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4:読み切った

 ジルは正直リゼルの事をなめていた。

 いくら貴族然としていようが、幾ら世間知らずだろうが、目の前にいる男はもう一般人になったのだと。けれど、それは全てリゼルが自分に感覚を合わせてくれていただけだったのだと、今この瞬間思い知った。


「この店にある書籍全てを買い取りたいんですが、おいくらですか?」

「おいやめろ」


 礼儀はしっかりしているはずのリゼルが、スタッドの説明を中断してまで本屋に来たがった事から予想しておくべきだった。見た目以上にリゼルのテンションは上がっている。

 良く見ると目が輝いているような気がするし、口調も何処となく弾んでいるような気がする。目を白黒させる店主をひとまず置いておき、ジルは困ったような笑みを浮かべるリゼルを見下ろした。


「何被害者面してやがる」

「俺だって何も考えていない訳じゃないんですよ」

「むしろ何考えてさっきの発言に繋がったんだよ」

「だって、ジルが図書館が無いって言ったじゃないですか」


 確かに道すがら、リゼルは本も買いたいし図書館にも行きたいと言った。それに対するジルの返答は「図書館とは何だ」であり、リゼルが説明してもそんな場所は無いと返した。

 ちなみにリゼルは今、内心相当落ち込んでいる。元の世界では元教え子(現国王)に「いつも何か読んでる」と言われていたリゼルは、いっそ活字中毒と言っても過言ではないのだから。


「だから、似たような場所があれば良いなと思って」


 リゼルだってこの店全ての本を買って持ち去ってしまえば、迷惑をかける事ぐらい理解している。だから考えた末、先程の発言に繋がったのだ。

 眉間に皺を寄せる泣く子も黙るジルの顔を平然と見て、何処か自慢するように言う。


「先に全書物分の料金を払っておけば、好きな時に好きな本を借りに来れるでしょう?」

「……」

「読んだ本はそのままこの店に置いていきます。元々本屋で売られている本はほとんどが中古ですし、そうすれば経営に影響は出ないでしょう」


 欲しかったら正規の値段で買うと、あっさりと告げたリゼルにジルは思った。こいつアホだ。

 リゼルと出会い、その穏やかな態度の裏で色々考えているだろうことは知っていた。恐らく物事を知らないと見せているのも何らかの考えに基づくもので、ただ弱みを見せるだけの人物とは思えない。

 自分は良いようにリゼルに動かされているのでは、と思った事も一度や二度ではない。それについてはもはや確信と言って良く、その状態を楽しめている自分と利害が一致しているから問題は無い。


「お前……」

「え?」

「いや、良い」


 ただそれとは別に、やはり一周回ってアホだとジルは確信した。頭の回るアホ。賢いアホ。本人が自覚している分余計に厄介なアホ。

 心底呆れた視線で見下ろした自分に、こう考えている事も分かっている癖に満足げに微笑む所もアホだ。


「……本当に全部読むわけじゃねぇんだから、値段交渉ぐらいしてこい」

「はい」


 リゼルは素直に頷き、未だに動きを止めている店主へと近付く。先程ジルに聞かせた考えをそのまま店主へと伝え、驚きすぎて訳が分からない言葉を発する店主を丸め込んでいる。

 利用方法さえ店主が受け入れてしまえば残るは価格交渉のみ。あまりにも店に損が無さ過ぎるそれは、店主が高額を受け取ることを躊躇してしまう程だ。

 結果、リゼルは店の本全額よりも相当安く本が借りられることになった。交渉は円満に成立し、店主もリゼルもほくほく顔で笑みを交わしている。


「じゃあ、とりあえずこの棚ひとつ分の本は借ります」

「え、せめて半分で……」

「ジル、一番上の本を取って下さい」

「踏み台あんだろうが」


 そう言いながらも諦めたように溜息をつき、ジルはその手を伸ばす。何かを言いかけた店主にすぐ返すから、とリゼルは容赦なくひとつの棚を空っぽにした。

 リゼルは基本的に気遣いに長けた人間だが、こと書物に関してはその枷が外れる。切ない顔をしている店主に有難うございましたと見送りを受けて、リゼルとジルは店を出た。

 いくら本を入れようと質量も重量も変化しないポーチを、リゼルは感心して撫でながら歩き出す。二人並ぶと色々な意味で視線を集めるが、もう慣れたものだ。


「もうすぐ昼飯だな」

「そうですね、露店で食べ歩きとかしてみたいです」

「また似合わねぇな……まぁ良い、行くぞ」






 それから三日間程、リゼルはジルと共に過ごす日常生活を送った。衣食住を満たす何の変哲も無い日々だったが、一応リゼルが世界が違う程の違和感を示す行動を起こす事は無くなった。

 依然周囲から浮く事に変わりは無いが、宿付近では見慣れた周囲も一々リゼルに反応することを止め、溶け込んでいるといえない事もない。

 そしてそれ以降、リゼルはジルに自由行動を与えて部屋に引きこもった。最初の三日間の間もジルが見ていない間はひたすら読書をしていたようで、三日目には借りた本を全て返して新しい本を借りた時には、ジルから理解出来ないものを見る視線を頂いている。

 しかしそれすら序の口と言わんばかりに、リゼルは読書に没頭していた。


「借りんぞ」

「どうぞ」


 ジルが本を借りようと部屋に入るが無反応、声を掛ければ一応返事は返ってくる状態。リゼル曰く多少の自衛は出来るらしいが、この状態を襲われたら子供にさえ殺されるんじゃないだろうか。

 リゼルから自由行動を与えられているジルは、体がなまらない程度に依頼を受けたり適当に出掛けたりしているが、暇な時間はリゼルの部屋で同じく読書をしている。元々読書は嫌いではない。特別好きでもないのだが。

 元の世界では知らない本があれば即購入しており、ほぼ読み尽して新たな本を待つ状態だったリゼルにとって此処は天国だった。知らない知識の山、まさに宝の山と言ってよい。


「んー……」


 そんな日が十日程続いた。外出するのは本の貸し借りと、ジルに食事に連れ出される時のみ。

 最後の一冊をぱたりと机に置き伸びをするリゼルを、同じくベッドで読書にあたっていたジルは見た。ジルはちらりと開いていたページを見下ろす。


「『とても驚愕を隠せなかった。彼は書架の海を泳ぎ知識を食べて生きる魚なのだ』」

「『私は彼を美しいと思ったが、彼の周囲はそうではなかった』……美しいと思って貰えました?」


 引用した文章の続きを平然とそらんじてみて、からかうように微笑んだリゼルにジルは心底呆れた視線を送る。確かリゼルがその本を読んだのは数日前だったか。

 間に数十冊のジャンル問わない書物を挟んだくせに、まさか全部覚えているというのだろうか。出来ても不思議ではないと、そう思わせる男はジルの返事を面白そうに待っている。


「アホだと思った」

「初めて言われました」


 互いに真顔だった。


「じゃあ、今から依頼を受けにでも行きましょうか」

「普通は朝一に行くもんだけどな」

「ん? 今日受けて、明日始めても良いんですよね」

「朝のが新しい依頼が多い、良い依頼は早いもん勝ちだろ」


 成程、とリゼルは頷いた。だがリゼルは今駆け出しのFランク、F・Eランクの依頼が受けられるが、そんな低ランクの依頼に早い者勝ちも何もない。

 今の時間は昼過ぎで、ギルドに冒険者の数も少なくなって空いているだろう。初めての依頼だしゆっくりと見て決めたい。


「つうか読書直後で依頼か」

「あんまり動かなくても体が鈍るでしょう? それに互いの力量も分からないんじゃいざという時にやりにくい」

「力量ね……」


 立ち上がり、ベッドにもたれさせてあった剣を腰に付けながらジルはちらりとリゼルを見た。上着をはおっている様子に、武器を身につける仕草は無い。

 いくら空間魔法付きカバンを持っていようと、とっさの時の為に武器は必ず身に付けておくのが基本だ。自衛が出来ると聞いてはいるが、まさか肉弾戦を得意としている訳では無いだろう。

 寝る前のラフな格好を思い出すが、その薄い布ごしの筋肉や傷一つ無い手の平は戦う者が持つものではなかった。


「今からじゃ遠出の依頼は受けられねぇし、近場を選べよ」

「はい」


 それならば魔法に長けているのだろうか、そう当たりを付けてジルは受ける依頼を考える。リゼルの言葉から戦闘を行う意思はあるのだろうから、採取でも討伐でも大丈夫か。

 階段を降りながら、ジルは前を進むリゼルを見た。受けるとしても低ランク、自分がついていれば万に一つの危険もないだろう。


「出掛けてきますねー」

「おやリゼルさん、チップは貰えないのかい?」


 玄関先を掃いていた宿の女将にリゼルは声をかけ、二人で笑い合う。リゼルは宿泊の初日、鍵を預ける際に銅貨数枚を置いて宿屋の女将を驚かせていた。

 ちなみに女将が“さん”を付けて呼ぶのはリゼルだけだ。最初は様付けだった。


「今日もまた本仕入れに行くのかい?」

「いえ、今日から冒険者デビューしてきます」

「そりゃ大変だ! ジル、あんたリゼルさんをしっかり守るんだよ」

「ああ」

「あの、依頼を受けるのは俺なんですけど」


 ジルにしっかりと言いつける女将にリゼルは苦笑する。全力でガラが悪い上に、その実力も有名なジル相手に恐縮する人々が多い中、ここの女将はそれでも態度を変えない内の一人だ。

 ジルも恐る恐る接されるよりはやりやすく、だからこそこの宿を拠点にしているのだろう。良い年した大人を子供扱いしてくるのはどうかと思うが。

 そんな女将に見送られ、二人はギルドへと向かった。もちろん途中で本屋へと寄って全ての書物を返すことも忘れずに。






「スタッド君」


 掛けられた声に、書類を整理していたスタッドは顔を上げた。今しがた新規の冒険者の登録を終えたばかりであり、最近はあまり新規登録者は多く無いので今日はもう来ないかと普通の受付を手伝おうと思っていた所だ。

 聞き覚えのある声は、少し前にギルドにいた全ての人物に驚愕を植え付けた人物のもので、スタッドは迷うことなくそちらへ視線を向けた。


「ああ貴方ですか」

「以前の説明の続きと、依頼を受けに」

「登録から初依頼までこれ程間を空ける人は珍しいです」


 相変わらずの淡々とした口調に、リゼルは苦笑した。決して本人には悪気が無いと分かっているし、リゼル個人としてははっきり口に出して伝えて貰えるのは色々な意味で好ましいが、何とも損な性格をしていると思わずにはいられない。


「以前教えて貰った本屋がなかなか揃えが良くて、一通り読むまでに時間がかかってしまいました」

「一通り……」


 ちらりとスタッドがジルを見た。ジルが盛大な呆れと諦めを浮かべた視線でリゼルを見下ろしている姿に全てを察する。

 やはり随分と冒険者らしくないと、一つ頷いた。


「気に入って頂けたなら幸いです。それでは前回の説明の続きですがこちらを用意してみました」


 スタッドは机の引き出しを開き、一冊の冊子を取りだした。薄くて大きめの、しっかりと破れ防止加工がされた冊子は見るからに普通の本では無い。

 表紙を開き、一ページ目の見開きをリゼルの方へと向けて置く。


「ギルド規定が書かれたものです。貴方は恐らくこういうものを知りたいのだろうと前回の後ギルド長から借りておきました」

「願っても無いです、ありがとう」


 微笑むリゼルを、スタッドは無表情のまま見ている。

 まるで何かを待っているような様子に、リゼルは試しに片手を持ち上げてみた。ぴくりとスタッドが反応して視線でその手を追う。

 確信を持ってその手をスタッドへ向けると避ける様子を全く見せなかったので、そのまま二度三度と撫でてみた。抵抗は無い。


「貸し出しは禁止されていますがこの場で読んで頂く分には構いません」


 手触りの良いサラリとした髪を撫でる手には言及せずにそう付け加えるのみ。ほら嫌がらないと満足気なリゼルの後ろで、こいつ洗脳使えんじゃねぇのと若干引き気味なジルがいた。

 それ程スタッドが頭を撫でられて実は喜んでいるのでは、という光景が受け入れられない。触れようとしただけでも間違いなく相手を再起不能になるまで言葉責めするし、頭を撫でようものなら伸ばされた手に躊躇なくペンを突き立てる男だ。

 流石に同僚相手ではそんな暴挙に出ないが、以前酔っ払って絡んだとある同僚は肩に手を回した瞬間絶対零度の視線を向けられ一瞬で酔いが醒めた。


「ここで読んで良いのかな、質問したい事も出て来ると思いますし」

「今日はもう登録者は来ないでしょうし構いませ」

「おいおい本当にいやがるぜ! “一刀”も落ちたもんだなあ!」


 スタッドの言葉を遮るように、ギルドの扉が大きな音を立てて開き騒音が飛んだ。ジルがぴくりと眉を寄せ面倒そうに振り返り、スタッドは動かぬ無表情のまま額に血管を浮かばせて苛立ちを表す。

 罵声を吐きながら入って来た男は、ニヤニヤと笑いながらジルへと近付いた。筋骨隆々な男だ、ジルのように細身では無い分厚い大剣を背中に背負っている。

 ギルドにいる冒険者達は慣れているのか驚きはしないが、何だ何だと好奇の心を隠さずその男とジルを見比べた。


「あの一刀が誰かと組んだと聞いて来てみりゃ、とんだ優男と手を組んだじゃねぇか!」

「なに人の名前気楽に呼んでくれてんだクソ野郎、てめぇが誰だっつーんだよ」

「……舐めやがって」


 別にジルは目の前の男を知らない訳じゃない。この国に来てから度々男のパーティに勧誘されているのだ、忘れたくとも忘れられない頻度で。

 男のパーティはBランクで、ジルが入ればSランクも夢じゃないと馬鹿みたいに繰り返していた。正直、いつも通りこんな男は無視してさっさと立ち去りたい。

 だが、とリゼルを窺うと彼は男が入って来た時から何も反応せずに渡された冊子に目を通している。騒動に気付いているだろうがリラックスした様子には、男の罵声が自分にも来るだろう気負いはまるで感じさせない。


「このギルドを退会する時の規定だけど、これって」

「……これはですね」


 男が来たことすら気付いていないのではと思ってしまう程に平然と質問をするマイペースなリゼルに、流石のスタッドも一瞬間が空いた。しかしスタッドの機嫌を取る事には成功したようで、彼から滲みだす冷たいまでの空気は質問と同時に霧散する。

 リゼルは動く気は無いようで、流石にこの場で去れば矛先が彼に向かうだろうと溜息をついて男と向き合う。


「ゴシュジンサマに付き従うってか、健気じゃねぇか」

「何か用事があって来たんだろうが。無駄口叩く仲でもねぇんだからさっさと終わらせろ」


 腕を組み、相変わらず姿勢が良い為に使われない椅子の背もたれ部分に寄りかかる。その心底興味が無い様子に男は苛立ちを隠さずに声を荒らげた。


「散々俺の勧誘を蹴っといて初心者と組むたぁどうゆう事だ」

「別にパーティ組んだ訳じゃねぇ、雇われてるだけだ」

「一匹が好きなてめぇも金には勝てなかったか、なぁ!」


 嘲り笑う男にジルは面倒そうな態度を隠す気は無い。

 ジルは確かに見た目ガラが悪すぎるが、簡単に喧嘩を買う程子供ではない。逃げるのかと挑発されても面倒ならば無視して逃げるし、腰抜けと罵られようとハイハイと流すタイプだ。

 そんなジルにとって、目の前の男は酷く幼稚な存在だった。ようは気に入らないのだろう、自分が冒険者として全くの初心者であるリゼルより価値が無いと判断されたことが。


「このギルドの冒険者に対する管理責任の事なんですけど」

「過度な干渉は行いませんが有事には口を挟む事があります。例えば冒険者の範囲に収まらない周囲への被害が出た時にはギルド職員から……」


 ジルにしてみれば比べる事自体間違っている二択だが、男はそう思い込んでいるようだ。背中で行われる平穏な質疑応答を聞きながら、喚く男を適当にあしらう。

 その態度が露骨に出たのだろう。男はギリギリと歯を食いしばった後、ニヤリと笑った。


「その優男がよっぽど好み・・で骨抜きらしいなぁ、ァア?」


 どうやらジルの評価を下げる方向に移行したらしい。馬鹿馬鹿しいという態度を前面に出せば見物する周囲は勿論信じないし、面白半分で広がった噂を本気で信じる者もいないだろう。

 ムキになって否定する方が怪しい、と溜息をついたらふと後ろのリゼルが振り向いた気配を感じた。何だと思って振り返り見下ろすと、憎たらしい程に作られたわざとらしい真顔がある。


「その手の人だったんですかジル、一月の契約でしたが今日までということに……」

「不潔です最低です信じられません」

「アホ」


 何故か話に乗って来たリゼルの額を、べしりとジルは手の甲で叩いた。少し良い音がしたが全く痛くは無い、絶妙な力加減だ。

 リゼルに関しては全く信じていないのは分かっているが、その奥で此方を見るスタッドの視線はただ冷たい。男の戯言だと分かっている癖にここぞとばかりに罵倒のチャンスを逃さない彼に、何故だと思わずにはいられない。


「でも、俺と組む事でジルの評価が落ちるのは問題ですね」

「あ? あんな奴が言った事なんざ誰も本気にしねぇよ」


 全く男を相手にしていなかったリゼルが何故急に口を挟んできたかと思えば、そんな理由だったらしい。質疑応答は絶えず行われていたが、しっかりとジル達の会話も聞いていたようだ。

 リゼルがトントンと脇腹を叩くと、ジルはその意味を汲み取って寄りかかっていた椅子の背から腰を浮かす。横にずれると、座ったままのリゼルと男が初めて対面を果たした形となった。


「言い分は分かりました。しかし俺とジルは正当な取引で一時手を組んでいます、文句を言うのはお門違いかと」

「金の力に物を言わせた奴が何言ってやがる!」

「貴方、ジルが金を積んだ程度で動くような人だと思ってるんですか」


 呆れたように言うと、ぐっと男が言葉につまる。その程度の人間だと決めつけて先程まで罵倒していたのだ。

 つまり、誘っていた自分もその程度の人間だというかなり遠まわしな皮肉だと、彼は果たして理解出来ているのだろうか。


「まあ、そう思うなら俺以上の金額で彼を釣ってみたらどうですか」


 微笑んだままのリゼルがすっと目を細めた。横に控えるジルと、後ろで見本のような姿勢で座るスタッドの視線が射るように男へと向けられた。

 まるでそんな二人を従えているようなリゼルから、Sランク冒険者を前にしたかのような威圧を感じ男は一瞬押し黙る。


「君に釣れるとは思えませんが」


 にこりと笑ったリゼルに、男は言われた意味を理解した瞬間逆上した。ざわりとギルドにいた冒険者たちもざわめく。

 優男にしか見えないリゼルが筋骨隆々な大男を明確に下だと見なしたのだ。初心者が持つ度胸では無い。

 変わらない微笑みも何の気負いもない様子も、まるで歴戦の戦士のように落ち着いている。その瞬間、周囲はリゼルに対し金で実力者を雇った坊っちゃんだという思い込みを消し去った。

 同時に、何故誰とも共に活動する事が無いジルが興味を持ったのかも思い知る事になる。


「てめぇ……ッ俺を! 誰だと!! てめぇが金払ったそいつと同じBランクだぞッッ!」

「Bランク、素晴らしいですね」


 ようやく自身を肯定する言葉が出た事で、男は歪んだ笑みを浮かべた。今更自分が誰に歯向かったのか理解できたか、ならば土下座でも何でもしてみせろと。

 そんな未来を信じて疑わないのが自分一人だけだと気付く事無く、折られた矜持を元に戻さんと目の前の存在を睨みつける。

 そこで、先程の言葉に続きがあることにようやく気付いた。


「ただ」


 リゼルはことりと首を傾げる。少女がやるには可愛らしい仕草が、まるで処刑の合図のように見えた。ざわりと空気が揺れる感覚を覚える、場が支配されたと明確に感じるのはその存在の所為か。


「貴方程度の存在と、私のものを並べて比べられるのは、ひどく不快です」


 男が激怒し叫んだ。怒りと屈辱の入り混じった声は何を言っているのか分からない。

 その背の大剣が岩の様な拳に引き抜かれる。リゼルは微笑んだままそれを見ていた。動揺を一切見せることなく動かない。

 Bランクの名に相応しい斬撃がリゼルへと到達するまでに一秒もかからず、そしてそれを防ぐのにジルが剣を抜いて相手を斬りつけるまでは半秒すら掛からなかった。

 男の剣が根元から切断されて宙を舞う。その刀身をジルは指で挟みこんで捕らえながら、その長い脚を振り上げた。


「ガァ……ッ!!」


 風を切る音が聞こえる程の蹴りが男の鳩尾へと突き刺さり、男は真後ろへとその巨体を押し飛ばされる。その巨体を受け止めるはずのギルドの扉はひどい音を立てて裏返り、男は建物の外へと消えた。

 あまりの速さに呆然としていた周囲の髪を、一瞬遅れて届いた風圧がふわりと揺らす。彼らが正気を取り戻すまでの静寂は長くは続かなかった。


「こら」


 ふいに、破壊音の残響が残る静寂に穏やかな声が落とされた。ジルは振り上げていた足を下ろし、何事も無かったかのように剣を仕舞いながら振り返る。

 視線の先ではリゼルが後ろ手に、恐らく持ち上げかけただろうスタッドの手を優しく抑え込んでいた。


「ギルド職員は冒険者同士の諍いに原則手は出さない、規定に書いてありましたよ」

「……仲裁を頼まれても応じないだけで禁止されている訳ではありません」

「なら良いんですが。もし君が罰せられたらと思うと、心配しました」


 スタッドはそう笑ってみせるリゼルを見つめて左手へと視線を落とす。魔力が発動する瞬間抑えられた事には微かな不満を覚えたが、心配してくれたのだと思うと素直に受け入れられた。

 目の前で吹っ飛んだ男を歯牙にもかけない癖にスタッドの事は気に掛ける、感じたのは感じた事のない子供じみた優越感だった。相変わらず表情は淡々とした無表情だが。


「目の前で殴り合いが起こっても平然と書類整理する男がな」

「彼の進路上私に攻撃が届く恐れがありましたし不可抗力です黙ってろ」


 ジルに言い返しながらも、スタッドはあの瞬間自分を守ろうとは欠片も思っていなかった。あったのはただ一つ、リゼルを脅かす外敵を排除する感情のみ。

 何故そんな事を思ったのか自分でも分からない。リゼルの雰囲気に煽られた、としか思えなかった。

 その考えを見透かしたように唇を笑みに歪めながら此方を見下ろすジルを、気に入らないとばかりに見上げる。


「理解できるというのなら貴方も同じように感じたという事でしょう」

「それが仕事なんでな」


 追及するような視線をかわし、ジルは手に持った刀身のみの大剣を机の上へと放った。いつの間にか再びギルド規定を読み進めており、読み終えたリゼルがふと顔を上げる。

 既に鞘へと戻された剣を見つけ、そういえばとジルを見た。


「良く斬りませんでしたね? 俺としては嬉しい限りですが」

「明らかに原因があるなら掃除させられんだよ、面倒くせぇだろうが」

「え、じゃあ扉も俺たちが直さなきゃいけないんですか」

「修理代だけ置いていけば良いだろ」


 そんな暗黙の了解が、とリゼルは冊子を見下ろした。冊子の何処にも書いていなかったが、そういう決まり事もあるのだろう。

 まだまだ学ぶ事は多い、その事に喜びを感じながら礼を言ってスタッドへと冊子を返す。今日の目的は冊子だけでは無いのだから。


「さて、初依頼を……」


 探そうか、と席を立って改めて周囲を見渡した。未だに浮ついた空気と、リゼル達の一挙一動を注視する冒険者達。

 一言で言うのならすごくやりにくい。リゼルは気にしないが周囲がずっと気を使っているのは流石に気が引ける。


「明日にしましょうか」

「だろうな」

「スタッド君、明日また来るので扉の修理代はその時に請求してください」


 そう言い残し、リゼル達はギルドを出た。地面へと横たわる意識の無い男を野次馬が囲んでいたが、二人は知らない振りをして宿へと帰っていった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] リゼルのマイペースぶり。Bランク冒険者にどうやって反撃するのか、そのタイミグは、方法は。ワクワクしました。 スタッドの喋り方と、読点を省いた表現はとても想像しやすくて良いなと思いました。…
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