3:入会した
リゼルは宿に着いた後、腰を休める事無くジルの部屋を訪れた。とりあえず事情を前もって話しておいた方が相手も仕事がやりやすいと思ったからだ。
ノックをして招き入れられると、想像よりも余程綺麗な部屋が出迎える。既に一月ほど拠点にしている部屋らしいが、冒険者だからこそ荷物が少ないおかげなのか生活感があまりない。
「綺麗ですね」
「疲れて帰って来て汚い部屋が出迎えるとか最悪だろ」
ジルも意識して片づけているらしい。リゼルは身分が身分なので自ら掃除らしい掃除をした事が無く、素直に感心してしまう。
勧められた席に座ると、向かいにジルも腰を下ろした。
「で、説明して貰えんだろうな」
「そう急かさないでも大丈夫ですよ。……その前に、ひとつ」
ぴっと立てられた人差し指とリゼルの顔を見比べ、ジルは眉を寄せた。
まさか焦らすつもりじゃないだろうなと、間違い無く子供が見たら泣くだろう顔にリゼルは可笑しそうに笑う。
「これから言う事に嘘はひとつもありません」
「そりゃ知ってる、今更嘘ついて得することもねぇだろ」
「私は今日の昼頃、異なる世界からこの世界へと転移してきました」
ジルの発言に若干かぶせるように言うと、案の定一瞬ジルがふざけるなという視線を送って来た。しかしすぐにふと考え込み、今日出会ってからの事を思い出すかのようにリゼルを見る。
その一連の様子をのんびりと眺めて待ちながらリゼルは促すように首を傾けた。
「これを前提にして話すので、信じられないなら話は終わりましょう。依頼期間中に支障を感じる場合はその都度私が進言します」
「……いや、続けてくれ」
異世界から来ましたーという言葉をまさか信じられる筈が無い。確かに振る舞いに違和感を感じるし、身分が存在しないのも本当らしいが、それでも絶縁されたどこぞの世間知らずな貴族という方が余程信憑性がある。
それでも信じる気になったのは、リゼルが自らに不利になるような嘘をつく程頭が悪くないと確信しているからだ。会って間も無いがそれくらいは分かる。
ここで異世界から来ましたと嘘をついて彼が何の得をするのか。ジルの興味を引いて優秀な護衛を手に入れたいという思惑を少しでも持っていたのなら、ジルはそもそも最初の話すら聞こうとしない。
リゼルから感じるのはただひとつだけ、話しておいた方が効率的だろうというある種冷めた考えだけだった。
「俺に話したって事はお前の世界もレベル的にそんな変わんねぇのか」
「街中を見ただけですが、ほぼ同じですね。むしろ生活に根付いた魔術……此方では魔法ですか。それらの魔法は此方のが進んでいるくらいです。少なくとも空間魔法はあちらには存在しません」
リゼルがもし進んだ技術や知識を持っていたら、ジルに確実に話さないだろう。その知識を欲する人間の耳に入ってしまったら確実に利用される。
言わずとも理解するジルにリゼルは満足そうだ。
「しかし落ち着いてるな、その“あっち”とやらじゃ貴族だろ」
「ええ、分かります?」
「何で分かんねぇと思うんだよ」
確かに貴族としてはのんびりとした印象だが、何処から見ても貴族かそれと同等の何かにしか見えない。それは仕立ての良い服の所為では決してなく、おそらくリゼルが庶民の服を着ようと高貴な出である事はバレるだろう。
本人にしては何時も通り過ごしているだけに無意識か、とジルは呆れたように溜息をついた。
「で、貴族っつってもピンキリだろ。お前は?」
「爵位で良いですか? 継いだばかりですが公爵、職は宰相、王城に勤めていました」
「ちょっと待て」
ジルは思わず頭痛を覚えた。公爵といえば爵位の最上位、宰相と云えば国王を補佐する最高位、中枢中の中枢だろう。
まだ二十後半らしき男が、何故それ程の地位を持っているのか。顔だけで言えばもう少し若く見えるが、恐らくそのぐらいで間違いは無い筈だ。
年齢的な違和感は感じるものの爵位は生まれで決まる事が大半なので仕方ないとして、何故宰相なのか。物言いたげなジルに気付き、リゼルは苦笑した。
「国王の小さい頃からの教育係だったので、たまたま目をかけて頂いただけですよ」
「……」
此処パルテダでは同じ王制だからこそ理解できる相手の立場。特にジルはそれを良く理解している。
公爵の時点で普通ならば何も考えず跪くし、加えて宰相ともなれば平伏してもまだ足りない。そして国王の教育係ともなると、どれほど凄いかすら想像がつかない。
事情を聴けば理解できるだろうと思った相手が、事情を聴くごとに掴みどころが無くなっていく。
「此方では何も関係ないので、気にしないで良いですよ」
「……そう思わねぇとやってられねぇか」
切り替えが早くてこれ程助かった事は無いと、ジルはすんなりと割り切った。
その態度にリゼルも嬉しく思う。これでへりくだられでもしたら何の意味もない。その辺りも考えたからこそジルを協力者に選んだのだが。
「そうなると向こうは混乱してそうだな」
「そうですね、国王が無茶してなければ良いんですけど」
「無茶するような国王なのか」
尋ねながら、ジルはリゼルの表情が僅かに変化するのを見た。国王という単語を出すとき、本当にわずかだか笑みが色を持った。
その表情しか持っていないのではないかと思うほど常に微笑みを浮かべているリゼルだが、そんな彼の本当の笑みが出たようだった。
「てめぇの年齢考えると相当若い国王だな。それ程優秀なのか」
「国王に就任する前の若い頃はヤンチャでしたよ。今でも“元ヤン国王”なんて国民から慕われてます」
「それ慕われてんの」
「懐かしいですね、一人で何処かへ出かけたと思ったら家二軒燃やして帰って来た時は驚きました」
「ガチじゃねぇか」
燃やした二軒は実は中々尻尾を掴ませない悪徳貴族の家だったのだが、それは割愛する。それでも国民から慕われているのも、仕える貴族から敬われているのも真実だ。
リゼルが自らの有利になるように教育を施した覚えはないが、しかし共に過ごした時間の長さから親しい間柄になるのは仕方ない。そのリゼルが宰相の地位についた時に大きな批判が起きなかったのは、身内贔屓で重要ポストに使えない人間を置くような国王ではないとの信頼によるだろう。
「でも、王として生まれたような人です」
政治的にはかなり優秀、しかし時々とんでもない事をやらかす国王、それが周囲の意見だ。そのとんでもない事も国に不利益を及ぼす訳ではなく、なんと時には利益につながる為に評判は軒並み高い。
しかしその不利益が出ない理由にリゼルのフォローが大いに存在することを知っている少数の人間が、現在リゼルを探そうと城を飛びだそうとする国王を必死で止めていることを本人は知る由も無い。
「まあ、本当に私が居なくなって困るのなら帰還の方法を見つけてくれるでしょう。それまでは休暇だと思って此方で楽しもうと思います」
「見つけるっつってもお前は前触れ無くこっち来たんだろ、手掛かり皆無じゃねぇか」
「全く同じではないですけど、転移魔術に似た感覚がした気がするんです。だからその応用でどうにか……あれ、此方にはありませんか?」
転移魔術、ジルには聞き覚えが無い。元々魔法に詳しいほうではないが、そんな万能そうな魔法があるのならば知れ渡っているだろう。
双方の転移魔術の干渉もあり得るかとリゼルは考えていたが、どうやらそれでは無いらしい。
転移魔術が存在していないとなると此方からの帰還は望み薄か。やはり帰るならば元の世界の人達に頑張ってもらうしかない。
「事情は分かったと思うので、私が変な振る舞いをしていたら教えてください」
「別に貴族としちゃ違和感ねぇが、それに近い事やるんじゃねぇの」
「折角の休暇なんだから違う事やりますよ。貴方が言ったんでしょう、冒険者の付き添いも出来るって」
確かに言ったが、これに関してはまず無いだろうと思いながら言った言葉だ。
リゼルが冒険者になったとして、違和感を探すどころではない。違和感しかない。
「とりあえず身分証明出来るものが優先ですし、冒険者登録はそれを兼ねてくれるんでしょう?」
「ああ……誰もお前みたいのが身分証明目当てでギルド登録するとは思わねぇだろうがな」
その人物が入ってきた時、依頼を眺めていたり受付の順番を待っていたりしていた冒険者は目に期待を浮かべた。品の良い仕草に仕立ての良い服、穏やかな顔をした男はどうみても身分の高い男だったからだ。
ゆるりと流した視線はただの好奇心のようで、何処か周囲を見定めているようにも見える。恐らくギルド長に挨拶に来たのだろうが、格好がラフなので依頼かもしれない。
たとえ公式だろうとお忍びだろうと高位の存在からの依頼には違いないと、出来れば自分達が依頼を受けたい冒険者達は各々視線で周囲への牽制を始める。誰しも高位との繋がりは持っておきたいものだ。
「此処がギルド、ですね。賑やかそうな所です」
「ああ」
しかし、その期待の視線は直後落胆へと変わった。男に続いて入ってきた人物に、彼からの依頼は自分達に回ってくる事がないと確信したから。
一刀のジル、ギルドの実力者を知ろうと思えば必ず上げられる人物が男に付き従っていた。個人の実力で言えばSランクをも凌ぐと噂される冒険者、彼を雇う事に成功しているのなら他に依頼を回す事は無いだろう。
それならばやはりギルド長へ何かの用事か。しかし誰に頼まれようと誰かと組む事のない男を良くぞ雇えたものだと、受付へ向かう二人を見送る。
男は偶々空いていたからだろう、ギルド申込窓口にいるギルド員の前へと立った。それに気付いたギルド員の若い男が書類へ向けていた顔を上げ、淡々とした無表情で言う。
「申し訳ありませんがギルド長は今外出しております、御用件は」
「え?」
「は?」
不思議そうに声を零した男に、ギルド員も怪訝そうに微かながら眉を寄せた。
周囲に期待と落胆をさせた男は言うまでも無くリゼルだ。
一晩ぐっすり睡眠をとり、朝から身分証であるギルド証を作ろうとジルを伴って冒険者ギルドを訪れていた。一応訪れる前に朝食を食べながら少々のアドバイスを受けたが、やはり浮いている。
周囲の勘違いが手に取るように理解出来るジルは、御愁傷様と内心呟きながらも実は密かに楽しんでいるが。
「あれ、登録って……ジル?」
「ギルド長いらねぇ」
「ですよね」
リゼルが隣に立つジルを見上げ確認をとる。その言動に察したのだろう、怪訝そうに見ていたギルド員はじっとリゼルを見た。
どこまでも無表情な男が僅かに見せた滅多に無い動揺が目の前にいる二人以外には見えなかったのは幸いだろう。視線が合い、リゼルは伺うように微笑んだ。
「冒険者の登録に来たんだけど、良いですか?」
「……はい少々お待ち下さい」
淡々とした抑揚の無い喋り方は癖なのだろうか。動かない表情と合わせると冷たくも見える。
冒険者の間では新人受付がこれで良いのかと常々言われているが、本人は全く気にしていない。
「てめぇが驚くトコなんざ初めて見た」
「貴方が無駄口きく所も初めて見ました」
ジルが目を細め唇を引き上げながら座ったままの職員を見下ろす。
そのどこか嗜虐性を感じさせる笑みを見もせず、受付は手元の書類をトンッと机で跳ねさせた。その態度は流石ギルド職員とも言うべきか、ジル相手でも崩れることはない。
それに、と付け加える姿は怯む所か反撃をも躊躇わない。
「誰かの下につく所もですが」
「減らねぇ口だな……」
職員は第一印象のイメージから話す事が嫌いな印象を受けることが多いが、決してそんな事は無い。話す必要があれば何処までも話すし、言われたからには倍にして言い返す。
案外お喋り好きなんじゃ、というのが彼の同僚であるギルド員全員の総意だった。
「俺はジルを下に置いたつもりは無いですけど」
「……似合わねぇ」
「貴方が言ったんじゃないですか、せめてって」
ボソリと呟いたジルに、リゼルはやはり小声で苦笑を返す。似合わないのは彼も重々承知だった。
食事を取りながら貰った浮かない為のアドバイスその一、口調を直す事をリゼルは律義に実践している。結果敬語は若干ゆるくなり、一人称は“俺”へと変わった。
ちなみに言いだした本人であるジルは今でもその一人称に違和感を感じている。理不尽。効果は極めて薄いが、皆無ではないと信じたい。
「登録の前に確認ですが」
「ん?」
「ギルドは経営の立場上国からの介入を拒否する場合があります。ですので登録者に国に所属する貴族や騎士は加入できない事になっています」
「ジルから聞いているから、大丈夫」
何が大丈夫なのか。
視線で淡々と語る受付にジルはああ、と呟いて組んだ腕でリゼルを指差した。
「貴族じゃねぇし繋がりも何もねぇ、問題ねぇだろ」
「ねぇよ」
「え?」
「失礼しました登録に移りましょう。私ギルド受付担当スタッドと申します」
口から零れた言葉を無かった事にして、スタッドは二枚の書類を机の上に並べた。ジルは口元に笑みを浮かべながら視線を周囲へと流す。
誰もが同じタイミングで、同じ事を言いかけて絶句した。唯一言葉に出したのはスタッドだけだったが、あれは彼なりの現実の受け止め方だったのだろう。
周囲は誰もが受け止めきれてない。
リゼルは貴族では無く、それに近い地位を持つ家の出でもない。それがかなりの衝撃を彼らに与える程にリゼルは貴族然としている事は確実だ。
面倒事が起きなければ良いが、とジルは笑みを消して目を細める。その視線に射抜かれた冒険者がビクリと肩を揺らしたが、噂が広がるのは免れないか。
唯でさえ誰とも組む事が無かったジルが誰かと手を組む真似をしているのだ。新人冒険者が目立って良いことなど無い。リゼルは問題ないと言っていたが、とわずかに腰をかがめながらも綺麗な姿勢で署名しているリゼルを見る。
「本当に貴族の方では無いんですか、隠されたら私の責任問題になってしまうんですが」
「大丈夫、なんなら調べて貰っても構わないですよ」
「問題無いのなら良いですがその振る舞いは何処で身につけて来たのですか」
「ちょっと育ちが特殊なだけです」
会話が弾んでいる、と言えるのだろうか。スタッドとしては露骨に探っているのだろうがリゼルは全てを綺麗に聞き流している。
何処か楽しんでいる様子なのは、真実リゼルがこの状況を楽しめる余裕を持っているからに違いない。
「(なら余計な事やる必要はねぇし、あまり楽しみを奪うのも出過ぎた真似か)」
「ジル、推薦者のサイン」
「ああ」
呼ばれ、リゼルの綺麗だが少し斜めになったサインの下に適当に署名する。汚くは無いが荒々しい字だ。
推薦者は通常居なくても良いが、リゼルのように身元がはっきりとしない者の場合は必要だ。下手に犯罪者などを登録してしまえばギルドも被害を被る、その対策として使われている。
「ギルド証発行の為こちらに指を刺して下さい」
差し出されたのは天辺にガラスの針のようなものがついた置き物だった。
針の下に、やはりガラスで出来た球がある。その表面には複雑な模様が描かれていて、光の反射で模様の色を変えていた。
その球を支えるガラスの骨組みの中に、何も描かれていないギルドカードが置かれる。
「魔道具ですね、魔法式が描かれてるけど幾つか分からないです」
「ギルドの機密ですので幾つか分かる方が異常です」
スタッドの淡々かつ露骨な視線を避けるように苦笑し、リゼルは小指を針の先端へと押しつけた。針が指に深く潜ろうともその表情は微笑みから動かない。
予想はしていたが、と隣でさり気なく窺っていたジルは内心肩を竦めた。世界を越えても動揺しない男の、その表情から余裕が消える所がいつか見たいものだ。
リゼルの血液は針を伝い球へと辿り着き、そして描かれた模様を徐々に赤に染めて行く。全ての魔法式が鮮やかな赤へと変わった瞬間、球の底から一滴の銀色をした水滴がカードへと滴り落ちた。
直後、カードの表面でそれが滑るように文字を形作っていく。
「へえ……これって魔法式は機密でも仕組みは、」
「おい、指」
「あ、もう完成しました?」
ジルに促され、針に刺さりっぱなしだった指を抜く。深く刺しすぎたのか血が流れ落ちる小指を、そのまま躊躇なくぱくりと咥えた。
それを嫌そうに見たジルがスタッドから布を受け取りリゼルの唇から指を引き抜くと、まだジワリと血の滲む傷跡を布で押さえる。
「てめぇは所々行儀悪ぃな」
「君は意外とマメですよね」
「舐めてりゃ治るとか、てめぇみたいなのがやると違和感しかねぇよ」
リゼルは今のように貴族の世界では品が無いと言われる行為を意外と平気でやる。勿論完璧な振る舞いが求められる場所では例外だが、手を抜いても良い場面では時々雑さが出るのだ。
リゼル自身今ならば別に良いのではと思うが、ジルの言う通り彼がその手の振る舞いをすると二度見される程違和感がある。良いイメージを抱かれるのも問題だ、とリゼルは常々思っている。
逆にジルは全開でガラは悪いが、行儀が悪いかと言われれば全くそうではない。意外と細かな箇所に気付く上に、先程の視線の牽制などリゼルは彼が所々フォローしてくれているのも気づいている。
ジル自身今まで一人でやって来た為に意識していなかったがマメと言われればそうかもしれない。気付かなくても良かった一面だ、とジルは苦々しげな表情で舌打ちした。
「一刀のジルの意外な一面が見れて面白いですがギルド証が出来ました」
「おい」
そろそろ血も止まったかとジルが布を適当に机の上に捨てると、スタッドがそれを片づけながら魔道具の下からカードを取りだした。
リゼルはそのカードを受け取り、まじまじと見つめる。
Guild:Parteda
【Lizel】
F-Rank adventurers
国名、名前、ランクだけのすごくシンプルな内容だ。カードのバックに薄らと描かれたギルドの紋章が無ければシンプルすぎてガッカリな出来だろう。
リゼルは元々の長ったらしい名前を用いなかったため、さらに寂しいカードとなっている。
「ジル、カード見せてもらって良いですか?」
「あ?」
眉間に皺を寄せながらも仕方無さそうにカードを取りだした。
やはりシンプル。ジルとしか書いてない名前は、もしかしたらリゼル同様偽名なのかどうなのか。
ただリゼルのものと違ってきちんとBランクで、さらにはカードの色も違う。ジル曰くランクが上がると色が変わるらしい。偽装防止のようだ。
「これから依頼に関してなどの説明を行いますがどうしますか」
「そうですね、お願いします」
ジルには退屈だろうか、とリゼルがそちらを窺うとすぐ横の壁にもたれていた。
動く気は無さそうだ、と微笑みスタッドに向き合う。実際ジルは何処かで暇を潰しても良いと言われても、面倒だから良いと断っただろう。
説明は基本的な所から始まった。スタッドの淡々とした説明は分かりやすかったが、その声の所為で隣のギルド員がウトウトしていた事はリゼルの胸へとそっと仕舞われた。
一通りの説明をうんうんと頷いて聞いていたリゼルだが、ある会話で初めて口を挟んだ。
「依頼に出るような魔物や植物などの図鑑はギルドが貸し出しています、分からない事があれば受付で聞いて貰っても構いません」
「その図鑑って売ってもらえます?」
流れるような口調の途切れを上手く突き、リゼルが質問を挟んだ。
初めての質問にスタッドは口を止め、退屈そうに眼を閉じていたジルは片目を開ける。
「閲覧にお金はかかりませんのでその都度見て貰っても構いませんが」
「趣味なんです、知識を取り入れるの」
「良い趣味をお持ちで」
嫌味でも何でもない。むしろ共感の意味をもってスタッドは同意した。
「ですがギルド内の書物は持ち出し禁止となっています」
「機密の点では無いでしょう、閲覧自由ですし」
「ただ単に貸出返却の手間と冊数の問題です」
スタッドは言いながらメモ帳を一枚破った。サラサラとペンを滑らせる様子をリゼルは何も言わずに待つ。
差し出されたそれを受け取って見ると、何処かの場所と店の名前らしきものが書かれていた。
「魔物や植物に関してだけではなく様々な専門書を扱っている本屋の場所です。流石に魔物図鑑はギルドの最新情報に劣りますがおおむね充分な内容でしょう」
「ありがとうございます。ジル、これ」
呼ぶと、ジルはもたれていた壁から背を離した。リゼルが座っている割に使用していない背もたれに手を付き、上から覗きこむ。
見せられたメモに書いてある覚えのある通りと店の名前は、行った事が無い店だが迷う事は無さそうだ。
「此処なんですけど」
「ああ、問題無い」
「そうですか、早速行きたいです」
恐らく、ジルがリゼルと出会ってから今までで一番喜んでいるだろう。
何処かいそいそと椅子から立ち上がる。
「すみません。すぐに依頼を受ける予定は無いので、説明の続きはまた今度お願いします」
「構いませんしそこの一刀に聞いても良いと思いますが」
「いえ、また改めて」
むしろ依頼を受ける予定があるのかとスタッドは立ちあがるリゼルを見上げる。確かに依頼遂行義務はあるが、目の前の人物が冒険者として動いている所が想像つかない。
立ち上がって送り出そうとしたスタッドだが、ふいに優しい力に頭を抑えられ妨害された。
「ありがとうスタッド君、優しい子ですね」
頭に乗せられた温かい温度と向けられた言葉の意味が一瞬理解できず、そして余りにも想定外の出来事にぴたりと動きを止めたその隙に二人はギルドを颯爽と出て行く。
スタッドは立ち上がりかけた姿勢からそのまま立ち上がる事なく、再び着席した。淡々とした無表情は淡々としたまま、しかしその手元は書きかけの書類を再開させる事は無い。
「(確かに年下でしょうけどこの年の男を捕まえて優しい子ってどういうことだ)」
周りから見れば突然の子供扱いも、何時も通り流したように見えただろう。だが本人は初めての感覚に確かに嫌では無い不思議な感覚をしっかりと感じていた。
「お前、あの年の男の頭良く撫でようと思うな」
「可愛い年下じゃないですか、うちの陛下と同じくらいです。陛下は撫でても普通に喜びますよ」
「普通は嫌がると思うぞ」
「え」