【四五《新天地》】:一
【新天地】
真新しい水色のワイシャツと紺色のブレザー、紺色のスラックス。そして、俺は巻きなれない赤のネクタイを巻いていてため息を吐く。
冬休みが明け、今日から学校が始まる。しかし、去年まで通っていた刻季高校ではなく、今年から俺は刻雨高校に通うことになる。
俺は、自分の制服姿を見て違和感を覚える。どう見たって変だ。
中学時代はもちろん黒の学ランだったし、刻季高校の制服も学ランだった。それが今日から紺色のブレザーになったのだ。
違和感を抱くなというのが無理な話だ。それに、ネクタイの勝手が悪くて息苦しい。
「凡人、おは――…………」
部屋のドアを開けて入って来た凛恋が、入り口の近くで立ち止まり、呆けた顔でボケーッと俺を見ていた。
「おはよう凛恋。やっぱり、変だよな?」
凛恋が俺を見て固まっている。ということは、やっぱり俺の制服姿が変だったからだ。しかし、似合わないからといって他の服を来て行くわけにもいかない。
「ううん! そ、その……凄く似合ってる」
「そうか? なんか凄い違和感があるんだけど」
凛恋に褒められた後に改めて自分の格好を見るが、やっぱり俺から見たら変だ。
「全然変じゃない。凄く似合ってるし、めちゃくちゃ格好いい」
俺に近付いてネクタイの形を整える凛恋は、俺の腰に手を回して抱き締める。
「似合い過ぎ」
「凛恋に褒められると自信が出てきた」
「でもちょっと複雑……。でもやっぱりチョー格好いい!」
胸に顔を埋めながらモゾモゾとおでこを押し付けていた凛恋は、勢い良く頭を離して俺を見上げる。
「朝からラブラブしてる場合じゃなかった! 遅刻する!」
「そ、そうだな」
スマートフォンをテーブルから取って時間を確認する。走る必要はないがいつまでも抱き合っている時間はない。
初日ということでほとんど物の入っていない通学鞄を手に凛恋と一緒に部屋を出る。
「凡人! 気を付けて行って来い」
「凡人、行ってらっしゃい」
「凡人くん、行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
爺ちゃん、婆ちゃん、田丸先輩に見送られて家を出ると、俺の隣を走っていた凛恋が俺の手をギュッと握る。その手をしっかり握るために指を組む。
「ぬわぁぁぁーっ!」
「凛恋!?」
急にバタバタとその場で足踏みをしながら声を出す凛恋に驚く。
凛恋は俺の手を引っ張って歩き出しながら、俺の方を振り返る。
「だって、凡人と手を繋いで学校に行けるの嬉しいから!」
その凛恋の楽しそうな嬉しそうな顔を見ていたら、たかだか制服のことで悩んでいた自分がバカらしくなってくる。
今までとは違う方向に歩き出す俺は、隣に凛恋が居ることに胸が高鳴る。
今なら、凛恋がさっき足踏みをしながら喜びを表現した理由が分かる。
一日の始まりから大好きな人と一緒に居られる幸せ、一緒に歩ける楽しさ、それを感じられることがどんなに得難いことなのか実感出来る。だから、その喜びに体が震える。
「あーあ、でもなんで凡人はうちのクラスじゃないのよー」
「まあ、他のクラスより一人人数が足りないからだろ」
「うちの石川辺りいらないから、石川をそっちにやって凡人がうちのクラスに来れば良いのに!」
さっきまで喜んでいたのに、今度は不満そうに凛恋が頬を膨らませる。やっぱり、コロコロ変わる凛恋の表情も可愛くて魅力的だ。
「そんなむちゃくちゃは出来ないって。確かに俺も凛恋と希さんが居るクラスの方が安心だけど、そこまでワガママは言えないな」
「でも、お昼はうちのクラスに来てよ!」
「分かった分かった」
「心配だから迎えに行く!」
「俺の送り迎えはもう保育園までで卒業したはずなんだけどな」
「ダメよ。凡人はすぐ女の子に好かれるんだから!」
「いや、それは無いな」
俺がすぐ女の子に好かれるなんてあり得ない。もしそうだったら、俺はモテモテ人生を歩んで来ているはずだ。
しかし、俺は凛恋に告白してもらえるまで、一ミリもモテなかった。
「凛恋に好かれたのが奇跡なんだぞ」
「えー? だって最初見た時、めちゃくちゃ格好良くて私びっくりしたんだから! まあ? 凡人の方は私のことを全然全くこれっぽちも見てなかったらしーけどー?」
俺は内心「しまった」と焦る。この話題になった時、俺は凛恋に何も言えない。
俺は、凛恋と初めて出会ったカラオケの場で、全く凛恋のことを意識していなかった。だから、その後に栄次と希さんを交えて四人で出掛けるまで、俺は凛恋の存在を認識していなかったのだ。
だから、その話題が出ると、俺は凛恋に頭が上がらなくなる。
「それに、告白の時も私はいっぱい凡人に思いを伝えたのに、凡人は俺も好きだくらいしか言ってくれなかったしー」
「それは――」
「でも、それも良い思い出よねー。何処かの鈍感さんと仲良くなるために、悩んで泣いて頑張って。それで、付き合えて今までずっと幸せで」
「気付かないだろ、普通」
「凡人だから仕方ないわねー」
俺の頬をツンツンと突く凛恋の頬を突き返し、二人で笑い合う。
「あっ!」
「ん? 何か忘れ物か?」
「違う! 凡人のクラスに、あいつが居るの忘れてた!」
「あいつ?」
「文化祭の前の日、凡人に声掛けてた女子よ」
「ん? …………ああ」
凛恋にそう言われ、しばらく考えてからやっと思い出す。
刻雨高校の文化祭前日の放課後。俺と栄次が凛恋と希さんを待っている時に、校門前で話し掛けられた。
確かあの時は、誰か待っているのか聞かれて、それに答える前に凛恋に連れ去られた。だが、その記憶はあるが、話し掛けてきた女子の顔は全く覚えていない。
「そのことは覚えてるけど、どんな人だったか全く覚えてないな」
「思い出さなくていいわよ。ろくな奴じゃないし」
凛恋がそこまで言うのだから、悪い人なのだろう。だが、どっちにしても今の俺に関わろうとする物好きなんて居ないだろう。そういう話を凛恋にすると、凛恋が気にするから口には出せないが。
凛恋と手を繋いで刻雨までの道を歩いていると、横から肩を軽く叩かれる。
その方向を見ると、制服姿で手を振る希さんが立っていた。
「おはよう二人共。朝から仲良しだね」
「希、おはよ!」
「おはよう希さん」
希さんは俺の隣から凛恋の隣に移動し、並んで一緒に歩き出す。
「今日は午前中だけだし、楽よねー」
「学校終わったら、凡人くんの歓迎会もあるしね」
「…………」
「凡人っ!」
俺が凛恋と希さんの会話に対して無言を貫いていると、凛恋から満面の笑みで名前を呼ばれる。
「逃げられないからね?」
ニコニコ笑いながらの言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。どうやらまた、あの騒がしい空間に居ることになるらしい。
刻雨高校の校門に着くと、俺は小さく深呼吸をした。
周囲には友人同士で楽しそうに会話しながら校門を潜って行く刻雨生が見える。その光景は刻季と何も変わらない。
それなのに、やはり緊張が胸に押し寄せてくる。
凛恋と希さんは自分のクラスへ行くが、俺は所属するクラスの前に職員室へ行くことになる。
一度、入試の時に訪ねているから道は問題ない。
「かぁ~ずぅ~とぉ~」
「凛恋、午後にはまた会えるんだし、もう行こう。じゃあ、凡人くん頑張って!」
「ありがとう」
「かぁ~ずぅ~とぉ~」
希さんに手を引かれ、俺の名前を呼びながら凛恋が廊下の奥へ消えて行く。
登校した生徒でごった返す廊下を職員室の方向へ歩きながら、自分の横を通り過ぎる生徒の視線を感じる。
見慣れない奴が居ると思っているのか、俺の転学が既に学校で噂になっているのか、どっちかは分からないがその奇異の視線は心地良いものじゃない。
職員室の前に辿り着き、軽くドアをノックする。
「本日からお世話になる多野凡人です。失礼します」
出来るだけ職員室全体に聞こえる声でそう言うと、職員室の中に居た全員の視線が集まる。
その中で、中年の男性教師が俺の方に歩いてきた。その教師に見覚えがある。
入試の面接の時、中央に座っていた男性面接官だ。
「担任の池水渡だ。付いてこい」
「はい」
出席簿を手に職員室を出る池水先生の後ろに続く。
身長は俺より低いが体格は俺より良い。よく言えばふくよかな男性、敢えて悪く言うなら小太りのおっさん。
大抵の先生は、何か話題を作ろうと無駄に話し掛けて来るものなのだが、池水先生は職員室を出てからずっと無言。
俺としては話し掛けられるより気が楽だから助かる。
既に始業前だからか廊下に人の姿はない。その静かな廊下を無言で歩き続けていると、教室のドアを池水先生が躊躇なく開く。
「全員席に着け。転校生だ」
特に呼び込みはされず俺は一瞬立ち止まりそうになった足を動かし、教卓の脇まで歩いた。
「自己紹介しろ」
「多野凡人です。よろしくお願いします」
自分達の席に座っている生徒達の顔をろくに見ず、そう短く自己紹介を終えた。正直、自己紹介の必要があるのかも分からない。俺のことに興味がある人が居るわけがない。
「多野は一番前の米野――」
「先生、私の隣が空いてます」
池水先生の言葉を女子生徒の声が遮る。その女子生徒は、中央の列の一番後ろの席に座りながら右手を真っ直ぐ挙げている。
確かに、彼女の言うとおり、彼女の隣には空席がある。
「転校初日できっと不安でしょうし、生徒会書記として私がお世話します」
私がお世話します。……俺はクラスで飼われる金魚か何かなのだろうか?
流石にもうすぐ高二になる男子だ。女子のお世話にならなくても一人で過ごせるだけの立ち回りくらい出来る。
「チッ……そうか。多野、筑摩の隣に座れ」
「分かりました」
池水先生は明らかに俺に聞こえるように舌打ちをした。それで、この人とは今後関わり合いにならない方が良いと確信出来た。
静かな教室の中を後ろまで歩き、さっきの女子生徒の隣に座る。そして、机の横に通学鞄を引っ掛けた。
「出席は、全員来てるから取らん。ホームルームを始める」
前の方では、池水先生のその声が聞こえる。俺は池水先生の話を適当に聞き流しながら、机に頬杖を突いた。
「久しぶりだね」
「……はい?」
隣の席に座るさっきの女子が、ニコッと笑って俺にそう言ってきた。
髪はダークアッシュのセミロング。顔は男子にモテそうな可愛い系で、愛嬌のあるクリクリとした目が印象的。
典型的なリア充っぽい女子で、俺と久しぶりな関係にある人物には見えない。
「あ、もしかして覚えてない? ほら、刻雨祭の前の日に、校門前で」
「……ああ、あの時の」
あの時、俺に話し掛けてきた女子がこの人だったかどうかは覚えていないが、それを聞いてこの人が、凛恋の言っていた『あいつ』なのだと分かる。
凛恋の口振りだと、相当悪い人だという感じだが、今のところ俺にとっては無害だ。まあ、今のところ、ではあるのだが。
「私は筑摩理緒、よろしくね。理緒でいいよ」
「ああ、よろしく筑摩さん」
初対面の人と名前で呼び合う気はない。そういう意思表示のために名字で呼ぶ。すると、筑摩さんは口元を手で隠しながらクスクスと笑って、改めてニッコリ眩しい笑顔を浮かべる。
「凡人くんってシャイ?」
「そうかもしれませんね」
「名字呼びに加えて同級生に敬語だから、真面目な人なんだね」
「初対面の人にタメ口を利ける性格じゃないもので」
「あっ、もしかして八戸さんのことを気にしてる? 八戸さんは彼氏が女の子と話すのも許せない人?」
「凛恋は関係ないですね。初対面の人と打ち解けられないのは俺の性格です」
「そっか。じゃあ、少しずつ仲良くなろうね?」
その言葉を聞き終えて、俺は視線を前に向ける。このままだと何だかんだ会話に付き合わされてしまいそうだ。
そう思い、俺はいつも通り高い壁を作って、凛恋の居ないこの空間を乗り切ることにした。




