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70:二人は意外と気が合う

 リゼルがジャッジとスタッドに出国の事実を告げようと思い立ったのはヒスイとの取引が成立した後だった。

 取引成立により出発日時が騎士の公開訓練の日だと決定した事だし、やはりサルスにしようと気紛れを起こす可能性も無くなったからだ。気紛れが起こるかもしれないと思う程度にはサルスに関する不都合などリゼルにとっては些細なものだったので、騎兵との渡りを付けて貰えたのは様々な人々にとって幸運だっただろう。


「ジャッジ君」

「は、はい!」


 出発を決めてからも変わらず迷宮に潜り、手に入れた迷宮品を鑑定してもらおうとジルと共にジャッジの店を訪れた際にリゼルは切り出す。ちなみにイレヴンは欲しいものが出来たとニヤニヤしながら何処かへと行った。

 リゼルによって手渡された用途も良く分からない布で“包んだものによって柄を変える風呂敷”という結果を聞いても良く分からない鑑定を終えたジャッジが、呼びかけられてふにゃふにゃと笑って返事をした。


「……お前良くこの状態の奴に言おうとか思えるな」

「先延ばしに出来るものでも無いでしょう?」


 ボソリとジルが呟いた言葉に可笑しそうに笑って返す。

 リゼルとて何も思っていない訳ではない。告げればどうなるかぐらい分かっている。

 しかし言葉通り先延ばしに出来るものでも無ければ、告げるならば早い方が良いのは間違いない。小さく言葉を交わした二人を不思議そうに見ていたジャッジの顔を、真っ直ぐ見据えた。


「実は、しばらくこの国を離れる事になりまして」


 これ程決定的に人間が幸福から絶望へ落とされる瞬間を初めて見た、とはジルの談。

 ジャッジは差し出しかけた風呂敷を手にその動きの一切を止めた。はらりと落ちそうになる風呂敷を受け取り、リゼルは変わらぬ微笑みのままポーチへと片付ける。

 ジャッジは瞬きすら忘れて見開いた目でリゼルを見下ろしていた。固まり続ける彼には酷だが、と思いながらも言い聞かせるように穏やかに言葉を続ける。


「アスタルニアに行きます。いずれ戻ってくる予定ですが、今までより長く国を空けるので伝えておこうと思いまして」


 ジャッジが一度だけ、ゆっくりと瞬きした。

 小さく開いた唇は何かを言おうとして何も言葉が出ずに震える。揺れる瞳が徐々に水を纏っていくのを見上げながら、リゼルは決して急かす事無くジャッジの言葉を待った。

 何度か微かに開閉を繰り返された唇が、一度きゅっと引き結ばれて躊躇いと共に耐えきれず開かれる。


「行、か…………、ッ……」


 くしゃりと顔が歪められたと同時に零れ落ちる涙と、告げかけた言葉を無理に呑み込む姿にリゼルは微笑みながらも微かに眉を下げた。

 嗚咽を堪えながら俯く顔も、本音を零すまいと噛みしめられた唇も、堪え切れず涙を零し続ける瞳でさえ長身の彼には隠しきれず露わとなっている。泣かせたくは無かったけど、と思いながらリゼルは手を伸ばした。


「ジャッジ君」

「ッ……ぅー……」


 片頬を包むと思わず喉から漏れた声は様々な感情を含んでいたが、決して責めるようなものではなかった。彼らしいと苦笑し、流れ続ける涙を指で拭う。


「泣かないで」

「ごめ、なさ……っ」

「君は何も悪いコトをしてませんよ」


 ジャッジは揺れる瞳でリゼルを見ながら普段から少し猫背気味の背を更に屈めた。

 上手く動かない手を持ち上げて自らの頬へと触れるリゼルの掌を握り、言葉に出来ないかわりにと引き止める。それが意識しての行動か無意識の行動なのかはジャッジ自身にも分からなかった。

 震える唇と共に震えそうになる声を一度の深呼吸でなんとか抑え込み、握りこんでいた手から静かに力を抜いた。


「悲しいのは、だって、仕方無いし……」

「はい」

「寂しいのも、当然だし……!」


 穏やかな微笑みを揺れる視界に収めながらジャッジは静かに瞬きし、また一筋涙が零れた。

 離されたリゼルの掌が再びそれを拭う。赤くなった目元を優しく撫でる感触に心地よさを感じながら目を細め、それを享受した。

 リゼルは自分に優しい。その慈しむような眼差しが誰にでも向けられる訳ではないと知っている。

 だから、大丈夫。


「でも、リゼルさんが、したい事をしてるのが、一番嬉しい」


 未だ涙を残しながらふにゃりと笑ったジャッジに、リゼルは甘く微笑んだ。

 涙を拭っていた手が褒めるように頭を撫でた。リゼルの後ろでジルが呆れたような顔をしているが今は見なかった振りをして、ジャッジは照れたように口元を緩ませながらされるがままになる。

 そしてふと気になり、撫でられながらすっと視線を外してオドオドと口を開いた。


「変なこと聞きますけど、その、リゼルさんも……寂しいって思って、くれますか?」

「当然です」


 可笑しそうに言ったリゼルが、ふと悪戯っぽく笑みを浮かべる。

 リゼルの言葉に喜び感動して目を輝かせていたジャッジが、きょとんと未だ泣いた余韻の残る瞳を瞬かせる。


「平然と出ていくと思ってました?」

「いえ! あ、その、そういうんじゃ……!」


 否定しながらばっと体を起こし、しかしリゼルの手が離れたのに気付いて思わずその手を目で追っていた。うっと喉を詰まらせながら顔を赤くしておずおずと背を丸め直すと、仕方なさそうに笑った気配を感じて再びぽんぽんと頭が撫でられる。

 もはやリゼルが帰るまで顔を上げられる気がしない。ジャッジは羞恥に悶えそうになる体を必死に抑えつけながらその手を受け入れる。


「薄情とか、全然そうじゃなくて……ッ」

「そうじゃなくて?」


 反復され、どう言えば良いのかとジャッジは口を噤んだ。

 いつも穏やかに微笑んで、穿った見方をすれば多彩な感情を見せないというイメージを持たれる事が多いリゼルだ。身内に対しては特にそういうつもりも無いのだが、しかし寂しがる姿も想像出来ない訳で。

 どう言えば良いのかと悩みながら、ジャッジは果たして自分でも分からないままに混乱して言葉を吐き出す。


「理由が、知りたいのかも……」


 言ってから、ジャッジはこれは駄目だとしゃがみ込んだ。

 寂しがっているなら証拠をくれと言ったようなもの。勿論そんな意図は無いが、そう取られてもおかしくは無いと気付いたのはもはや完全に口に出してしまった後だった。

 もし誤解されたらと思うと赤かった顔が一気に蒼白へと変わり、ひきかけた涙が再びじわりと溢れてくるのが分かる。


「(絶対、リゼルさん、そういうの好きじゃない……!)」


 しかし例え誤解されずとも、甘え過ぎてしまったのも事実。本来ならば自分で探さなければならない“リゼルが自分を内側に入れてくれた理由”を、尋ねる気も無いのに尋ねてしまった。

 憧れている人の前で晒す醜態ほど辛い物は無いとジャッジは今まさに思い知っている。

 うわぁぁと声なき声を上げながら頭を抱え込み、駄目だ絶対に呆れられたと絶望すら感じてしまう。どうしよう、という言葉が脳内を埋め尽くしていた。


「あの、リゼルさん、これ、違……ご、ごめんなさ……ッ」

「大丈夫、何も誤解してません」


 リゼルは苦笑しながらジャッジの柔らかい髪に手を乗せた。

 最近のジャッジは少しずつ自信を身に付けていた。リゼル達にあまりオドオドせず話せるようになったし、何より以前のままだったら「寂しいと思うか」なんて「そんな事を聞くなんて図々しい」と思って問いかける事など無かっただろう。

 類まれなる鑑定眼を持っていようと、二十歳前後という若い年齢で一店舗を背負い実は相当な利益を上げていようと、それが彼に自信を付けさせる要因とはならないらしい。それが偉大すぎる祖父を持つ故か、生来の性質によるものかは分からないが。


「良い子には、特別ですよ」

「え……?」


 自分の失言に気付き猛反省している姿を見れば、先程の言葉がジャッジの本意でないことぐらいは分かる。そして反省出来るほどに、その言葉の意味を理解している事も。

 ならば、彼が求める理由を一つぐらい与えるご褒美があっても良い。リゼルはくしゃりと柔らかい髪をゆるく握り、茫然と此方を見上げるジャッジへと微笑みながら上体を屈める。

 内緒話のように顔を寄せ、微笑んだ。


「俺が此処・・に来て一番初めに言葉を交わし、一番初めに関心を持ったのが君です」


 ジャッジはぽかんと穏やかな顔を見上げた。

 離れていくそれを身動きとれず見送り、しかし頭の中は目まぐるしい回転をしている。

 そういえば最初はジルさんがいなかった。此処ってどこ。王都かな。あれ、最初リゼルさんの隣には誰もいなくて自分が一番最初でそういえばリゼルさんは一体何処から来たのかな。あれ、一番最初って何だっけあの剣はまだ店に残ってるなぁ最初ってあの時というより今何て。


「少しぐらい、君の自信になれば良いんですけど」


 甘い瞳に微笑まれ、ジャッジは再び溢れだした涙を止める事が出来なかった。

 やっぱり寂しいものは寂しいとグスグスと泣き出したジャッジにしばらくリゼルは笑いながら存分に慰め、ジルはやはり年下に甘過ぎると呆れながら溜息をついていた。

 ちなみにリゼル達が店から帰る際に居住者の強すぎる感情を汲んだ“王座”によって扉が一瞬開かなくなり地味に驚いた。ジャッジは即座に平謝りだったのでわざとではないのだろう。






 その日の依頼を受けた時、リゼルはスタッドの仕事が終わり次第夕食でもと誘っていた。勿論スタッドが断る訳が無く、告げた終了時刻までに何が起ころうと全て終わらせるのだろう事は想像に難くない。

 予想通りと言えば良いか、約束の時間少し前にギルドへと向かったリゼルを出迎えたのは全ての準備を終えたスタッドだった。扉を開けた途端にスタスタと近付いてきた姿にリゼルは微笑む。


「もう大丈夫ですか?」

「はい」

「じゃあ行きましょうか」


 淡々と此方を見る無表情からポンッと花が飛んでいくのが見えた気がした。誰にも分からない変化を容易に読み取り、喜んでるなぁとリゼルは微笑んでギルドを出る。

 向かったのはいつものバーのような酒場だ。リゼルが訪れようとマスターは相変わらず接客には向かない顔で「いらっしゃい」と言うだけだし、騒がしすぎず静か過ぎない適度にざわめいた空間は会話しやすい。

 おまけに料理も飽きが来ないよう工夫され美味となれば、行かない理由は無いだろう。


「こんばんは」

「……いらっしゃい」

「端の席、良いですか?」


 頷いたマスターにリゼル達は壁際の席へと向かった。

 店内には数名の客がいたが、落ち着いた空間で騒ぐような人間はあまり来ない店なのでリゼル達相手でも集まった視線はすぐに散って行く。

 楽で良い、と思いながら一番壁に近い机へと座った。


「誘って頂けて光栄です」

「俺も、スタッド君と一緒に食事出来て嬉しいですよ」


 にこりと笑ったリゼルに、スタッドは無表情のまま頷いた。

 しかし内面は見た目ほど淡々としていないのだろう。ぽんぽんと花が飛んでいく背景がリゼルには確かに見えた。

 マスターが水と手拭きを運んで机へと置いて行く。切り出すには早い方が良いか、とリゼルは口を開いた。


「しばらく、顔を合わせる事が出来なくなりそうですし」


 スタッドのガラス玉のような瞳がひたりとリゼルを見た。

 淡々とした表情は欠片も動かない。しかし平常心では決してない。

 スタッドの手が置かれている部分から木製の机がピシリと音を立てて色を変えていく。色濃くなったその部分は完全に凍りついているのだろう、表面に霜さえ立ち始めた机はついにパキッと軽い音を立てて端からひび割れた。


「アスタルニアへ向かう事にしました。戻ってくるつもりはありますが、何時になるかは分かりません」


 リゼルは向かい側に座る無表情を穏やかに見つめながら言葉を紡ぐ。

 スタッドはそんなリゼルをただ見ていた。


「今度の騎士の公開訓練の日、その日に出発する予定です」


 氷の浸食は進む。

 木製の机を完全に凍らせて、影響は上に置かれているグラスにも及んだ。下から霜が覆い、満たされた水は外側から凍り始めガラスごと芯から凍りつく。

 恐らく溶けたとしても使い物にはならないだろう、それ程に絶対零度の名に相応しく凍らされた。

 徐々に机を広がる氷に、しかしリゼルは机に乗せた手を引かない。その絶対零度が自分を傷つけないと知っている。


「嫌です」


 スタッドが瞬きも忘れたようにリゼルを見据えながら無意識のように手を伸ばす。

 直前まで触れるものを凍らせていた手をリゼルは避けなかった。その指先がリゼルの袖を掴み、少しだけ引く。


「嫌です私は貴方と居たい」


 一瞬たりとも穏やかな微笑みから視線を外さないスタッドは誰が見ようと冷静沈着な無表情をしながらただ混乱していた。

 思考が纏まらない。リゼルから告げられた事を必死で理解しようとしながら理解なんてしたくない脳は上手く動いてくれない。何故という単語が頭を支配する。

 まともに動かない思考の中から零れた言葉は間違いなくスタッドの本音だった。ゆるりと開いた唇から紡がれる言葉は全ての感情が抜け落ちたように淡々としている。


「スタッド君」

「はい」


 リゼルの袖を掴んだ手に力が籠る。

 ついて行くなど言えるはずもない。リゼルが自らに興味を持った理由の一つに“ギルド職員”という肩書きが恐らくあるのではないかとスタッドは考えている、ならばその繋がりを消してしまいたくはなかった。

 それは危機感や焦燥感からではなく、自らが選んだ事。繋がりは縋るものではなく慈しむものだと、目の前の微笑みにそう教えられたのだから。


「素直なのは君の長所です。本音を教えて下さい」


 告げられた言葉に、スタッドは一度だけ瞬きする。

 先程から本音しか言っていない。むしろ普段から本音しか口に出していない。

 失望されたくない。嫌われたくない。そう思っても口に出さずにはいられないのだから本心以外の何物でもない。

 そんなスタッドを見てリゼルは微笑み、未だ離すまいと掴む手からふいに袖を抜き取る。反射的にそれを追ったスタッドの指は次の瞬間その動きを止めた。


「君が本当に行って欲しくないと言うなら、俺は行くのを止めましょう」


 ガラス玉のような瞳が微かに見開かれた。

 些細な、しかしスタッドを知るものからすれば劇的な表情の変化。


「…………」


 何を言えば良いのか分からないと言うようにスタッドの視線が落とされた。

 机の上に乗せられた手は中途半端に伸ばされていて、止まった動きを再開させるように再びその手を伸ばしてリゼルの袖をそっと掴む。痛みなど感じない布は、どれ程力を入れようと物言わず皺を寄せるだけだった。

 リゼルが告げた言葉は間違いなく真実だ、恐らく行くなと告げれば本当にアスタルニア行きを止めるのだろう。


「……貴方はずるい」

「すみません」


 それはつまり、リゼルはスタッドが今この場で「行くな」と言わないという事が分かっているという事だ。だからこそ出発を決定した。

 出会った頃のように清廉と命じれば良いのに、リゼルは決して楽な道を示してくれない。待っていろとあの状態のリゼルに告げられれば何も感じないままに彼の帰りを待っていられたというのにそれを許さない。

 申し訳なさそうな微笑みが向けられ、ずるいともう一度呟く。彼にそんな顔をさせるのは不本意に他なら無いのだから。


「本当に私の我儘を許してくれますか」

「はい」


 力が入る手を慰めるように握られた。

 それに喜びを感じながらもスタッドはじっとリゼルの甘い瞳を見つめる。告げる意思はもう決められていた。


「私は今全力で拗ねてます。なので今日は一緒に食事をとって一緒に帰って一緒に寝てくれないと満足に見送りにも行けそうにありません」

「それは困りました、見送りに来てくれないのは寂しいです」


 可笑しそうに笑ったリゼルがパッと手を離した。

 机を変えない事には食事もとれないだろうと立ち上がり、謝罪と席の準備を求める為にマスターの元へと歩いて行く。じっと背中に向けられた淡々とした視線に、以前までのスタッドだったら間髪容れず行くなと言ったのだろうなと思いながら微笑んだ。

 それでもやはりリゼルがパルテダールを出るのは心底不満そうなのだが。


「マスター、すみません。机を壊しちゃったので弁償と新しい席の準備をお願いします」


 マスターがカウンターの上に載せられた金貨を見下ろして溜息をつく。

 弁償には多い金は例え迷惑料を含めたとしても多い。しかし突き返そうとも受け取らない相手だと決して短くはない付き合いで分かっているので、今日の食事代は此処から引いておこうと諦めて受け取る。

 布巾を片手に開いている机へと向かうマスターを見送ったリゼルが席へと戻ろうとした時、カウンターに座る一人の黒髪の男からふいに聞きなれた小さな声が聞こえた。


「せーっかく泣いてるトコ見れると思ったのに」


 独り言のように呟かれたそれに、リゼルは苦笑した。

 余程自分だけ泣いている所を見られたのが気に入らないらしい。わざわざ変装までして見学に来るとは、もしや昼間言っていた欲しい物とは変装道具一式だったのだろうか。


「覗き見なんて悪趣味ですよ、イレヴン」

「あの無表情が崩れるトコ見たかったんスけど」


 跳ねた黒髪、瞳を隠す眼鏡、普段とは趣向の違うタイトな服装。

 組んだ足を解きながらニヤニヤと笑い偽の髪を取り払うイレヴンは、ジルに言わせればリゼル同様変なところでやけにこだわる男だった。

 リゼルが名を呼んだ時点で全てを察したスタッドの絶対零度の瞳が此方へと向けられている。


「喧嘩しないように、お店の迷惑ですよ」


 机を一つ駄目にした今、これ以上の迷惑はかけられない。

 いつものようにリゼルの認識の外で影の攻防を繰り広げようとしていた二人は掌に隠し持っていた武器をしまい込んだが、しかし何故か新しい席で同席するイレヴンによってやはりひと悶着起きる事となる。







「ま、間に合った……!」

「貴方が遅いからギリギリになったでしょう愚図」

「スタッドより速い人っているの……?」


 ぜぇぜぇと息も絶え絶えなジャッジは、滴る汗を拭いながらふっとリゼルを見た。

 リゼルと、その両隣に居るジルとイレヴン。そしてその後ろにいる見た事無いアスタルニアの騎兵と用意された魔鳥車に本当に行ってしまうのだと泣きそうに顔を顰めた。

 ぐすぐすと鼻を鳴らすジャッジにリゼルは苦笑する。出発すると告げた日からジャッジは顔を合わせる度に涙ぐんでいた。


「リ、リゼ、さ……僕、本当に、寂しくて……!」

「そんなに泣かれると流石に行きづらいですね」

「そんなつもりじゃ、ないんですけど、でも」


 ふらふらと近寄って来たジャッジの腕を優しく叩きながら微笑む。

 遥か高い身長を持っている癖に上目でリゼルを見たジャッジが何か言おうとした瞬間、しかし彼は後ろから足を払われ大転倒した。近くにいたリゼルへと影響が無かったのは偏に巻き込むまいと咄嗟に手を伸ばすという反射運動さえねじ伏せたジャッジと、ひょいっと後ろから襟を引き寄せたジルのお陰だろう。

 当然リゼルへと影響が及ぶ筈がないと確信して目の前の長身を蹴り崩したスタッドは、じっとガラス玉のような瞳でリゼルを見た。


「ずっと考えていました」


 淡々とした声色で言うスタッドに、リゼルは大丈夫かとジャッジを気にしながらも視線を返す。

 ちなみにジャッジは地面に手をつき酷い酷いと半泣きになっていたが、ふとイレヴンに肩を叩かれて顔を上げた。イレヴンがふいにとある方向を指差す。

 その指の先にあったのは魔鳥車で、その手で魔鳥車の隣に立つナハスへと開けろとジェスチャーした。不思議そうな顔をしたナハスが馬車と変わらない構造を持つ扉を開ける。


「私は貴方に何かを貰ってばかりで何も差し上げる事が出来ていません」

「いいえ、俺は君にいつもお世話になっていましたよ」

「私が好きでしていた事で世話をさせて貰っていたに過ぎません、貴方の為に私自身が何かを選び行った事は一度も無い」


 扉の中を見てジャッジの背景にピシャンと雷が落ちた。

 椅子が板張り……! と謎のショックを受けた途端にバッと立ち上がり身に着けていたポーチやカバンへと手を入れる。勢いよく引き出されたのは数々の大工道具や布や見ただけでは良く分からない物の数々だった。

 イレヴンが良し元気になったとばかりに爆笑しながら手を叩き、ジルが呆れたように溜息をつき、オドオドしながらも強引に魔鳥車に入り込み手を加えていく男にナハスが慌てている。


「私は、私の意思で貴方に何かを捧げたかった」


 すっとスタッドが服の中から小さな箱を取り出した。

 シンプルながらもしっかりと包装されたそれを差し出され、リゼルは嬉しそうに微笑みながら受け取る。餞別というよりは、もっと純粋な贈り物なのだろう。


「私は何かを選んで買う事など無いし誰かに何かを贈る事もありませんでした。何が良いかも分からず何処に行けば良いのかも分からないので愚図の手も借りました」


 暇があれば何をすれば良いか考えていた。

 考え抜いた末に何かを贈る事を決め、そして今度は何を贈れば良いのかが分からなかった。

 それこそ贈り物として適したものすら知らないスタッドが相手が何を貰えば喜ぶのかも分かる筈が無く、思考が働いている間はリゼルと顔を合わせている時を除き全ての時間をそれを考える事に費やした。

 悩んだ覚えなど無いスタッドが、初めて真剣に悩み尽くした。それこそ、こんなギリギリの時間まで。


「す、すごい早さで改造されてくんだがコレはどうすれば良い! 一応魔鳥車は希少なんだが!」

「最っ高の改良されるだけで改悪はぜってぇされねぇから見とけば?」


 背後が気になる。リゼルはそう思いながらもスタッドを見ていた。

 受け取った箱はそのまま蓋を外せば中を見られる作りだった。何も映さない瞳が少し期待と不安を孕んでいるように見えて、開けて良いかと尋ねる。

 こくりと頷いたスタッドを確認して蓋に手をかけ丁寧に開くと、そこにあったのは。


しおりですね」


 まるで宝石のように窪んだ台座へと嵌めこまれている栞だった。

 しかし宝石扱いというのも決して間違いではないだろう。その栞は水晶で出来たように輝いていて、角度を変えると日を反射してトパーズやローズクォーツのような薄く美しい色をその身に宿す。

 細かく細工された造形は見事としか言いようが無く、上に結ばれた滑らかな薄い革のリボンの先にはそれこそ宝石を削って造られたのではと思わせる控えめな装飾が下げられていた。

 清廉としたそれはリゼルの雰囲気にあい、少したりともスタッドのイメージするリゼルの品格を貶めたりはしない。


「気に入って頂けたでしょうか」

「それはもう」


 指を伸ばし、そっと台座から引き上げる。

 栞は薄く軽い、しかし不思議と決して壊れそうには無いそれはもしかしたら迷宮品なのかもしれない。誰もが見ているだけで心を奪われそうな美しさを数度裏返し眺め、リゼルは丁寧に箱へと仕舞い込む。

 蓋を閉め、反応を待っているかのように此方を窺うスタッドへと微笑んだ。


「君が、俺の為にどれだけ考えて選んでくれたのか良く分かります」

「使って頂けますか」

「勿論です。とても嬉しいですよ」


 伸ばされた手をスタッドは享受した。

 優しく頬を撫でる手に甘えるように目を細め、頬を滑る手のひらの感触を忘れないよう惜しむようにすり寄る。親指が濡れてもいない目元を撫でる感触が心地良い。

 やはり行って欲しくないとは思うが、それを口に出そうとは思わなかった。


「有難う、スタッド君」


 告げられた言葉が何よりも嬉しくて、スタッドは満足そうにふっと息をついた。

 リゼルの後ろではジャッジが全てをやりきったように工具片手にふにゃふにゃ笑っていたが、彼には何も関係の無いことだ。







「ふわふわですね」

「無償でうちの魔鳥車を改良してくれるとは有り難い。あの長身の青年は何者なんだ?」

「商人です」

「!?」


 軽量化の為に最低限の作りだった魔鳥車内は今や居心地の良い空間へと変貌していた。

 とはいえ馬車内と変わりないので居心地が良いといっても座っていて不快感を感じない程度に落ち着いている。ジャッジの凄い所は色々やっておきながら、多様な素材を使って軽量化の利点を損なわせなかった所だろう。

 泣きながら見送ってくれた姿を思い出しながらリゼルは微笑む。ちなみにジャッジは泣いた直後スタッドに叩かれていた。


「ジャッジ君、インサイさんのお土産に複雑そうでしたね」

「ガキ扱いで嫌なんじゃねぇの」

「貰えるもんは貰っときゃ良いのに。あんだけ泣いといてガキ扱い嫌とかウケるッスね」

「一人前扱いされたいっていうのもあるかもしれません」


 魔鳥車はゆっくりと地面を走っている。

 魔鳥といえば飛行能力に注目されがちだが、実は足腰も強い。馬ほど長距離を走れはしないが短距離ならばゆっくりとした速度で荷物を引くことも可能だ。

 ナハスは当の魔鳥の上に乗ってその毛並みを堪能しながら車を引かせている。


「そういえば魔鳥車って何の為に持って来てたんですか? ヒスイさんには此処に来てから俺達の事を聞いたんですよね」

「あぁ、遠出する時はいつも持って来ているんだ。怪我人が出た時など役に立つからな」


 成程、とリゼルは車内を見まわした。

 数匹の魔鳥で持ち上げるとはいえ軽いに越したことは無い。しかしその割に極端に狭い訳でも無く、人が充分に横たわれる程度の広さがあるのはその為らしい。

 早く空の旅を体験したいものだと思いながら、前方へと繋がる小窓を振り返る。通常ならば御者席と会話を交わす為にある小窓だが魔鳥車には御者席が無い、直接魔鳥にまたがるナハスの背が見えた。


「俺達が使っちゃって良いんですか?」

「勿論だ。この程度の訓練で怪我をするような軟弱者は俺達騎兵団の中にはいないからな」


 格好は酷く軽装だというのに頼もしい事だ。

 隊長にも話は通してあるという言葉に礼を言い、此方からも挨拶をしなければとリゼルは頷く。王都前の平原で休息をとる騎兵団の元へ今は向かっているので直ぐにでも機会は訪れるだろう。

 何故歩いて行ける距離で魔鳥車に乗っているのかと言われれば、リゼルが折角あるのだからと地上を走る感覚も体験してみたかったからに他ならない。


「さぁ、着いたぞ」


 ものの数分の魔鳥車地上の旅は終わりを迎えた。

 魔鳥車を下りたリゼル達が見たのは色とりどりの魔鳥たちで、思い思いに毛繕いをしたり水を飲んだりして過ごしている。兵達も慣れたもので魔鳥の世話を焼きながらも王都の騎士によって配られる配給の食事を楽しんでいた。

 ナハスみたいなのがたくさん居たらどうしようかと思ったが、とリゼル達は内心で秘かに安堵する。実害は無くとも見てて怖い光景が溢れかえっているのは嫌だ。


 基本的にアスタルニアの人々はフレンドリーだ。

 突如増えた客人であるリゼル達にも好意的で、隊長の元へと向かい歩いていた時にも気さくに声をかけてくる。リゼルに対してもそうなのは、貴族という概念が王都とは違う所為だろう。

 アスタルニアでは王族でさえ雲の上の存在では無く、実際に姿を現し人々を引っ張って行く先導者に近い。敬意は払うものの畏れはしないのだから、例えリゼルを貴族だと勘違いしようと遠巻きにする事は無く接し方が丁寧になるのみだ。


「ただの冒険者ですよ」

「!?」


 ただし驚かれないかどうかは別だが。

 アスタルニアの人はリアクションが大きくて面白い、というのはリゼルの談。


「獣人も基本的にスキンシップ多いし、馴れ馴れしいのはウゼェけど気にはなんねぇッスよ」

「俺はちょっと慣れないだけで、むしろ楽しいです」

「……」

「ジルは苦手そうですね」


 隊長へと軽く挨拶をした帰り、リゼル達は出発の準備をする兵達を眺めながら雑談に興じていた。

 ちなみに隊長には「よろしくー」と普通に歓迎された。嫌がられていないようで何よりだ。

 魔鳥車の四隅にロープが繋がれ、そのロープ同士も結ばれていくのをリゼルは興味深そうに眺めている。成程、車が揺れないよう固定する点を増やしてバランスを……と呟いているのはいつもの事だろう。


「まぁ相変わらず全力でガラ悪ィし、ニィサンも国に入っちまえば他の奴に寄られることねぇんじゃねッスか。今は周り兵士ばっかだから物怖じしねぇだけで」

「慰めてぇならそのニヤけ面止めろ」


 ニヤニヤと面白そうなイレヴンに顔を顰めたジルが、気になる事が多いのか今度はナハスに質問しているリゼルを見る。

 恐らくリゼルが一番知りたいのは本では知りえない魔鳥を服従させる方法なのだろうが、いきなり其処から攻める気は無いのだろう。魔鳥に関して気になる事を遠慮なく聞いているようだ。

 ナハスもまた魔鳥に関して話す事に苦が有るはず無く、むしろ喜々として答えている。


「魔鳥っていろんな色がいるんですね、鮮やかで綺麗です」

「そうだろう! まぁその中でも俺の天使が一番綺麗だけどな!」

「触ってみても良いですか?」

「勿論だ! 毛並みに沿って撫でてやってくれ……どうだ、愛しい相棒のその滑らかな手触りは他の魔鳥とは格が違うだろう? これ程の毛並みを持つ魔鳥はなかなかいない」


 リゼルはナハスの魔鳥と、比べるように他の魔鳥も触ってみた。

 キラキラと輝く笑顔を振りまくナハスには悪いが全く違いが分からない。


「瞳の輝きも違うだろう! さぁ、比べてみろ! 俺の相棒は夜空に浮かぶ星を写したように澄んだ漆黒を輝かせている!」


 リゼルには違いが分からなかった。


「この嘴を見てみろ……他と比べ圧倒的に艶やかに輝き色気すら醸し出している……!」


 リゼルには違いが分からなかった。


「確かに、綺麗な子ですね」

「そうだろう! お前とは話が合いそうだ!」


 しかしリゼルは大人なので笑顔で同意しておいた。ナハスは喜んでいるので問題ない。

 ちなみにジルとイレヴンはあれ絶対分かってねーよと話し合っている。とはいえ二人にも魔鳥の違いなど柄ぐらいしか分からないのでリゼルに心底同意するしかない。

 過剰な程の賛美はついてくるものの、聞いた事はきちんと答えてくれるナハスなのでリゼルは遠慮なく質問を続けていた。本で知っている内容でも真偽の確認を怠らないのが彼らしい。


「じゃあ魔鳥の生息域は……」

「おい」


 途切れない質問は、ジルの声によって止められた。

 ふとそちらを振り向くとどうやら出発の準備が終わったようだ。


「おお、話し込んでしまったな。俺もさっさと用意するか」

「すみません、付き合って貰って」

「いいさ、特に必要な準備がある訳じゃないしな」


 ナハスは魔鳥と共に魔鳥車へと近付き、残り一本のロープを魔鳥が身に付けた専用のホルダーへと取り付けた。これで魔鳥車から伸びた四本のロープはそれぞれ四匹の魔鳥に繋がれた事となる。


「さぁ御客人、乗ってくれ」

「副隊長の魔鳥話に付き合ってくれたからすっげぇ準備捗ったよ」


 貴重な準備要員を減らしてしまったかと思ったが、逆に感謝されてしまった。どうやらナハスの魔鳥愛は質問されずとも普段から発揮されているようだ。

 リゼル達は車輪が固定されてもう走れない魔鳥車へと乗り込む。外から隊長の出発を知らせる声が聞こえた。

 リゼルがひょいと体を傾けて窓の外を見ると、イレヴンも隣から身を乗り出すように同じ窓を覗き込む。透き通るような笛の音と共に聞こえたのは数多の魔鳥が一斉に羽ばたく音と、重厚な鳴き声。

 そして一瞬後に感じた浮遊感に、魔鳥車が地面から離れるのを確かに見た。


「すっげ、飛んでる!」

「進みながら上昇してますね、凄く滑らかな出発です」


 滑るように前方へと進む馬車、そして徐々に離れていく地面。

 ジルも肘をつきながらも逆側の窓の外を眺めてそれを見る。慣れない感覚は心を浮わつかせるようで、落ち着かない。


「流石に涼しいですね」

「つかちょい寒ィ」


 まだ上昇しているがそれなりの高度と吹きすさぶ風を浴びているのは流石に辛い。

 引っ込んだイレヴンを確認して窓に手を掛けたリゼルは、その窓が閉まる直前ふいに離れ行く王都の城壁の上に四人分の人影を見た気がした。

 再び窓を開けて確認する真似はしない。伝えるべき事は全て伝えてあるし、やるべき事はやってある。


「思ったより揺れねぇッスね。ん、リーダー何か嬉しそう」

「そうですか?」


 訓練じゃなくとも普通ならば立ち入り禁止だろうに、二人と会った事があるとある貴族の口利きか。しかし滅多にない組み合わせだ。

 リゼルはそんな事を思いながら、穏やかに微笑んだ。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 変装したイレヴンぜひコミックで見たい! 話の流れ的に絶対省かれなさそうやし期待!!
[良い点] コミック6巻まで読んで、こちらに。コミックの絵もとても素敵です。時に頭の中で映像化しながら読み始めたら、面白すぎて仕事後、連日寝不足です。 ジャッジとスタッド、当分出てこないのでしょうか。…
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