7:子猫と遊んだ
「こんな迷宮品もあるんですね……」
固まった状態から復活して、店主がテディベアを二つ持って感心したように眺めていた。
装着したモノクルが若いながらも良く似合っている。
相変わらず自信は無さそうに見えるが、真剣な表情で鑑定する姿は鑑定を任せるに値する姿だ。
「しかし、冒険者になった事をあんなに信じて貰えないとは思いませんでした」
「す、すみません……あ、でも以前よりはその、少し馴染みやすい雰囲気に……」
「それは嬉しいですね」
微笑むリゼルから慌てて視線を逸らし、再びテディベアと向き合う。
ジルはつまり以前は馴染みにくかったと言う事だろうかと考えながら、リゼルを見た。
確かに以前より周囲に溶け込んでいるが、単に服を変えたからのような気がしている。
ちなみに貴族以前に冒険者というのも中々信じて貰えなかった。
無理も無いとジルは思う。話を聞く限り、彼が以前に見ているのは此方に来たばかりのリゼルだ。
ジル自身最初は貴族だと信じて疑わなかったのだから、そんな人物が再会した途端「冒険者になりました」とはとても信じられないだろう。
ちょくちょく話しかけて店主の反応を楽しんでいるリゼルに邪魔をするなと声をかけ、棚に並べられている剣の手入れ道具を眺める。
あまり見ないものなので多少の時間がかかったのだろう。
リゼルのまだまだ冒険者として足りない道具を二人で話し合いながら見繕っていると、鑑定が終わった。
「どうです?」
「あの、これ近くの迷宮の二階で見つかったんですよね……?」
「はい」
不思議そうに頷くリゼルに、店主はテディベアを二つ並べて見せた。
赤と青の瞳が光を反射して輝いている。
「生地も、ボタンも、瞳の宝石も全て迷宮産のものでした」
「二階にしちゃ上出来の代物だな」
「二つで金貨一枚くらいはいきそうですか?」
依頼人の予算が金貨一枚までだ。流石に有り得ないが折角なら規定金額ギリギリを目指したい。貰えるものは貰っておく精神だ。
冒険者としても下手に価値の無いものを出すと評判が悪くなる、とジルは最初に言ってある。
「一枚どころか、人によってはこれだけで金貨五枚は出すかと」
「人形で……ああ、人形専門のコレクターの人とかかな」
「はい、結構いるんです。一体で金貨二枚、一対揃って五枚ということに、多分……」
これが、と二人はテディベアを見下ろす。リゼルにもジルにも理解出来ない世界だ。
しかしこれが書物だったりすればリゼルは理解できる。珍しい書物なら金に糸目を付ける気は無い。
まさにマニアの世界。そういう事もあるかと頷くリゼルの横で、ジルはやはり理解できないのか訝しげな顔をしている。
「ただ、普通に迷宮品として見れば、やっぱり低ランクとしての商品なので……」
「迷宮品として?」
「実用性があるかどうかだろ。これはどう見てもゼロだから二階相応の迷宮品って事だ」
迷宮品のコレクターは別にして、通常の冒険者などが重視するのは実用性のある道具だ。
優れた武器防具はもちろん、明かりの消えないランプや切れ味の落ちないナイフ、貴重な鉱石も当然価値が高い。
後は純粋に何処に売っても金になる物が価値が高いとされている。
前述のランプなどのような物はギルドに売れば商店などに卸されるので、そういう品物も高値が付く。
今回のリゼルのテディベアは例外だろう。
実用性は皆無、人形にマニアがいるなど迷宮には理解できない概念らしい。
ちなみに宝箱がある層とは全く釣りあわない迷宮品が出て来る際、冒険者達は“迷宮がバグった”と言う。
「奥で低ランクの迷宮品が出る事は結構あるが、浅いトコで良いもん出る事はまず無い。今回もバグったまでは行かねぇな」
「言っちゃえばただのぬいぐるみですもんねぇ」
リゼルはテディベアを手に持ってどうしようかと考える。
マニアに売り付けるのも悪くは無いが、その場合は依頼用に再び迷宮に潜らなくてはいけないだろう。
まさかこんな高値が付くとは思っていなかったので、代わりの迷宮品は当然持っていない。
「……まぁ良いや。迷宮品としての値段で鑑定書をお願いします」
「え! 良いんですか……?」
「お前、面倒になったんだろ」
「分かります?」
冒険者としては、儲け話を棒に振るなどあり得ない行為だ。
咎めるように見るジルに、リゼルは目を細めて微笑む。
おろおろと店主が此方を見ている中、二人は数秒視線を交わしていた。
最初に視線を逸らしたのはジルだった。分かり切っていた事だ、と舌打ちをして深い溜息をつく。
冒険者関係についてはリゼルはジルの忠告を疑う事無く受け入れる。
そのリゼルが聞き入れないのだから、よっぽどの事だろう。恐らく面倒なだけではない。
それが何かは分からないが。
「……勝手にしろ」
「はい。じゃあお願いします」
一瞬で瓦解した空気に店主はぽかんとしていたが、リゼルに促され鑑定書を用意する。
店の印が押された用紙で、そこに淀みなく金額を記入した。
リゼルが覗きこむ。記入された金額は銀貨三枚、実用性は無いものの芸術的価値ある品なのでそれなりの値段だ。
低ランク冒険者が納品するには上出来だろう。
元々金貨一枚もする迷宮品は中層から先でしか見つからない。依頼人もゆとりを持った金額を設定しているはずだ。
「これって剥きだしのまま渡しても良いんですか?」
「適当な箱に入れとけ」
「じゃあついでにラッピングでもして貰いましょうか、折角のぬいぐるみですし」
初発見の迷宮品がぬいぐるみであることはとっくに受け入れたらしい。
わざわざ多少の金を掛けてラッピングを頼む様子は、心底面白がっている。
「一応ギルドでチェック入るぞ、あんま厳重にしない方が良い」
「じゃあ箱にそれっぽいリボンだけ貼り付けて、ああ、その銀色のやつが良いです」
「は、はい!」
頑丈そうな一抱えもある黒いプレゼントボックスに、勲章のようにリボンが伸びている銀色のシールを貼り付ける。
リボンは黒と白のストライプだ。大人らしいシックなプレゼントに変身したテディベアをリゼルは満足そうに眺めている。
ちなみに鑑定書は城の招待状のような封筒に入れられ、共に箱の中に入れられていた。
何が彼をそこまで駆り立てるのか。変なところで完璧主義だ。
そして何故この店にこれ程のラッピンググッズがあるのか。どちらかと言えば冒険者向けの店なのだが。
理想的な出来に嬉しそうなリゼルと店主を、ジルは心底理解出来ない目で見ている。
箱に入れておけとは言ったが、まさか此処までするとは思ってもみない。
「お前……どうして意味無ぇ事には力を入れんだ」
「遊び心ですよ」
そうか、と頷いてジルはそれ以上追及する事をやめた。
その後ギルドへと寄って無事依頼品を納品できたが、リゼルがポーチから出した箱を見たスタッドが無表情でそれを受け取り、箱の中身を確認して無言で蓋を閉めた事は言うまでも無い。
依頼終了は認められたので問題はないと、リゼルは満足気にギルドを後にした。
リゼルは宿に戻ってからずっと読書をしている。
今日だけに限らず、今まで時間が少しでもあれば本を片手に過ごしていた。
紹介された本屋以外の書店を回り、内容が被らないものを選んで購入した本はポーチの中に常にストックしている。
最初の書店の品ぞろえが良かった為に、再び店を丸ごと買い上げるような真似はせずに済んでいた。
ふと窓の外を眺め、日が落ち始めたのを確認する。
読んでいた本を閉じてポーチへとしまうと、椅子から立ち上がり部屋を出た。
そのまますぐ隣のジルの部屋をノックする。律儀にも出掛ける際には一声かけて出掛ける為、部屋にいるのは間違い無かった。
「今良いですか?」
「どうした」
「少し聞きたい事があって」
招き入れられ、机で向かい合うように席に着く。
相変わらず綺麗に片付いた部屋。ちなみにリゼルの部屋は読み終わった本が放置されている為に多少ごちゃごちゃしている。
「で?」
「朝ギルドで会ったパーティなんですけど」
「朝のギルドなんてパーティだらけじゃねぇか」
「新しい迷宮について話してた、ほら、俺がちょっと中身見ちゃったパーティです」
「ああ、お前が余計な事した奴らな」
非難する視線を隠しもしないジルに、リゼルは苦笑を返した。
確かに護衛対象が面倒事に自ら突っ込んで行けば苦言を零したくもなるだろう。
リゼルも護衛される側は慣れ切っているので普段は勝手な行動になるべく出ないようにしているが、折角違う世界に来たのだから色々やってみたい。
そこは諦めて貰うしかないだろう。
「彼らの冒険者パーティとしての情報って何かあります?」
ジルは訝しげに片眉を上げた。
リゼルが数多くいる周囲の冒険者を気にかけた事は今まで無かったからだ。
「何か気にかかんのか」
「いえ、別に。一応知っておいた方が良いかな、と思いまして」
「一応、ね。俺もあまり知らねぇぞ」
ジルが語った情報は一般的なものだ。調べれば分かる範囲、ジル自身他の冒険者に興味が向く事が無いのだろう。
メンバーが全員若いながらもC~DランクなのでパーティランクはC、今後を期待されていること。
受ける依頼は戦闘系が多く、典型的な冒険者タイプだということ。
年齢からか喧嘩早いところはあるが、周囲の評判は特別良くも悪くもないこと。
「そういえば中々やんちゃそうな子達でしたね」
「俺は喧嘩売られた事ねぇけど」
「身の程を知ってるって事じゃないですか、以前の人より余程賢いです。伸びしろは?」
「あ? 知らねぇよ……だが、まぁBに上がるにはちょい掛かるだろうな」
ランクは上がって行くにつれ次のランクへの道のりが険しくなる。
リゼルは今日の依頼で既にFからEに上がったが、それとは全く訳が違うのだ。
次のランクに上がるに相応しいとギルドが判断した者だけが上がれるのだから、必ず上がれる保証も無い。
成程と呟くリゼルに、ジルは肘をついて問いかけた。
「で、伸びしろが何だって? あいつら欲しいの」
「いえ。でも片手間とはいえ、どうせ投資するなら先がある子が良いでしょう?」
ジルはリゼルに必要とされているから傍に置かれている自覚がある。
同じように彼らも必要としているのかと思ったが、違うらしい。
それもそうだろう。自意識過剰の気は無いが、あの程度の人物と同レベルだと思われても困る。
その時、投資の意味を考えているジルの耳に聞きなれた足音が聞こえた。こちらに向かっている。
何故かリゼルが立ち上がって扉へ向かう間に、足音は通り過ぎて止まる。
少し力強いノックが響くのとリゼルが扉を開けて外を覗きこんだのとは同時だった。
「おやリゼルさん、そっちに居たのかい」
「お手数おかけしました。それで、どうされました?」
「いえね、ちょっと聞きたいんだけど……」
足音の持ち主である宿の女将が、怪訝な顔をして声を潜めた。
どこか怪しんでいるような表情に、ジルも立ちあがってドアで立ち話をする二人に近寄る。
「リゼルさんに用があるってお客が来たんだけどね、とてもあんたの知り合いとは思えない男達で……」
ジルはリゼルを見下ろした。リゼルに宿を訪ねて来るような知り合いなどいない。
ジルが知る限りリゼルにとって他人から知り合いに昇格していると思われる人物は一人のみ。
唯一互いに名前を交わしているスタッドだ。
しかし彼が訪ねて来たところで女将はこんな言い方はしない。着崩す事無くギルドの制服を身に付け、愛想は無いが礼儀はある彼が不評を買う事はないだろう。
リゼルは自分に送られる視線に気付くと、微笑みを深めて女将と向き合った。
「若い子達でした?」
「ああ、二十歳くらいじゃないかね。ちょいとガラが悪そうだし、態度がでかいっていうんじゃ無いんだけどね。見かけの割になんか神妙にしちゃって、リゼルさんに何かしようってんなら追い出そうと思ってるんだけどさ」
「なら、多分俺のお客さんですよ」
「その言い方なら仲の良い知り合いって訳でもないんだろう? 見かけだけのジルとは違って、中身までガラの悪い冒険者なんかと何処で顔見知りになったんだい」
「いえ、俺も冒険者なので」
女将は未だにリゼルが冒険者だという事を忘れてくれる。
見かけだけと断定されたジルが若干の複雑さを感じている間に、心配を続ける女将を物騒な用事ではないと説き伏せた。
穏やかな顔で世間知らずのリゼルが、何処かでほいほいと騙されてくるとでも思っているのかもしれない。やけに過保護だ。
「ほら、客人をお待たせするのも失礼ですし、行きましょう」
「リゼルさんがそう言うなら良いけどね……部屋じゃなくて良いのかい?」
「今の時間食堂は誰もいないでしょう? 椅子もありますし下で会います」
まるでエスコートするように女将の手を取り、優しく体を反転させた。
仕方ないと階段を下りて行く女将の後ろに続きながら、リゼルがジルへと視線を投げる。
付いて来いという視線の意味を受け止め、ジルも部屋に鍵を掛けて階下へと向かった。
先程のリゼルの質問の意味が早くも判明しそうだ、と感嘆と呆れの溜息を吐きながら。
階段を下りた先には、決して広くない宿屋の受付に四人組の男が立っていた。
待たせていた間に何か話し合っていたようだが、リゼル達が姿を現した途端に声はぴたりと止む。
機嫌を窺うようで、しかし下手には出ない様に気を張る姿を、リゼルは安心させるように微笑んだ。
「女将さん、食堂ちょっとだけ貸し切れます? 話し合いに使いたいんですけど」
「夕食まではまだ時間があるしね、誰も来ないだろうけど準備中の札を出しておくよ」
「ありがとうございます、チップは弾みましょうか」
「やだねぇ!」
はっはっと豪快に笑って、女将は去って行った。
用件も言わないまま事を進めて行くリゼルを、男達は呆然として見ている。
そんな彼らを振り返ってリゼルは食堂の扉を開けた。
「どうぞ、話を聞きましょうか」
「あ、ああ」
先に食堂へと入って適当な机についたリゼルに、男達も向かい合うように座った。
一辺に二脚しか椅子が無いので、残りの二人は隣の机を使っている。
ジルはリゼルの斜め後ろへと立った。すぐ後ろが壁の為に寄りかかり、腕を組んでリゼルを見下ろしている。
男達はその視線がいつ自分へと向けられるのかと気が気で無い。温度を持たない鋭い視線に晒されては、恐らく話し合いどころではないだろう。
それ程ジルは他の冒険者に対して畏怖を与えているのだ。本人にその気は無いが。
「それで、どうしました?」
その凍りそうな空気を壊すように、リゼルは優しい声で問いかけた。
穏やかな音は冒険者の男が朝聞いたものと全く同じだからこそ、彼は本来の用件を思い出す事が出来た。
そう、用件を忘れるほどに目の前の二人に呑まれていたのだ。
向かい合っているのは初心者の冒険者だと自分を叱咤し、目の前のリゼルを見据える。
「(遅ぇっつの)」
ジルは観察するように冒険者たちを流し見た。浮かぶ呆れを隠そうともしない。
話の主導権を取ろうとしているのは理解できるが、そうするにはもはや遅い。
朝リゼルのアドバイスを受けてしまった時点で、主導権は既に彼らには無いのだ。
そんなことを思われているとは露知らず、リゼルの目の前の男が口を開いた。
「俺がこのパーティの頭のアイン、隣は副リーダーだ」
「どうも」
アインと名乗った男が代表して話すらしい。
簡単な挨拶にリゼルも微笑みで答える。
「朝のあんたの助言のおかげで、今あの迷宮では俺達がトップに立ってる」
「それはおめでとうございます」
祝いの言葉をかけながら、果たして冒険者同士はどうやって互いの進捗状況を知っているのかを疑問に持つ。
多くの迷宮では他の冒険者に鉢合わせる事が無いからだ。
何組続けて入っても、全く同じ迷宮に入っているのに他の冒険者は何処にもいない。
それでも事実同時進行で迷宮に潜っているのだから不思議としか言いようがない。迷宮だから仕方がない、らしいが。
ここでわざわざジルに尋ねるメリットも無いので、リゼルは後で聞こうとこの問題を後回しにした。
「そのまま最下層に一番乗り出来ると良いですね」
「……それについて、あんたに相談がある」
「ん?」
「また進めなくなった、力を借りたい」
よっぽど頻繁に暗号があるらしい。
新しい暗号を突破したその日の内に行き詰るとは、なかなかに意地の悪い迷宮だ。
此方を見つめる四組の視線に、リゼルはわざとらしく首をかしげて見せた。
「そうですねぇ……」
分かりきっていた用件だが、悩むように言葉をきる。
性格が悪いとジルに思われているのを知ってか知らずか、リゼルはぱっと片手を広げた。
「最下層のモノ、その五割を貰えるなら良いですよ」
「な……ッ」
ガタンッと椅子を鳴らして一番端に座っていた男が立ち上がった。
ゆるりとそちらに視線を流すと、怒りに顔を歪ませて此方を睨みつけている。
「あ、もし何も無かったら無しで良いです」
「ふざけんじゃねぇ! 足元見るにも程があんだろ!」
「じゃあ聞きますけど」
リゼルはゆったりと背もたれに背を預け、指を組んだ手を机へと乗せる。
それだけでリゼルが座っている椅子は宿の安い椅子では無く、貴族が腰かけるような重厚な椅子に見えた。
決して鋭くは無い、むしろ穏やかな視線に射抜かれた男は無意識に拳を握る。
だがリゼルの視線はそのまま男を向き続ける事無く、アインへと戻った。
「謎を解いてあげて、君達を一番に最下層まで送り込んであげて、それで?」
「……ッ」
「もう用済みだありがとう、で済むと思ってるんですか?」
話し合いの相手は最初からアインだ。そう暗に言われ、立ちあがっていた男は再び腰を下ろした。
畳み掛けるような言葉は相変わらず穏やかだが、何故か気圧される。
その理由は分からないが、男達にはリゼルがただの初心者だとはとても思えなかった。
「……もちろん無償だとは初めから思ってない」
「そうでしょうか」
リゼルの言葉通り、アイン達はもしかしたらタダでいけるのではないか、という希望は少なからず持っていた。
第一にリゼルが金に困っているようには見えない事。
第二に朝のギルドで新しい迷宮に食い付く様子は無かった事。
前者についてはアイン達の勝手な思い込みであり、リゼルにとって今の資金は多少多いだけで充分とは言い難い。
後者については本日受けた依頼に関係が無かっただけであり、未攻略の迷宮も見てみたい程度の興味はある。
「成果に相応しいだけの報酬を貰うことは、当然でしょう?」
彼らがそう考えている事を見透かしたように付け加えたリゼルに、その希望は儚くも砕け散ったが。
だが元々無償でいけるというのは希望であり、報酬の件は想定内だ。
ただリゼルが提示した金額がとても受け入れられないだけで。
「どう考えても五割は高すぎる」
「君達は自分達では不可能だと思って俺を訪ねて来たんでしょう? 不可能を可能にしてあげるんだから相応だと思いますけど」
「実際に迷宮に潜るのは俺達だ、危険も苦労もあんた達とは比べ物になんねぇ」
「だから手間じゃなくて成果に相応しい報酬って言ったじゃないですか」
何を言おうとも平然と返され、男達は徐々にいきり立っていく。
此処で彼らの手がリゼルへと伸びないのは、ひとえに後ろに立つジルのおかげだ。
当のジルは依然として動く様子は無いが、手を出したなら途端に腰の剣を抜くことは想像に難くない。
だからこそ、リゼルは苛立ちを隠そうともしない男達を前に何も構えることなく微笑んだ。
「一つ、勘違いしているようですけど」
「ッんだよ!」
「君達は、俺に譲歩を求められる立場じゃないってこと、分かってます?」
ニコリと笑ったリゼルに冒険者達は一瞬唖然とした。
何を言われたのか理解できない上、優しそうな微笑から出た言葉だとはとても信じられなかったのだ。
「君達以外のパーティに、五割報酬の話を出してみようかな、とか言っても良いんですよ」
「!」
迷宮で手に入れた財宝の五割を失うが、迷宮初踏破を得ることが出来る。
その条件を飲むパーティが居るかどうかと言われれば、間違いなく多く存在するだろう。
迷宮の初踏破の名誉は誰もが求めている。冒険者にとって名前が広がる事に対するメリットは多いし、次のランクに上がるための大きなアピールにもなるからだ。
それなのに何故今アイン達が渋っているのかというと、現在一番初踏破に近いパーティだからに他ならない。
もしかしたら自分達だけでクリア出来るのではないか、という希望を捨てきれずにいる。
だが今リゼルが他所のパーティに手を貸したら、その一番近いという事実も揺らいでしまう。
「……他所のパーティがぽっと出の冒険者の言う事なんざ信じると思ってんのかよ」
「信じちゃった君が言うんですか?」
楽しそうに笑ったリゼルに、アインは何も言えない。朝のヒントひとつで信じてしまったからだ。
信じてしまった。信じざるを得なかった。
今リゼルを前にしても彼が暗号を解けない事態があるとは到底思えない。
アインがそう感じた事を、他のパーティも感じないとはとても思えなかった。
「それに、そもそも前提が違います」
「前提?」
「君達は俺達に協力を求めに来たけど、もし君達だけで攻略出来るなら来なかったでしょう?」
「……当然だ」
「そう、当然です」
リゼルが組んだ指を解き、人差し指を一本立てた。
その手で自分を指しながら、後ろのジルを示すように視線を送る。
「明日、挑戦しに行っても良いんですよ」
そこでアイン達は初めてその可能性に行きつき、戦慄した。
考えてもみなかった。リゼル達が二人で迷宮に潜ったとして、果たして最下層に行けない事があるのか。
現在アイン達がいる中層でさえ、戦闘に慣れてさえいればDランク冒険者でも通り抜ける事ができる程度の魔物しかいない。
そんな迷宮にかの“一刀”が苦戦する筈が無く、そして数々の暗号をリゼルが解けない訳が無い。
そしてようやくアインは理解した。自分達は五割の報酬でリゼルに協力を求めるのでは無い。
五割の報酬と迷宮初踏破の名誉を、リゼル達に分け与えられる立場なのだと。
それは与えられる立場からすると破格の条件であり、リゼルの言う通り『譲歩を求められる立場』などでは断じて無い。
むしろ自分達は感謝してもしきれない程の恩を感じるべきなのだ。
「……悪い、最初からやり直す」
「どうぞ」
「アイン!?」
話に付いてこられないメンバーが叫んでいるが、唯一リゼルの言葉の意味が分かった副リーダーがそれを遮った。
彼らへの説明は副リーダーへと任せ、アインは改めてリゼルと向き合う。
「迷宮初踏破の名誉を貰いたい、条件を飲むから力を貸してくれ」
自分の立場を即座に理解し臨機応変に対応する。中々賢い子だとリゼルは微笑んだ。
充分に説明され納得した周囲もリゼルの返答を待つ。
一人くらい納得できず暴れ出すのではと思ったが、中々に統率がとれているようだ。
流石この年齢の集まりでCランクなだけはある。ギルドの評価は的確らしい。
「取引成立、ですね」
わっとアイン達から喜びの声が上がった。
もう迷宮を攻略したと言わんばかりの喜びように、リゼルは苦笑しジルは溜息をつく。
ジルの溜息が聞こえたらしい隣の机の二人は凍りついたが。
「互いに変な噂は避けたいでしょうし、分からない暗号が出たらスタッド君に預けて……」
「え゛」
「止めとけ」
「え?」
スタッドに預けて自分へと回して貰い、そして再びスタッドに預けると言おうとしたリゼルを、嫌そうな顔をしたアインとジルが止めた。
アインは言うまでもなくスタッドが苦手だからだ。彼の事を得意な冒険者はいない。
その上今朝新たなトラウマを植え付けられたばかりなので、自分から話しかけるような事は決してしたくなかった。
ジルに至ってはスタッド自身が嫌がるという確信を持っている。
良い子なのに、というリゼルの言葉は誰にも同意を得られなかった。
「じゃあ此処の女将さんに渡して下さい。俺がいる時は呼んでもらって良いので」
「そんなら、一日で一気には進めないな」
「だから良いんじゃないですか、楽しちゃいけませんよ」
自分達で考えて分かる範囲は自分達で、という事だろう。
どうしても分からないものだけを聞くという形だ。リゼルだってずっと宿に待機はしない。
「『片手間に投資』、ね」
ジルはぽつりと呟いた。
アイン達が訪ねて来る直前のリゼルの言葉、それはこういう事だったのだろう。
とりあえず自分達が五割貰うが、どうせならその残りの五割を与えるパーティはそれなりの所が良い。
彼らならまだ若く、Cランクで行き詰る事は無さそうだ。Sランクになれるかと聞かれれば恐らく無理だろうが。
「このやり方でもペースが遅くなる訳では無いんでしょう?」
「ああ、暗号一問に一週間かけるパーティも珍しく無い。一週間かかって分からない奴らがどんどん諦めてるくらいだ」
「魔物が強くて進めなくなったとか言わないでくださいよ、何だか勿体無いので」
「言わねぇよ!」
先程まで圧倒されていたにも拘らず普通に話すアイン達をジルは見た。
リゼルが故意にそう誘導しているのだろう、自分の感情どころか相手の感情まで思うままに制御出来るのならば、それはそれは貴族として上手くやっていけていたのだろう。
それを相手に気付かせない事、あくまでもリゼルが無意識にやっているという事が恐ろしい。
軽い打ち合わせの後、多大なる感謝を滲ませた目で帰って行くアイン達を見送るリゼルがジルを振り返る。
「お疲れ様です」
「お前もな。論戦もお手の物ってか、貴族様」
ジルが笑いながら告げた言葉に、リゼルはきょとんと眼を瞬かせて微笑んだ。
「戦いなんてとんでもない。子猫がじゃれついただけでしょう?」
親指と中指と薬指をつけ、それをパクパクと動かして見せる。
それに愉快そうに笑い、ジルはやっぱり恐ろしいと機嫌良く呟いた。
「それ、こっちだと狐だぞ」
「え」