9:心底恥ずかしい
今日の昼頃、ついにアイン達が迷宮を踏破したという情報が冒険者中に広がった。
冒険者に必要な力だけでは絶対に不可能な事をやり遂げた彼らに対し、様々な憶測が飛んでいる。
しばらくは絡まれたり持ち上げられたり大変だろうが、アイン達はすべて気にせず喜びに浸っていた。
迷宮の最深部で見つかった財宝、金貨千枚を手に入れたのだ。喜ばない方がおかしいだろう。
その見つけた金貨千枚は宝箱に入っている訳でも無く普通に小部屋の床にバラまかれており、アイン達のテンションを大いに下げたらしいが。
ちなみに彼らは昨夜既にリゼルを訪れており、金貨五百枚を約束通り渡している。
誤魔化す事無く五割の報酬を渡した彼らに、リゼルは内心失礼ながら意外に思ったものだ。
ただアイン達にしてみればリゼルとジル相手に誤魔化してタダで済むとは思ってもいないので、当然ともいえる。
彼らは昨晩リゼルへと大袈裟な程感謝の言葉を並べ、そのまま上機嫌で踏破祝いへと向かって行った。
「彼らには一人当たり金貨百二十五枚、これって多いんですか?」
「良い装備揃えようってんなら半分以上簡単に飛んでく。もっと上のランク目指そうってんなら当然足りなくなるだろ」
そして夜の今、リゼル達は出会って最初に訪れたバーを訪れている。
カウンターへと腰かけてジルは酒を頼み、リゼルは悩んでいたら以前と同じ果実水が出てきた。
カウンター越しに見える酒瓶の列を興味深そうに見ながら、リゼルは果実水へと口を付ける。
以前より甘さを控えたそれは、リゼルの好みに合っていた。
「美味しいです」
「……」
微笑んだリゼルに、マスターはちらりと視線を向けただけで無言で頷いた。
元々口数は多く無い。だが愛想は無いが腕は確かなので客が途切れる事はない。
リゼルは静かにグラスを下ろすと、後ろ手にポーチから布袋を取りだした。
真っ黒の布袋に金糸で刺繍されたそれをカウンターの上へと置くと、チャラリと硬貨が擦れる音がする。
ちょうどリゼルとジルの間に置かれた袋へは目を向けず、ジルは肘を突きながらリゼルを見た。
微笑みを浮かべている事が多いその穏やかな貌からは笑みが消えている。
ただあるだけで清廉さを醸し、その心情に関わらず慈愛を感じさせるとろりと甘い瞳が逸らされる事無く此方を射抜いていた。
この顔で甘やかされたのなら成程、年下が懐くのは道理だろうと今更ながらに納得する。
「一月、ありがとうございました」
そう、今日で丁度リゼルとジルが出会ってから一月が経つ。
つまりリゼルが最初に言いだした契約が今日で終わるのだ。
「持ち金、空に出来ませんでしたね」
「直前で馬鹿みたいに稼ぎやがって……」
からかうように笑うリゼルに、ジルは顔を顰めて舌打ちをした。
元々リゼルが幾ら持っているかも分からなかった為のカマかけだったので、本気で悔しがっている訳ではない。
簡単に流した上にからかってくるリゼルに対しての抗議だ。
見下ろした袋に詰まっているのは間違いなく金貨だ。
それが一月の世話代としては明らかに多いのは見ただけで分かる。
一月学習に費やしたリゼルが相場を分からない筈がなく、ならば間違いではないだろう。
カウンターのそれを手に取る事無く置いたまま、ジルはグラスを呷った。
「随分多いな」
「感謝の気持ちですよ。それと、予約」
「予約?」
まるで用が済んだので離れて行くかのような言い方に、ジルは怪訝な表情を隠しもせず浮かべた。
リゼルが自分を手元に留めて置きたいと思っていることはジルも気づいている。
ジル自身、おそらく自分はリゼルがこの世界にいる限り共に居るのだろうと思っていた。
「次にまた何かあったら、手を貸してくれますか?」
直後、ジルの持ったグラスにパキリとヒビが入った。
翌日、冒険者関係らの間に驚愕の知らせが駆け巡った。
連日の大ニュースにギルドに集まる冒険者は落ちつきなく話し合っている。
“一刀”のジルがついにパーティを組んだ、ただ一人の冒険者がパーティを組んだだけでこれ程周囲を騒がせる事は未だかつて無い。
ジルを知る者は信じる事無く一蹴し、ジルと共にリゼルを知る者は疑いながらも受け入れ、二人と懇意にしていた者は「まだ組んでなかったっけ」と首を傾げた。
二人と懇意にしている中で唯一の例外であるスタッドは、その噂の中心を目の前にして不本意の気持ちを隠すことなく向かい合っている。
不快感を隠さない淡々とした視線を受けているジルは、鼻で笑って悠然と見下ろした。
「なついてる奴を取られて拗ねてんじゃねぇ、ガキ」
「誰が誰になついているんですか全く」
「お前無意識かよ……」
スタッドは依頼完了手続きをしながら、何処かふっきれたようなジルから視線を離した。
リゼルと出会う前のジルはそれこそ“一刀”の名に相応しく、まるで剥き出しの刃物のような男であった。
スタッドとの会話は事務的なもの以外は無く、それこそ彼から話しかけて来る事など一度も無い。
表情も苛立ったような表情から変わらず、人とつるむ事も無く誰かと一緒に歩いていると思えば大抵夜に女に誘われた時ぐらいだったはずだ。
無駄話しないのでスタッドは嫌いでは無かったが。もちろん好きでも何でもない。
それがどうだろう。
リゼルの前で呆れたような表情を浮かべる男は、以前と同一人物なのかと疑ってしまう。
緩くなった訳ではない、甘くなった訳でもない。喧嘩を売れば研いだ刃物のような鋭い殺気に晒されるだろう事は想像に難くない。
雰囲気に余裕が出来たと言えば良いか。不思議と冒険者としての格を上げてさえいる気がする。
好きか嫌いかと言われたら、気に入らない。
「……護衛じゃ無くなったからって危険に晒さないで下さいよ」
「誰に言ってやがる」
色々と思う所はあるが、結局の所スタッドが気にする事などそれだけだ。
ジルが変わろうと変わらないでいようと関係が無い。リゼルが無事ならばそれで良い。
これで懐いているという自覚が無いのだから、ジルが呆れるのも仕方ないだろう。
当事者のリゼルが折角の対等なパーティなのにと複雑に思っている内に、手続きが終了したらしい。
リゼルが返却されるギルドカードを受け取ろうと腕を伸ばした時、スタッドはその袖口を捕まえた。
「じゃあこの手首のアザは何なんですか口だけ野郎」
少しめくる様に動かすと、その手首をぐるりと囲むように紫のアザが出来ている。
まるで握りしめられたような跡は、冒険者にしては白いリゼルの肌を薄らと彩っていた。
手が離されると、リゼルが可笑しそうに笑って袖を整えながら言う。
「ジルに捨てないでって泣き付かれちゃって」
「ねぇよ」
否定しながらも不機嫌そうな顔で舌打ちをしている辺り、アザを付けたのはジルで間違いないらしい。
憮然とした視線を送るスタッドから視線を逸らしているのを見る限り、自分でもバツが悪く思っているのだろう。
何があったのかと思うが、スタッドはこれ以降ジルがリゼルを傷つける事は無いと一応ながら信用して問い質すのを止めた。
元々人の事情に首を突っ込む真似は嫌う方だ。
実際、昨晩の出来事を知るのは二人とバーのマスターのみ。
寡黙な彼がその出来事を誰かに言いふらす事は決してない。
ジル自身思い出したくも無いし、出来れば早く忘れてくれと思っている程だ。真実が露見する事は無いだろう。
リゼルが丁寧にギルドカードを仕舞い終えるのを確認し、スタッドが一通の封筒を差し出した。
「今朝ギルド長宛ての手紙に混ざっていました。中身を拝見しましたが貴方達宛てのようです」
「心当たりが無いんですけど……俺宛て?」
宛名も何も無いその封筒は如何にも厚手で高級そうな仕様をしている。
リゼルが受け取ってくるりと裏返して見ると、右下に大胆な文字で“Mr.Bear”と書かれていた。
考えるまでもなくレイ子爵からだ。
「ギルド長は何て?」
「さぁ、勝手に持って来たので知りませんが問題は無いです」
いつも通り手紙の仕分けをしていたら子爵かららしき手紙があり、差し出し人の書き方からしてリゼル宛てだろうと察し、中身を確認して勝手に持って来たようだ。
良いのか、と思いながら隣に座るギルド職員を窺う。頷かれた。
此処まで私事で動いたことは無いようだが、効率重視のスタッドは度々こういった行動をとる。
「ギルド入会の時に権力介入を拒否していたのに、良いんですか?」
「登録者として受け入れられないだけです。貴族が依頼人として顧客についてくれればギルドとしても嬉しい限りですので」
権力介入を全て拒否しても敵を作るだけだろう。
ならば味方にしてしまおう、というのがギルドの方針らしい。
しかしギルドから関わるな、と言われない限り貴族からの手紙に対して拒否権は無い。
別に拒否しないけど、と思いながらリゼルは封の開いている封筒から手紙を取り出す。
「ここで読んで良いんですか」
スタッドの言葉に疑問を取り、ふとリゼルは周りを見渡した。
噂の所為か此方へと集まっていた視線が一斉に散って行く様子に苦笑する。
気付いていなかった訳ではないが、貴族として視線に晒される生活を送って来たリゼルは自分に向けられる視線に無頓着だ。
今のように周囲に知られたら面倒な状況でも癖で流してしまう事が多い為、度々やらかす事がある。
本当に知られたくない場合は気を付ける事が出来るのだが。
「まあ内容も差し出し人も分からないでしょう」
「分かりゃしねぇがな……」
ただでさえパーティを組んだ件で視線を集めている中、ギルド職員から見るからに雰囲気のある封筒を受け取っていたら、浅からず事情は察せられるだろう。
冒険者として駆け出しのリゼルが受け取るには不自然だ。
今でさえその素性は想像されるまま自由に噂されているが、これ以降余計に増えそうだ。
落ちる髪を耳にかけ、品良く手紙に目を通しているリゼルは何も気にしていないが。
「お前もマイペースだな」
「んー?」
ジルの呆れた声に曖昧に微笑み、リゼルは手紙を読み終えた。
「貴族なのにフットワークの軽い方です」
「あ?」
はいと手紙を手渡され、ジルはその書面に視線を落とした。
快活な性格に似合う豪快な字が、ツラツラと書面を流れている。
貴族らしい丁寧な文章、悪く言えば回りくどい文章を眉間に皺を寄せながら解読していくと、内容は簡単なものだった。
コレクションを自慢したい。ついでに頼みたい事がある。だから来て欲しい。これだけだ。
「行くのか?」
「どうしましょうね。断っても許してくれそうな気はするけど」
「行きたくねぇの」
「そういう選択肢もあるってだけです。折角のパーティなんだから君の意思も聞きたいじゃないですか」
「リーダーはお前じゃねぇか」
そう、リゼル達のパーティの代表はリゼルだった。
通常ギルドランクが一番高い者がリーダーを務める事がほとんどで、冒険者内の常識とも言える。
なのでリゼルはジルがリーダーになるものだと思っていたのだが、当の本人が嫌がった。
ジル曰く『お前を従えろって? 冗談だろ』らしい。当然のような顔で言われればリゼルも無理に強いるつもりはない。
こうしてEランクのパーティリーダーが誕生した。
「ジルが嫌なら断ります。だってああいう方々と関わるの、嫌そうだったじゃないですか」
「必要なら別にいい」
じっとリゼルがジルを見る。
ジルの言葉が嘘だったのならリゼルは今回の件を平気で断っただろうが、そうでは無さそうだ。
「(貴族が嫌なんじゃなくて、気に入らない貴族がいるっていう事かな)」
リゼルはジルが何処かで貴族と関わりがある(又はあった)と確信している。
恐らくは騎士、それに関連する貴族か何かだろう。ただの予想だが外れているとは思わない。
ジルは知られたく無さそうなので無理に問い質そうとは思わないが、今後必要となれば遠慮なく聞こうとは思っている。
「じゃあ折角なのでお呼ばれしましょうか」
「ああ」
「スタッド君、場所分かります?」
スタッドに子爵家の場所を聞くと、やはり中心街だと聞かされた。
リゼルがこの世界に来た初日にも思った事だが、この国に限らず重要な機関は国中央に集められる事が多い。
貴族が住む地域は城に程近く、中心街はぐるりと川に囲まれて簡単に区別されているらしい。
川を渡る為の大橋が東西南北にあり、その橋には門番のように憲兵が通る人々を見ていて不審な人物を通さない様にしているようだ。
もちろん貴族しか入れない訳ではない。
中心街に働き口がある人々も大勢いれば、商人達の出入りも多い。
中心街と言えど外側は人々で賑わっているので、リゼル達も悠々と入る事が出来るだろう。
「少し遠いですが中心街の大橋まで行けば馬車の貸出があります」
「普通の冒険者でも借りれるんですか?」
「まあ何の用も無く利用しようとするなら盛大に怪しまれますが、子爵の手紙があれば大丈夫でしょう。特に貴方はそんな心配しなくて良いかと」
通常大橋の馬車は、中心街の更に中央部分に家を構える者が使用する金持ち御用達の大型馬車だ。
中心街から外に出る場合は馬車を小型の物に乗りかえる事が常識で、大型馬車は滅多にこの辺りで見る事は無い。
そんな馬車を冒険者が借りて中心部へ向かおうとすればまず止められる。
貴族から依頼を受けた証明があれば容易だが、そんな冒険者はまずS~Aランク冒険者であり、Eランクの冒険者が子爵の手紙を持っていようと確実に怪しまれるだろう。
しかしスタッドは考える。
リゼルに関してはギルドカードの提示も子爵からの手紙の提示も必要無く、ごく自然に馬車を借りられるだろうと。
どうせ門番は何処かへ出掛けていた貴族が帰って来たとしか思わないはずだ。
「ギルドから先触れは出しておきましょう、今日中の訪問でも問題ありません」
「じゃあすぐ向かうのも何だし、ゆっくりと昼食でも食べて行きましょうか」
そして昼食後。
滑らかに舗装された道を音一つ立てずに走る馬車の中で、リゼルは外の景色を眺めていた。
広い車内に向かい合うように座っているジルがその長い脚を投げ出してもまだ余裕がある広さだ。
「まさか本当に顔パスだとは思いませんでした。俺の格好って冒険者ですよね?」
「一般的な冒険者ではねぇんじゃねぇの。素材的には貴族の服よか上等だ」
「そんなのジルもじゃないですか」
ジルもリゼルも一からオーダーメイドの服を着ているので、確かに通常目にする冒険者の服とは装いが異なる。
リゼル自身魔法使いっぽいと思っていたが、製作者がリゼルの貴族らしさを意識したのならこういう事もあるのだろう。
ジルは着ている服は元より中身の所為が大半だろうと思ったが、冒険者らしく無いだろうかと悩んでいるリゼルに気を遣って言うのを止めた。
本人ではどうしようも無い事を突き付けても仕方無い。
「もう少しガラ悪くしてみようかな」
「止めとけ」
平然と迷走しそうになるリゼルをジルが止めていると、カタンと小さな揺れと共に馬車が止まった。
しばらくの後、御者が馬車の扉を開けて簡易階段を扉の下に置く。
その一連を悠然と座って待っている姿を見ると、やはりリゼルも貴族なのだとジルに再確認させた。
先にジルが降り、続いてリゼルが降りて御者に銀貨を渡す。
去って行く馬車を見送って、リゼルはゆるりと周囲を見渡した。
「リゼル様とジル様ですね」
開いた門の真ん中に姿勢良く立つ年老いた男性が一人。
恰好からして執事だろう、綺麗な礼を見せた老人が微笑んだまま二人を見ている。
「私、この邸宅で執事長を務めさせて頂いております。どうぞ此方へ」
案内されるままに玄関を潜る。
出迎えた広いホールには大小問わず絵画が壁に掛けられており、圧巻の様相を見せていた。
リゼルは絵のひとつひとつに目を通しながら、内心首を傾げる。
絵の内容がいまいち芸術として選ばれるシーンを描いたものでは無いのだ。
冒険者が魔物を射止めた風景、またはその逆、迷宮内の景色や、ただ迷宮の門だけが描かれたもの。
「ジル、これって……」
「早速見て頂いているかな、これも私の自慢の迷宮品の数々だとも!」
バターンッという効果音が出て来そうな登場でレイが現れた。実際そんな喧しい音はしていない。
軽く手を広げて歩いている様子はまるで劇団のようだ。
「よく来てくれたね、歓迎しよう」
「本日はお招き頂き、」
「止してくれたまえ、君達とは親しい友人としてあろうと私は決めたのだよ! 二人とも友人として普段通りに接してくれたまえ」
スタスタと速足で近付いてくるレイが、訪問の口上を述べようとしたリゼルを止める。
冒険者を捕まえて友人とは奇妙だが、とリゼルは目の前で足を止めたレイを見る。
元々持っているパーソナルスペースが狭いのだろう、とにかく立ち位置が近い。
輝く金髪と笑顔から離れるように、リゼルは一歩後ろへ下がった。詰められた。
目上から態度を楽にして良いと言われた時、それは二種類の意味を持つ。
本当にそう思って口に出しているのか、相手がどの程度距離を詰めるのか観察する目的を持つのか。
いきなり態度が砕けた場合、その相手は以前から自分を低く見ていた証拠に他ならない。
その意図を持ってレイが発言したのかとも考えたが、そうではなさそうだ。
リゼルは黙っているジルをちらりと見て、レイへと視線を戻す。
「では、その通りに」
「固い!」
「じゃあ、そうさせて貰います」
「さぁ君もだ!」
「……うっせぇなぁ」
試す所か自ら距離を詰める事を要求するところを見ると、本当に他に意図は無いらしい。
よろしい、と満足げに頷く相手にリゼルは苦笑した。
「では案内しよう」
「あ、その前に」
くるりと踵を返そうとしたレイを呼び止め、リゼルはごそごそとポーチの中を漁る。
目的の物を掴み、レイへと差し出した。直接手渡すのもどうかと執事長を探したが、彼の姿はいつの間にか無かったからだ。
リゼルが手渡したのは白と橙のストライプ柄の包み、豪華なリボンで口が結ばれたそれは以前と同じく豪華な封筒がリボンと一緒に止められている。
一目見ただけで分かるプレゼントに、レイは目を輝かせてその包みを受け取った。
「お土産です」
「~~~ッッッ素晴らしい! 君は最高だ!」
包みを丁寧に開いて姿を現したお土産に、レイのテンションは上がりに上がった。
すでに輝いている雰囲気を更に輝かせてばっと手を広げたレイが、勢いよくリゼルに迫った。
そのまま抱きこまれるかと思いきや、ジルに腕を引かれたおかげでリゼルは何とか締め上げを回避した。
レイは空ぶった手など気にもせず、改めてお土産と称されたプレゼントを見る。
黄色の宝石が輝く目を持ったテディベア。リゼルの記念すべき二回目の宝箱の中身だ。
レイに会う機会があれば渡そうと思っていたが、今回丁度良いのでラッピングをして持って来たのだ。
ちなみに宝箱を開けた時、ジルは珍しく肩に手を置いて慰めてくれた。
「年相応に落ちつけよオッサン……」
「まあまあ、あれだけ喜んで貰えると嬉しいじゃないですか」
「素晴らしい! 私は今最高に幸せだとも! ああ、何て奇跡を目にしたのだろう!」
一体いつ落ちつくのか、と思っていると何処からか執事長が来てレイを落ち着ける。
手慣れた様子でレイの相手をする執事長は、まさに慣れだとしか言いようが無い。
テディベアは執事長に渡され、恐らく以前の物と並んで飾られる事になるだろう。
その後執事長に案内されるがままに応接間へと通される。
こちらも玄関程ではないが絵画が掛けられ、さらにショーウインドウのように迷宮品が並べられていた。
やはり絵画は何処かの迷宮の風景だろう。映し出された人物はやけにリアルな冒険者だ。
「絵の題材って、もしかして実際に存在する方なんですか?」
「その通り!」
絵画は確率としては高くないが、どの迷宮でも手に入る。
大きくて嵩張り、大して値打ち物でも無いので冒険者にとっては有難く無い代物だ。
リゼルやジルは空間魔法付きのカバンを持っているが、値が張るので持っている冒険者は少ない。
持ち運びの手段が無い冒険者は、そのまま迷宮に置いていく事がほとんどだろう。
その絵画が唯一値が上がる時、それは描かれたシーンが貴重な時に限る。
絵画の内容は、実は過去その迷宮で実際にあった風景が描かれる。
なので大半は迷宮のなんて事無い通路だったりするのだが、それが迷宮のボスだったり神秘的な風景だったりした時は値段が底上げされるのだ。
そして何より貴重なものが、有名な冒険者が映っている絵画。
Sランクパーティや有名パーティなど、有名な人物が映っている時の絵画の値段は驚異的なものとなる。
「じゃあジルが描かれた絵画は、結構高くなるんじゃないですか?」
「さぁな。つぅか自分が映ってるなんざ見たくも」
「うむ、一枚だけあるな! 見たいだろう?」
「止めろ」
心底嫌そうに顔を顰めたジルを宥め、是非とリゼルが頷く。
ニヤリと面白そうに笑いながら、レイがパチリと指を鳴らした。
間を置かずに布を被せた額を抱えた使用人がやって来て、はらりとその布を取り去る。
決して見ない様に不機嫌全開で顔を背けるジルを尻目に、レイとリゼルは遠慮なくその絵画を見た。
幅一メートル程の額縁の中に、冷たい視線で何かを切り裂くジルが描かれていた。
その何かは巨大すぎて分からないが、大きさから何処かの迷宮のボスなのだろう。
「いやいや、“一刀”とボスのダブルで物凄い値がついたよ。絵画も深層から出たようだし、迷宮もこれの価値がきちんと分かっているようだね」
「ちなみに幾らくらいでした?」
「金貨八十枚はしたかな。ツテで手に入ったから良かったが、オークションなら二百枚はいったかもしれない」
「大人気じゃないですか、ジル」
ほらほらと肩を揺するも、その手は鬱陶しげに握られてぽいっと捨てられる。
「やっぱり強い冒険者は人気があるんですか?」
「強さもそうだが、やはり絵画映えする容姿があればこそだろうね。オークションも令嬢が競い合って二百枚まで上げてくれるという予想だよ」
「容姿、ですか」
リゼルはじっと絵画を見た後、じっとジルの顔を見つめた。
端正な顔はしていると思っていたが成程、常にある眉間の皺を取ればそれはそれは美しい顔をしている。
絵画に描かれているジルはまさにその真顔だ。
切れ長の目とすっと通った鼻筋、薄い唇は完璧に配置されており、気だるげな視線は男らしい色気を感じさせる。
今までガラが悪いとしかリゼルは思っていなかったが、その少し危ない雰囲気がたまらないという女性は多いだろう。
あまりにじっと観察していた為か、視線を逸らし続けていたジルがちらりとリゼルを見た。
相変わらず眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔だったが、やがて諦めたように溜息をついて片手を持ち上げる。
そのままリゼルの目を覆うように、がしりと頭を掴んだ。
「視線が煩い」
「すみません」
「おい、いい加減片づけろ」
ジルは目の前で可笑しそうに微笑む唇を眺め、面白そうなレイを睨みつける。
声を上げて笑ったレイが絵画を片付けさせると、ようやくリゼルを掴んでいた手が離れた。
少し乱れた髪を直しながら、リゼルは先程まで絵画が置かれていた場所を横目で見る。
「いつか俺の絵画も出るんでしょうか。ジル程嫌がりはしませんが、やっぱり恥ずかしいですね」
「そうしたら幾ら出そうとも私が手に入れよう、安心したまえ!」
手に入れたらもれなく飾るレイに安心しろと言われて安心出来る筈が無い。
むしろ手に入れたいと隠す事無く主張するレイに、リゼルは迷宮に潜るのを控えるべきか考えてしまった。
今はただ迷宮に目を付けられない事を祈るだけだ。
「ところで、頼みたい事とは?」
「ああ、そうだったな」
話を逸らすように尋ねるリゼルに、レイは一通の手紙を差し出した。
正式に綴られたものだろう、蝋で封がされたそれをリゼルが受け取る。
さして厚みのないそれは、内容の予想が全くつかない。窺うようにレイを見る。
「君達もマルケイドを訪れる事があるだろう、必要があれば使いたまえ!」
ニヤリと笑ったレイが言う。
リゼルが以前レイと接触した後に話を聞いた限りでは、女将は彼の事を“美中年”だと言っていた。
成程、若い頃はそうとうモテたのだろうと簡単に想像が出来る笑顔だ。
リゼルがちらりと手紙を見て、先程のレイの言葉を脳内で繰り返す。
必要があれば使え、という事は。
「……俺のような冒険者にそんな機会は来ないと思いますが」
「私はそうは思わないがね」
やはりそう言う事なのだろう、と頷くリゼル。ジルはレイの事を胡散臭そうに見ている。
それもそうだろう、出会ってまだ二回目でこれ程親切にされる謂れは無い。
ジルはレイの真意を恐らく見抜いている自信がある。だからこそ、完全に警戒を解かずにいるのだ。
そんなジルに気付いていながらもレイは友好的態度を崩さないのだから、流石貴族と言わざるを得ないだろう。
手紙を返す事無くしまい込んだリゼルにレイは満足げに笑い、立ち上がった。
「さあ、今日の本題といこう。私のコレクションを心行くまで楽しんでくれたまえ!」
彼にとっては此方が本題らしい。意気揚々と二人を先導して歩いて行く。
その後、リゼルとジルは本当に心行くまでコレクションを見せられた。
勿論それはレイの心行くまで、だったのだが。