77:多分某副隊長が頑張る
「あ、魔力溜まりが近付いて来てますね」
依頼の終了手続きの終わったギルドで、ふとリゼルは依頼ボードの隣に置かれている黒板を眺めた。黄色のチョークで示される魔物の異常発生が徐々に黒板の外へずれていっているのは朝に見たが、今はそれにプラスして赤いチョークの斜線が黒板の隅から覗いている。
ジャングルのスポットは森から出ない為に国への危険は無いが、それでも近付いてくるようなら少なからず影響は出るだろう。特に日々ジャングルへと乗り出す冒険者にとっては活動範囲がかなり狭くなりそうだ。
「影響が出るようなら言え」
「あー、魔力中毒? リーダーだいじょぶ?」
「有難うございます。潮風もあるし、多分大丈夫だとは思いますけど」
魔鉱国ではスポットが風上にある所為で魔力が国に流れてきたが、此処では風向きの関係で恐らく影響は少ない。元々それなりに多いというだけで莫大という程の魔力を持っている訳では無いので症状は軽く、大丈夫だろうと頷くリゼルは特に構えもしない。
いざとなれば魔力を完全に遮断出来るバンダナもある。街中で日常的には使いにくい形状なので使う気は無いが。
「お、おい!」
黒板を見ながらスポットに突っ込んでみるか否かと話していた三人は、ふいに声をかけられ振り返った。見覚えのある冒険者の男が腕を組んで仁王立ちしながら立っている。
先日劇団“Phantasm”の団長が依頼に来た際、ヤジを飛ばして喧嘩を売った男だ。団長が喧嘩を買った瞬間ギルド中から上がった歓声に、アスタルニアの人は本当にノリが良いなと思ったものだなどと考えながらリゼルは微笑んだ。
イチャモンか何かかと舌を唇に這わせながら前に出ようとするイレヴンを手で制す。恐らく用件はガンの付け合いでは無い。
「どうしました?」
「……てめぇらに、聞きたい事がある」
男は腕を組んだまま、あちこちに視線を泳がせている。
とてつもなく言い辛そうな様子だ。しかし付き合う義理も無ければ特に気にもならず、言わないならと平然とその場を後にしようとするリゼル達を見ると焦ったように口を開いた。
「てめぇらあの劇団の依頼受けたなら知ってんだろ! あの、魔王役の事!」
勢い良く吐き出された言葉と赤くなった顔に、リゼルは成程と慈悲深い笑みと共に頷いた。
そしてジルは憐れみと共にそっと目を逸らした。更にイレヴンは全力で噴き出した後に爆笑している。
冒険者に絡まれようと怯まない団長にどんなものかと気紛れを起こして見に行ったら、あの圧倒的な存在感を放つ薔薇のような少女に絡め取られたようだ。ファンタズムの劇の評判は初日以降時折耳にするが上々、特に魔王役は色々話題になっている。
「劇場から出てくる奴探してもそれっぽい奴全然いねぇし……いや、別に待ってたとかじゃねぇけど!? 噂の魔王役の事気になっただけで!?」
リゼル達の想定外のリアクションに、男は何やら必死に言い訳している。
笑いすぎて咳き込んでいるイレヴンの背を撫でてやりながら、リゼルはうーんと少しだけ悩んだ。正体不明という話題性は劇団にとって重要だろうが、特に口止めなどされている訳でもない。
しかしあっさりと言うのは憚られて、簡単に露見しないように分かる人間には分かるだろう言い方ならば良いかとゆるりと首を傾ける。
「じゃあ、ヒントだけ」
「お、おう!」
「彼女、劇中の空気作りにも余念が無いのでそれを壊すような野次って好きじゃなさそうです」
にこりと笑ったリゼルに、男は疑問を抱きながらも知る事が出来た情報に顔を輝かせた。
その後ろではヒントから全てを察した男のパーティメンバーが死んだ目をしながら“こいつぁアカン……”と恋に現を抜かす彼を見ていたが、果たして彼らが真実を教えたのかは礼を言われながらギルドを出て行ったリゼル達には分からなかった。
宿に帰ると各々その日の汗を流す。
宿主の趣味により何故か風呂があるこの宿は、一応それも売りで経営している。しかしアスタルニアの人々はともすれば水を浴びて終わらせる事も多く需要はそう多くないようだ。
宿屋にあるシャワーは大抵が一人用で客が順番に使う。それに反する事なく決して広くはない木の風呂は、以前リゼル達が寄った温泉と比べると当然狭いが一人で使うには充分な大きさだった。
リゼルは実家に風呂があった事で慣れた習慣からか日々湯に浸かるが、ジルはその日の気分でシャワーだけで済ませたりもするしイレヴンは全く使わない。馴染みが無ければそんなものだろう。
シャワーの後は大抵各自自由に動き、勝手に何処かへ出かけたりする事も多い。その際は宿主に夕食はいらないと告げて出ているので出先で偶然会えば外で一緒に夕食でもという流れもある。
三人全員が個人で自由奔放に動きすぎているので宿主は“仲が良いのか悪いのか分からんけど多分めちゃくちゃ良い”と常々思っている。何故なら出かけない時は当然宿で夕食を食べるのだが、特に示し合わせている訳でも無いのに三人はほぼ同時に食堂を訪れるからだ。
準備も片付けも楽で良いけど、と思っている宿主の事など知らないままに今日は特に出かける気分じゃなかった三人は相変わらず一緒に夕食をとっている。
「ッんく。すみません、食事中に」
「お前相変わらず変なクシャミすんな」
「不可抗力です」
苦笑したリゼルは風邪かとイレヴンに問いかけられ首を振った。
特に寒気も何も無く、食欲もたった今いつも通りの夕飯を食べきったばかりだ。体が資本の冒険者として一応体調管理には気を遣っているので本当にただのクシャミだろう。
リゼルがそう告げようとした時、耐えきれず零れた再びのクシャミにそれが言葉となる事は無かった。温暖な気候とはいえ湯冷めしたかな、と思いながらグラスに残る水を飲む。
「一応ですけど、今日は早めに休む事にします」
「そうしろ」
「リーダーだいじょぶ?」
「一応です、一応。特に体調が悪いとかじゃないですよ」
席を立ち、見上げるイレヴンに対して微笑みリゼルは食堂を後にした。
流石事前準備を怠らない男、言われずとも不調の前兆に対して対策をとるその後ろ姿が心強い。心配しつつも冗談半分で内心呟き、イレヴンはそういえばと目の前で既に食事を終えているジルを見た。
ちなみにイレヴンはまだ食べ続けている。おかわり三回目だ。
「ニィサンこの後ヒマ?」
「用事は無ぇけど」
「じゃあ付き合って」
にんまりと笑うイレヴンに、ジルは肘をついていた腕を組みながら促すように顎で煽る。
付き合って欲しいなら相応のものを見せてみろと言う仕草に、そうこなくっちゃとイレヴンは一本の瓶をごそりと取り出した。ジルの視線が張り付けられたラベルをなぞる。
「ショットで一人飲みとか趣味じゃねぇんスよ」
「じゃあ買うなよ」
「でも飲みてぇじゃん」
席を立たないジルにこれは了承を得られたと確信し、イレヴンは残った夕食を全て腹に収めた。機嫌良さそうに立ち上がり、食堂の後ろにあるキッチンへと歩き出す。
開け放たれた扉を覗きこむと宿主が相変わらず変な鼻歌を歌いながら食器を洗っており、顔を出したイレヴンを見つけ再びおかわりかと身構えた。今までの経験から言って今日の料理ならおかわり三回で済む筈だったのだが。
「ショットグラス二個とつまみ作って」
「いやいやひたすらストレートとかきついですよロックグラスありますけど」
「あれの六十年もの薄めろって?」
酒一本に金貨何十枚積んでんだと盛大に顔を引き攣らせた宿主を放ってイレヴンは机へと戻る。放っておいてもその内復活して用意するだろう。
勢いつけたように座った癖に椅子をギシリとも鳴らさないイレヴンが、ピッと髪を弾きながら向かいへと座るジルを見る。置かれた酒瓶を見ていた視線が呆れたように向けられた。
「何処で見つけて来んだこんなもん」
「ん? ニィサンが想像するようなトコじゃねぇの」
どんな街でも裏の顔は持つものだ。
王都の裏商店と同じくアスタルニアにも夜になれば闇の中を生きる人間が集まる場所が存在する。それは真夜中を過ぎても秘かに開いている店だったり酒場だったりするのだが、国に来て早々見つかる場所でも無ければ利用出来る場所でも無い。
何かのツテを辿ったのか、誰かを脅して聞きだしたのか、力でねじ伏せて利用しているのかは分からない。ジルにとっても其処は別に興味が無く、楽しんでるなら勝手にしろという程度だ。
「アイツに手ぇ出させるなよ」
「それわざわざ言う事じゃねぇっしょ」
笑みを深くしたイレヴンに、なら良いと返しながら目の前にあるグラスを隅へと寄せた。
丁度ショットグラスを運んできた宿主が、机の上にある酒瓶を確認しそれを盛大に迂回しながら机の上へと並べていく。とりあえず、とグラスと一緒に並べられたスモークチーズとナッツはイレヴンに配慮してかつまみというには量が多い。
「あんな高級酒に合うつまみとか何も分からんいっそ酒相手に畏れ多い」
「ん」
「はい?」
イレヴンは何やら呟きながら去ろうとする宿主が持つトレイへと、片手を伸ばして銀貨数枚を転がした。客に食事は作るがつまみまで作るのは本来宿の仕事では無い、追加の食事代という事だろう。
食事代にしては多いが宿主は遠慮無く受け取って機嫌良く去って行った。別に追加料金など取ろうと思っていなかったがくれるというなら貰う。
王都の女将ならば「いちいち気にするんじゃないよ全く!」と言って受け取らないと容易に想像がつくだけに新鮮だ。二人は特に視線を向けるでも無くそう思いながら、用意された小さなグラスに酒を注いだ。
「で、何処の店だって?」
「気に入った? あの港に続く道に酒場あるじゃねッスか」
「あんなとこ酒場だらけだろうが」
「看板にでっかい牙がぶらさがってるトコ」
ジルは肘をつき、グラスに口をつけながら考えるように視線を流す。
アスタルニアの港周りは漁師や船員が行き来する為に特に酒場が多い。一度入った事がある店ならばまだしも前を通っただけの店など思い出すのに苦労する。
イレヴンはひょいひょいとナッツを口に放り込みながらえーっとと上手い説明の方法が出来ないものかと考える。
「あー……あ、そうだ。リーダーと行ったじゃん、魚料理の美味い店。貝の酒蒸しが美味かったとこ」
「あぁ。アイツが心底同情買ったとこな」
そうそう、とケラケラ笑いながらイレヴンは頷いた。
アスタルニアで男が酒場で酒を頼まないのはあり得ない。食事が美味いと聞いたから訪れたものの、やはり普通に水で良いと店員に告げた時の周りの反応は茶化すか笑うかのどちらかだった。
特に酒が入っているものだから一度盛り上がれば終わらない。それを終わらせたのは、やはりと言うか寂しげな笑みを浮かべたリゼルだった。
『俺もお酒が飲みたくて仕方無いんですけど……もう何年その為に努力したか』
『無理やり飲んでりゃ飲めるようになるさ!』
『つい先日、子供が飲んでも酔わない薄さ一口で記憶が消えました』
もはや誰も茶化せなかった。何故か切なさに涙を流している者もいた。
まぁ元気出せよと言われながらサービスで差し出されたレモン水を、リゼルは笑いながら受け取っていたのであれは遊んでいたのだろう。飲めたら良いなと思っているのは本心だが全く気にしていない事をジルもイレヴンも良く知っている。
最終的には後から店に入って来た男達が水を飲むリゼルに絡もうとした瞬間、全員総出で“こいつの苦労も知らねぇ癖に!”と庇ってくれたので楽だったが。むしろリゼル的にはそれを狙ったのではと思えてしまう。
「まぁ良く遊ぶ人ッスよね」
「周りを転がすのは慣れてんだろ、職業柄」
「俺も楽しいから良いけど。あそこの向かい側一個隣」
「……あぁ、あそこか」
グラスを机へと置きながら頷いて、ジルは考えるように酒が残る唇へと舌を這わせる。
「あの店が閉店してから入って、銀貨握らせりゃ地下通されるんスよ。そこも酒場になってて見た限り情報屋とか居たっぽい」
「鬱陶しいのは」
「今んトコいねぇッスね」
情報屋というのは大抵何処にでもいる。そして中には情報を手に入れる為ならば手段を選ばない者も存在する。
王都でもその手の輩は存在したが、尾行られればジルやイレヴンが気付くし裏で強引に動けば元盗賊である精鋭達によりいつの間にか姿を消していた。貴族であるレイと繋がりがあったり城で行われるパーティーへと出席したりというのが彼らにとっては美味い餌となっていたようなので、普通に冒険者しているアスタルニアではリゼル達の情報をわざわざ漁ろうとする者などいないのだろう。
「リーダーって気付いてんスかね。や、尾行には確実に気付いてねぇけど」
「尾行には確実に気付かねぇけど予想はついてんだろ。その上で放っておいてんじゃねぇの、探られて痛いトコなんざ無ぇし」
レイとの伝手を探られようと痛くは無い。テディベアが出てくるぐらいだ。
直接危害が加えられなければ良いかと放っておいたリゼルの意思を汲みながらも、放っておいてるなら消えても問題無いだろうと判断して遊んだ精鋭達によってその手の人種もいずれ消えたが。それもそうだろう、リゼル達を派手に探る情報屋が次々消えれば誰も探ろうとはしなくなる。
「そういやお前んトコの下っ端最近見ねぇな」
「あー、来んなら勝手に来いっつって置いてきたし分かんねぇ」
イレヴンによりどんどんと消費されていくつまみに手を伸ばし、ジルはスモークチーズを口に放り込んだ。濃厚な風味のつまみは酒の味に負けず良く合う。
「来んの」
「来んじゃねッスか、アイツら他にやる事ねぇし」
「ふぅん」
ジルの吊り上げられた唇を見て、イレヴンは怪訝そうに眉を寄せる。
何か引っ掛かるような事を言っただろうか。頭のぶっ壊れた元盗賊達がやる事が無いのは本当の事だ。
彼らはやりたい事など何一つ持っていない。日々をそれなりに楽に、それなりに他者を踏みにじりつつ、それなりに死なないように過ごしたいだけだ。わざわざ日々の目的を作る必要性が理解出来ず、言われるままに動けばそれなりの日々を提供してくれるイレヴンに付いているだけに過ぎない。
その理由が最近も全く変わっていないかどうかは、彼らに聞いてみない事には分からないが。
「だからか、最近ひっついてんのは」
「は?」
「お守りが必要な男でも無ぇだろ」
気持ちは分からなくも無いが。そう言って煙草を取り出しながら喉で笑うジルからイレヴンは視線を逸らした。
知らない振りは出来そうにない。いや、出来るが見透かされた上で知らない振りに乗って気付かなかった振りでもされてしまえば居た堪れない。
肘をついた手でぐしゃりと髪を掻き混ぜ、睨むようにジルを見据える。
「良く俺に甘すぎるっつーけど、テメェは過保護すぎんな」
「……何か悪ィの?」
「別に」
王都では精鋭が一人はリゼルについていた。
しかし今、その精鋭はアスタルニアに居ない。つまりリゼルがふらりと一人で何処かに出かけてしまえば何かあった時に横から手を出せる人間がいない。
勿論イレヴンもリゼルが精鋭がいる上で色々動いていた事は知っている。もし自らに精鋭がついて居なかったらとある脅迫状を貰った時に外に本を読みに行こうなどとは思わなかっただろうし、裏商店に一人で遊びに行くことも無かっただろう。
手を貸して貰う事など全く考えてもいないが、何かあった時の保険だとは認識している。全てを想定しているだろう彼がアスタルニアで精鋭がいない事を考慮していない筈が無い。
「でも俺がいりゃリーダーももっと好き勝手出来るかもしんねぇじゃん」
心配だという一番の理由を隠してふてくされたように言うイレヴンに、基本的に誰の為にも動かない男が健気な事だとジルは笑みを浮かべながら咥えた煙草に火をつけた。人の事など言えないという自覚はある為に、それ以上の言及はしないが。
イレヴンは喉を焼く酒を呷り、タンッと音を立ててグラスを机に置く。
「つかニィサンだって俺が入る前はリーダーにべったりだったし!」
「……自分のツレが脳天に矢ブチ込まれるっつうなら普通ついてくだろうが」
「そういやそうだった」
自分が防ぐ事前提で矢を放っておきながら何を、と呆れた視線が向けられたがイレヴンは気にせず酒を注いだ。高い酒だけあって王道らしく美味いと満足そうだ。
「地下酒場、リーダーに話して良いッスか」
「何で」
「すっげぇ好きそうだもん、あーいうの。いかにもっつーの?」
あー、とジルは煙を吐き出しながら納得した。
誰もが憧れる上流階級の暮らしを送って来たリゼルだが、その所為でというべきか馴染みの無い“いかにもそれっぽいもの”への関心が強い。ただ獲れたての肉の塊を適当に捌いて焚火で焼いたものだったり、雑多なギルドの依頼ボードであったり、それこそ値切りであったり今までも色々なものに興味を示している。
イレヴンが訪れた地下酒場は恐らくリゼルのストライクゾーンだ。まるで物語に出てきそうな酒場に、銀貨を渡して入る方法だったり、情報屋やいかにも危険な空気を漂わせる者までたむろしていたりする。
「そういやこの前魚の解体とかやけに真剣に見てたッスよ」
「何であいつは訳分かんねぇもんばっか気になるんだ……」
リゼルの興味の示し所は慣れれば比較的分かりやすいが、しかし割と頻繁に何故だという所へ食い付く時がある。二人は慣れきっているので好きにしろと見ていたり一緒になって楽しんだりするが、食い付かれた人間は大混乱だろう。
ジルは眉を寄せながら煙草を咥えしばらく考えていたが、ふいに短くなったそれを唇から抜き取り灰皿へと押しつける。
「別にあいつが大好きな本も無ぇんだろ、わざわざ目ェつけられに行く必要なんざ無ぇ」
「ん? あぁ、酒場の話?」
「聞きたがるなら教えてやれ」
新しい煙草に火をつけるジルを見ながら、イレヴンはふぅんと頷いてスモークチーズを齧った。皿から無くなったそれにキッチンへとおかわりの声を投げる。
確かに今リゼルが其処へ向かったとして得られるメリットは大きくは無い。自らの頭で思い付く限りの事なのでリゼルが考え得る全てのものを把握している訳では無く、むしろ彼ならば無理やりメリットを引きずり出すぐらいは出来るかもしれないが目を付けられる危険があるならばやはり避けるか。
「リーダー面倒臭がりッスもんね」
「あぁ」
外見からか雰囲気からかリゼルと親しくない者が彼に対して面倒臭がりだという印象を持つ事は少ないが、一部の人間はリゼルが自分から面倒を呼びこむ事はまず無いと知っている。此方では、あったとすれば面倒の先にある物がどうしても欲しい時ぐらいか。
イレヴンはニィッと唇を吊り上げながら目を細める。愉快犯染みたその表情は全てを嘲るようで、唯一人を求めていた。
「まぁいちいち面倒事に突っ込む奴は殺したくなるし、日常に満足してるようなつまんねぇ奴もごめんだけど」
「面倒な奴だな」
「ニィサンに言われたくねぇッスわ」
互いに誰かに従うような性質など本来持ち得ない。
そんな二人は口元に笑みを浮かべながら、何事も無かったかのように酒を交わし始めた。
翌朝、イレヴンはぐらぐらと揺れる頭を押さえながら部屋から出た。
ザルであるジルのペースに合わせて度数のバカ高い酒をストレートで飲みまくった結果は当然のように二日酔いで、つまみが無ければ胃を壊しても仕方が無い飲み方をしてしまった。いつもの事だが。
とりあえず水が欲しいと眩しさに目を眇めながら廊下へ出ると、ふと部屋から出るリゼルの姿を見つけた。ちらりと顔色を確認し、特に体調が悪そうでは無い事を確認する。むしろ今は確実に自分の方が悪い。
「はよ、リーダー。平気?」
「はい、君は辛そうですね」
可笑しそうに笑われ、掌が体調を窺うように額へと当てられる。
穏やかな声と掌の感触が心地良い。今日は一日体調が悪いと言い張って甘え尽くしてやろうかと碌でもない事を考えているイレヴンはふと違和感に気付いた。リゼルが出てきた扉は彼の部屋のものでは無い。
「朝っぱらからニィサンに用事ッスか」
「あぁ」
リゼルは扉を確認して、そういえばと頷いた。
「どうやら、体調を崩してしまったみたいで」
「は? じゃあ何でこんなトコ突っ立ってんスか、さっさとベッド」
「俺じゃ無くて」
腕を掴み部屋へと連行しようとするイレヴンを止め、リゼルは苦笑した。
ちょい、と指でさした先は先程出てきたジルの扉。それがどうしたと言わんばかりの顔を見ながら言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「ジルが、です」
「ニィサン? が何?」
「ジルが、体調を崩してしまって」
「何て?」
「熱も随分あるみたいですし、ちょっと心配で」
「は? 誰が?」
「だから、ジルが……イレヴン、気持ちは分かりますけど」
全く理解できないという顔で聞き返すイレヴンに、リゼルはある意味想像通りと思いながら落ち着かせるようにその頬を撫でる。無意識に擦り寄りながらもイレヴンの脳は懸命に事態の把握に勤しんでいた。
まずリゼルが話しているのは普通の言葉だ。それは間違いない。今日になっていきなり言葉の意味が変わったなんて事はあり得ない。
ならば何と言ったのか。頬を滑る掌が心地良い。酒で上手く回らない脳みそがゆっくりと回転を始めて徐々にその意味を理解していく。
「…………」
「イレヴン? 大丈夫ですか、顔色が悪いですよ」
「…………リーダー俺気持ち悪い」
酒の入った寝起きの頭を働かしまくった結果、揺れているように感じていた感覚がより強烈になって襲いかかって来た。頬にあてられた掌を握り額を目の前の肩に預け、揺れ続ける地面に失われる平衡感覚を何とか保つ。
落ち着かせるように背中を撫でる温かな感覚を享受しながら、誘われるようにゆっくりと瞳を閉じて行った。
「あ、ちょっと待って下さい、せめてベッドに……」
穏やかな声が何かを言っていたが、眠りを深めるだけだった。
「ジルの所為で、イレヴンまで潰れちゃいました」
「……俺の所為じゃねぇよ」
普段の少し掠れた声が、明らかに掠れきっている。
リゼルはベッドの枕元に椅子を引き摺って来て座りながら、ジルの額に乗せているタオルを取った。直ぐに温くなってしまうそれに、それもそうかと頷く。
多少の体調不良なら容易に動けてしまうジルなのだから、こうも明らかに不調が分かる今は相当具合が悪いのだろう。勿論動こうと思えば動けるのだろうがリゼルがそれを許さない。
嫌そうなジルの額に手を伸ばし、指先を前髪に潜らせながら熱を測る。寸前まで冷やしたタオルが乗っていたというのにその額は熱い。
「この気候に慣れない内に迷宮攻略なんて始めるからです。だから初依頼の時ももっと後にしましょうかって言ったのに」
舌打ちをして視線を逸らすジルに微笑み、魔法によって冷やし直したタオルを乗せ直す。
朝起きた時に宿主からいつも先に起きている筈のジルの姿を見ていないと聞いた時は驚いたものだ。一応と扉をノックした時に返って来た“入って来るな”の言葉に全てを察した。
勿論気にせず入ったが。ジルには悪いがイレヴン程では無いにしろ意外に思ってしまったのは仕方が無いだろう。
「食欲は?」
「……良い、自分で出来るから放っておけ」
「食欲は、ありますか?」
繰り返された言葉に、聞く気は無いらしいと眉を寄せる。
伝染ったらどうするんだと部屋に入るのも止めたというのに、変な所で頑固だと溜息をついた。満足に吐ききれない息は熱く、全くもって情けないと再び舌打ちが漏れる。
これ程高熱が出たのは子供の時以来か。ひたすらだるく、腕一本を動かすにも体力を使う。
「あいつは良いのか」
「ベッドに運んだ時に水も飲ませて、今は熟睡中です」
水を飲ませる際に一度起こしたが、イレヴンはジルの体調不良が記憶からぶっ飛んでいた。
普段から存分に甘えていそうで理由が無いと甘えられない彼は、それはもう好き放題ねぇ飲ませて食べさせて撫でて寝るまで居てと甘えきって今は気持ち良く眠りについている筈だ。
それを聞いたジルは呆れながら、再び食欲はと問いかけられて正直に無いと告げた。
しかし無くても食べなければいけない事は分かっている。リゼルによって準備万端にも差し出されたのは果物で、喉は渇いていたし丁度良いと動かしにくい上体を起こした。寝るときは半裸が基本とはいえ流石に今はシャツの一枚も着ている。
「もう少し、ちゃんとした食事は食べられますか?」
「これで良い」
「そうですか」
食べられるならお粥でも、と言うリゼルだが食べられそうにない。
断ると予想がついていたのか平然と頷く様子に、リゼルの持つ皿から詰め込むように果物を口へと放りこみながらジルは体同様動きの鈍い頭で考える。随分と看病が手慣れているが、それも本から取りこんだ知識だろうか。
正直な所リゼルに看病なんてものが出来るとは思わなかった。それは嫌味でも何でも無く、やった事など無いだろうという予想に過ぎないが外れてはいないだろうと思っていた。
「……お前、誰かの看病したことあんの」
「陛下が体調を崩した時に、何度か」
成程、と頷きかけるがそれもどうなのか。
普通国王もしくは殿下が体調を崩せば世話をするのは側付きか専門医では無いのだろうか。何故確実に不慣れなリゼルが看病しているのか、予想が付かない事は無いが。
「猛勉強しただろ」
「それはもう」
教え子の我儘に必死になって看病の方法や治療法を調べたのは良い思い出だ。それはもう調べ過ぎな程に調べたのだが、実際役に立ったのは人伝に聞いた普通の看病方法だったのだからやるせない。
リゼルは味が分かっているのか分かっていないのか、とにかく機械的に全ての果物を食べきったジルからフォークを受け取った。皿をサイドテーブルに置きながら、ジルが再び横になるのを確認してタオルを乗せる。
「何か欲しい物とかありますか?」
「無ぇ」
「一応、お昼頃になったら一度様子を見に来るので寝てて下さいね」
タオルの上に手を置いて冷やしながらリゼルは微笑んだ。
熱は高いものの寝て汗をかけば治るだろう。変な病気で無くて何よりだと思いながら立ち上がる。
水も置いてあるし着替えは勝手に出すだろうし、と髪を耳にかけながら確認しているとジルがずれたタオルの位置を直す手を止めて此方を見ている事に気が付いた。どうしたのかと問う様にゆるりと首を傾けて見せると、ジルはふいにバツが悪そうに微かに視線をずらす。
「ジル?」
「……お前は、人に尽くすのが似合わねぇな」
珍しく、何かを誤魔化すように告げられた言葉にリゼルは可笑しそうに笑った。
「なら、早く治して尽くして下さい」
声が掠れている癖に普段より多い口数も、普段ならば皿ごと取っていくだろうにリゼルに皿を持たせたまま食べていた果物も、舌打ちをしながらもタオルを換える手を止めないのも思えば分かりにくく分かりやすい。
恐らく、いや確実に本人は無意識なのだろう。どうやら珍しく少しばかり弱っているジルに、辛い思いをしている相手に言うには憚られるがこういうのも貴重で良いと思いながらタオルを直してやる。
そのまま一度だけ髪を撫でた手は、やはり止めろとは言われなかった。
「夜までに治る所がジルですよね」
「あ?」
もはや食欲が落ちていた時の面影など無い。
宿の机につきながら普段通り夕食を食べるジルを見て、普通なら数日かかると思うんだけどとリゼルは苦笑した。まぁ辛い期間が短いに越したことは無いし、早く終わって良かったとは思うが。
「へー、ニィサンどっか悪かったんスか。ボスにどっか引っかかれた?」
「お前……いや、良い」
同じくもぐもぐと次々に食事を消費していくイレヴンが珍しい事もあるものだと陽気に告げた言葉に、ジルは一体自分を何だと思っているのかと思わず言葉を止めた。何故体調を崩しただけなのに記憶が飛ぶ程ショックを受けられなければいけないのか。
心底微妙そうな顔をしているジルと何故そんな顔で見られるのか分からないけど気にしないイレヴンを見ながら、リゼルはもし自分も風邪をひいていたらどうなったのだろうと不謹慎にも少し面白そうだなんて考えていた。
。




