91:忘れたフォローは勿論してた
以前自らの国王から贈られたレターボックスをリゼルはちょこちょこ覗いている。
何せいつ来るかも分からなければ来たとしても何の合図も無い。自分で小まめに覗くしかないので、時折ポーチから出しては装飾の施されている薄い箱を開いている。
勿論自分の手紙がそのまま残っている時もあれば何も入っていない事もあるが、今の所それなりの頻度でやりとりは出来ているのではないだろうか。何せ一月放置されていることもあるのだ、もはや数度やりとりしている事を思えば順調と言っても良い。
今日もアリムへと古代言語を教えながら暇が出来た時間に覗いてみると、いつもと同じく国王しか持ち得ない国の紋章が箔押しされている封筒が入っていた。恐らく手元にあったからそのまま使ったのだろうが、本来ならば国同士のやり取りでしか使われないような特注品だ。
相変わらずだと微笑んで封を開け、幾枚にも及ぶ手紙を広げた。
「(国の近況報告と、陛下の近況報告と、家のこととか……)」
後でゆっくりと読むので、とりあえずざっと目を通していく。
何か大きな問題が発生していないようで何よりだ。実際はリゼルが抜けた事で各所些細な問題が大量発生した為に奔走しているのだが、致命的な問題は起きていないので書かれる事は無い。
某傭兵が煩いだのリゼルの父親が公爵に仮復帰して容赦が無いだのという愚痴に笑みを零し、帰還方法の進歩状況は進展を見せているようだと頷く。そしていつも同じ一文で締めくくられているのを眺め、幸福を噛みしめるように目を伏せた。
“必ず迎えに行く。遊んで待ってろ”
此方でも帰る手段を探せとは言わない。そんな事を言わなくとも自分の元へと帰ることを当たり前だと思っている事を知っているし、それは自らが必要無いと告げない限り覆らないとも知っている。
帰る手段に心当たりがあれば何も言わずともそれを用いて帰って来る事も理解しているし、見当もつかないからこそ折角だから楽しもうと色々満喫しているのも理解している。だからこその言葉だ。
返事は宿に帰ってから書こうと丁寧な手付きで手紙を畳み、ポーチへと仕舞う。
「先生への、手紙?」
終わるのを待っていたかのようにかけられた声に、リゼルは微笑みながら頷いた。
幾重にも重なる布の塊から腕だけ覗かせてペンを走らせていたアリムが恐らく此方を見ていた。相変わらず布に隠れた内側は見えないので本当に此方を向いているのかは定かではないが。
「先生は止めて下さいって言ってるのに」
「先生は、先生だから、ね。嫌、かな」
「嫌では無いですけど」
王族にそう呼ばれるなど畏れ多い、そう苦笑するリゼルにアリムはうふふと相変わらず笑い声には聞こえない棒読み加減で笑ってみせる。嫌だというなら止めるが、王族だから気が引けるというのなら止める理由は一つもない。
ギルドへの牽制で、彼が競う事を避けるような人間ではなく競うに値する位置に他者を置かないに過ぎないのだと知った。褒めるように微笑まれ、自然とそれを受け入れて満たされていた。
そしてその知識を余すことなく使い魔鳥騎兵団の機密へと辿りつける思考力を尊敬してしまうのは、学者としては当然の事だろう。リゼルが聞けば色々買い被り過ぎだと言うだろうが、アリムはそう思うのだから問題無い。
そんな彼が自分相手に何を王族だからと遠慮する事があるのだろうか。よってアリムは本当に嫌がられない限りこれからも自信を持ってリゼルを先生と呼び続ける。
「手紙、といえば」
ふいに何かを思い出すようにアリムがポツリと呟く。
指で支えるペンが空に何かを書くように彷徨い、その先にインクが溜まり落ちそうになるとインク壺へと入れられた。慣れた手つきでペンが取り出され、再びゆらゆらと揺れる。
「先生、は、パルテダールにいたんだよ、ね」
「はい、ほとんど王都でしたけど」
「そこの商業ギルドから、この国に手紙が来たみたい、で」
この国の商業ギルドに、という事だろう。
各国のギルド同士のやり取りは頻繁で、何も珍しい事では無い。それなのに国にまで話が通っているなど余程重要な案件のようだ。
むしろギルド内での事なら冒険者・商業・郵便などギルドの種類問わず自分達の中で片を付けたがるので、ギルドを通して他の有力者が何か申し入れたい事でもあったのかもしれない。リゼルの世界にも冒険者は存在しなかったがギルドはあったので容易に想像がついた。
「色々、バタついているみたい、だね」
「大変そうですね」
他人事のようにそう微笑むリゼルは、実際に他人事なのだから当然か。
アリムはうんと頷き、しかしふっと微かに首を傾げて見せる。さらりと布が揺れた。
「商業国だった、かな。先生、行った事、ある?」
「ありますよ。商業国の方がみえるんですね」
商業国には商業ギルドが無いが、ギルドに加入した上で商業国に店を出店している有力商人も多数いる。パルテダールの流通を取り仕切る商業国の中で有力となれば各国に影響を及ぼせる商人も多く、商業ギルドが騒ぐのも道理だろう。
海に面したこの国を介さなければ手に入らない商品も少なく無いので、その話し合いにでも訪れるのだろうか。そう考えれば周辺国家随一である貿易商社を営むインサイなど結構有り得るのではないかと、リゼルは内心で楽しみながら予想する。
「商業国の、かなり有力な貿易商社の、トップが直々に来るらしい、よ」
当たった。
「相ッ変わらず遠いの、この国は」
おおよそ二週間、アスタルニアの門をくぐって直ぐに揺れ続けた馬車から足を踏み出しインサイは腰を叩いた。
かなりの長身は少しも腰が曲がらずピシリと真っ直ぐで、その仕草をとるにはまだまだ早いと誰もが口を揃えるだろう相貌は相変わらず祖父というより父が似合う若々しさだ。その所為で口調や仕草がかなりの違和感を発しているが彼は気にしない。
ポケットに両手を突っ込みながら強い日差しに一瞬顔をしかめ、しかし直ぐにニッと笑い辿りついたアスタルニアを眺める。商業国とはまた違った活気にあふれるこの国をインサイはなかなか気に入っていた。
「ようこそお越し下さいました、インサイ殿」
「なんじゃ、迎えなんぞ頼んどらんぞ」
「そう言わず」
歓迎の言葉を口にしながら近付いてきたのはアスタルニア商業ギルドの職員だった。
インサイやその関係者がアスタルニアを訪れる時は彼が用件を担当する事が多い。それはインサイの商人特有の口の上手さに流されなかったり、彼の独特の破天荒さに引かなかったりと様々な理由があるのだが一番の理由は何と言っても気が合うからだろう。
カラカラと笑うインサイに苦笑し、招かれるように馬車へと同乗する。気晴らしに一度降りたとはいえ、国内の移動のほとんどは馬車だ。
インサイが馬車の窓から顔を出して、同行人達に用事を済ませたら遊んで良いぞと告げて解散させる。カタリと小さな振動と共に動きだした馬車は、流石に有力者が乗るような作りの良い馬車らしく冒険者用のものと比べると格段に乗り心地が良い。
「群島向けの品が最近うちから良く流れとるな、景気が良いじゃねぇか」
「あそこは国の管轄ですからね。第三王子の腕が良いんでしょう」
インサイはこの国の数多い国王の兄弟達を思い出し、貿易担当は第三だったかと頷いている。数度顔を合わせた事はあるが、人数がい過ぎて三番目だの四番目だの言われても良く覚えられない。
自らを扇ぐように知らん知らんと手を振るインサイに苦笑していた職員が、ふと窓から外の景色を見る。馬車の進路は見知った道からどんどんと外れて行っていた。
「インサイ殿、ギルドに向かっているのでは……」
「ん? おう、ギルドに行っとるぞ」
「ですが此方の道は」
「道を間違えるような耄碌爺に儂が見えるんかお前さんは」
ニンマリと笑う顔に、確かに爺という年齢には全く以って見えないがと職員は溜息をついた。相変わらず行動の予想がつかない破天荒さ。
正直商業ギルド職員の立場からいえば真っ先にギルド長へと挨拶に向かって行って欲しいが、自分にインサイが説得できるかと言われれば難しい。商業ギルドは冒険者ギルドと同じくギルドと登録員の間に明確な上下は無いし、特にインサイ程の商人ともなればギルドの規模によっては逆に下手に出ることもある。
しかし海千山千の商人達を相手に勝ち残っていたインサイが必要な礼儀や過程を無視してまで余所に向かう事は決して無いので、今から向かう先にあるのはそれより先に用事を済ませておくべき場所なのだろう。ギルドに向かっているとは言っているし、今回の訪問に対する話し合いの下準備に見ておきたい場所があるとかそこら辺か。
「儂も長居は出来んし、予約しておくに越したことは無いじゃろ」
「どこかの人気店にでも視察ですか? それくらいなら此方でも可能ですが」
「無理じゃ無理。お前さんら程度じゃどうにもならん」
職員は訝しげな表情を浮かべながら、飄々と笑っているインサイに曖昧に了承の返事を返す。商業ギルドが手を出せないような店が果たしてあっただろうか。
そうこうしている間に目的地へ着いたらしく馬車が小さく軋みながら動きを止めた。一体何処についたのかと職員が外を見て、思わず固まる。
「インサイ殿、ここは」
「だから言ったじゃろうが。ギルドに行くっての」
まさか冒険者ギルドの事だとは露程も思わない。
昼過ぎの冒険者ギルドはそれ程冒険者の出入りは激しく無いとはいえ、やはり全くゼロには成らず今もギルドの前に止まったいかにも仕立ての良い馬車に怪訝そうな顔をしながら扉の向こうに消えて行く。何かの間違いなんじゃないかと職員が考えている前で、インサイは御者によって開かれた扉から外へと降りていた。
「お前さんは待っといても良いぞ」
「……いえ、折角なので」
「何が折角なんじゃ」
両手をポケットに突っ込んだまま笑い、インサイは踏み入れ慣れていない筈の冒険者ギルドへと堂々と入って行った。職員も成る様になれと諦めてその後に続く。
ギルド内に入ると男達の笑い声や喧嘩腰の会話でざわついており、商業ギルドとはまた違った力のある空気に満ちていた。足を踏み入れたインサイへと視線が集まったのは、いかにも何処ぞの大商人といった風体の男の登場を思えば当然の事だろう。
共に居るのが商業ギルドの制服を身に付けた男だというのがそれを確定づける。商業ギルドは護衛や必要素材の入手など、冒険者ギルドも必要道具の入手や冒険者被害による店舗の弁償などで互いに関わり合っている為に特に険悪な関係では無いとはいえ、堂々と正面から入れば此方も目を引いてしまう。
「指名依頼を申し込みたいんじゃが、此処で良いかの」
「お、おう」
やけにでかい爺さん言葉の男に話しかけられて若干戸惑う相手を気にせずインサイは良し良しと頷いた。そしてこの時点で商業ギルドの職員は彼の言う予約が店などでは無く、冒険者であることを悟る。
それが商業ギルドや今回の訪問理由より優先すべきことなのかと唖然とする職員の前で、インサイは指名依頼の説明を聞き了承を返している。そして手渡された用紙に署名し、依頼金の前払いを初依頼とは思えぬ手際の良さで終えていた。
「それで指名する冒険者は誰だ? 名前かパーティ名が分かりゃそれで良いし、分かんなくても間違えにくい特徴がありゃ指名は出来んぜ」
「そうじゃの、名前は分かっているが易々と周りに名乗る奴らじゃねぇしの。やたら品の良いのとやたらガラ悪ィのとやたら性格悪そうなのの三人組なんじゃが」
ギルド内の全ての意識がインサイを向く。相変わらず派手な事はしない癖にやたら注目される奴らだと楽しそうに唇を歪めるインサイに、職員はまさか指名するのが度々人々の噂に上がる冒険者達だとは思わず口元を引き攣らせていた。
「あー……こいつら相手が誰だろうが知り合い以外の指名依頼はあんまり受けねぇんだが」
「知人じゃ、知人」
見るからに有力者が気軽に知人と口にするとは、これがリゼル達じゃなければSランク冒険者でも無い限り全く以って納得できなかっただろう。しかし納得出来てしまったのは彼らだからと言うしかない。
「ジャッジの爺が会いたがってるとだけ伝えてくれりゃ良いからの。今日は多分港をうろつくか支部におる」
「あー……それが依頼内容、で良いんだよな? 報酬は?」
「何でも好きなモン買ってやるって言っときゃ多少は食いつきやすくなるじゃろ」
つまりはそう書いておけと言うことか、と了承を示した相手に礼を言ってインサイは踵を返した。周りの冒険者は報酬の内容を聞き、つまり大金を手に入れたら何が欲しいかと同義語であるそれに自分達への指名依頼だったら良かったのにと遠い目をしている。
冒険者ギルドを出て再び馬車に乗り込むインサイに続き、先程からひたすら展開についていけてない商業ギルド職員は無意識に馬車に乗り込んだ。そして馬車が動き出して数分、ようやく思考の整理がついて来たのか眉間に手を当てながら一つずつ確認していく。
「その冒険者の方々とお知り合いなんですね」
「おう、孫が世話になっとる」
「あぁ、お孫さんの……」
インサイが孫を溺愛しているのは知っている。しかしそれだけで納得するのは難しい。
彼の知っているインサイは商売人として人当たりが良いかと聞かれれば決してそんなことは無い人間だ。破天荒で時折苛烈、商売に関しては好戦的な彼は会話の節々に出てくる溺愛している孫以外の人物に対して決して機嫌を窺うような事はしない。
そんな彼が事前に指名依頼という手段で相手に会えないかと問いかけ、それ以前に相手の判断によっては会わない選択肢を許すと言うのだから信じられない。
「お前さん、あやつらを知っとるみたいじゃったな」
「いえ、目立つので噂になりやすくて私もそれを聞いたに過ぎません」
「何じゃ、つまらん」
窓に肘をつきながら、インサイは言葉通りつまらなそうに外へと視線を投げた。
流れる景色は久しく訪れていなかったというのにほとんど変わりが無い。今度は間違いなく商業ギルドへと向かっていた。
そもそも何故今回インサイがアスタルニアを訪れたのかと言うと、交易で扱っているとある品が入手困難になりそうだからだ。元々希少な上に輸送が難しいので頻繁に見る品では無かったのだが、つい最近アスタルニアから来た商人らからしばらくは難しいだろうと告げられた。
必ずしも必要な品ではないがアスタルニアでしか手に入らない品なのでどうにか手に入れたいと思うものの、ならば何時来るかと聞けば酷く曖昧ではっきりしない。なら出向いて直接聞いてやれと国を出たインサイに、とある領主は忌々しそうに舌打ちしていた。
「用件を窺ってから、此方も先立って漁師の方々と話をしてみましたが……」
「難しい相手のようじゃの。今回は儂個人の交易に関する事じゃし、まさかギルドも動いていてくれてるとは思わなんだが」
「アスタルニアの特産品ですからね。此方としても無くなってしまえば困ります」
苦笑する職員に、職員と言えど商売人だとインサイは愉快そうに笑った。
そこそこの付き合いのあるギルド長とそれなりの雑談を交わしながら長い長い挨拶を終え、其処で聞いたギルドが把握している現状を反芻しながらインサイはさてどうするかと馬車から下りた。
目の前に広がる人に溢れる港にはそこらに漁師の姿が見える。まだ夕方にもなっていないが、早朝よりも早くに動き始めている漁師らにとっては一仕事終える時間なのだろう。
その後ろには相変わらず商業ギルド職員の姿もあって、監視兼世話係として共にいる。監視と言っても後ろ暗い思いから付けられている訳では無く、一応その行動を把握しておきたい程度のものだ。
「ちょっとブラつこうかの」
「御案内しましょう」
職員の案内のもと、インサイは港を見て回る。
大量に魚の入った木箱、吊るされビチビチと尾を振る巨大魚、港は様々な魚で溢れていた。一見問題が無いようだが、目当てのものは一度たりとも見ない。
そう、インサイの目的は魚の魔物だった。海での魔物漁となればアスタルニア特有の漁法で、ノウハウを知る熟練の漁師達により博打的に好んで行われている漁でもある。
勿論当たりも外れもある為に通常は普通の魚をとって生活しているが、上手く大漁を引き当てて充分に稼いだ漁師達が手を組んで一獲千金の小づかい稼ぎに魔物漁へと繰り出している。運任せというにはそこそこの勝率を誇るそれを止める者はおらず、むしろ魔物漁へと出られる技量を持つ漁師は周囲の漁師から尊敬される存在だ。
「魔物漁をやっとらん訳じゃないんじゃろ」
「私達が漁師の方々に“魚の魔物を望む方がいる”と伝えても、男のロマンに口を出すなの一点張りでして……」
「変な言い方じゃの」
まるで魔物漁が男のロマンでは無いというような漁師の言い分に、それ以上のロマンがあるように聞こえるがとインサイはむぅと唸って天を仰ぐ。まだ青い空は少し色を深めているようにも見えた。
やりたくないものを無理にやらせるつもりは無いが、何とかやる気になって貰えないだろうか。それならば漁師が言う所のロマンの正体を探るのが一番か。
漁師といったある意味職人分野に外から口を出すと不平不満を買いそうだと嫌そうに呟くインサイに、確かにと職員は深く同意する。職業柄色々な職に関わる事が多いし渡りをつける事も多いが、職人という人種はどうにもこうにも全員頑固で自らのテリトリーに人を入れたがらない。
「まぁ敵対商人の妨害じゃないだけマシじゃな。最近張り合いのある奴がいねぇからそれも良いかもしれんが」
「ご勘弁を」
職員は乾いた笑みを浮かべながらインサイの言葉に返す。
孫が出来て丸くなったと言われているが、とにかく自らの商売を邪魔されることを嫌うインサイは敵対されれば全力で相手を潰しにかかる。以前もマルケイドでとある交易商人が群島との貿易品をどうにか独占できないかと手を回し始めた段階で、インサイに跡形も無く潰された。
その時は独占されれば困る者達の協力があったとはいえ、早々に気付き対処に動いたのはインサイだ。とにかく容赦が無いが、ルールを守る同業には寛大なのだから信頼は厚い。
「とにかく原因を知らんことには」
「あ、いました」
言葉を遮る様にかけられた声に、しかしインサイは不満を覚えずニヤリと笑って立ち止まる。穏やかな声は最近とんと聞いていないとはいえ忘れようが無い。
「おお、久しぶりじゃの」
「お久しぶりです。お土産、有難うございました」
「ジャッジの爺さんでっけぇから直ぐ見つかんなァ」
周辺国一帯に影響を及ぼす貿易商社のトップに何て口を、と職員は青ざめたが来訪者の姿を確認して直ぐに気付く。インサイがわざわざコンタクトを取ろうとしていた人物だ。
窺えばインサイも怒るどころか機嫌が良さそうで、孫の事を話している時のデレデレした姿では無いが見るからに一般的な孫に甘い祖父に近い様子であった。初めて目の当たりにする噂の冒険者三人は確かに浮世離れしていて、特に微笑みを浮かべている一人などインサイと並んでどちらが有力者か分からなくなるが果たして本当に“孫が世話になった”というだけの関係なのだろうかと疑ってしまう。
「どうじゃリゼル、酔い止めは使っとるか」
「はい。魔鳥車に乗る時に必ず使ってたら一度も酔いませんでした」
「良し。ジル、手入れはしとるか。儂秘蔵の剣じゃぞ」
「何回聞くんだよクソ爺」
「うむ。イレヴンはどうじゃ、悪い事はしとらんか」
「リーダーの迷惑になる事はしてねぇ」
良し良し、と満足げに笑みを浮かべる姿は年の割に覇気に溢れていて、相変わらず元気そうだとリゼルは微笑んだ。そしてインサイの後ろに見覚えの無い人影を見つけるが、身に纏う制服に商業ギルドの人間かと軽く笑って挨拶するに留める。
「そういや天井直った?」
「あれは記念にそのままにしとる」
「修理代請求したじゃん! 俺払ったし!」
「嫌がらせじゃ」
ニンマリとした笑みと片手に輝くVサイン。イレヴンは盛大に顔を引き攣らせた。
それでも名を呼び土産を渡し、嫌がらせで水に流してやるというのだから破格の待遇だろう。これでイレヴンがリゼルの身内ではなくジャッジの店での盗難事件に一役買うことも無かったのなら、万が一顔を合わせても殺伐とした空気しか生まなかったに違いない。
限りなく自業自得なイレヴンの頭をぽんぽんと撫で、リゼルはそういえばと口を開く。
「インサイさんはアスタルニアへは何の用事で? ギルドで依頼を聞いた時は驚きました」
「お前さん達の用は良かったんか」
「丁度依頼が終わって帰った時に聞いたので。俺達も港に用があったし、会えて良かったです」
それは僥倖、と告げながらインサイはこの国を訪れた経緯を普通に話し始めた。
あまり広まっては欲しくない内容だろうにと職員は思ったが、あまりにも自然に説明を始めてしまった為に止めるタイミングを完全に逃した。話してどうなるのだと心底疑問に思う。
説明を聞いたリゼルは何かを考えるように視線を流し、ジルは聞いているのかいないのか退屈そうに何処かを見たままで、イレヴンは完全に聞き流しているらしく欠伸を漏らしていた。
「魚の魔物ならさァ、別に王都とかでも獲れんじゃん。ここの海と同じ種類の魔物が出る迷宮あるし」
「迷宮の魔物なら消えるじゃないですか。あ、でも食用ならセーフでしたっけ」
「判定が微妙過ぎるけどな。迷宮内で捌く必要がある上に持ち帰れねぇのも多い」
「どっちにしろ冒険者が捌いた魚なんざ品として扱えんわ」
つまり海育ちの天然もので、プロの漁師が捕まえて直ぐに捌き、そして魔道具や迷宮品ですかさず保存した魔物肉であるからこそ価値が出るという事だ。特に魚の魔物ともなれば捌き方は特殊で、冒険者が普通に魚に対して捌くのと似たように処理をすれば目も当てられない事になる。
だからこそアスタルニア特有の漁法で、熟練の漁師しか扱えない獲物でもあるのだから。
「インサイさん」
「なんじゃ」
ふと呼びかけるリゼルを見下ろしながらインサイは先を促す。
恐らくその口が告げるのはある種の決定打なのだろうと、商人の勘なのか年の功なのかは分からないが彼は既に気付いていた。それを楽しみに待てる程度には年も経験も重ねている。
少しばかりバツの悪そうな顔は上にあるインサイの顔を自然と窺うように見上げていて、相変わらず良い年した男の癖に似合っとるなと唇に笑みを浮かべた。わざとだとしても面白いから良し。
「それ、多分俺の所為です」
「ふむ、なら仕方無いの」
「は!?」
思わず声を上げた職員に、今まで一度も視線を向ける事のなかったジル達が一瞬そちらを見た。どうしたのかと言うよりは、何か文句でもあるのかと言うような一瞬の冷たい視線に思わず背筋が寒くなる。
しかし声を上げずにはいられなかった。自ら遠いアスタルニアに赴く程には重要視した問題の原因が目の前の冒険者であると発覚したのに、インサイの反応が余りにも大人し過ぎて意外過ぎる。
商売に絡んだインサイを知っていれば、「落とし前をつけろ」ぐらいは言って損失分を巻き返させるだろうにそれも無い。あまりにも軽く事態は収束した。
「何じゃ、魔物肉にでもハマって買い占めたんか」
「いえ、そういう訳じゃ無くて……あ、でも魔物肉って美味しいですね。この前凄く良いやつを食べたんですけど、今までで一番美味しかったです」
「良し良し、じゃあ今度マルケイドに来た時にとっておきの魔物料理を出す店に連れてってやろう」
「嬉しいです、有難うございます」
インサイがとっておきと言うのだからそれはもうとっておきだろう。魔物肉を扱える店は軒並み高級店が名を連ね、そして調理材料調達でも顔が広いインサイならばどんな店にでも入れる筈だ。
元の世界では頼まずともそういった店に通されたリゼルだが、此方の世界では幾ら貴族っぽくとも一見お断りのような店にはなかなか入れない。懐かしい食事をとる事が出来そうだと嬉しそうに笑ったリゼルは何処かずれていたが、インサイは満足そうなので問題は無いだろう。
「どうしましょう、良ければインサイさん達も俺たちに御一緒しませんか? その方が説明もしやすいと思います」
「ならお言葉に甘えようかの」
「向こうもそろそろ終わってるでしょうし、行きましょうか。そういえば領主様はお元気ですか?」
「仕事に追われとる。仕事中毒者だから問題ないじゃろ」
ジルは若干嫌そうだったが同行が決まり、リゼル達は揃って港を歩き出した。
「あ? 商業ギルドの人間がまた来やがったのか、てめぇらのお目当てのモンは無ぇよ。てめぇらにゃ分からねぇだろうがな、ロマンってのは金勘定とは全く別の」
「すみません、俺の付き添いです」
「おお、冒険者殿。なら仕方無ぇ、通んな」
港にある数少ないしっかりとした倉庫は、巨大魚や希少魚などの保管に使われる。
中には鮮度を保つための魔力布や貴重な解体包丁などが並べられ、それゆえに漁師が順に見回ったり施錠をしたりとアスタルニアでは珍しい程の厳重な保管が可能だ。そんな場所にリゼル達は招かれるままに入って行く。
インサイが来る前の調査で若干反感を持たれた職員が一度止められたものの、リゼルの言葉であっさりと通され相変わらず節操無く周りに影響を与える奴らだとインサイは面白そうに笑った。
「知らせが来たんですけど」
「おう、出来てるぜ」
漁師が親指で指し示した場所には倉庫を埋め尽くさんばかりの巨大な作業台、その上には鱗や布で包まれた何かが乗っていた。
一体何がと覗き込んだインサイが、ふと訝しげな顔で鱗をじっと見ている。
「こりゃ見た事ねぇ鱗じゃな。形的に魚の魔物に違いねぇが、こんなにでかいとなると滅多におらんぞ」
「……これは、まさか鎧鮫ですか?」
「鎧鮫? つうと獲れんって噂じゃ……ああお前さんたちか。期待通りやらかしおって」
かなり噂になった為に見当がついた職員の言葉に、インサイも知っていたのか成程と頷いた。アスタルニアにしかいない魔物なので彼には見覚えが無かったのだろう。
二匹目が出回ったと言う噂は聞いていたが、もはや三匹目にまで手が伸びていたとは。遠い目をする職員の隣では、今回の件での原因に思い当たったインサイがこりゃ仕方無いと肩を竦めている。
「あれか、魔物漁が出来るような熟練の漁師達がこれの解体に追われとったんじゃな」
「皆さん張り切ってくれたみたいです。すみません、インサイさんが出てくる程に影響があるとは思いませんでした」
「何、儂個人が馴染みにしてる店が絡んでくるから出張っただけじゃ。お前さんが謝る必要は無ぇ」
解体の腕が錆び付いては堪らないと張り切る熟練の漁師達だが、ひとまず一段落ついたしこれから徐々に魔物肉の流通は戻って行くだろう。むしろ鎧王鮫の肉を食べた若い漁師が魔物肉に酷く熱心になり、魔物漁に連れて行け連れて行けと煩いらしいので彼らが技術を修めれば流通量は増えるかもしれない。
「問題無いとは分かったとはいえ、手ぶらで帰るのも何じゃな」
「じゃあ俺この肉食べきれねぇし、残り持って」
イレヴンはジルに後頭部をぶったたかれた。何故この鎧王鮫だけ厳重な倉庫の中で捌かれたのかを知らない筈が無いだろう。
何せ致死毒入りの肉を持ちこんだのはイレヴン自身だ、問題無く食べられるのは彼ぐらいだろう。冗談なのにとぶつぶつ言っているが、これでインサイがじゃあ貰おうかと持って帰ろうとしたら黙って見送るだろう事は想像に難くない。
「ふむ、なら鱗はどうじゃ。これが売って貰えるなら来た甲斐もあるってもんじゃろ」
「あー……じゃあ全部持ってけよ。金貨二百枚」
「儂を誰だと思っとる」
かなり吹っかけたイレヴンだが、インサイは容易に空間魔法から金貨を用意してみせた。どーも、と軽い手付きでそれらの金貨を片付ける姿に職員は色々思わずにはいられない。
そう簡単にやり取りして良い素材じゃ無ければ、全く悩まず手放せる金額でも無いだろうに。
「こいつにしちゃ良心的だな」
「知り合い価格って事でしょうか。イレヴンもまだ鱗は残ってるみたいですしね」
平然とそんな会話をするリゼルとジルに、恐らく彼らも同じ世界の住人なのだと思わずにはいられない。これでSランクならばまだ納得出来ると言うのに、残念ながら彼らはまだ上位ランクにも入っていないBランクだ。
流石インサイの知り合いだと職員はいっそ悟りを開きそうでもある。
「じゃあ漁師さん、有難うございました」
「おう、また獲ってきたら持って来いよ!」
「しばらくは無いと思いますが、その時は宜しくお願いします」
見送られ、リゼル達は倉庫を出た。
インサイの用事もリゼル達の用事も済んだし、依頼はといえばインサイが会おうと思っただけに過ぎないので特にやる事も無い。ならば後は報酬だろうと、一体何が欲しいと面白そうに言うインサイへと三人は遠慮なく希望を口にした。
夜の宿で、リゼルは美しい姿勢で机に向かってペンを走らせていた。
置かれているのは皺ひとつない真新しい用紙で、其処へ流れるように文章を書き込んでいく。均等な間隔で綴られていく文字は丁寧で、ペンの動きが止まらない割に走り書きは一か所たりともない。
カリカリとペンが用紙を滑る音に混じり、背後から研ぎ澄まされるような研磨音が混じる。リゼルは手を止めぬままに微笑んだ。
「どうですか、ダマスカスの砥石」
「まぁまぁ」
リゼルの部屋にあるベッドに腰かけ、ジルがインサイに買わせた砥石を自らの大剣へと滑らせていた。リゼルに言わせればオリハルコンなどのそれより高価な砥石も並んでいたし、そちらの方が良いのではないかと思うがジルやイレヴンに言わせると違うらしい。
質の良いダマスカスの砥石となるとミスリルにも引けを取らない値段にもなり、ジルも金ならば有るが滅多に無い品なので手に入れる機会はあまりにも少ない。それをインサイの人脈を使って手に入れさせたのだが、どうやら満足のいく品だったようだ。
「イレヴンは裏競売の参加証でしたよね。そういうの、何処で知ってくるんでしょう」
「あいつ爺の名前も覚えてねぇ癖に調子良いな」
しかしジルもイレヴンも無理難題を吹っかけるものだと苦笑する。
インサイだから飄々と用意出来たものの、ちょっと稼いでる程度の商人では手も足も出ない品ばかりだ。むしろイレヴンのは品と言って良いかも定かではない。
インサイ自身が割とノリノリで手配していたから良いものの、喧嘩を売っているとみなされてもおかしくは無いだろう。少しは自分を見倣えば良いものを、とインサイに買って貰ったレターセットを見下ろしながら思う。
一級の素材や職人により細やかな装飾が施されているだけで、店のガラスケースに凛と飾られていて直ぐに見つかった。探す手間など全くかからなかった。
明日の早朝にはもう帰ると言っていたので別れの挨拶は済ませたが、マルケイドを長く空けられないとはいえ随分と慌ただしいものだ。
「そういえば最近、陛下もジル達のことを思い出してくれたんです」
「お前変なこと書くなよ」
「書いてませんよ」
ジルは手元を動かすのを止めて、胡散臭そうに机に向かっている背を見る。
彼の国王に名前が知れているなど変な感覚だ。思い出したと言うのは、ギリギリ初邂逅と言えなくも無い王都での路地裏の時の事だろうか。
しかしその時など彼は此方を一瞥しただけで何の興味も抱かず、ひたすらリゼルのみを視界に収めていたと言うのに一体何を思い出すというのか。何となく嫌な予感がする。
「“黒いのと赤いのが居たっぽいのは覚えてる”って書いてありましたし」
「それは覚えてねぇっつうんだよ」
呆れたように言うジルに、リゼルは可笑しそうに笑ってペンを置いた。
軽く見直し、何処にもミスが無い事を確認してセットになっていた封筒へと折りたたんで入れる。机の端に置いてあった月明かりを映すレターボックスを開いて、そして其処へと静かに封筒を寝かせた。
良しと頷いて髪を耳にかけながら振り返ると、眉を寄せて大剣の刃を眺めているジルがふっと視線を上げる。そのまま砥石や研磨剤を片付け始めたので手入れは終了したようだ。
「陛下にしてみれば充分ですよ。本当に興味が無ければ存在ごと忘れる方です」
「そりゃ光栄だ」
目を細めて笑ってみせたジルに、リゼルもにこりと微笑んだ。
そのまま今朝も早かったしそろそろ寝ようかと椅子から立ち上がると、それを見てジルもベッドを退いた。別に気にせず寝るから居ても良いのにとは思うものの、話し相手がいなくなるなら自室でも同じかとそのまま見送る。
「おやすみなさい」
「あぁ」
告げた挨拶の返事と扉が閉まる音を聞いて、リゼルは小さく欠伸を零してベッドへと潜り込んだ。




