【四四《ファーストキス》】:二
極寒。車を出てすぐにその言葉が浮かんだ。
目的の神社に行くには、少し離れた場所にある駐車場に車を停めて歩かなければいけない。だから、俺達も当然その駐車場に今居るのだが、既に寒さで心が折れそうだ。
「凡人さんの後ろは暖かい!」
「優愛! 私の彼氏を風よけに使わないの!」
「うわーん、寒ーいっ!」
俺の後ろに立っている優愛ちゃんが、凛恋に引っ張られて寒風吹き荒れる場所へ引きずり出される。
「ほら、凡人行くよ!」
「凛恋は元気だなー」
「だって、みんなで初詣とかテンション上がるじゃん!」
凛恋らしい答えと共に、俺は凛恋に引っ張られて歩き出す。
この辺りは、海が近いということもあり漁業が盛んな町で、周囲には魚料理の店が多く建ち並んでいる。ただ、時間が時間だけに全ての店はシャッターが下ろされていた。
神社まで続く道の両端には、魚料理以外にもお土産品を扱う店も多く見える。
まあ、近くに神社があればそれ目的の行楽客相手のお土産屋があってもおかしくはない。
「人多いね」
「希、はぐれないように気を付けて」
「うん」
前の方では、仲睦まじく手を繋いで寄り添う栄次と希さんの後ろ姿が見える。
その希さんの左手の小指には、ピンク色に輝く指輪がはめられている。
希さんが小指にはめている指輪、通称ピンキーリングは、栄次がクリスマスプレゼントに贈った物らしい。
俺と凛恋がペアリングを作った時には、かなり嘆いていたが、クリスマスという絶妙なタイミングでの指輪のプレゼントだ。
俺は凛恋に貰ったマフラーを首に巻いていて、凛恋もお揃いのマフラーを巻いている。そして当然、お互いの左手薬指にはペアリングがはめられている。
ペアリングを作った時は、付き合い始めでペアリングを作るのは不味いのでは? なんて思っていたが、今となってはやっぱり作って良かった。
ペアリングをただ付けているのを見るだけで、凛恋が俺のことを想ってくれているのが分かる。
「チョー寒っ!」
「風強いよなー」
凛恋がさり気なく俺との距離を縮めてくれて、俺もさり気なく凛恋の手を引っ張って引き寄せる。
商店街を抜けると、一気に体に吹き付ける風が強くなる。周囲では、スカートを穿いた女性が、捲れようとするスカートを押さえているのが見える。それを見て、ホッと安心する。
もし凛恋がスカートを穿いていて、もしこの風で捲れ上がったら、周囲に居る人達の目に凛恋のパンツが晒されることになる。
それは絶対に嫌だ。だから、凛恋がスキニーパンツを穿いてくれていて良かったと思う。
「こら! 他の女の人見ない!」
「イタタっ! ち、違うって、スカートが捲れそうだったから――」
「もっと悪いわっ!」
「イデデデッ! だ、だから、凛恋がスカートを穿いてなくて良かったと思って」
両頬をプクゥーっと膨らませながら、思いっ切り俺の頬をつねる凛恋に、パンツが見たかったわけじゃないことを説明する。
説明を聞いた凛恋が、やっと頬から手を離してくれた。俺がさり気なく頬を空いている手で擦る。
「凡人ごめん」
「いや、別に謝ることじゃないけど」
「凡人が他の女の人見てドキドキしてるかもって勘違いしたから……」
「気にしてないから大丈夫だ」
目に見えてシュンとしている凛恋は、繋いでいる手に力を込める。
凛恋は結構、感情的というか直情的な性格がある。
楽しいことは素直に楽しむし、嬉しいことは素直に喜ぶ。嫌なこともはっきり嫌と言うし、それにかなり思った瞬間に行動を起こすタイプだ。
休みの日に俺の家でまったりしていても、急に買い物に行こうと言い出して俺を連れ出したりもする。
その性格はポジティブな場面で発揮されれば、当然ネガティブな場面でも発揮される。
今回は、ネガティブなパターンの方だ。
多分、俺のことを一瞬でも疑った自分に対して自己嫌悪を抱いているのだろう。
「凛恋、気にしなくて良いからな」
「うん……」
ダメだ、本格的な落ち込みモードに入っている。でも、その落ち込んだ理由が、俺のことを思ってのことだから、俺は落ち込んで良いのか喜んで良いのか複雑な気分だ。
商店街を抜けた先にはしばらく防砂林が続き、その防砂林を抜けると砂浜を突っ切る石畳の道に出る。そこに出ると更に風は強くなった。
前を歩く凛恋の両親、栄次と希さん、そして優愛ちゃんの様子を確認し、俺は動いた。
「――ッ!?」
一瞬歩調を早めて凛恋の前に出た俺は、凛恋の顔の正面に回り込むように顔を横に向ける。そして、凛恋の唇に自分の唇を重ねた。
ほんの一瞬だけのキスを終えて、俺は何事もなかったように歩く。
こんなに人が多い中でキスするのは恥ずかしかったが、凛恋が落ち込んでいる顔を見続けるよりマシだ。
それに最低限、前の五人にはバレないようにタイミングは合わせた。
「あれ? お姉ちゃん? 顔、真っ赤だけどどうしたの?」
「何でもない」
ふと振り向いた優愛ちゃんが首を傾げて尋ね、俺に視線を向けて更に首を傾げる。
「冷たい風が吹いてるから、それでかもしれないね」
「なるほど、私も顔寒くて赤くなってるかも」
自分の両頬を両手で押さえて温める優愛ちゃんから目を離すと、俺の手を握る凛恋の手の力が更に強くなった。
海の上に架かった短い石橋を使って向こう岸に渡ると、くらい道を照らすためか、屋外用投光器が複数設置されていた。そのおかげで夜なのに足元と周囲が明るい。
神社の鳥居が見えてくると、周囲の人口密度も高くなってくる。
その人口密度の高い中、凛恋の腰を抱いて引き寄せ、俺の目の前に移動させる。
「凡人?」
「後ろは任せろ」
振り向きながら疑問の表情を浮かべる凛恋にそう言って周囲を見渡す。
世の中には良いやつも居るが悪いやつも居る。そしてそういう悪いやつはどこに行っても必ず存在する。
こういう人が密集している時に、邪な考えを持った変態が凛恋の体を狙う可能性は大いにある。
しかし、俺の正面を凛恋に歩かせれば、前は凛恋の両親でガードされているし、俺の位置からは凛恋の後ろと左右が見える。
この人口密集地帯を抜けるまでは、後ろから凛恋を守る。
「お、おい、凛恋」
俺が凛恋を守る決意をした途端、凛恋が俺の隣に戻って来て腕を抱く。
「守ってくれるのは嬉しいけど、凡人と離れないといけないのはイヤ」
「でも、こういう場所には良からぬ輩が――」
「大丈夫。凡人ならここでも私のことを守ってくれるから」
ニコッとはにかむ凛恋に、全幅の信頼を置かれた顔でそう言われる。
そう言われてしまうと、何が何でも守ろうという気になる。
「分かった。俺から離れるなよ」
「離れるわけないしー」
ピッタリ身を寄せてくる凛恋と歩きながら、俺は鳥居を抜ける。
足を踏み入れた境内は、鳥居の外よりも人口密度が高い。
「人がいっぱい」
「ホント、どこからこんなに集まって来るんだろ」
希さんと凛恋が周囲を見ながら話しているのを聞いていると、視界の隅で優愛ちゃんが人の波に飲み込まれかけているのが見えた。
優愛ちゃんに向かって手を伸ばし、小さな優愛ちゃんの手を握って引っ張る。
「大丈夫?」
「か、凡人さんありが――」
「優愛はちっちゃいんだから私の隣に居なさい! ほら、手、繋ぐ!」
「ちっちゃくないし!」
優愛ちゃんがブスッと不服そうな顔をしながら凛恋の手を握るのを見ると、なんとも心が温かくなる。
「凡人、ありがと」
「いいや、別に――」
「でも、他の女の子と手を繋いだからペケ、一ね」
「ペケって……」
一体何のペナルティが課せられるのか分からないが、ニヤッと笑う凛恋の表情から察するに、あまり重いものでないことのようだ。
「お兄ちゃんと手を繋ぐくらい良いじゃん」
「こら! どさくさに紛れてお兄ちゃん言わないっ! 凡人さんでしょ、か・ず・と・さ・んッ!」
「凡人さんは、凡人さんと、お兄ちゃん、のどっちが良いですか?」
優愛ちゃんが、凛恋とよく似たいたずらっぽい笑顔を浮かべて尋ねる。それに『お兄ちゃん』だけちょっと甘えた感じの声で言っている。
「……優愛ちゃんならお兄ちゃ――」
「ダメだからね」
「はぁーい」
クスクス笑う優愛ちゃんがそう言って正面を向くと、凛恋がまた俺を睨む。
「ペケ、二」
今度は全く笑顔が無く、実に真剣な顔をして言われる。
今回の方は、軽くは済みそうになさそうだ。
一抹の不安を抱きつつも、人の流れに合わせて歩みを進める。その歩みが突然止まり、俺は少し背を伸ばして先の方を見る。
視界の最奥に木製の門が閉まっているのが見える。おそらく、元日になるまで本堂前に続く門は閉じられているようだ。
スマートフォンを出して時間を確認しようと思ったが、人混みのせいでスマートフォンを取り出すことも出来ない。
「うおっ!?」
急に横へ手を引かれ、バランスを崩しながら手が引かれるままに歩く。
体勢を立て直して見上げた視線の先では、俺の腕を引っ張る凛恋の後ろ姿が見えた。
人の列から一歩外れると、投光器の光が届かない薄暗い場所になる。その薄暗い場所の更に奥には、太い植木が何本か植えられていて更に暗い。
「凛恋、暗いから危ないぞ」
躊躇うことなく、その暗い場所に踏み入れた凛恋が立ち止まると、俺は凛恋の背中にそう声を掛ける。
すると、振り向いた凛恋が俺の腕をまた引っ張り、太い木の幹の裏に引きずり込んだ。
「凛恋?」
「凡人のせいだから」
「えっ?」
「凡人が、あんなキスするのが悪いんだからね」
凛恋が背伸びをして、下からすくい上げるように俺の唇を奪う。そして、間髪入れずに凛恋の舌が俺の舌を絡め取る。
「んっ……ふんっ……」
明るい話し声に溢れる参道から外れた木の陰。色っぽく吐息を漏らしながらキスを続ける凛恋に、俺は完全に誘惑された。
凛恋の腰を抱き寄せ、凛恋の体を自分に密着させる。
「これ……ペケ、一の分だから」
唇を離した凛恋が、赤く上気した顔で見上げながら言う。その凛恋の頬に触れて親指で熱い頬を撫でながら、俺は顔を近付けて首を傾げた。
「二つ目のペケは?」
「…………凡人が考え――ッ!? ンンッ……」
凛恋の体と俺の体を入れ替えて、凛恋の体を木の幹に押し付けながら、俺は凛恋の唇を荒く塞ぐ。
凛恋と同じように間髪入れずに舌を絡めるが、左手は凛恋の細い太ももを撫でる。
俺と凛恋は、互いにがっつくようにキスをして、ここが外で数歩先には人混みがあることを忘れてキスに没頭した。
「はぁっはぁっ……どうしよう……スイッチ入っちゃった」
「凛恋のせいだろ?」
「そもそも凡人があんなキスするからだし」
凛恋は俺の両手を自分の腰に回させて、ホッと息を吐いた後、ハァ~と長く息を吐いた。
「三日、我慢ね」
「了解」
「新学期、一緒に行こうね」
「もちろん」
「凡人」
「ん?」
凛恋はまた俺にキスをして、俺の頬を撫でながら微笑む。
「凡人の新年初チューは私のもの! あけましておめでとう」




