並みに持っているし、心の中で思うことを思うなと否定出来る立場ではない。
でも、やはりそれを表に出して誰かを傷付けるのは違う。それはやってはいけないことだ。
「で、ちょっとでも希の男子に対する印象を変えようと思って合コンしようって言ったんだ」
「あれは栄次のクラスメイトの男子が発端じゃなかったのか」
「そう。主に私と里奈。それで男子に関しては顔の広い佳奈子に頼んで、適当に男を集めてもらったの」
「なるほど」
「その合コンのカラオケで、喜川くんが希のことを好きになってくれて、希も喜川くんのことを好きになってくれて。二人は晴れて付き合うことになった」
それは、希さんの男嫌いを解消するという目的としては、最大限の成果だろう。切山さんと溝辺さんが画策したことで実を結んだ結果だ。
「これは喜川くんだけじゃなくて、希と……それから凛恋にも言わないでほしいんだけど……カラオケ中に四人がトイレに行ったじゃない? あの時に里奈と話してたの『希を多野くんとくっつけよう』って」
「…………へっ? 俺?」
切山さんの言葉に、俺は間抜けな声を出した。
まさか、溝辺さんと切山さんがそんなことを考えているなんて思いもしなかった。
「まず、喜川くんと多野くん以外の男子は早々に除外したのよ。完全にエロい視線で私達のこと見てたし。私とか里奈とかだったら、男子ってそういうもんだって思えるけど、希はそういうのダメだし。で、喜川くんはちょっとガツガツしてて積極的過ぎるって思った。里奈のことがあったからさ、希はそういう積極的な人の対応って困ることが多いし。んで、残ったのが多野くん。正直、多野くんは文句なしだったわ。ちょっと冷めてる感はあったけど、ガツガツしてないし女子をエロい目で見ない。それに何より優しかったからね。私と里奈は、希に必要なのは積極的な男子じゃなくて、大袈裟過ぎても希に優しく出来る人だと思ったから」
「いや、希さんの相手は栄次だよ。それ以外の男はあり得ない」
栄次は希さんのことを大切に出来る。
それこそ、大袈裟過ぎるくらい希さんに優しく出来る奴だ。だから、希さんと栄次の選択は間違っていない。
「うん。今は希の彼氏は喜川くんがピッタリだと思ってる。でも、最初は人の全てって分からないから、だから最初から印象の良かった多野くんなら安心だって、私と里奈は思ったの。でも、私達のその印象も間違ってなかったと思う」
そこで、希さんが俺の隣で寝てるという話に戻るのだろう。
「希が男の隣で寝たなんて聞いたら、きっと里奈はビックリするわよ。でもそれだけ多野くんのことを信頼してるってことなんだと思う。私は、希に喜川くんっていう彼氏が出来たことよりも、多野くんっていう信頼出来る男友達が出来たことが大きいと思ってる。多野くんのお陰で、希の男子に対する印象って変わったと思うから。ありがとう」
「いや、俺はなにもしていない」
俺が切山さんにそう言うと、切山さんの話は途切れた。
きっと話し疲れて眠ってしまったのだろうと思った。
丁度、深い眠りについた凛恋と希さんの手が俺から外れて両手が自由になった時、再び切山さんの声が聞こえた。
「それと、歩こう会……気を遣ってくれてありがとう」
俺はその切山さんの言葉に体を起こし、切山さんは横になったまま俺の方を見ていた。そして、ニッコリと笑っていた。
「私……彼氏に振られたの」
その話は凛恋から聞いていた。でも凛恋は俺にその話をしたと切山さんには言っていないはずだ。それで、俺も何も聞いていないことにした。だから、切山さんは俺に説明しようとしている。
「俺は何も気にしない。だから別に、切山さんが一緒に歩く理由は聞かなくてもいい」
「本当に多野くんは優しいね。でも、私が話しておきたいの」
切山さんにそう言われて、俺はそれ以上切山さんの言葉を拒むことは出来なかった。
頑として聞かない、という選択肢もあった。でも、体を起こした切山さんの目からは涙が流れていた。
女子の涙は難しい。女子が泣いているところを見ると、どんな言葉を掛けて良いのか分からない。
「歩こう会の二日前、一昨日の話よ。急に言われたの『好きな人が出来たから別れてくれ』って」
「…………」
「いや~、唐突に言われてビックリした。で、どうして? 私のことが嫌いになった? って聞いたの。そしたら『好きな人が出来た』って言うだけ。それで、結局別れた」
「分かった。だから、もう話さなくていい」
恋人との別れ話。そんなもの、思い出したい話じゃない。
それに、涙を流す切山さんを見れば、まだ割り切れていないことくらい俺にだって分かる。
「さっき、カレーと豚汁を持って歩いてる時に見たの。元彼とその元彼の新しい彼女が一緒に居るところ。……それ見た瞬間に、なんか頭真っ白っていうか、涙が出そうになっちゃって」
切山さんは涙を拭きながら笑う。
笑っているのは話を深刻にしないためだというのが分かる。でも、それは良くない。
「無理に笑わなくて良いと思う。無理に笑うのは、切山さんが辛いだけだ」
「……ありがと。ホンットさ~、あり得ないわけよ。友達から聞いたんだけど、一昨日、元彼に元彼の今カノが言ったんだってさ。『好きです。私と付き合って下さい』って。それで、告白の答えを待ってもらって私を振って、その告白受けたんだって……」
切山さんは星の見えない真っ暗な空を見上げて話し続ける。
「結構長い付き合いでお互いのこと信じ合ってるって思ってたのに、いきなり現れた女に心変わりしちゃってさ~。希じゃないけど、私が男のこと嫌いになりそう。…………前の日まで、私のこと……好きだって言ってくれてたのに」
切山さんの元彼は、切山さんと別れてから告白を受けた。そのことを悪くないと思った。でも今は、切山さんの元彼が悪くないなんて思えない。
それは、切山さんが泣いているからだ。
切山さんが泣いているのは納得出来ていないからだ。
「一日前まで私のことを好きって言ってた相手が、次の日になったら他の女のことが好きって……結構ショックで。そんな簡単に好きって変わるんだって初めて知った。もちろん、そうじゃない人が居るってことも頭では分かってるんだけど、現実にそうじゃない人を見てるからさ。なんだか、男がみんなそういう存在なんじゃないかって思えてくる」
「切山さんはまだ元彼のことが好きなんだろう?」
「うん……多分ね。あいつと他の女が仲良さそうにしてるの見てショックだったし……」
「その切山さんには申し訳ないが、俺は切山さんを振った男が嫌いだ」
「多野くん?」
「一日で心変わりをしたことが不誠実だとも思う。でも、やっぱり切山さんを悲しませているのが一番気にくわない。一度でも好きだと思った切山さんを泣かせて別れて、それで他の女子と自分は幸せになっているそいつが嫌いだ。切山さんには悪いがな」
「……やっぱり多野くんは優しいわ。私の代わりにあいつのこと否定してくれるんでしょ。私が好きで否定出来ないから、代わりに多野くんが否定してくれる」
「俺はそんな複雑な考えは持ってない。それに、切山さんはそんな奴のために泣いてやる必要はないと思う。切山さんの涙は、もっと良い奴のために流すべきだ」
「あ~、なんか多野くんと話してたらあいつのことムカついてきた! ホント、なんであんな奴のために凹んで悩んで泣いてたんだろ。ホンットあり得ないわ~」
目元を袖で拭った切山さんは、俺を見てニッコリ笑った。
「多野くん、私達も友達にならない? 私は友達だと思ってるんだけど、凛恋が多野くんはちゃんと口で言わないと分からない鈍感さんだって言ってたし」
「凛恋……そんなこと話してたのか」
視線を下に向けて可愛い寝顔を見せている凛恋を見る。しかし、その可愛い姿を見せられたら怒ることも出来ない。
「凛恋は言わなかったけど、分かってるから。私を誘ってくれたのって多野くんなんでしょ? それに、多野くんはあの日、私に気を遣って早めに教室に戻ってくれた」
「切山さん……凛恋は――」
「大丈夫。気が利く多野くんが私の様子が変なのに気付いて凛恋に聞いたんでしょ? 毎日毎日、凛恋から多野くんの気が利くエピソードを聞いてたらそれくらい予想出来る。それに、凛恋も私のことを心配してくれてるって分かってるし」
凛恋が俺に切山さんが別れたことを話したことを、切山さんは知っていた。そして、俺の行動も、凛恋の真意も全て分かっていた。
空気が読める切山さんだからそれが理解出来たのかもしれない。
「正直、凛恋達と一緒に歩かせてもらって助かったと思ってるの。絶対、一人きりじゃ元彼のこと割り切れなくて歩き抜けないって思ったから。でも、凛恋と希と、それから多野くんが一緒に歩いてくれて本当に助かった。本当に心強い」
切山さんが右手を伸ばして俺に微笑む。
「友達の証の握手」
俺はその差し出された手に、一度上着で自分の手を拭いて、自分の手を差し出した。がっちり握った切山さんの手はほんのり温かかった。
「明日からもよろしく」
「ああ。こちらこそ」
切山さんは手を離して再び寝転ぶと、あくびをする真似をしてニヤッと笑った。
「さーて、明日に備えて寝ないと。多野くんもしっかり寝ないとバテるよ」
「ああ。俺もそろそろ寝ることにする」
「おやすみ、多野くん」
「おやすみ、切山さん」
俺はそう返事をして目を閉じる。冬の寒空の下で横になっているのに、不思議と体が温かさに包まれていて、すぐに俺の意識は薄くなっていった。
次の日の早朝は、昨晩と同じカレーと豚汁だったが、同じメニューでもみんなと食べる朝食は美味しく感じた。
今日はこれから山を一つ越えなければいけない。
距離は昨日までより短いと言っても、一つ山を越えるのだから疲れは昨日と段違いなのは当たり前だろう。
周囲に居る刻雨生達がぞろぞろと運動公園を出発するのを見て、凛恋が立ち上がった。
「そろそろ私達も出発しよう」
「そうだな。さっさと歩き切って家に帰りたい」
「ホント、ベッドが恋し~」
俺と切山さんが凛恋に続いて立ち上がると、俺と切山さんを見てクスクス笑う希さんが立ち上がる。
「萌夏ちゃんと凡人くん、何だか昨日より仲良くなった?」
「そうよ~。私と多野くんは、もうちゃんとした友達になったんだから! ねー、多野くん?」
「ああ」
ニコニコ笑う切山さんに返事をしていると、凛恋がジーッと俺を見て少し頬を膨らませる。
「萌夏と凡人が友達になったのは良いけど、なんだか仲良過ぎない?」
「凛恋、心配しなくても私と多野くんはフツーの友達よ。あっ、そういえばこれ」
「なっ!」「えっ!?」
切山さんがスマートフォンの画面を凛恋と希さんに向けると、凛恋と希さんが驚いた声を上げる。
「う、うわ~これは……栄次に怒られるだけじゃ済まなそうだ……」
切山さんのスマートフォンの画面には、俺と凛恋と希さんが並んで寝ている画像が映っていた。
凛恋は俺の右腕を抱き締めて可愛い寝顔をして寝ている。そして、俺の左側で寝ている希さんも、凛恋と同じように俺の左腕を抱き締めて穏やかな寝顔をして寝ている。
……これは、ヤバイ。
「凡人の浮気者!」
「これは、俺が悪いのか?」
「何よ! じゃあ、希が悪いって言うの?」
「いや……そうは言ってないけど、寝ている間のことだからな~」
「り、凛恋ごめん。凡人くんの隣ってなんだか安心出来ちゃって……無意識に腕を掴んでたみたい……」
「確かに凡人の隣だとめっちゃぐっすり寝られるけどさ~」
凛恋が眉をへの字に曲げて改めて切山さんのスマートフォンを見る。しかし、切山さんはポケットにスマートフォンを仕舞ってニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「後で多野くんのスマホにも送ってあげるから、連絡先教えてね~」
そう言って切山さんは一足先に歩き出す。
それを凛恋と希さんが慌てて追い掛け、画像を寄越せと言ったり、今すぐ消してと言ったり、三人でなんだか騒がしく楽しげにしている。
そんな様子を後ろから眺めながら、俺は頭を掻いて歩き出す。
どうやら、切山さんに友達認定されると、漏れなく切山さんのからかいが付いてくるようだ。
運動公園から出てすぐ、山を通る国道を使って山越えをする。山越えと言っても、車が通れない登山国道、いわゆる酷道を使うわけじゃない。ちゃんと車が走れる舗装された道路を歩く。
しかし、ここからは歩道が完璧に整備された道じゃない。
山道は車通りが少ないと言っても、ガードレールのすぐ向こう側は傾斜のきつい山肌だったりするから、普通に街中を歩くより遥かに危険が増してくる。なにより、山頂に行くまで長い上り坂だ。
運動公園を出たばかりということで、前も後ろも刻雨生がズラズラと連なっている。
「そういえば、この山越えで毎年脱落者が続出するらしいぜ」
「うへぇ~登り始める前からそんなこと言うなよ~」
すぐ前を歩く男子の集団からそんな会話が聞こえてくる。しかし、視線の先に見える山を見れば、脱落者が続出するというのも仕方ないと思えてくる。
車に乗って登ればすぐなのだろうが、人の足を使って登るとなると考えたくもない。だが、登らないことには始まらないし、登ることをしないということはリタイアをするということだ。
それはあり得ない。
最初にみんなで一緒にゴールしようと約束した。それに、凛恋にも楽しい思い出を作ろうと言われた。
リタイアしたらゴールも出来ないし楽しくもない。だから、絶対にリタイアせずに歩き切る。
「見えてきたわね~」
運動公園を出てからしばらく歩いていると、遂に山の中に入る道が見えてきた。そして、その道は山の傾斜を斜めに上るように緩やかな上り坂になっている。
「大丈夫大丈夫! みんなで話してればすぐだって!」
切山さんの明るい声に押されるように、俺達は遂に二日目の最初かつ最大の難所である山越えを始めた。




