【四七《歩き抜く理由》】:五
空が真っ暗になり、道に設置された街灯が下に延びる道を照らす。その道を歩いていた俺達の前に、広い芝生グラウンドが広がっていた。
「やっと着いた~」
声を上げて止まっていた足を動かして芝生グラウンドに下りていく。やっと、今日の最終目的地である総合運動公園に辿り着いた。
総合運動公園の芝生グラウンドには、既に沢山の刻雨生が座り込んでいて、疲れ切った体を休めていた。
俺達四人は炊き出しのテントに寄って、カレーライスと豚汁を受け取ってそれを食べる場所を探す。
「何処も人がいっぱいで、スペースが――」
「萌夏? どうしたの? ……萌夏、早く行こ!」
急に立ち止まった切山さんを振り返った凛恋が、焦った表情で切山さんを急かす。
そのおかしい様子に俺が不思議に思っていると、視線を前に向けて突っ立つ希さんが居た。
「希さん、何かあったのか?」
希さんが見ている方向に視線を向けると、その視線の先には、仲良さそうに並んで座って笑い合う男女が居た。
周囲に居る男女二人組はみんな同じようなもので、みんな人目を気にせず仲良さそうにしている。
「栄次に電話してみたらどうだ? この時間なら流石に栄次も寝てないだろ」
希さんが見ているのは恋人同士だ。だから、俺は希さんが栄次のことを思い出して寂しくなっているのだと思った。でも、希さんは視線を真っ直ぐ向けたまま口を動かした。
「あの人……萌夏ちゃんが付き合ってた人」
「えっ……」
その希さんの言葉に、俺はもう一度希さんの視線の先に居る男女を見る。
その男女はさっきと変わらず、仲良さそうにしていて今は手まで握り合っている。
付き合っていた人が、好きだった人が、自分以外の誰かと仲良さそうにしている光景。
それを切山さんは見たのだ。そして、それをすぐに見付けた凛恋が切山さんをこの場から遠ざけた。
「……ちゃんと萌夏ちゃんと別れてから付き合ってる。だから、あの人は間違ったことはしてない。でも……どうしてかな……凄く嫌な気持ちになる」
「希さん、行こう。これ以上見てても誰も幸せにはならない。それよりも、希さんは切山さんと一緒に居るべきだ。凛恋と希さんが居れば、きっと切山さんも心強いだろ」
「凡人くん……うん、そうだよね。私が萌夏ちゃんを元気付けないと」
希さんが歩いて行くのを見送って、俺はさっきの男女に視線を戻した。
確かに、希さんの言うとおり、ちゃんと別れてから付き合っているなら問題はない。
たとえそれが別れて間もないと言っても。人によっては、別れて間もないのに他の誰かと付き合うのは軽いことだと言うのかもしれない。でも、それは周りの評価でしかない。
たとえ、自分が好きだった人を、仮にも好きで付き合っていた人を悲しい顔をさせても、平気で他の人と笑い合っている人が居ても――。
誰も責める資格はない。
カレーと豚汁を食べ終え、俺はみんなのゴミを集めて実行委員が控えているテントにあるゴミ箱に持っていく。
夕飯を食べている間、空気は重かった。昼間に溜めた疲れが口と雰囲気を重くしているのもあった。でも、切山さんの元彼の件が尾を引いているのは間違いない。
俺だって、心にモヤモヤとしたものがわだかまっている。
あの二人は幸せなんだろう。でも、その陰で傷付いた人が居る。そして、その傷付いた人を見て心を痛めた人が居る。
俺は、傷付いた人の、心を痛めた人の側に立っている人間だからやるせなかった。
このやるせない気持ちも俺の横暴で自分勝手だと分かっているのに、そうやってきっちり正しく整理することは出来ない。
「ちょっ、理緒! どこ行くんだよ!」
その声が聞こえて、俺は思考の中から現実に引き戻される。その直後、目の前にニコニコ笑う筑摩さんの顔が見えた。
「凡人くん、みっけ!」
「筑摩さんか」
「あれ? 元気無さそうだけど、どうかしたの?」
「理緒、いきなり走り出すなんてどうしたんだよ」
筑摩さんの後ろから、朝見たスポーツマン男子が駆け寄ってくる。そして、俺に視線を向け、すぐに筑摩さんに視線を戻す。
「理緒、ほら行こうぜ。みんな待ってる」
「先、行ってて。私、凡人くんと少し話したいから」
「理緒、あの――」
「先、行ってくれる?」
筑摩さんを連れて行こうとしていた男子は、筑摩さんにニッコリと笑顔を向けられそう言われると、頭を掻いて頬を少し赤らめて頷いた。
「分かった。でも、明日もあるんだからすぐに来いよ」
スポーツマン男子は筑摩さんにそう言って走り去ってしまう。どうせなら、無理矢理でも筑摩さんを連れて行ってほしかった。
「ここで会えたのも運命かな?」
「みんなここに集まるんだから、運命でもなんでもないと思いますけど」
ゴミを捨てた後は、少し時間を潰してから戻ろうと思っていたが、筑摩さんと話す気はない。今の、萌夏さんのことで心を痛めている凛恋に余計なことは考えさせたくない。
「さっきの人、歩いてる時もあんな感じでちょっと一人になりたかったんだ」
ペロッと舌を出しておどけてみせる筑摩さんは、両手を後ろに組んで首を傾げた。
「凡人くんも一人? 一人なら一人同士、二人で過ごさない?」
「俺はこれから彼女のところに戻るんで。それに、一人になりたかったなら俺が居ると二人になるでしょ」
「好きな人は別だよ。好きな人とは一緒に居たいから」
「あの、俺には彼女が居るんで。筑摩さんの気持ちには答えられません」
「うん、分かってるよ」
「じゃあ――」
「でも、振られたからって好きな気持ちが消えてなくなるわけじゃないよ」
その言葉で、すぐに切山さんのことが頭に浮かんだ。
あの、女子と仲良さそうにしていた切山さんの元彼は、切山さんにとって好きだった人なんかじゃない。
まだ好きな人なんだ。まだ好きな気持ちを諦め切れない人なのだ。
俺が筑摩さんに迷惑だと言ったら、切山さんの持っている気持ちも迷惑だと言うことになる。俺には、そんなことは言えない。
「やっぱり凡人くんは優しいね。そういうところ、昔と全然変わってない。そういうところが大好き」
「ちょっと、彼女が居ないと思って、人の彼氏に好き勝手言ってくれるわね。筑摩」
「あ、八戸さ――」
凛恋の汗の匂いがした。でも鼻を刺すような不快な臭いではなく、落ち着く凛恋の香りだった。そして、凛恋は……筑摩さんの目の前で俺にキスをした。
凛恋の腕が首に巻き付き、凛恋の匂いを強く感じる。それに、絡む舌がいつもよりねちっこい。
つま先立ちで俺の首を必死に抱き寄せて、凛恋は貪るように唇を重ねる。
やっと凛恋が唇を離してくれた後、凛恋は視線を筑摩さんに向けた。
「わ、わあ……八戸さんって積極的な人なんだね~。邪魔してごめんね! 私、行くから!」
筑摩さんが走り去るのを見送っていると、凛恋が俺を引き寄せてニヤリと笑う。
「お金取れば良かった」
「どうして?」
「凡人と私のベロチューだよ? 見物料くらい貰わないと」
凛恋は俺の首に回していた手を解き、俺の両手を握ってジッと見上げる。その目は、涙に揺れていた。
「…………バカ、アホ」
「心配させてごめん」
「じゃあ……安――ッ!? 凡人?」
グラウンド照明が照らす芝生グラウンドは明るい。そのグラウンドを、凛恋の手を引いて突っ切る。
グラウンドには既に友達同士で並んで寝ている人達。大好きな恋人と寄り添って寝ている人達ばかり。その中に、ちらほらと興奮を抑え切れず夜更かしを楽しんでいる人が居る。
凛恋の手を引いて、スタンド照明から一番離れたグラウンドの端に行く。そこは真っ暗で、手を繋いでいる凛恋の顔もはっきり見えない。
「ちょっと……凡人……」
凛恋が不安そうな声を出す。でも、もう少し奥まで入らなければいけない。
「凡人……ねえ……ここ、ちょっと暗――ひゃっ」
凛恋の胸元に顔を埋める。キスした時よりも、強く凛恋の匂いを嗅いで、深く心を落ち着かせる。
「か、凡人? ごめん、スイッチ入っちゃった?」
「筑摩さんに、もう迷惑だから止めてくれって言おうとしたんだ。でも、振られたら好きな気持ちがなくなるわけじゃないって言われて! そしたら……否定出来なかった……。俺が否定したら、切山さんのことを否定するような気がして……否定出来なかった……」
凛恋の上着を掴んで、凛恋の胸に額を当てて、絶対に顔が見えない暗闇で、俺は凛恋に甘えた。
「凛恋に、これ以上……心配掛けたくなかったのに……言えなかった。言ったら、凛恋の友達を否定することになる! 言ったらっ! 俺におにぎりを持って来てくれた切山さんの、俺と友達になってくれるかもしれない切山さんの、大切な気持ちを俺が否定するなんて出来なくて……凛恋にまた心――」
「ありがと。私の友達の気持ちを守ってくれて。萌夏の気持ち……守ってくれてありがと。だから、そんな顔しないで」
凛恋が強く優しく頭を撫でながら言ってくれた言葉に、俺は戸惑って顔を上げる。
顔を上げて見えた凛恋は、笑いながら泣いていた。
「ねえ凡人」
「ごめん……凛恋……」
「ねえ」
「凛恋を泣かせて――」
また、凛恋に唇を塞がれた。でも、今度は俺が主導権を奪い返す。
「凡人っ……凡人ってば……んんっ! ダメだっ――んっ……」
凛恋は抗議するように、ポカポカと何度も背中を叩く。でも、次第にその力は弱くなり、代わりに強く抱き寄せて強くキスに応えてくれる。
俺はそんな凛恋に、また甘えた。




