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41:実は何発か外した

 領主がいるだろう貿易商本店。

 落とそうとは思っていなかったが、幾ら何でも魔鳥の討伐が早すぎる。

 しかも本来の狙いである城壁の警備も薄く出来ていない。つまり少数による迎撃を受けたということ。

 月の無い夜に魔鳥と戦うのは想像以上の困難を伴う、それこそ下位冒険者では何も出来ずに殺されてもおかしくはない程に。

 流石に領主の周りを固めるのは選りすぐりの兵か、と納得するには難しい程に魔鳥の集団というのは余りにも驚異となる得るはずだ。


 憲兵か。いや、此処マルケイドの憲兵達が魔鳥に対峙出来るほど優秀だと言う噂は聞かない。

 冒険者か。しかしSランクはいない事は確認済みだ。

 何組かいるAランクも城壁の各方面に配置されており、彼らが領主の警備に着く可能性は低い。

 夜になって集められたというのも有り得なくは無いが、いざという時の戦力に夜休ませないなどあってはならない。ただでさえ昼間は冒険者達のまとめ役として動いていたのだから。


「……いや、一人例外がいたか」


 東の統制の要、巨大ゴーレムを一刀の元に伏した存在がいたはずだ。

 噂によるとまさにその二つ名は“一刀”、並外れた実力を持ちながら誰も寄せ付けない姿はまさに孤高。

 誰かと馴れ合う必要も無く一人高い境地に在る彼こそ、自らに近しい存在だろう。

 魔法の素養が無いようなのが惜しい、それさえ有れば自分と肩を並べられる可能性もあっただろうに。

 魔法こそ至上の思想を持つ彼は小さく歪な笑みを浮かべた。


「だが、手に入れば至上の駒か」


 集まった避難民が寝静まる中、男は領主官邸へと続く広大な階段へと腰かけていた。

 他にも眠れない者が多数見えるので怪しまれる事は無い。羽織ったマントも防寒具だと思われているはずだ。

 時折かけられる憲兵の気遣うような言葉を煩わしそうに流し、意識を集中する。城壁の警備は減らせなかったが問題は無い。

 一刀が領主の元で警護についているのならむしろ好都合だ。これでもう誰にも止められはしない。


 沈黙を守る魔物たちを叩き起こす。

 事前に迷宮内で実験した限り夜の魔物に手を出して使役するのは不可能だった。それは迷宮だから仕方が無い、と彼のプライドを少しも揺らす事は無かった。

 しかし最初から使役していた場合は違う。多大な魔力を持って行かれたが使役は可能だった。

 西門一帯の全ての魔物の使役は難しい、だからあえて使役はしない。自らが使役した迷宮外の魔物達が彼らを攻撃すれば、その矛先は自らを攻撃した魔物に向くはずだ。

 多少誘導してやれば自分へと敵意を向けた魔物たちによって西門は突破される。


 憲兵や冒険者も全く何もしない訳ではないだろう。

 だから自分はただ此処まで辿り着き直接襲いかかろうとする魔物だけを、避難民として守られながら改めて使役すれば良い。

 数ある魔力装置の恩恵で魔力が跳ね上がった自分ならば可能だ。

 当然領主らも西門の修復を見逃されるとは考えていないだろう。だが分かっていたとしても防げるものではない。

 魔鳥達も大分数が減って来た。強者は領主の周りから離れていない。

 男は笑みを浮かべてようやく姿を現し始めた月を仰いだ。


「何だと……」


 勝利を確信した笑みは、しかしすぐに驚愕へと変わる。

 魔力装置の近くに待機させることで強化された魔物たちだ。例え他の魔物の襲撃にあっても負けるはずがない。

 だが現実は急速にその数を減らしていく。

 それは魔鳥の比ではない。決して少なくない魔物たちが瞬く間にその命を散らしていく。

 強者は領主の周りに集められているはずだ。ならばそちらに居るのは何者なのか。

 その時、彼の構築した魔力網に僅かな異物が入り込んだ感覚がした。恐らく魔力装置から干渉を受けている。


「普通ならば介入しただけで意識を失う私の綿密で膨大な魔力構築に侵入するとは……身の程知らずにも程がある」


 男は込み上がる笑いを耐える事が出来なかった。

 座りこんだまま身を折った彼に憲兵が心配そうに声をかけたが、邪険に振り払われ溜息をつきながら去って行った。普段ならば屈辱さえ感じる態度に今は気付かない。

 魔力の素養がない一刀ではない。ならば彼の目論見を潰したのは全く別の襲撃者だ。

 此処で彼はようやく裏で動く第三者の存在を認識した。


 しかし危機感は皆無。やってみるが良い。

 マルケイド中をクモの巣のように、より精密に広がる魔力回路に手を出そうとしたことを後悔するが良い。

 自分が侵入者に対して対策を怠るような無能だとでも思ったのか。

 魔法式の真理に一片でも触れたことを感謝しながら、膨大な魔力の構築網に反撃されて狂い死ね。

 突如途切れて沈黙した介入に、男は今度こそ全貌を露わにした月を見上げて笑った。







「おや……リゼル様とイレヴン様は如何なさったのでしょう」

「爆睡してる」


 朝食が出来たと扉をノックした、イレヴン曰く万能店員の前に現れたのはジルだけだった。

 夜も出掛けていたし、もしや何処か怪我をしたか具合でも……と思ったがそうでも無いらしい。

 わざわざ返事の為に現れたジルに感謝として頭を下げ、開いた扉の隙間から見えたそれぞれのベッドの上には健やかに眠りにつく二人の姿が見える。

 とはいってもイレヴンは頭まで毛布を被っているし、リゼルは向こう側を向いてしまっているのだが。

 三人が夜外出していた時にインサイから寄こされた伝令によれば中々危険な事をしてきたようだが、と店員は安堵の息を吐いて朝食の時間の変更を提案した。

 頷くジルも起きたばかりらしく、露わになった上半身をそのままに適当に頷いている。


「インサイ様から心配の声が届きましたので、三名の無事をお知らせしても宜しいでしょうか?」

「……良いんじゃねぇの」


 やはり多少監視の役割もあったらしい。

 しかし報告に本人の了承をとる辺り、決して敵対する意思はないと主張している。

 ジルに言わせればどれだけ誤解されたくないのだろうと呆れるが、インサイからしてみれば充分賢明な判断だ。

 頭を下げて退出しようとする店員に、しかしジルはちょっと待ってろと言い残した。

 部屋の中に戻り、リゼルのベッドのサイドボードから一通の手紙を手にとって店員へと渡す。


「爺か領主かに報告する時渡せだと」

「私が使用するのはインサイ様の伝令ですが宜しいのですか? 貴方様方は確かこういう時に優秀な御友人がいたはずですが……」


 精鋭達のことだろうか。

 夜に外から帰って来た際、当然のように起きていて出迎えた店員はシャドウ達の防衛に回った精鋭がリゼルへと完了報告をしていたのも知っている。

 むしろリゼルに頼まれて精鋭達への夜食も作って持たせたので実際に顔を合わせている。

 更には何処かへ持って帰る前に一口食べて「うっめ!」と声を上げた男がイレヴンに煩いと顔面掴まれて痛みに悶絶していたのもしっかりと目撃している。


「バレねぇとはいえあんなのが何度も出入りして良い場所じゃねぇだろうが」

「承りました」


 あんなの、と言っても店員は彼らがどんな存在か知らないのだが。

 しかし確かに領主がいる場所に簡単に人を入れる訳にはいかないだろう。

 店員は納得して受け取った手紙を丁寧に仕舞い込んだ。何が書かれているのかは知らないが、リゼルが書いたのなら重要な事が書いてあるのだろう。

 ジルは二度寝するのかリゼル達が起きるのを待つのか、自らのベッドへと戻って行く。

 店員はその背に頭を下げて音を立てないよう極力静かに扉を閉めた。


「(確かに帰りは遅かった上に、加えて意外と寝起きは良くないらしい。出会った時から周囲とは一線を画していた存在だったが、知る素顔は中々どうして……)」


 微笑み、廊下を歩きながら渡された手紙を取り出す。

 手紙と言えど二つ折りにされただけの紙は、誰に読まれても問題は無いという事か。

 そんなはずはないと店員は近くの部屋に入って誰もいないことを確認し、折り畳まれた用紙を広げた。

 彼はインサイから情報の閲覧許可を得ている。リゼルから受け取った情報をその価値に相応しい方法で伝令させる義務、秘匿情報は相応の方法で送らなくてはならない。

 更にリゼルの動向を把握して快く動けるように配慮する義務。彼の行動をサポートするとまではいかないが、スムーズに物事を運べる手筈を可能な限り行うように言われている。


 そして今手紙を広げた一番の理由が、彼が長年培ってきた店員としての勘にある。

 彼のリゼルへの印象とこの手紙には決定的な矛盾があった。

 精鋭達へ夜食を用意するなどの周囲への配慮、食事をするたび美味だと微笑む心遣い、そして領主やインサイへの態度には敬意も忘れない。

 そんな彼が手紙をむき出しのまま渡すとは思えず、という事はこれはその過程で誰かに対して読んでも良いと言っているのだろう。

 自分に対して渡されたのだし可能性は高いか、と綴られた文章を目で追った。


『襲撃お疲れ様でした。“今日は終わり”と伝えましたしゆっくり休めたのなら良いのですが。

 予想はされたかもしれませんが、昨日はジル達をつれて支配者さんの思惑のもう片方を防ぎました。西門はもう大丈夫だと思います。

 その際魔力装置をのっとろうかと思ってたんですけど、想像以上に意地が悪くて手間がかかりそうな魔法式の山で止めました。途中でちょっと失敗して相手にバレましたし。


 本題ですが、多少魔力装置をいじったので完璧主義な支配者さんはその修復でお昼まで動かないはずです。

 その間は普通の大侵攻なので、殲滅を進めるのに良いかもしれません。

 そういえば領主様は決断を迷っているかと思いますが、もしそうなら今日がベストかなと思います。何をとは言いませんが、ご自愛下さい。

 勝手ばかり書きましたが、改めて昼頃に伺いますので許可を頂ければ幸いです。


 PS.すごく眠いです』


 読み終わり、店員はクスリと微笑んだ。

 彼のお陰でどうやら街が救われたらしいとか、領主が何やら迷っているらしいとかも充分重要だろう。

 自らに宛てられた意図はどうやらそんな事ではないらしい、彼にとってはそれらと並ぶほど重要なことのようだが。

 そのまま畳み、やはりこれは重要機密だろうと封筒を用意しに行く。剥き出しのまま持って行かれるのは心臓に悪い。

 領主様にお渡しできるような封筒は何処にあっただろうか、と記憶を辿りながら店員は腕に巻いた時計に視線を落とした。


「つまり昼まで寝かせて欲しいと、そういう事なのでしょう」


 魔力装置が何か分からないが疲れているらしい、昨晩には気付けなかったのが不覚だ。

 作った朝食はもう少し食べやすくしておこうか、と待機していた伝令に手紙を渡して彼は台所へと戻って行く。

 ちなみに手紙を読んだシャドウとインサイが同じ結論に達して、一方はそれにしても寝過ぎだとほぼ寝ていない為に僅かに痛む眉間を押さえ、一方はちゃっかりと仮眠をとった為にすっきりした顔で大笑いする事は店員にとって割と予想の範疇だった。







 店員が扉を閉めた部屋はカーテンが引かれている事もあって薄暗かった。

 その中でジルは迷い無い足取りでリゼルへと近付く。真ん中のベッドで眠るリゼルは向こうを向いたままだが、ジルは構わずそのベッドへと腰かけた。

 覗き込むようにシーツへとついた手がキシリと小さく音を立てたが、リゼルは起きない。

 昨夜装置に手を入れてジルには分からない事をやっていたが、その間中僅かな頭痛を感じていたようだったし少なからず脳が酷使されて疲れているのだろう。

 リゼルが何も言わない為にジルの予想でしかないが、恐らく大きく外れてはいまい。


 わずかにシーツから覗く手の甲を親指でなぞる。

 スッパリと切れていた傷は既に痕も残らず消えていた。それで良い。

 装置から手を出した瞬間イレヴンによってぶっ掛けられた回復薬は恐らく“大”。“小”で充分な傷に勿体無いことをと思ったが分からないでも無いので口には出さなかった。

 希少なそれはまず間違いなく盗品だが、それに関しては何も言わなかった。今更返す訳にもいかない。

 迷宮産らしく痛みを感じさせずに瞬時に塞がった傷跡に、リゼルが感心していたのを思い出す。


 ジルは静かに溜息をついて、自らの右手を見つめた。

 無意識の内に出そうになる何度目かの舌打ちを飲み込む。想像以上に不快だった。

 何故なら今まで斬ってきた数多の魔物のそれは覚えていないのに、リゼルを斬った感触だけはしっかりと残っているのだ。

 差し出された手を握った感覚。その手から薄い手袋を抜き、触れた素肌の感触。その全てを鮮明に覚えている。

 ジルの掌に乗せられたリゼルの手は全てを空け渡すように自然で、その瞳には痛みに対する心構えも怯えも無かった。


「……ッ、」


 ついに耐えきれず漏れた舌打ちに、ジルは自分に呆れながらも広げていた手を握った。

 立ち上がり、二度寝でもしようかと自らのベッドへと向かう。起きたら起きっぱなしな彼にしては珍しい。

 舌打ちに含まれる感情など本人にすら分からなかった。







「なーんかつまんねぇ攻撃しかしねぇなァ、もっとドカーンとやりゃ良いのに」

「立派な城壁があるなら此方は安全に敵戦力だけを減らすのが定石でしょう」


 詰まらなそうに呟いたイレヴンにリゼルが微笑んだ。

 普通の大侵攻というが、現在戦っている彼らにとっては最初から今までずっと普通の大侵攻だ。

 魔物の異常行動によって警戒が増している為に攻め手も控え目だが、今がチャンスなどという思いは当然無いので仕方無いだろう。元凶も魔物の使役も簡単に言い触らせるような話ではないのだから。

 リゼル達は西門の上、城壁に立っていた。壊された門は昨夜の内に急ピッチで塞がれている。

 煉瓦を何重にも積み上げて更に補強されたもので、門の内側に開いた穴をピッタリと覆うように建造されている。これならば簡単に魔物は入って来ないだろう。


「しかも領主様がいるんだから、安全確保は必須です」


 リゼルが隣を見た。

 疲れなど感じさせない美麗な顔は、今城壁の上で日の光を浴びてその魅力を高めている。

 領主が戦場に姿を現した噂はすでにマルケイド中に広まり切っているだろう。先程憲兵総長が人前に現れない領主の顔を一目見ようと避難場所から飛び出そうとする避難民達を押さえるのに大変だと零していた。

 リゼルの言葉にじろりとそちらを見下ろし、シャドウが忌々しげに顔を歪めた。慣れない人間は美貌から放たれる冷めた眼差しに委縮するのだろうが、当然リゼルが口を噤む事は無い。

 周囲へ配慮してその声は小さいものの、控えるようにして立つリゼルは小さく笑った。


「恥ずかしいんですか?」

「却下だ。それに今出ろと言ったのはお前だろう」

「領主様だって考えてはいたでしょう」


 全てを見透かすような視線を向けられ、シャドウは視線を前へと戻した。

 大侵攻が始まり、街の住民に不安が広がっていたのは知っていた。領主はもう逃げたのではないかと、今までにあった信頼を押し退ける程の不安だ。

 そんな雰囲気が広がり、領主が見捨てた街を守る為に必死に戦う人間はいない。街を守らねばという思いはあるものの、心の隅では何故だという疑問を抱えてしまっても不思議ではないだろう。

 しかし頑なに姿を隠していた領主が街の危機に姿を現し、しかもそれが最も危険だと言われる西門だというのだから憲兵や冒険者達の士気はどんどんと上がっている。


 リゼルは改めてシャドウを見た。何と云うか、外見も武器の一つなのだとしみじみと思う。

 貴族・領主というイメージで想像する外見とは違う、男に対しては中々使われない美しいとしか言えない相貌と年齢相応の色気は戦場とはいえ、いや戦場だからこそ彼の存在を強く主張していた。

 誰もが現れたシャドウに視線を奪われ、憲兵総長や憲兵達が跪いたのを見て何も言わずとも領主だと信じている。シャドウの風格も勿論あるが、やはり人間視覚による衝撃は強いのだ。

 一言も発することなく士気を上げて見せるシャドウに、何とも羨ましいことだとリゼルは息を吐いた。


「まぁ、うちの教え子の方がもっと凄いんですけど」

「何いきなり自慢してんだ」

「いえ、何となくです」


 呟いたリゼルにジルが呆れたように問う。

 リゼルは元の世界で今も立派に国王をやっている(と信じたい)教え子の姿を思い出した。

 戦場で無数の兵の前に立ち、不敵に笑う姿を今でもよく覚えている。誰もが自分よりも年下である国王の言葉に理性を忘れるほど高揚したものだった。

 あの“全員跪け”という強すぎるオーラと実力がそうさせるのだろうか。獰猛な笑みに敵対していた国は震えあがったものだ。

 前線に出たがる国王を良く宥めたものだ、と懐かしさに笑みを零す。


「あ、リーダー思い出し笑い」

「え、笑ってました?」

「そりゃもう思わず隠すほど魅力的な顔ッスよー。絶対女の前では浮かべないように」

「何ですかそれ」


 シャドウの隣で戦場とは思えない穏やかな空気を出しながら微笑むリゼルを、憲兵総長は複雑そうな顔で見ていた。

 自らが仕える領主から重要な協力者だと紹介された彼は襲撃初日に見た事がある顔で、貴族のような姿をしながらその実情はただの冒険者だという。本来ならばシャドウに近付けさせない所だが、その本人に許可を出されては仕方が無い。

 周囲はリゼルの事をどこぞの貴族だと思っている為に「何故ここに?」と思いながらも特に疑問には思っていないようだ。

 隣に立つ“一刀”がいれば領主は安全だと思えば許せるが、しかし納得できた訳ではなかった。


「っていう視線を感じますね」


 リゼルがちらりと総長を見る。

 鉢合わせた視線に咄嗟に逸らした彼を、またこの人も真面目そうだと思いながら此方も視線を戻した。


「多少強引に事を進めた所為でもある。だが急ぎなのだろう」

「急ぎたいのは貴方でしょう」

「今日中に全て終わらせる、その方法があるのなら急がない理由は無い」


 先だってリゼルに告げられたその方法を選ばない事も出来た筈だ。

 何故ならシャドウはこの商業国の領主、最終的な選択権を持つのは彼だけなのだから。

 それなのに受け入れた。悩む時間も短く、意外な程に真っ直ぐに視線でリゼルを射抜きながら。


「ひとつお聞きしても?」

「却下だ。……と言いたいが時間があるのなら聞こう」


 城壁の上からは大侵攻が良く見えた。

 使役されていない魔物の動きに特異なものはなく、戦い慣れた相手に冒険者は意気揚々と剣を振り回し、弓を射て、時折魔法が魔物を飲み込む。

 膨大な数の敵相手では未だ分かりやすい成果は無いが、上手く戦っているのだろう。それは此処西門だけではないと入れ替わり立ち替わり訪れる伝令達から伝わっている。


「どうしていきなり俺のことを信用する気になったんですか」


 サァ、と高所を吹く風が髪を揺らした。

 顔にかかる髪を耳にかけ、リゼルはゆっくりとシャドウを見た。やや前に立つ彼は振り返らない。

 純粋な疑問として言葉にされたそれに責める色は無く、それに対しシャドウは今まさに魔物を斬り伏せた冒険者たちをただ見下ろしていた。


 正直、リゼルの問いへの回答などシャドウは持っていなかった。

 レイに手紙で散々言われた所為もあるかもしれない。“嫌われた”と言っていたぞ、折角紹介したのにと良い年して手紙で愚痴を言われた事もある。

 インサイの言葉もあるだろう。警戒するより受け入れた方が賢明だと、笑いながら口にした翁の人を見る目だけは確かだと知っているのだから。

 だがそれらが決定打では無いと思う。そもそも自分は彼を信用しているのだろうか。

 彼の言葉を採用するのは一番理に適っているからで、その案を受け入れるのはただ一番優れた案だから。誰が見ても合理的な判断だろう。

 だが、これが信用と云うのならば、その理由など。


「あ、言いたくないなら結構ですよ」


 あっさりと言いきったリゼルに、シャドウは眉間を押さえた。

 ジルから同情の視線が送られているのには気付いているが反応を返す気力はたった今ごっそりと持って行かれた。振り回すだけ振り回して放置、慣れるしかないとジルは溜息をつく。

 リゼルがふとした瞬間に相手の感情に揺さぶりをかけるのは貴族社会特有の職業病だと思うしかない。


「ん、再構築が終わりました」


 ふいにリゼルの穏やかな声が場を切り替える。

 リゼルは宙を仰ぐかのように何かを見ていた。本人としては見ている、というか感じているのだが。

 それは介入がバレる前に行ったことなので元凶には知られていないはずだ。魔力装置に介入して得た成果、リゼルはただ魔力構築を乱しただけではなかった。

 ちなみに何故バレたかと云うと、魔物を倒し終わったイレヴンが栄養栄養とチョコを食べさせてくれていたのだが、何個目かで新作らしいその美味しさに集中力が途切れたのだ。自分もまだまだ甘い。


「本当に今日中に終わるんだな」

「その代わり忙しいですよ?」

「慣れている」


 微かに緩んだ口元はもしかしたら笑ったのかもしれない。本人にも無自覚なそれは誰にも目撃される事は無かった。

 シャドウが前へ歩を進める。その一挙一動に視線が集中した。

 リゼルはそれを見ながら送られてくる膨大な情報を取捨選択していく。

 作られた魔力装置の機能の一角にはその指令にダミーを含ませる魔法式すらあって、解析などされる予定など無い割に完璧主義なと苦笑するしかない。

 実際今役に立っているのだが、その理論を組み立てた本人は当然気付いていないだろう。

 再構築後の第一陣、派手なことをするものだと微笑んだ。


「魔法の一斉掃射、門へと集中します」

「門の前から兵を引け」


 小さく告げられた声は誰にも聞こえない。

 しかし代わりに出されたシャドウの艶を含んだ低い声は戦場に良く響いた。

 姿を現してから沈黙を守っていたシャドウからの突然の指示に周囲は一瞬動きを止めたが、距離が近い為にかろうじてリゼルの声が聞こえていた唯一の憲兵総長が我に返りすぐに命令を下す。

 総長からの指示に門を守っていた憲兵達が咄嗟に避けた直後、まるで巨大な火の柱が伸びてきたかのように業火が門を襲った。


「魔物が集団魔法だと……ッ」


 誰かの声が響く。


「門は無事か」

「ッハ、表面が焦げただけで被害は皆無です!」


 急ごしらえとはいえ頑丈さを追求したバリケードは、積み上げたのが煉瓦だけあって無事だった。

 相手に此方の様子は伝わっていないらしい、好都合だとリゼルは内心で呟く。

 情報統制はすでに済んでいる、戦場の様子が避難民達に伝わることはないだろう。それは勿論、元凶にも伝わらないということ。

 リゼルは満足気に頷き、何かを誘うように避難民の集まる中心地へと微笑んだ。


 彼は門を攻撃することで不安を煽ろうとしたのだろうが、逆効果だ。

 響いた鬨の声はまるで地を揺るがす程に強い。

 魔物たちの攻撃を予見してみせたシャドウの言葉は、更に力を持って行く。


「爆風で視界遮断、ゴブリンやリザードに前進指示が出てるので城壁を登るかもしれません」

「城壁を登る、上を占拠されるな」

「弓使いは矢をつがえ! 城壁に魔物がへばりつくぞ!」


 領主でありながらその心は商人を合わせ持つ、周知の事実は彼が戦闘には疎いと思わせていた。

 しかしその認識を自ら跳ね除け、そして戦場へと降り立った領主トップに憧憬を抱かない者などいない。的確な指示は簡潔で、誰もが思わず反射で応えてしまう。

 指示を出す憲兵総長に既にリゼルへの疑念は無い。

 シャドウに煽られるまま、周囲と同じく高揚と共に戦意を高めていく。


「北と南のゴーレムが動きます、城壁を崩されたら厄介です。あ、ウルフに突撃指示です。城壁にくっついた魔物たちを足場に登ってきたら弓矢じゃ追いつかないかも」


 リゼルが受け取る隷属指令には勿論目的など含まれない。

 それこそ前進、後退、ウルフ達が登ってくるというのも今の段階で指示が出されている訳ではない。

 しかし指示が飛ばされるのを待っていたのでは対応が追い付かない。今現在いる西門付近ならばギリギリ間に合うかもしれないが、南北の門とは距離がある。

 だからリゼルは出される指示から先の展開を予想し、更に続く指令を解きつつシャドウへと知らせていた。


「ウルフの対応に精一杯にならないでください、こちらもゴーレムが接近中です」

「やー、東のゴーレム倒しておいて良かったッスねー」

「本当です」


 初日に討伐したゴーレムのおかげで、東門はさして異常行動が見られない。

 多少は見られても冒険者達と憲兵だけで十分対処可能な範囲だ。魔力装置もひとつ破壊したおかげで、統制は緩い。

 この西門から一番距離が離れているだけあって簡単に指示の出せる場所ではないので、随分と助けになったはずだ。

 もしやこれすら見越して……そんな視線が幾つか投げられる中、リゼルはただ穏やかに微笑んでいるだけで謎は謎のまま残る。


「南北のゴーレムは城壁に近付けないでください、真下から魔物を送られることになります」

「Aランクをその二か所に分けた。だが白ゴーレムが簡単に捌けるはずはない」

「精鋭さん達も流石に衆目に晒されるのは嫌がるでしょうし、頼めないですね」


 リゼルは目の前に迫る巨体を見た。

 魔物で壁上を攻めると見せかけ足場にし、ウルフを登らせ陽動としながら白ゴーレムを接近させる。

 完璧にはまれば今頃壁上は魔物の蹂躙を受けたうえで白ゴーレムによる破壊を受けていたはずだが、足場の魔物の討伐を優先したことで目論見は散った。

 実験をかねている大侵攻で魔物が何処まで操れるか知る為とはいえ、流れるような戦術を好む所が“元凶らしい”と云えるかもしれない。

 戦場での実戦が少ない彼には、その流れが強制的に断ち切られる発想が無いのだろう。実戦の数と云うよりは、彼の持つ自信に起因するのかもしれないが。


 ちなみに精鋭達はリゼルに頼まれれば断る術を持たない。殺されるから。

 それを知っているからこそリゼルは精鋭達にゴーレム退治を頼まなかった。

 好んで暗い道を歩きたがる彼らが自らの存在を晒したくないのも、他人の評価など良い悪い問わず気持ち悪いと思っているのも理解している。

 彼らの一番大事な部分を尊重し、決して正道に戻そうとしないからこそ彼らもリゼルに従うのだ。


「まぁそこらへんは現場の方々に任せましょう」


 あっさりとリゼルは言い、何か助けを出すようなことは無かった。

 シャドウは何も言わない。むしろ同意の表情を浮かべ総長へと指示を出している。

 リゼルは事前に伝えてあった。大侵攻はこの街の問題で、自分が手を貸すのはあくまでイレギュラーに関することのみと。

 シャドウはそれを当り前だと頷き、むしろ其処までやって貰っては以降の諸々が困ると返している。

 これが通常の大侵攻であれ白ゴーレムは訪れていたはずだ。リゼルを批難する理由は何処にもない。


「ただ西門に関してはやはり攻めが激しいですね。昨晩の名誉挽回もあるんでしょうけど」

「お前が思惑叩き潰してるしな」

「あ、もう他の門から援軍を出すみたいです。南北の門の魔物が約三分の一ずつ向かっています」


 西門の思惑が急激に外れていっているのは元凶に伝わっているはずだ。

 それこそ自分の優れた戦術が発動前に潰されている、彼にとって許せる事実ではないだろう。

 実験なのに熱くなって良いのかな、とリゼルは微笑んだ。想像通りといえば、想像通りだが。


「とはいえ此処には領主様がいますし、領主様に何かあったら折角の目的がパァです」

「パァですってリーダー……」

「……ちょっと待て。目的とは一体、」

「ほら、余所見してたら危ないですよ」


 リゼルの言葉に振り返ると、すでに白ゴーレムは城壁の間近にいた。

 その振り上げられた手は壁上にいる人々も見上げてしまう程で、自らに被る影に敵の強大さを思い知る。

 総長が領主へ退避を叫ぶ中、リゼルは悠然と微笑んだまま白ゴーレムの巨大な拳を見上げていた。


「ジル」


 放たれた名前は強烈な指示と同義だった。

 駆けながら大剣を抜き、城壁へと迫った巨腕へと肉薄する。もはやジル自身がその奇妙な程に白い腕に触れるのではと思う程近付いた時、振りかぶられていたはずの大剣は既にその刀身を下ろしていた。

 巨大な拳が真二つになる。辿る様に腕、肩、がその身からずれた。

 落下していく拳が城壁に接触して僅かに石壁を削り、重く腹に響く音を立てて地面へと落ちる。


「ゴーレムを足場に魔物が来ます」

「ッ守りは緩めるな。魔物はまだ途切れないはずだ」


 ゴーレムが残ったもう片方の腕を振り上げた。

 持ち上げられる腕を眺め、ジルはリゼルを窺う様に視線を向ける。微笑まれ、剣を握る手に力が籠った。

 ゴーレムが完全に崩れ落ちるまで、一瞬の出来事だった。

 誰もがまるで夢物語を実際に目にしたように呆ける中、リゼルだけは今を逃さないと動く。

 前方へと向けられた腕に、イレヴンは周囲からその銃身を隠すように立ち位置を変えた。


「指示系統の要点が変更」


 呟き、魔銃ライフルを発砲した。それは上位ウルフであるシルバースキンを射抜く。


「更に変更、上位ガーゴイル“ハードブロンズ”。変更、上位ゴブリン“ソルジャーオーガ”」


 確認するように口にしながら、その標的を射抜いていく。

 周囲は謎の発砲音が響くごとに倒れて行く上位魔物に唖然としながらも、しかし現場にいたからこそ発砲音が自分達の味方の者だと確信した。

 上位魔物が倒れる度に魔物たちの統制が崩れていく。集団で囲み攻撃する知恵を持ちえた筈の相手が唐突に単騎で突進をし、魔法をつかう魔物の盾になっていた者は手当たり次第近くの者に攻撃を始めた。

 冒険者達の殲滅はそのスピードを上げていく。


「リーダーそれって何の順番ッスか」

「おい、今は」

「大丈夫ですよ、ありがとうございます」


 諫めようとしたシャドウに、リゼルは狙撃を止めないまま微笑んだ。

 イレヴンはその後ろで優越感を露骨にさらけ出しながら舌を出す。シャドウの美貌が歪んだ。歪んでも美しいのは流石だ。


「彼がこれ程の魔物を率いるのに用いる手段が部隊分けです。頂点に一人置いて、その次に他の上位魔物、その下に下位魔物。下に行く毎に支配は薄くなりますが、基本的に上位の魔物に逆らおうとする魔物はいないので効果的でしょう。それで、各東西南北の頂点がゴーレムなんですけど」

「あー成程。てっぺん居なくなったから次のてっぺん設定しようとしてるっつーことか」

「当たりです」


 つまり、それを設定される度に手当たり次第潰しているということ。

 そのペースは気付かない内に徐々に上がって行く。設定してから数秒、数瞬、そして設定すると同時に息絶える魔物に元凶が何を思っているのか。

 そしてついに、その発砲が設定する直前へと届いてしまった。


「魔力回路の指令なんて無くても、読めるものは読めるんですよ」


「馬鹿な……」どこかで男が呟いた。

「後手に回るばかりじゃ芸が無いです」城壁の上でリゼルが微笑む。

「読み合いで勝てる訳が無ぇだろ」ジルが軽蔑を込めて元凶を内心で嘲れば、それと全く同じ事をイレヴンが隠しもせず口に出した。


「ジル、ちゃんと約束は守って下さい」

「……分かってる」


 来るべき時は近い。

 リゼルの言葉に、ジルは苦々しげに頷いた。




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