68:残り二人も報復
“懐古の館”。
その迷宮は王都から一番近い場所にある迷宮にも拘らず、パルテダール内で最も訪れるものが少ない迷宮でもある。
特別強い魔物が出る訳ではない。数多の罠が仕掛けられている訳ではない。
勿論魔物が出ないわけでも罠が無い訳でも無いが、その点に関してはむしろ他の迷宮より攻略が容易ともいえる迷宮だ。それにも拘らず来訪者が少ないのは理由がある。
別名“最悪の迷宮”と呼ばれるその場所を、今日リゼル達は訪れていた。
「おー、門すら見んの初めてッスね」
「人気が無さ過ぎていつもは馬車が素通りしますからね」
まるで洋館の門を彷彿とさせる迷宮への入り口を見上げる。
相変わらず停まる予定など欠片もない馬車をルートの途中で止めさせた時の周囲の冒険者の顔は見物だった。誰もが迷宮へ行く以外の用事で馬車を使用する事に対し顔をしかめ、しかしこの近くに何かあっただろうかと疑問に思い、そして思考の末ようやくこの迷宮の存在を思い出して驚愕する。
それ程まで冒険者がわざわざ行こうとは思えない迷宮で、近い事もあり行った事のある者も結構いたのか顔を青くして無言になっていた人々もそこそこ多かった。
「でもジルは攻略したことあるんですよね?」
「あんま来てぇ場所じゃねぇな」
「そういうコト言われっと余計気になるっつーか。ね、リーダー」
「はい」
何処か期待を込めたように頷いたリゼルを見下ろし、ジルは眉を寄せてふっと視線を逸らした。自分一人では絶対に来たくないが、今このメンバーで本当に少したりとも心から拒否する程に入りたくないかと言われれば即答しにくい。
視線を逸らしたジルをちらりと窺い、しかしすぐに門へと視線を戻してリゼルは微笑んだ。
「過去が見れる迷宮、とても興味深いです」
そう、この迷宮では入った者の過去が映し出される。
隠したい事、誇れる事、内容はバラバラの様でどういう仕組みかは相変わらず分からないが対象の過去の出来事を再現させるらしい。問題は、それが自分だけでは無く同行している者にも見えてしまうという点だ。
「俺が勝手に依頼決めちゃいましたけど、嫌なら言って貰って良いんですよ?」
「別に。そこまででもねぇ」
「やましい事とかねぇッスからね」
イレヴンは何をもってその発言をしているのか。
思わず視線を向けたリゼルとジルに向けて思い切り良い顔を返している。恐らくわざとであるのだろうが、間違いなく本心だろう。
迷宮が迷宮だし反対意見もあるだろうと思っていたが、どうやらそうでも無いらしい。むしろ一番気にしているのは自分じゃないかとリゼルは不思議そうだ。
しかしそれも一度見ておきたいという好奇心に負ける程の些細なものなのだが。精々子供時代とか出たら恥ずかしいなぁ程度だろう。
「じゃあ行きましょうか」
「過去っつってもどんくらい前まで出んの?」
「俺の時は結構前まで出たな。突っ切ったしあんま覚えてねぇけど」
「もうちょっと楽しみましょうよ」
リゼル達は微かに歪な音を立てて開かれる門へと躊躇無く足を踏み入れた。
「本当に洋館みたいですね。明るいけど幽霊とか出そうな感じの」
「ゴースト系の魔物多そうッスね。あ、ドール系とかも出るかも」
「あ、分かりました。ブリッジして階段下りてくるんですよね」
「リーダー今何が分かったんスか。つか何それ、ドコ知識?」
以前読んだ小説ではドールの魔物がそうしていたのだが無いのだろうか。リゼルはあれ、と思いながらひどく高い天井を見上げた。
一つも窓のない洋館はそこかしこに蝋燭が灯され、しかしそれだけの明かりではない程の明るさを保っていた。流石迷宮、何がどうなっているのか分からない。
近くの燭台にセットされた蝋燭におもむろに息を吹きかけて見るが、小さな炎は揺れるだけで消える様子は無かった。突然暗く、とはならないようで安心だ。
「リーダーのあの探究心溢れる突然の行動に慣れた自分を褒めたい」
「アイツ本当に訳分かんねぇとこ気にすんな」
わざわざ貴重な光源を減らそうとしてどうするのか。
真顔で頷くイレヴンと溜息をつくジルの前で、リゼルは髪を耳にかけながら頷いた。何かが納得出来たようで何よりだと思える程度には二人とも慣れている。
「さて、今日の依頼ではこの迷宮の最下層に行く必要があります」
【“懐古の館”のボス素材】
ランク:A
依頼人:巨大な宝石マニア
報酬:金貨20枚
依頼:“懐古の館”で出現するボスが持つロッドの先には巨大な宝石が誂えられているようだ。ぜひその宝石を手に入れたい。
尚、破損していない完全な形のもの以外は認めない。
「流石にAランクの依頼ともなると報酬が良いですね」
「ボス素材にしちゃ妥当な値段ッスね、こういう討伐依頼は報酬ブレねぇから楽っつーか。まぁその分上乗せも無ぇから当たりも無ぇけど」
Aランクといえばもはや上位冒険者だ、依頼の難易度も報酬も跳ね上がる。
パーティランクがBのリゼル達はAランクも受けられるし良し受けようと受けているが、通常はBランクに到達したパーティがAランクに手を出す事は無い。それまで意気揚々と一ランク上の依頼に手を出してきた者達でさえ格の違いに手を出し渋る。
それ程に上位の壁は厚いのだが三人には関係が無いようで、平然とこの依頼を選んでいるのを見た周囲の視線はもはや諦めよりも納得の色の方が強かった。
「歩きか」
「そうですね」
ジルの言葉に微笑んで頷く。実はこの迷宮は全五階しか無く、転移魔法陣が存在しない。
五階おきに魔法陣が置かれているのが普通なのでボス直通で置いておいてくれれば楽だったが、魔物も特別手強い訳では無いしこのぐらいならば頑張れと云ったところだろうか。
通常ならばボスを倒すことで開通する最下層の魔法陣だが、ジルがボスを倒した所帰りの為の魔法陣が一度出てきたきりらしい。使ったら姿を消した。
「でも五階しかないし、魔物も強くないし、ボスが相応の強さを持ってるっていうのは少し詐欺っぽいですけど訓練には持って来いな迷宮じゃないですか?」
「あー、ボスまで行かなきゃ良いんスもんね。カコとか言われても見なけりゃ良いし」
リゼル達はまっすぐにエントランスを通り抜ける。
両側へと伸びる階段は途中で封鎖されており、正面の扉を抜けるしか無さそうだ。蝋燭の灯りは揺れているにも拘らず、少しも揺れることのない室内の明かりを不思議に思いながらリゼルは扉の前で立ち止まった。
扉の上にある細工の入ったプレートには“Ⅵ(6)”と書かれている。
「前と違ぇな。ランダムかよ……」
「ジル?」
「この先では魔物出るぞ」
付け加えられた言葉に、リゼルはつまり行けば分かるという事だろうと扉を開けた。
中は大広間だった。広い空間に、高い天井。壁に並ぶように立ち並ぶ太い柱に豪華なシャンデリア。
ふいに遠い左右の壁からズルリと黒い影が伸びる。丸い影から手を生やしていたり影が燕尾服を着ていたりと、明るく豪華な広間にしかし違和感のないゴースト達が姿を現した。
ゴースト系の魔物は物理攻撃がほとんど通らない。しかし気長に斬り続ければ少しずつダメージを与える事が出来なくもないし、魔力反射のついた武器があれば通常通り攻撃は通る。
「数多いのは確かにうっぜぇけど、やっぱヨユーッスよね」
「確かに、魔物で全滅とかは無さそうで」
リゼルの魔銃での攻撃に関しては言うまでも無く通る。
数は確かにイレヴンの言うとおり多いものの冷静に対処すればCランクであれば苦戦しそうには無いし、やはり迷宮が忌避されるのは映し出される過去の所為なのだろうか。
『…………―――のかい?』
それだけでは無さそうだが、と首を傾げかけたリゼルにふいに聞き覚えのある声が聞こえた。
「ん、リーダー何か言った?」
「いえ。この声、俺っていうよりは……」
『やぁ、また本を読んでいるのかい。リゼル』
ゆらりと広間の真ん中に人影が浮かんだ。
リゼルには生まれた時から見てきた、ジルとイレヴンにとってはただ一度だけ邂逅を果たした人物だ。その一度きりの邂逅の時と比べると格段に若い。
「あ、お父様」
「ッスよね!? うっわ、何これすっげぇ。こんな風に見えんの?」
広間の真ん中にまるで投影されたように映るリゼルの父の姿。
以前劇団“Phantasm”が雨や雪などを投影する魔道具を使っていたがイメージはそれに近いだろう。それよりも鮮明で、光源など何処にもなく本当にその場に本人が立っているように見える。団長が見れば大喜びだ。
しかしリゼルの父の姿は薄らと透けており、それだけが彼を幻影だと示している。ふいに彼の前の空間もゆらりと揺らいだ。
『はい、だってすごく面白いです』
小さな揺らぎは床にしゃがみこむ小さな姿を映し出す。
思わずジルとイレヴンの視線はその幼い子供に固定された。甘さを宿す瞳、穏やかな顔立ちにふんわりと浮かべられた微笑み。その面影は見慣れたものだった。
「リーダーちっさ! ちっさい! うわ、子供の頃のリーダーじゃん! 本読んでる!」
『今日は何を読んでいるのかな』
「おい、後ろ」
「ちょ、待ッ……あっちが気になって堪んねぇんスけど!」
そう、冷静さを損なわなければ魔物に関しては問題が無い。
しかし見られたくないもの程良く見え、他者に見られ、そして他者にとっては隠したい事実ほど魅力的なのだから冷静であり続けるのは至難の業だ。
そしてそれは例外では無くジルとイレヴンにも当てはまり、見なければ良いと言っていたイレヴンでさえ見ずにはいられない。
しかし意識が逸れようと視界の外から攻撃されようと容易に避けられる二人にとっては意識が広間の中央に向けられていようと問題無いようで、どんな強者だろうと集中力を欠けば危ない状況でも崩れる様子は見せない。
「“Ⅵ”は六歳って事だったんですね。一応言っておきますけど、ちゃんと六歳の平均身長はあります」
そして一番心乱されるはずのリゼルが心底冷静だった。
『おいで、そろそろ寝る時間だから』
『でも、まだ』
『駄目』
幼いリゼルはぎゅっと本を抱きしめるが、そのまま優しく伸ばされた両腕に抱き上げられた。温かい体温に包まれ、大きな掌にゆっくりと頭を撫でられる。
忘れていたはずの眠気が呼び起こされたのかうとりと落ちかけた瞼に、しかし本を握る手に力を込めて父の腕の中からその顔を見上げた。
『お父さま、もう少しだけなので』
「お前あんな子供の頃から本中毒ってどうなんだよ」
「やだな、誰だってあるでしょう? ほら、絵本をねだったりとか」
「どう見ても持ってんの絵本じゃねぇんスけど」
普通普通、と微笑みながら丸いゴーストを撃ち抜くリゼルだが今の本マニア加減を知っていると如何にも絵本をねだる子供には見えない。持っている本がおおよそ幼い子供の読むような薄い絵本ではない事もそれに拍車をかけている。
ちなみに内容は普通の物語だ。流石にまだ研究書などの大人が読んでも難しい本は読めない。
『いけない、と言ったよ。リゼル、読書は寝る時間までと約束しただろう?』
『……ごめんなさい』
『我儘は何でも聞いてあげたいけれど、私はリゼルが何より大切だからね。その為の約束だ』
腕の中の温もりへと頬を擦り寄せ、父親は愛しい息子の手から本を抜き取ると歩き出した。
二人は何も無いかのように広間を横切り、柱をすり抜けてそのまま壁へと進む。
『だから、リゼルが眠るまで私が読んであげよう』
壁の向こうへと消える瞬間見えたのは、これならば約束を破らないだろうと囁きながら向けられた甘い甘い笑みと嬉しそうに目元を緩ませた幼い笑み。
二人が消えると共に離れていくはずの声もピタリと消えた。
「……甘っめ! 超甘やかしてんじゃん!」
「お前の親っつうのが納得いった」
「二人共黙々と見過ぎですよ、流石に恥ずかしいです」
恥ずかしさなんて感じている様子など欠片も見せずリゼルは苦笑した。
記憶にあるような無いような光景だった。実はあのやり取りは割と頻繁に起こっていた事なので、ハッキリといつの記憶なのかは特定出来ないが懐かしい。
しみじみとしながら天井付近を浮遊する最後の一匹を撃ち抜く。そのゴーストが身に着けていた手袋がヒラヒラと宙を舞って落ちてきた。
「あ、向こうの扉開いた」
「全滅させれば開く仕掛けみたいですね」
入ってきた扉とは真反対にある扉がゆっくりと開いていく。
倒しきらない限り先には進めないようだ。その間延々と幻影がループするのだろうかと思いながら足を踏み出そうとした時、広間の中央が再びゆらりと揺らぐ。
部屋の中にいる限り過去が映され続けるのだろうかとリゼル達がそちらを向くと、現れた人影は先ほどとは違ったものだった。
『ワナ、どこだったっけ』
「あ、俺だ」
「あれだけ人の事を小さいって言ってたのに同じくらいじゃないですか」
「お前ガリガリじゃねぇか、まともに食ってねぇの?」
「や、すげぇ食ってた」
まだ伸び始めの髪をひとつに括って、ひょこひょこと揺らしながら幼いイレヴンは駆けていた。その体躯はジルの言うとおり細い。
しかし貧困から来ているとは思えず生来そういう体質だったのだろう、駆ける足取りは軽く弱さなど欠片も見えない。
幼いイレヴンがふいにしゃがみ込み、広間の床に唐突に映し出された穴を覗きこんだ。
『お、ウサギ。よっし、今日の夜ごはんは肉だ』
「小さい頃から獲物を罠に嵌めるのが好きだったんですね」
「そういう言い方されっと俺すっげぇ可愛くない子供みたいなんスけど」
『や、このウサギを仕掛けてクマとか捕まえればもっとごうかになるかも。でかい奴がハマってんの見るのたのしいし!』
「可愛くねぇじゃねぇか」
「ほんとだ、このガキすっげぇ可愛くねぇ」
もはやこの頃から今の片鱗を見せていたようだ。
お前だよ、と突っ込むジルの前で兎の耳を掴んで意気揚々と歩いていくイレヴンが壁の向こうに消えていった。戻ってくる気配は無い。
「クマ、捕まえられたんですか?」
「まさか、ウサギ獲れただけで上等ッスよ」
流石に六歳児がクマに挑む展開は無かったようだ。
当時はまだ獲物を狩る為の罠の練習中で、その日も父親に手伝って貰いながら仕掛けた罠を見回っていただけらしい。自分一人で狩りが出来るようになるのはまだ先だろう。
そこで熊に挑もうという思考に飛ぶところがイレヴンらしいというか何というか。
「おい、行くぞ」
「えー、ニィサンのまだッスよ」
「わざわざ時間かけてどうすんだよ。目的が違……」
さっさと依頼を終わらせようと足を進めるジルに、イレヴンが嫌だ嫌だと訴え続ける。
知るかとばかりに扉へ向かうジルはしかし次の瞬間ピタリと足を止めた。握られ引かれた腕の感覚に嫌な予感を覚え振り返ると、輝かんばかりの笑みがわざとらしくニッコリと浮かべられている。
「折角ですし。ね?」
「……」
ジルは諦めた。
「リーダー最ッ高! やっぱ気になるじゃんね」
「気になります。意外と可愛かったりするかもしれませんよ、顔立ちは整ってるんだし」
「女の子と間違えられてましたーとか? それ良いッスね!」
「俺が出るとは限らねぇだろうが」
盛大に笑い声をあげるイレヴンを強制的に黙らせながらジルは嫌そうに呟いた。どうやら回想はランダムのようで、同じ人物の過去が続けて出る事もあるようだ。
しかし此処までくれば次はジルだろう。何せ迷宮だ、空気の読み方が良い意味でも悪い意味でも半端無い。
広間の中央がゆらりと揺れる。全員の視線を集める中現れたのは。
「ガラ悪! 小せぇのにガラ悪! 近所のガキ大将も泣くレベルじゃねぇのこれ!」
「整ってるのは予想通りですけど可愛いとは言い難いです」
「普通だろうが」
六歳といえばまだ可愛らしさが先立つ年齢だろう。
どんな子供だろうと子供らしく可愛い。先程まで映っていたリゼルやイレヴンの幼い頃も特別映える容姿はせずとも可愛らしいものだった。
しかしそれら子供の特権をすべて放棄しているのが幼いジルだ。射抜くような視線、その年齢にしては伸びた手足、何より纏う雰囲気はやけに研ぎ澄まされている。
『…………』
全てのものに興味が無いと言いたげな瞳が虚空を仰いだ。
子供らしい感情の起伏の無い顔が微かに顰められる。何処か苦々しげなその表情は、まるで望まぬものの来訪を目撃したかのようで。
『……雨だ』
幼いジルの周りにシトシトと降り出した雨も映し出された。
リゼルが手を差し出そうとその雨が手に触れることは無く、冷たさを感じさせることも無く掌を通り過ぎていくだけだ。
鋭い目つきで虚空を睨みつけていたジルが、すっと踵を返す。大人にも引けをとらない誰も寄せ付けない孤高を体現するような背中が広間から消え去ろうとしていた。
その直前、聞こえた声は。
『たしか洗濯もの出しっぱなしだったな……』
「ニィサンにはガッカリッスよ」
「あ?」
「ニィサン辛い過去でも背負って生まれてんの?」
「母親に愛されて普通に育った」
「あの頃にはもう武術とかやってたんですか?」
「棒きれでチャンバラぐらいはやったかもな」
あのジル相手に普通に遊んでいた近所の子供たちが凄い。
ワイワイと話し合う二人にジルは呆れたように溜息をついた。
「お前らはどうして俺が普通のガキだったのをそうも認めたくねぇんだよ」
あの子供らしさ皆無の子供を見てどうして普通の子供と言いきれるのか。
結局のところ自分で面白がっているだけの二人は特別何かが気になる訳でも無いのだろうと、ジルはリゼル達を放置することに決めた。反応しなければその内飽きる。
最初の大広間を抜けて直ぐにあった地下への階段を三人は下りていた。
「何て言うか、ジルが侯爵家に引き取られて剣と出会ったのはとても都合が良かったですね。君のお兄さんには悪いですけど」
「なるべくしてなった、って感じッスよねー」
リゼルの意見にジルは頷く。
勝手に衣食住も保障してくれるだけ有難いし、通常子供にとっては厳しい訓練もジルにとっては己を高めて満足感を得る手段と成りえたのだから。鬱陶しい事は多々あったが特別何が嫌という事も無かった。
何やら神経質に溜めこんだオルドルには悪いが、まさにリゼルの言うとおり都合の良い展開だっただろう。
「このまま回想の年齢が上がっていけば、ジルの侯爵家入りが見られるかもしれませんね」
「多分ねぇんじゃねぇの」
楽しそうに言うリゼルに、ジルは予想に過ぎないがと付けくわえながら口を挟んだ。
真紅の絨毯の敷かれた階段を下りきり、床に足をつける。絨毯が真っ直ぐに続く先には一階層で広間に続いていた扉と同様の大きな扉が静かに佇んでいた。
その扉の上にあるプレートには“SHYNESS(羞恥)”と刻まれている。
「前来た時もそうだったが、一階層は年齢、二階層からは違う内容になる」
「テーマって事ですか?」
「一度しか来てねぇから何とも言えねぇけど」
ただ順番に回想の年齢が上がっていくという事は無いらしい。
ジル曰く、テーマにそった過去が映されるがその内容は過去の中でランダムに選ばれるようだ。ちなみに以前ジルが訪れた際の一階層は十代の頃だったらしいので、大きな括りが階層ごとにありテーマはその中で変動するのかもしれない。
「つーことは、恥ずかしい過去っつーこと? ヤな予感しかしねぇんスけど」
「そんな中で戦うんですもんね」
あの時か、いやこの時か。
予想を付けて心の準備をしようというのか唸っているイレヴンを可笑しそうに笑ってリゼルは扉へと手を掛けた。さほど力を掛けていないのに重く開いていく扉の向こうには、変わらず豪華なシャンデリアが吊るされた大広間が広がっている。
「まーた雑魚の癖に数だけは多いパターンとか飽きるっつーの」
そして壁・天井問わず魔物が姿を現すのも変わらない。
最深層までこれが変わらないというのなら二人は飽きてしまいそうだ、とリゼルはふいっと掌を持ち上げて魔銃を構えた。
魔物の殲滅を始めて少しも経たない内に広間の中心が揺らぐ。
『ッ私が……負けた、だと……?』
「あ、今度はニィサンからだ」
姿を現したのは先程見た六歳のジルより育った子供の頃のジルの姿だった。
身長は随分と伸びたようだがまだ体つきは子供らしく細い。孤高の空気は変わらず鋭い目つきはより鋭くガラが悪くなっており、何の感情も無く目の前のオルドルを見据えていた。
二人の手には剣、そしてオルドルは地に膝をついている。
「これっていつ頃ですか?」
「……侯爵家で剣の訓練受けて、初めてアイツと戦りあった時だろ」
「あぁ、一月で勝ったとかいう。初試合でもう勝っちゃったんですか」
「リーダー嬉しそうッスね」
確かに気持ちは分かる、とイレヴンは頷いた。
例え剣を握りたてであっても全く経験が不足していたとしても、ジルが誰かに敗北している所など想像も付かないしはっきり言ってしまえば見たくもない。剣の師相手に最初から無敗を誇ることなど不可能だと思うが、ジルならば出来てしまうのではとすら感じてしまうのだから。
しかし心底嫌そうな顔をして舌打ちをするジルにふと首を傾げる。これの一体どこが恥ずかしいのだろうか。
「あれ、これの何処が恥ずかしいんスか」
「良く見ろ」
見せたくもないが、と言いながらジルは目の前の巨大な影の塊を斬り伏せてすっと指をさした。
その先にはまだ発展途上な己の姿がある。
『お前は一体何をした、ジルベルト!!』
『……別に、普通に戦り合ってテメェが負けただけだろ』
『あり得る筈が無い! あってはならない事だ!』
若いジルは鬱陶しそうに眉を寄せ、喘ぐように叫ぶオルドルの前から去ろうと踵を返す。
あ、とリゼルはその腕に視線を止めた。ついでに動きも止まってしまったがさり気なくナイフを投げたイレヴンによって魔物の攻撃を受ける事は無かった。
「服、破れてますね」
「一撃食らった」
苦々しげに吐き捨てられた言葉に、果たしてそこは羞恥を感じる所なのかとリゼルは笑う。
剣を握って一月の人間が、物心ついた時から厳しい訓練を積み続けてきた人間に一撃貰っただけで勝利したのだから誇っても良いだろうに。
あー成程とあっさりと納得しているイレヴンを見て、剣士特有の何かがあるのだろうかと不思議に思いながら叫ぶオルドルの姿が掻き消えるのを確認する。
ジルに関する回想なので、その後のオルドルの様子など窺い知れないのだろう。流石にそこまで迷宮も万能では無いようだ。
「シャンデリアが反射して見にくいです」
「ゴースト系に似合わない明かりじゃないとはいえ、まぁ結構な明るさあるッスからね」
目元に手をかざしながらリゼルは魔銃を上に向けた。
ジルやイレヴンの届かない範囲の敵へと魔力を撃ち抜く。明確な核というものが存在しないゴーストなので何発か撃ち込まないと消滅しない魔物もいた。
こういう魔物もいつかとある魔物研究家が解明してくれるのだろうか、道のりに果ては無さそうだがと微笑みながらシャンデリアの隙間を縫うようにまた一匹を撃破する。
『リゼル、顔色が悪いよ』
ふいに聞こえた声に、どうやら再び幻影が始まったようだと全員の視線がそちらを向く。
『今までで一番辛いです』
「リーダーの父さん出現率高くねぇ?」
「何ででしょう。もしかして良い年して親恋しく思ってるんでしょうか」
「ねぇだろ」
しかし何故リゼル達は幻影が始まるたびに全員で見ているのか。通常ならば全員が全力で見ないふりをしながら最速で戦闘を終わらせようと必死になるのだが。
視線の先では先程より育ったリゼルが居た。今のところジルもリゼルも回を追うごとに良い具合に成長している。
『流石にもう一週間もチーズ料理続きじゃ、料理人もメニューに困るだろう』
『でも、好き嫌いを無くすためです』
あったのか。と二人が此方を向いているのに気付き苦笑する。
確かに今のリゼルに嫌いな食材は無い。二人は何でも食べるイメージをリゼルに持っているだろう。
『この間、殿下に好き嫌いが多いって注意したら“リズだってチーズ食べれねぇじゃん”って言われてしまって』
『やぁ、あの方の言葉づかいを真似てはいけないよ』
「だからってお前解決法が力技すぎんだろ」
「慣れればこちらのものだと思ったんです」
「リーダーって変なとこ潔いよなァ」
回想の中のリゼルは黙々と料理を食べ続けている。
辛い顔をして食べては無理を言っている料理人への礼儀が無いと思っているのだろう、常の穏やかな微笑みを浮かべてはいるがその顔色は白い。好きじゃないけど食べられない程では無い程度ならば何の問題も無く食べるリゼルにとって、“食べられない”というのは本当に無理な食材だけなのだから顔色が悪くなるのも納得だろう。
「好き嫌いがあった事がバレちゃいましたね」
「内容ランダムっつーし仕方ねぇけど、どうせならもっとキッツいの見せてくれりゃぁ良いのに」
「基準は俺達の自意識なんでしょう。俺達が恥ずかしいと思わなければ、対外的に見れば羞恥となりえる行動でも投影されないんだと思います」
ご馳走様でした、との言葉と共にリゼルと父親の姿が掻き消える。
魔物は順調に数を減らしている。向かってくる魔物は大方殲滅し、後は不規則に空中を飛びながらちょっかいを掛けてくる小物ぐらいだ。
光の中に闇を一滴落としたような姿が黒の尾を引きながら、フォン……と鳴き声なのかも分からない音を立てて縦横無尽に漂っている。
「ゴースト系は時々見ますけど、アンデッドってあんまり見ませんね」
「ここら辺じゃ出るとこねぇしな」
「あったとしても止めといた方が良いッスよ。っと」
ふいにイレヴンがナイフを投げた。
魔力加工がされているのか、ゴーストへと直撃した途端に青い焔を散らしている。例え飛行していようと魔銃で対処可能なのだし、後で回収が面倒な投げナイフを使うイレヴンへとリゼルは疑問を持った。
何というか、少し焦っているような気がする。これで普段のイレヴンだったらアッチだのコッチだの言いながらリゼルが魔銃を使うのを楽しそうに見ているだろう。
「(あぁ、成程)」
表面上はいつもと変わらないイレヴンだが、リゼルにとってその変化の意味を察するのは容易い。
簡単だ、自らの幻影が映る前にさっさと通り抜けたいのだろう。基準は自意識という予想に何か思ったのか、そもそも今回のテーマに関しては最初から嫌な予感を覚えていたようだし。
「くせぇし汚ねぇしロクなもんじゃ」
『……ッで……!』
イレヴンは口元を引き攣らせた。
再び広間の中心が揺らぎ、とある室内と鮮やかな赤色が映し出される。
『ッ……おこ、って……ッ』
『怒ってないですよ。少し厳しく言い過ぎましたね』
『……ぅ、ッ……ち、が……っひ』
赤く腫れた手首を震わせ、差し出された掌に必死に縋り、もう片手で自らを守るように肩を抱きながら低い机に縋りつく。その鮮やかな赤い髪が机の上へと散らばっていた。
嗚咽を上げるたびに肩は跳ね、伏せられた顔は見えないものの握りしめた手に滴り落ちる水滴がある事をリゼルは良く知っていた。
『ごめ、なさ……ッ』
許しを乞うかのように額を擦りつけ、力などまるで入らない掌を握り、恐怖を感じながらも離れる事を何よりも不安がる姿を。
「ッッぎゃああああああああああああ!」
直後、全ての音をかき消すかのように響いた悲鳴。
そしてその悲鳴の持ち主の手から四方へと物凄いスピードと威力で投擲されたナイフは一つたりとも狙いを違わず魔物たちへと突き刺さってその姿をかき消した。
「ほら絶対こうなる気したんスよだって俺リーダーと会ってからしか羞恥心とか感じた事ねぇし!? 自意識とかリーダー言うから絶対最近のことだし!? ほら扉開くし早く扉開くの遅っせぇな早く開けよ!」
大混乱だ。
普段は偽の感情すら用意して本心を隠すイレヴンだがもはやそんな余裕も無いらしい。比較的血の気の薄い肌を赤く染めてリゼルとジルの元へと猛然と迫る。
「ほら早く……ッ……ックッソ動かねぇなニィサンはよォ!!」
「良いじゃないですか、一度見てるんですし」
「一度も見られたくねぇもん目の前でリピートされてる俺の身にもなって欲しいんスけど!」
懐かしいですね、懐かしいな、と二人してしみじみと見ているのは何なのか。嫌がらせなのか。からかっているのか。面白がっているのか。多分全部。
イレヴンはしばらくガンガンとジルを後ろから全力で蹴りつけていたが、欠片も動かない事を悟ってリゼルの腕を掴んだ。何だろうと思う間もなく駆けだしたイレヴンにどうやら強制連行されるようだと苦笑する。
「そんなに恥ずかしがらなくても」
「無理!」
流石別名“最悪の迷宮”、やる事がえげつない。
第三階層“PLEASURE(快楽)”
「快楽ねぇ……要はパーティメンバーがヤッてるトコが映るっつーこと?」
「すごく居た堪れないですね」
割とすぐに回復したイレヴンが嫌そうに言うと、リゼルがほのほのと笑いながら同意する。
その笑顔で同意して欲しくなかったと顔を覆ったイレヴンをジルは呆れたように見ながら、躊躇いもせず入っていくリゼルを見た。潔い。
「快楽といっても色々あります。どうしたって一人目が映るのは避けられませんし、もしそうだったら運が悪かったという事で」
「リーダー男らしい!」
そして映し出されたのは、何処かの賭け場で床に這いつくばった男を心底愉快そうに見下すイレヴンの姿だった。
男の視線は憎悪に彩られている。
しかしイレヴンはそれを目を細めて見下ろし、唇を引き上げ、片手でコインをクルクルと弄りながら机の上に積まれた金貨の山に勢いよくナイフを突きさした。
『イカサマ? デキレース? 何当たり前のコト言ってんだよ雑ァ魚。お綺麗な勝負してぇならガキとトランプでもしてな』
「お前最低だな」
「イレヴンにとってコレは快楽なんですか?」
「え? 自信満々に挑んできた奴を無様に返り討ちにすんのってすっげぇ気分良いじゃねぇッスか」
特にイカサマだと気付いてる癖に挑んでくる奴が良い。
ああいう所だと見破れない方が悪いからイカサマ見破れなくて途中で勝負下りることも出来なくて追い詰められて絶望する顔が最高。散々追い詰めた後にキレて殴りかかってくる奴を地面に這いつくばらせるのがまた格別。
そう語るイレヴンだがリゼルとジルには到底理解出来そうも無かった。
「変な恨みは買わないように」
「最近は気ィつけてるッスよ。リーダーに行かないように」
「なら良いです」
快楽が性的欲求に限定されないことも分かったし、イレヴンが二人の分も見たいと主張した事で殲滅後も三人はその広間に居残る。
リゼルはベッドでまどろみながら最も夢中になれた本を読んでいるところ、ジルは何処かの崖の上で巨大な飛行竜と戦闘しているところが映し出された。
通常の冒険者が訪れればパーティの内の半数は確実にイレヴンの言うシーンが幻影として現れる事を考えれば、何とも健全な結果で終わったものだろう。
第四階層“ANGER(憤怒)”
揺らぐ広間の中心に、今度は誰が先だろうとリゼルは近くの魔物を撃ち抜きながら視線を向けた。
幻影はゆらりと足元から作られていく。黒が大部分を占める足元と靴の底から広がっていく煉瓦が並べられたような床の模様は何処かで見たような気がする。
人物は言うまでも無くジル、そして煉瓦の模様だけでは確定しにくいが此方の世界のどこかで見たような―――――――。
『私を追う―――……』
「え?」
直後、襟元を掴まれてリゼルは広間に何本も並ぶ太い柱の後ろに隠された。
一瞬の事だが確かにジルがそうしたのだろう。自分を隠さなければいけない程の強敵などいなかった筈だし、そうだとしても視界から外すような真似はしない筈なのだが。
「あーもう、あの人が本気で動くと怖ぇんスよ。避難、避難」
ドンッという音と共に慌ててリゼルと同じ柱の裏にやってきたイレヴンが、グシャリと前髪をかき混ぜた。
「そんなに見られたくない事なんでしょうか。ちょっと気になります」
「特にリーダーには見られたくねぇんじゃ無ぇの。見せたくも無ぇし」
時間にしてわずか十秒弱、柱の裏から聞ける鋭い風切り音が消える。
聞こえるのは幻影が映しているだろう光景の破壊音のみで、一体何をそんなに怒って暴れる事があったのだろうと不思議に思う。あまりジルが戦闘中に周囲の無駄な破壊をする事は少ない。
『―――と、………て』
ジルの低い声で声を潜められてしまえば上手く聞き取れない。
何かを話しているが耳を澄ませても聞こえず、しかし見せたくないのなら無理に見るような事はするまいとリゼルは微笑んで柱の裏を伝うように魔物の殲滅で開いただろう扉へと向かう。
少しも広間の中央に向けられない視線を隣に並んで見ながら、イレヴンはこういう踏み込んで来ない所が楽で良いと目を細めた。踏み込んで来ないのはリゼルの中で何であれ予想がついているからかもしれないが。
「一人に任せちゃいましたね」
「リーダーとして単独行動咎めるべきだろ」
扉を潜り、続いて広間から出てきたジルへとリゼルは振り返る。
呆れたように溜息をついている姿は平常通りで、しかし顰められた顔がガラの悪さを増しているのを面白そうに見た。どうやら心底知られたくない深刻な過去とかでは無いようだ。
ジルが最高に嫌そうな顔をしている時、その時はつまり。
「恥ずかしいんですか?」
「え、マジで! ニィサンも俺と同じ目に遭うとかマジざまぁ!」
とりあえずイレヴンは一発叩かれた。
さて次はボスだと歩いていくリゼル達の後ろでゆっくりと広間への扉が閉まっていく。大きさに伴いゆっくりと閉まっていく扉は中々完全には閉まらない。
少しずつ埋められていく隙間の向こう側にあったのは憤怒というには凪いだ瞳、しかしその奥深くに秘められた感情が抑えられ暴れるように揺らいでいる。
『言っただろ』
誰かに伝えるようで、誰へと向けられているのか分からない。
そんな声が静かに広間へと落とされる。
『大したもんじゃねぇって』
扉は微かに軋んだ音を立てながら完全に広間を閉じ込めた。
「結構面白い所でしたね」
「えー、俺もう行きたくねぇッスよ」
無事依頼を達成し、相変わらず報酬を受け取ったその場で三等分して配分するリゼルは相変わらず一般的な報酬の分配方法など知る由もない。
微笑みながら金貨を渡され、イレヴンは拗ねたように唇を尖らせながら眉を寄せた。
人のばかり見られるなら面白いだろう。しかし自分の事も遠慮なく映って他に見られるとなると心底嫌だ。
「ジルは? そこまで嫌じゃないって言ってたし、もう一度ぐらい」
顔を顰められ、リゼルは諦めた。
ジルが迷宮に入る前にそこまで嫌じゃないと言ったのは、見られて困るような内容も困らせるような内容も無かったからだ。ひたすら一人で冒険者をしていた時にあの迷宮に入ろうと、大した光景は映されなかった。
しかし今は違う。今日それに気付いてしまったら、もう誰かと共にあの迷宮に潜れるとは思えない。
魔物も特に魅力を感じなかったので一人で暇つぶしに潜ろうとも思えないし、恐らくもう二度と行く事は無いだろう。
「意外とジャッジ君とかスタッド君とか誘ったら来ないでしょうか」
「リーダーちっせぇあの二人見てぇの」
「結構見たいです」
ジルは溜息をついて、止めておけと制止した。




