6:かっこかり
今日もリゼルはジルと共にギルドへと訪れていた。
初依頼から一週間、依頼を受けたり街をぶらついたり本を読んだりしながら、冒険者としては穏やかな日々を過ごしている。今日も依頼を受けようと、一番ランクの低いFランクの依頼ボードの前に立っていて様々な依頼の書かれた依頼用紙を眺めていた。
周囲の低ランク冒険者達はどことなく居心地が悪そうだ。
「討伐系も何個か受けちゃったし、ジルも退屈でしょう」
「やる事ねぇ訳でもねぇし、別に」
そうですか、と頷いてリゼルは用紙に次々に目を通していく。討伐、採取、ジルが同行している内に色々アドバイスを貰いたいと思っているので、同じような系統の依頼はなるべく避ける。
Fランクはすぐにランクが上がるようになっているので、今はF・Eランクの依頼しか受けられないが後一回でも依頼をこなせばランクが上がってDランクのものも受けられるようになるだろう。ジルがそう言っていた。
「あ、あれなんかどうでしょう」
リゼルが依頼ボードの一番高い場所に張られた依頼用紙を見上げる。手を伸ばせばギリギリ届くかと腕を上げかけたが、後ろからジルが用紙を取った為にまぁ良いかと下ろした。
「迷宮関係か、確かにまだだな」
「此方の迷宮も一度見たいと思ってたんです」
【求ム、迷宮品!】
ランク:F~E
依頼人:迷宮道具コレクター(仮)
報酬:基本報酬銀貨10枚+依頼品の値段(要鑑定書:金貨一枚まで)。
依頼:何でも良いから迷宮で手に入る迷宮にしか無いものが欲しい。
ただし迷宮五階までの品に限る。
「かっこかり?」
「別にギルド経由で渡しゃ良いなら本名じゃ無くても良い。迷宮五階までなら低ランクで充分だし、高ランクに依頼したり依頼品に高額払ったりする予算がねぇとかじゃねぇの」
「なるほど」
「物によっちゃ、低ランクの迷宮品でもそれなりの値段がつくけどな」
依頼によると、迷宮で依頼品を手に入れるだけでは無く鑑定するまでを行わなくてはいけないらしい。
なかなか面白そうな依頼人かもしれない、と思いながらもリゼルはその用紙を手に受付へと向かった。ジルが何も言わないのなら特に変な依頼でも無いのだろう。
混む時間帯なので窓口は全て埋まっており、その後ろに並ぶ。前で受付中の冒険者がチラリと振り返り、そして凄い勢いで二度見したが慌てたように前に向き直っていた。リゼルを目にするのは初めてらしい。
冒険者している癖にやはり冒険者らしくならない。貴族らしさは鳴りを潜めた癖に、とジルは全く気にしないリゼルを見た。
「ん?」
「どうした」
「いえ」
リゼルはふと少し離れた机を見る。パーティでの話し合いなどの為に開放されている幾つかの机が全て埋まっていた。
椅子に座る面々はそれぞれパーティを組んだ者達であろうが、全員何か話し合う事無く机の上に置かれた用紙と睨み合っている。
「お並びの方どうぞ」
最近良く見る光景だなと思っていると、ふと隣の閉まっていた受付が開いた。お並びの方と言いながらリゼルしか見ていないスタッドが、やはり新規加入受付の席を空にして其処へと移動していた。
新規がいない今間違いではない。が、先程までしていた書類整理を中断してまでスタッドが依頼受付へと入る事はまず無い。同僚から送られる生温かい視線を冷たく無視して座るスタッドに、ちょうど次だから良いかとリゼルは苦笑しながらそちらに移動する。
「お願いします」
「ああこの依頼ですか、度々この依頼人は同じ依頼を出してくるんです」
「本当に何でも良いのかな」
「そこら辺に落ちてる石や雑草じゃなければ大抵喜んでますよ、迷宮にしか無い物でしたら本当に何でも良いようです」
リゼルがギルドカードを渡す。受け取ったスタッドは慣れた手付きで手続きを進めていた。
その無駄の無い手付きを微笑みながら見ていたリゼルは、手続きが終わるのを見計らってふいに口を開いた。視線は先程眺めていた机へと向けられている。
「ところで」
「はい」
ちなみに受付終了後にスタッドに話しかけて無視されないのはリゼルだけだ。後はジルが辛うじて返事があるものの、ジル自身も一対一で話すことも特にないので、やはりリゼルが同行している時に限る。
「彼らは何をしてるんですか?」
「数日前に新しい迷宮が発見されたのですが、中々手強いようなので話しあっているみたいです」
「だからって無言で机眺めてどうすんだ」
「手強いのは魔物じゃなくて暗号です。暗号が解けなくて罠にはまる、先に進めなくなる、けれど魔物が強くないだけに全員躍起になって迷宮踏破を目指しています」
迷宮で手に入れた物は基本的に取得者のものと成る。宝箱などは入る度にランダムで出現するが、迷宮を踏破した際に最深部にある宝は一度手に入れてしまえば再び出現する事は無い。
必ず宝が眠っている訳ではないが、一獲千金の可能性があるのなら試す価値はあるのだろう。
更に今回はまだ浅層しか確認されていないが魔物も特別手強い訳ではない。誰にでもチャンスがあるのだ。
低ランク高ランク関係無く、財宝目指してせっせと謎解きに精を出している。それを無感情に見て、スタッドはあまり減った様子の無い依頼ボードを指し示した。
「おかげで依頼を受ける方もやや減少しているのが嘆かわしいです。貴方もあの迷宮に行くのなら机を覗いた方が良いですよ、迷宮の一番初めの暗号文が置かれています」
どうやら暗号や罠は奥に行けば行くほど難しくなっているらしい。迷宮の基本だ。
ギルドに置いてある暗号は一番最初の扉のもので、その扉は一度開けたら開きっぱなしだそうだが、その後の仕掛けを見てみると最初の暗号さえ解けないのなら結局進む事が出来ない難易度らしい。
無駄に罠に嵌る死傷者を出さない為に、ギルドはその暗号を解けた者にのみ迷宮への立ち入りを許可している。迷宮の管理もギルドの仕事で、稼ぎ手の冒険者を易々と失いたくないのだろう。
「魔物と戦いながらだと謎を考えている暇もないので、ああして此処で出来る限りのことは考えて行くんでしょう」
「迷宮を出ると謎が変わったりしないんですか?」
「そういうものも有るみたいですね。傾向は変わらないようですけど」
成程、ならば此処で考えていく方が無駄が無い。
そう納得しながら、リゼルはジルを振り返った。
「新しい迷宮、どうします?」
「止めとけ。近場にあるからそこ行くぞ」
「分かりました」
どちらにせよ何が起こるか分からない迷宮になどリゼルも行く予定は無い。ジルも同じ考えらしく、新しい迷宮にさして興味が無いようだ。
恐らくそれなりに強い魔物が居るのならジルは一人の時に訪れるだろうが、今回はそうではない。冒険者をやりながらも財宝に興味が無いという、ジルはちょっと珍しい存在だ。
「暗号は少し気になるし、ちょっと覗いて出発しましょう」
「ああ」
「ではお気を付けて」
「ありがとう」
いつも通りの見送りを受け、いつも通り微笑み返す。リゼルはそのまま真剣な顔で机を睨んでいる冒険者の近くへと歩み寄った。
良く見ると冒険者達はギルドが置いた用紙では無く、自ら何かを書き記した用紙を持ってひそひそと話し合っている。見ずとも見当は付く、おそらく今自分達が行き詰っている仕掛けなのだろう。
誰かに先が越されないよう周囲には知られないように、との配慮なのだろうか。全ての仕掛けを解いて財宝を手に入れた後、その仕掛けの情報はギルドや他の冒険者に売れば金になる。
更に今誰かに知られて財宝を横取りされてしまっては元も子もない、だから誰にも知られないよう話し合っているのだ。
「なるほど」
ひょい、とリゼルが机を覗きこんだ。ギルドが置く最初の暗号を読むのは自由なので、その机を使っていた冒険者には文句が言えない。
むしろ後ろで此方を見下ろすジルと、受付から冷ややかな視線を送るスタッドを前にしては、文句など言えるはずがない。冒険者達は訝しげな顔で、微笑みながら暗号を見下ろすリゼルを見た。
「面白い問題ですね、良く考えられてる」
「解けたんなら行くぞ」
「はい」
一言感想を漏らしたリゼルとジルの言葉に、冒険者はぽかんとそちらを見た。最初の暗号でさえ解けない人々は多い、それを一瞬で理解したリゼルが信じられなかったからだ。
暗号を覗いていた姿勢を正したリゼルがふと、椅子のひとつに腰かけていた若い冒険者を振り返る。現在攻略中だろう暗号の内容を書いたメモを持っている男だ。
「すいません、一瞬お持ちの用紙の内容が見えちゃったので」
ふいに、リゼルが彼に向かってすっと身をかがめた。
机に片手を付き、内緒話をするように身をかがめて男の耳元へ顔を寄せる。近付く穏やかな顔に、冒険者は呆然としながらも固まったように動かない。
内容が見えた、という言葉に苛立ちを覚えなければならない。そこに書かれた内容は数日かけて辿り着いた先の仕掛けなのだ。後から入って来て横取りするつもりか、と普通ならとっくに怒鳴っていて可笑しくは無いが。
「古代文字の数字です、綺麗な数式ですよ」
周囲に聞こえない程度に落とされた小さな低い声に、伝えられた言葉をすぐには理解出来なかった。
「おい、行くぞ」
「すみません、お待たせしました」
呼ばれた声に、リゼルは姿勢を正してちょっとしたおわびです、と微笑み去っていく。余計な事をするな、という声に悪びれ無く謝る声を茫然と聞きながら、冒険者は自らが持つ用紙に視線を落とした。
同じく茫然としたパーティの面々にはっとしたように詰め寄られる。何を言われた、情報を盗まれたのか、と口々に詰め寄られた冒険者は、頭を抱えて机へと突っ伏した。
「盗まれたっつーか、その逆……つーか一瞬見えただけであれとか……」
「は?」
「今さぁ」
口を開こうとした冒険者が、ふと自分にかかる影に気付く。何か用かコラ、と冒険者らしく振り向こうとして、すぐにその口を閉じた。顔は青い。
視線の先では、このギルドで唯一そして最も恐れられる職員が此方を見下ろしていた。
「それ以上は此処で話す内容では無いと思いますが」
「ッスよねー……」
淡々とした無表情が自らを見下ろして来る恐怖を、彼は後に半泣きでパーティへと語った。
「あんま余計な事すんじゃねぇよ、変に巻き込まれんぞ」
「嫌だな、巻き込まれるかどうかくらい自分で選べます」
今まさにスタッドによって面倒事が広まる事が阻止されているとは知らず、ジルの苦言にすいませんと謝る。
二人は門を出て迷宮へと向かっている最中だ。しばらく歩いた所にある森の中に、今目指している迷宮はあるらしい。
「面倒なもん選ぶなよ」
「選びませんよ」
苦虫を噛み潰したような顔をしているジルに朗らかに笑いながら、リゼルは先程の暗号を思い出した。元の国で遙か過去に使用されていた古代文字、それも全く同じだった事に疑問を持つ。
実は此処は未来か何かかと思ったが、まずあり得ない。大国であったリゼルの国の名前は何処にも残っていないのは可笑しいし、そもそも地図を見ると大陸の形すら違う。
もしや未発見の大陸か、とも思ったがそれはあり得ないだろう。結局、あまり違いが無い方が楽だし良いか、との結論に落ち着くのだが。
「此方の迷宮も扉なんですか?」
「扉?」
「大きい両開きの豪華な扉、それがポツンとそこらへんにあるんです」
「扉っつーか門だな、石造りか知らねぇ鉱石で作られてる二本の柱と両開きの門」
些細な違いはあるようだが、ある日突然現れる所は同じらしい。門から魔物が出て来る事は無い上に街の中に出来る事は無いので、特に危険視されていない。
だがリゼルの銃のように迷宮でしか手に入らないアイテムや鉱石、魔物の素材や植物なども多くある為、迷宮は無視される事無く冒険者に利用されている。リゼルの国では冒険者はいなかったが、騎士の修練場や傭兵の日銭稼ぎに利用されていた。
そのまま一時間程歩くと森へと辿り着く。そこから更に十分程進んだ場所に迷宮はあった。石造りの門が苔むす事無くシンと立っている。
「あれ、ギルドが管理してるんじゃないですっけ」
「さっき聞いたみたいな制限がある迷宮には立ってるが、特に無いなら自由に出入り出来る。管理っつっても何処に迷宮があるか把握して、何かあったら調査するってだけだ」
「確かに俺達以外誰もいない迷宮の見張りとか人件費の無駄ですもんねぇ」
「普段は冒険者の出入りももうちょい有んぞ。今は例の新しい迷宮っつぅのに集まってんだろ」
迷宮は踏破されようと消滅する事が無い。街から近く難易度も高く無いこの迷宮は、良く低ランク冒険者が依頼や素材集め、訓練の為に利用している。
しかし夢見る新人冒険者達は軒並み新しい迷宮で一獲千金を目指しているのだろう。空いているならそれに越した事は無い、とリゼルは門の前に立った。
ジルが門を押す。大した力を掛けずに開いていく門は、少し軋んだ音を立てて内側に開いていった。
門の裏側は変わらず森であるはずだが、中には遺跡のような石造りの洞窟が広がっている。
「行くぞ」
「はい」
初めての迷宮を密かに楽しみにしながらリゼルが足を踏み入れると、二人が通った後で門は自動で閉まった。不思議と暗くは無い。洞窟全体がぼんやりと光っているようだ。
足元には薄く描かれた魔法陣が光っている。
「この魔術陣は?」
「魔法陣な。この迷宮は地下に伸びて、確か…三十階くらいだったか。その五階おきに魔法陣が置かれてて、自分が踏破した階までは次から飛ばせんだよ」
「ジルは最後まで?」
「ああ、だから俺に反応して光ってる。パーティ組んでりゃお前も使えるが、今回は関係ねぇな」
今回の依頼は地下五階までの迷宮品だ。
魔法陣を使わないで歩き出す。
「何処の迷宮か指定していないって事は、迷宮品は迷宮で違いはないんですか?」
「特色のある迷宮ならそれ系が出やすいが、迷宮品の質自体は変わらない。だから基本報酬が一定で依頼が出せんだろ」
「五階までって言うのは」
「大抵迷宮は五階か十階おきに難易度が上がるからだ、魔物も強くなるが迷宮品も珍しくなる」
この迷宮なら、とジルは付け加えた。十階までがEランク、二十階までがDランク、二十九階までがCランク、最下層がBランクというのがおおよその適正らしい。
それもパーティを組んでいる事が前提のランクで、ソロで挑もうと考える者はまずいない。しかしリゼルには言わなかったが、ジルがこの迷宮を踏破したのはパルテダを訪れた三日後であり、言うまでも無くソロだ。
その件があったからこそジルがこの国で名を広める事になったのだが。
「ボスとかも一度見てみたいんですけど、まだ無理ですよね」
「だろうな」
最下層の難易度が高い理由は、迷宮の最下層には必ずボスと呼ばれる魔物がいる事による。ボスを倒す事で初めて最深部の部屋に入れるのだが、此処で躓く者も多い。
そして財宝を手に入れた後も、何故かボスだけは再び復活する。
「腕が鈍らねぇように、俺はたまにボスだけ殺りに来てる」
「ああ、時々何処かへ行ってると思ったら此処に来てたんですか」
「此処か、他の迷宮かだな」
澱みない会話が続いているが、実は今も魔物に襲われていた。すでに互いの実力は把握しているし、討伐の依頼でも無い為にリゼルだけが進んで戦う事はしていない。
魔物を討伐すると個々のギルドカードに記録されるが、討伐依頼でなければただ数えるだけの機能だ。
会話をしながら魔物を切り捨てるジルを感心して見ながら、リゼルもジルの攻撃範囲外にいる魔物を撃ち抜く。特に手助けする必要は無いが、一応はリゼルが受けた依頼だ。全てジルに任せるつもりは無い。
だからと言って自分の依頼だから自分が戦う、と言うつもりもないが。酷く効率が悪いからだ。
「魔物、素材どうしますか?」
「いらねぇ」
迷宮独特の魔物も草原で見た魔物もどちらもいるが、特別な素材が手に入るものは一階では到底現れない。迷宮で倒した魔物は放っておいても魔力に分解されるので、リゼルはジルの言葉に頷き死骸はそのままに進んでいく。
「迷宮品となると、宝箱を見つけないとですね」
「あればっかは分からねぇからな、ある意味厄介な依頼だ」
「俺は迷宮を見ているだけで楽しいですけど」
遺跡を模したような洞窟は、所々に美しい模様が刻まれていたり祭壇が作られていたりする。全く危険が無ければ観光名所になっても可笑しくない場所だ。
どこの迷宮にも共通しているが、外の様相とはまるで関係のない光景を見る事が出来る。
似たような景色が続く為に簡単なマッピングをしながら進むのが普通だが、リゼルは特に必要としない。特別何かをしなくとも覚えていれば良いだけだと思っている。
ジルも基本的には何となく覚えている方に進む為、歩みを止める事無くさくさくと進んでいく。曲がり角を覗きこんだりしながら宝箱を探すが、見つからないままに次の階への階段が現れた。
「多分まだ全部回り切ってねぇが、どうする」
「行こうかな、見つかる時はぱっと見つかるでしょうし」
ここだけは薄暗い急な階段をジルを先頭に降りて行く。
そして手すりが欲しい、と思いながらリゼルが壁に刻まれた何かの文様を見ていた時だった、ふいにジルが振り返って勢いよくリゼルの頭を押さえこんだ。
ふんばりきれず頭から転がり落ちそうになったリゼルを、そのまま後ろ襟を掴み支える。
一切の身じろぎもせずされるがままになっているリゼルの頭の上を、何かが通過していった。キンッと石壁に何か堅いものがぶつかった音がする。
パラパラと砕け落ちた石の矢を見て、リゼルはようやく罠が発動したようだと気が付いた。
「何でジルに反応しないで、俺には反応したんでしょう」
「第一声がそれか」
「ああ、すみません。ありがとうございます」
呆れたように言いながら、ジルは掴んでいた後ろ襟を離す。ゆったりと立ち上がり襟元を直すリゼルは全く普段と変わりない様子で、今まさに頭をブチ抜かれそうになっていた本人だとは思えない。
ジルも職業上護衛の依頼も受けた事があるが、どんな偉そうな依頼人だろうと命の危機に瀕した際には動揺し、時には大の大人が喚き散らしていた。リゼルにはそれが全くない。今も砕けた石矢を拾い上げてまじまじと見ている。
「冷静だな」
「それが唯一の長所なので」
異様には思うがそれは最初から思っていた事だ。これで自己犠牲の精神を持つがゆえの平常心ならばジルは速攻で依頼を放棄するが、リゼルはそうではない。
自分が無事である事が前提にある上での危険ならば問題ないと、そういう事だろう。守りやすい依頼人だ、とジルは石矢を放り投げるリゼルを見た。
「ジル、何でだと思います?」
「さあな、丁度良い位置に頭がきただけだろ」
「確かに俺の方が身長は低いですけど」
そういう事もあるのが迷宮だ、早々にそう結論付けて再び階段を下り始める。目がある訳では無いのに、迷宮ではこういう事が多々あるのだ。
必ずパーティの人数を半々に分けるよう作動する罠や、何故か人数分用意される一人用の扉など。奇妙だと思うが“迷宮だから”で全て済まされてしまう。
「ああいう罠にも反応出来るようにしとけ、棒立ちだったじゃねぇか」
「ジルがいるから全力で気を抜いてたんです」
「抜くなよ」
本気なのか言い訳なのか分からない。通常言い訳にしか聞こえない言葉が真実に聞こえてしまうのがリゼルだ。
気を張ってれば避けれたのか、という言葉に微笑むだけで返されるのが疑いに拍車をかける。自分が居る内は自分が対処すれば良いのだが、と思いながらジルは最後の一段に足を掛けた。
「お」
「ん? あ」
開けた視界、階段を下りた先は部屋になっていた。そこから三つある内のどこかの扉から先へと進めという事だろうが、その必要は無いかもしれない。
「宝箱、見つかって良かったですね」
「普通は十階まで潜って一個見つかりゃ良い方だけどな。二階で出んなら運が良い」
三つの扉、それぞれの間に宝箱が一つずつ。二つの宝箱が置いてある。
ジルの言葉通り普段は滅多に宝箱を見つける事はない。だからこそ迷宮品はそこそこ貴重なのだが、数さえ潜れば見つかる為に大抵はそれほど高くも無い。
運が良ければ迷宮へ潜る度に宝箱を見つけられる事もある。複数同時に見つかるのは稀だが。
「一度に十個宝箱が並んでたっつー話もあるし、あり得ねぇ訳じゃねぇ」
「魔物が入ってたりもするんですよね」
「たまにな」
自分が開けるか、と聞くジルにリゼルは首を振って自ら一つ目の宝箱を開けた。石造りの蓋はかなりの重さがあるはずだが、すんなりと開いてくれる。
蓋を開ききって中身を覗きこむと、リゼルはおかしそうに笑った。手に持ったものを後ろから覗きこむジルに見えるよう持ち上げると、ジルは顔を引き攣らせ微妙な顔でそれを見る。
「こんなのも出るんですね」
「熊の人形……」
「テディベアですよ。うん、意外とプレミアが付いてもおかしく無さそうな出来……」
しげしげとテディベアを見る。布地はしっかりしていて、手足を固定するボタンも良く見れば趣向をこらしている。
前面の胸部分にリボンと共に縫いつけられたメダルには迷宮品の証である印が刻みこまれていた。
おもむろにメダルをちぎろうとするが、外れない。手触りも作りも全て普通のぬいぐるみだが、その素材は何一つ分からないれっきとした迷宮品だ。
「良い物だっていうのは分かるんですけど、どんな値段になるかは分からないですね」
「どうせ鑑定に出すだろうが」
「そうですけど」
価値のあるものに囲まれて暮らして来たリゼルだが、流石にぬいぐるみの価値までは分からない。瞳に赤い宝石が縫いつけられているので、辛うじてその宝石が良い物だと分かるくらいだ。
もちろんジルも同じく目利きは出来ない。彼はむしろメダルをちぎろうとしたリゼルを若干引いた目で見ている。
「もう一つも開けましょうか。……成程」
「あ?」
出てきたのは青い瞳のテディベア。先程のものと並べてみると全く同じ作りをしていて、対になっているのだと分かる。
最初に手に入れた迷宮品がテディベアセット、とリゼルは何処か哀愁を漂わせている。
「まぁ……俺も最初はただの何処にでもある剣だったぞ」
「迷宮っぽいじゃないですか」
若干すさんだ。
まあ考えてみれば貴重な迷宮品だ。テディベアが宝箱から出たなどという話は聞かない。迷宮からは何故これがという物も多種多様に出るらしいし、とリゼルは国に戻る前に立ち直った。
元々本気で落ち込んでいた訳ではない。勿論テディベアに思う所が無かったとは言わないが。
「普通に冒険者向けの鑑定屋で良いんでしょうか」
「良いんじゃねぇの。布屋持ってく訳にもいかねぇだろ」
今は鑑定を行う為にとある店へと向かっていた。熟練らしい雰囲気を醸し出す剣士が入っている武器屋を素通りし、隣の道具屋の前で止まる。
“鑑定に自信あります”と自信無さげに書かれた小さな看板が相変わらず道具屋の看板の下にぶら下がっていた。リゼルが知る唯一の確かな鑑定が出来る場所だ。
「お前、当たりを引き当てんのが上手いな」
「ジルも此処に来た事あるんですか?」
「ああ、先代が凄い爺だった。三年前にこの国に来た時に店に入った瞬間『自分に合う武器も分かんねぇのか!』って怒鳴りながらこの剣投げて寄こしやがった」
もちろん金は持って行かれた、と付け加えるジル。押し売りだ。
しかし細身の大剣はジルならば通常の片手剣のように素早く扱う事が可能な上、大剣の利点も損なわれない。相当な筋力が必要とされるが、大剣の破壊力を持つ片手剣でしかもリーチが長いともなればジルにとって理想的な武器だろう。
「良い方じゃないですか、じゃあ今いるのは息子さんですか」
「孫だろ。何回か会ったが、あの偏屈爺が『うちの孫は鑑定眼が凄ぇ』って馬鹿みてぇに自慢してた」
「最近は来てないんですか?」
「二年は来てねぇ、その間に変わったんじゃねぇの」
営業中であることを確認し、扉をくぐる。
中では相変わらず一人の店員がせっせと売り物を磨いていた。
「いらっしゃいま……」
「どうも、また来ました」
「おい、そう毎度毎度人を固めんなよ」
「それ、俺の所為にされるとすごく複雑なんですが」
苦笑するリゼルが再びどうも、と声をかけると店主は正気を取り戻したように此方を見た。リゼルを見て、そして後ろのジルを見てぎょっと目を剥いている。
忙しなく二人を見比べていたが、ふいに顔見知りが目に付いたらしく挨拶をしようとジルへとぎこちなく頭を下げた。
「お、おおお久しぶりです」
「怯えなくても何もしねぇって前から言ってんだろうが」
「すみません……」
「ジル、これから仕事を頼むのに苛めないで下さい」
「苛めてねぇよ」
店員は下げていた頭を上げ、唖然として二人を見た。
まず二人が何故一緒にいるのかが分からない。彼の中でリゼルは貴族だ。
見た限り真反対であろう二人が話している事が理解できない、と見るからに混乱の只中にいる様子にリゼルは微笑んだ。
「前は言わなかったけれど、貴族じゃないんです」
「……え!?」
余計に混乱させた。
その後まともな鑑定が出来るようになるまで、固まったままの店員を放置して二人は品物を眺めて過ごすこととなる。