表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/211

27:この後パーッとやった

 ふんふん、と鼻歌を歌いながらイレヴンは賑わい始めた早朝の道を歩いていた。

 歩を進めるごとに一本に結ばれた赤い髪がヘビのようにしなっている。

 元々細い目を一層機嫌良さそうに細めて、イレヴンは見えた目的地に歩みを駆け足へと変えた。


「はよーッス」

「今日もまた来たのかい、見た目に反して一途だねぇ」

「今日は呼ばれてんの。一途さに免じてお茶ちょーだい」


 毎朝毎朝通い詰めれば馴染みの存在にもなるだろう。

 いつの間にか追い出されなくなったのを良いことに甘えるように飲み物を要求した。

 愛想の良い顔に調子の良い、と女将は呆れた様子を隠さずに食堂へと入って行く。

 すぐに持ってきてくれたグラスには冷えた茶が注がれており、イレヴンは遠慮の欠片も無く飲み干しながら玄関カウンターに肘をついた。

 ちょうど宿から出る宿泊客が多いので、この時間女将はカウンターの中にいる。


「アノ人まだ寝てんの?」

「今日は早いとは聞いて無いからいつ起きるのか分からないね。呼ばれたんだろ?」

「何時とか聞いてねぇもん」


 だらっとカウンターに伸びたイレヴンを邪魔そうにどかしながら、女将は鍵を預ける客に対応する。

 ちなみにどうやって毎朝リゼル達の予定に合わせて宿に押し掛けているのかは、監視から全て報告を受けているからだ。

 早朝依頼に出る時は早朝、そうでもない日は適度な時間にイレヴンは宿を訪れたり、ギルドで会ったりと絶妙なタイミングで接触している。

 だが今回は初めから呼ばれているのだ。こっちがわざわざタイミングを合わせなくとも会えるだろう。

 それでも逸る気持ちを抑えきれず、朝が弱いくせにそこそこ早く訪れてしまったが。


 しかしまだリゼルは寝ているらしい。

 意外にも朝に弱いらしいと知った時は、自分の事を棚に上げて噴き出してしまった。

 いっそ起こしに行こうか、と飲みほしたグラスのふちをカリカリとかじってた時、ふと宿の扉が開いた。

 出て行く人こそ多いものの、今の時間帯に宿を訪れる者は珍しい。

 入って来た人物の姿を見て、イレヴンは露骨に嫌そうに顔を顰める。


「おやあんた、またリゼルさんに文句付けに来たのかい?」

「いや、前回も文句を付けに来た訳では……。しかし彼に用がある点では同じか」


 入って来た憲兵長の姿に見覚えがある女将は、怪訝そうな顔で問いかけた。

 憲兵長も憲兵長で前回は自分の方にミスがあった自覚はある。一言謝罪してリゼルの行方を女将へと尋ねた。

 まだ寝ている、という言葉に憲兵長は眉を顰めた。憲兵として規則正しい生活を送っている彼には、リゼルが人々が動きだす時間にまだ夢の中にいることが理解出来ないのかもしれない。

 リゼル、という言葉にぴくりと片眉を上げたイレヴンは、相手を見定めるようにカウンターに背中をつけて寄りかかる。


「今回は彼に伝言を預かっている。先日彼に頼まれた件についてだが」

「おや、じゃあ伝えておくよ」

「いや、直接伝えさせて貰おう。重要度の高い案件だ」


 流石にレイからの伝言とあっては、真面目な彼は伝言さえ誰かに預けることはしない。

 じゃあ起こしに行こうかと言った女将に憲兵長が頷こうとした直後、ガンッと鋭く重い音が玄関口に響いた。

 驚いて目を丸くする女将と怪訝そうな憲兵長の視線が向けられ、音源であるイレヴンはカウンターに叩きつけた靴底をゆるりと地面に下ろす。

 壊れたらどうするんだと憤慨する女将にひらひら手を振って適当に謝りながらも、イレヴンの視線は目の前の男に向けられていた。

 ニィ、と嗜虐的に引き上げられた唇に、憲兵長がじわりと警戒を滲ませる。


「あのさァ、聞いたと思うけどアノ人まだ寝てんだわ」

「……それが何か」

「人伝が嫌なら待ってろよ、起きるまで」

「出来るだけ近い内が良いと言ったのはあちらだ」

「だから、起きたらすぐ伝えるために待ってろっつってんだろ。あの人の睡眠削ろうなんざてめぇには百年早ぇし分かれよ頭悪ィな雑ァ魚」


 あざ笑う様に向けられた言葉と視線、明らかに相手を挑発し慣れていた。

 憲兵長も伊達に憲兵から経験を積んでその地位まで登りつめていない。国の中で起きた事件の犯罪者など見慣れている。

 そんな彼の頭の片隅で鳴り響く警報は、イレヴンがそれらの人物と同類だということを示していた。

 警戒を強める相手を悪戯に煽るようにイレヴンは後ろ手にカウンターへと肘を付く。相手の事を歯牙にもかけない余裕の姿勢だ。


「私が憲兵だと知って公務を妨害しようとしているなら、此方も相応の手段をとらせて貰う」

「あーそー権力振りかざしちゃうわけサイッテー。つーか知ってるに決まってんだろ俺憲兵とか大ッ嫌いだし」


 一触即発の空気が流れる。

 憲兵長が腰の剣へと手をかけ、イレヴンが寄りかかったまま僅かに上体を倒して短剣へと手を伸ばした。

 普段ならばどれ程挑発されようと市民に対して剣は抜かない憲兵長だが、有事には躊躇しない。彼は今がその滅多に無い有事だと確信している。

 笑みを深めたイレヴンを見て剣を握る手に力を込めた時だった。


「ちょいとジル! リゼルさんを起こして来てくれないかい!」


 玄関ホールに響いた力強い声に、直後二人は脱力する。


「ちょい、女将さんさ、俺が今何言ってたか聞いてた?」

「聞いてたに決まってるだろう! うちの玄関で斬り合いなんて冗談じゃないよ。あんたもあんたで、こんな子供の言う事をどうして流せないんだい! 公務ならもっと堂々と仕事しな!」

「そ、それは、申し訳無い」


 イレヴンは聞こえないかのようにソッポを向いて欠伸しているし、憲兵長は必死に頭を下げている。

 女将に怒鳴られる様子すら正反対の二人は根本的に反りが合わないのだろうことが見るからに分かった。


 ちなみに階下から伝わる殺気には無視を通していたジルだが、女将の声に立ちあがった。聞こえない振りをしようものなら、その説教が此方に飛び火することは想像に難くない。

 廊下に出ると階下から微かに女将の声が聞こえ、余程憤慨しているらしいそれを聞き流してリゼルの部屋の扉を開ける。

 どうせ寝ているのだからノックなどしても聞こえないだろうと省略して部屋へと足を入れた。


「呼んでた奴が二人揃って来たぞ」


 部屋の中に入るとサイドテーブルに積み上がった数々の本と、枕元に転がる一冊の本が目に入る。

 基本的に本を読んでいる最中に眠気に襲われないリゼルなので、その一冊は寝落ちの所為ではないだろう。声をかけたのに無反応なリゼルに、また明るくなるまで読んでたのかと溜息をついてジルは枕元の一冊に手を伸ばす。趣味に文句をつける気は無いが、昼寝も好まないリゼルが明け方まで本を読んでいることに何かを思わずにはいられない。

 少しの疲れすら口に出さない彼は、気付けば無理をしていそうでジルは睡眠ぐらいしっかりとって貰いたいと思っている。


「おい」


 手に取った本をサイドテーブルに積み上げ、ジルはリゼルを見下ろした。

 声をかければどれほど熟睡していようと目を覚ましたリゼルが、起きなくなったのはいつからだろう。

 それが信頼から来ているなら美談だろうが、寝ていようと問題ない相手だと判断されているからリゼルは返事を返す手間さえ省いて寝続けるのだ。

 起きる必要があれば起きるので、普段は寝かせ続けておくジルだが今日はそういう訳にもいかないだろう。

 先日の出来事は全てリゼルから聞いている。あの二人が今日は何の用事で来ているのかも知っていた。


 呼びかけながら毛布の膨らみに手をかけた。

 呼吸と共に上下する膨らみは確かにリゼルが寝ているのだと知らせて来る。

 毛布から覗く髪に手を滑らせ、肌をなぞるように潜り込ませる。リゼルの瞼がふるりと震えた。

 髪から首筋へ指を滑らせると小さく声を零して肩をすくめる様子を眺め、うなじを通り手の平で肩を撫でるようにベッドとリゼルの間に手を差し入れる。


「起きろって」

「……きょうせいじゃないですか」


 そのまま肩を持たれて起こされた上半身に、頭は寝てるのに体だけ起こされる感覚って割と気持ち悪いとリゼルはゆるりと息を吐いた。

 せめてもの抗議でとジルの腕に全体重をかけてもたれかかる。勿論通じる訳が無く、平然と片腕でリゼルの体重を支えているが。

 リゼルは回り始めた頭で先程夢うつつに聞いていたジルの言葉を反芻する。

 呼んでた奴、イレヴンと憲兵長に違いないだろう。


「なんか、気が合わなさそうなふたりかも」

「だろうな。殺気飛ばして殺り合いそうになってた」

「朝から元気ですね……女将さんに謝らなきゃ」


 リゼルは肩を支えていたジルの掌から体を離し、ベッドから降りた。

 簡単に身だしなみを整えて通常時と比べると少しぼんやりとする頭で階段を下りる。

 女将の説教は未だ継続中だ。ずっと口は動かしっぱなしだが、きちんと手元が仕事をこなす姿は流石プロだといえる。

 もはや聞いてもいない様子で女将の一言一句に生真面目にも反省を示す憲兵長をあざ笑いながら見ていたイレヴンが、姿を現したリゼルに目を細めて喜びを露わにした。


「はよッス! 早すぎたッスね」

「時間を指定しようにも何時になるか分からなかったので言わなかったんですけど、こっちこそ気を遣わせちゃいましたね」


 リゼルが降りて来た事でもう刃傷沙汰にはならないと判断したのか、女将は謝罪するリゼルに快活に笑って食堂へと消えて行った。朝食の片付けを始めるのだろう。

 今まで鼠を甚振る猫のように此方を馬鹿にしていたイレヴンが、主人を見つけて尻尾を振る犬のように愛想良くなっている様子に憲兵長は苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 しかしリゼルが微笑んで此方を向いたのを確認し、その顔を真面目なものへと戻した。


「どうですか、会えそうかな」

「ああ、あの方は『今日の二時に会おう』とおっしゃっていた」

「随分急ですね」


 急も何も、レイは今日午後から入っていた会合をすっぽかしてリゼルと会うのだ。

 単純にスケジュールの空きを探せばもっと時間がかかるだろうが、こうしてしまえば予定も何もない。

 それを知っている憲兵長は引き攣りかける顔を無理やり押しとどめた。しかしリゼルの前で虚勢が通じる訳がなく、その理由は難なく察せられてしまったが。

 リゼルは予想はしていたがやっぱりか、と微笑む。

 悪びれはしない。一応急ぎの方が良いとは思ってるし、決めたのはレイなのだから。


「時間になったら迎えを寄こす、とのことだ」

「ありがとうございます」


 恐らく馬車が来るのだろう。別に歩いて行っても良いが、迎えをくれるのなら断る理由は無い。

 憲兵長は伝言を終えると、綺麗な敬礼をして宿を出て行った。

 だから上司じゃないってば、と内心で思いながらリゼルはその背が扉を出るのを見送る。


「良い子ちゃんは扱いやすいけど、傍に置きたくねぇ人種ッスね」

「俺、イイコのつもりだったんですけど」

「ハハッ、そうだとしてもアンタは別ッスよ。そんで、用事あるんスよね?」

「そうですけど、二時まで時間が空いちゃいました」


 リゼルの言葉に確信を深め、イレヴンは楽しそうに笑う。

 あの憲兵の上に誰がいるのかは知っているし、その人物とリゼルに繋がりがあることも知っている。

 言葉からして連れて行ってくれるのだろう。果たしてリゼルがかの貴族とどんな会話をするのだろうと想像するだけで背中がぞくぞくと波打つ感覚に、高揚する感情を深く隠しながらイレヴンはにっこりと笑う。


「じゃあ二時まで暇ッスねー」

「俺はまだ眠いので、もう少し寝ます。君も短所になるぐらい朝に弱いんだから、早起きして辛いでしょう。もうひと眠りしたらどうですか?」

「え、じゃあ一緒に寝」

「ジルはもう寝ないからベッドが空きますし、丁度良いです」


 目を輝かせたイレヴンだが、続いたリゼルの言葉に撃沈した。

 実は結構眠いのだろう、ゆったりと微笑んだリゼルはベッドを求めて階段を上がって行く。イレヴンの言いかけた言葉に気付かなかったのか、気付いたうえで流したのかはその様子からは窺い知れない。

 スタッドならば此処でごり押して同じベッドに潜り込むし、ジャッジならばそわそわそわそわし続けて鬱陶しく思ったジルがリゼルのベッドへと放りこむだろう。

 イレヴンの要領はかなり良いし、茶化して甘えて相手にねだるのも上手いが、滅多に出さない本音で甘えようとすると羞恥が邪魔をするらしい。

 追うような真似をすると本心っぽくて嫌だ、と本心のくせして考えている。ある意味誰よりも正常。


「……一刀のニィサンのベッド貸して」

「どうぞ?」

「断れよ!」


 断ってくれれば駄目だったからーという尤もな理由を持って潜り込めるものを。

 鼻で笑ってイレヴンを見下ろすジルは分かっていて言っている。確実にわざとだ。

 リゼルもわざと流したのならどうしよう、と思いながら階段を上がる。彼がそれでも良いから潜り込んじゃえ、と開き直るにはもう少し時間がかかりそうだ。

 振り回すことに慣れ切った彼は、自分が振り回されている事に気付かないままにジルの部屋へと潜り込んで不貞寝した。






 そうして約束の時間、リゼル達は宿まで迎えに来た馬車に乗ってレイの元へと向かっていた。

 宿まで来ることを配慮して貴族御用達の豪華な馬車ではなく、中心街の周りを東西南北の各地域へと巡る乗り合いの馬車を小型化したようなものだった。

 しかし御者席と馬車内部が完全に遮断され、内部の声が外に漏れない造りになっているのが貴族所有の馬車らしい。

 四人掛けの馬車で、ジルと隣り合って座るリゼルが向かい側に座るイレヴンを見た。

 目が合うとニッコリと笑う様子は普段と変わりが無い。これから貴族の元に向かうのに緊張の欠片も無いのは、余程肝が据わっているのだろう。


「今の内に、聞いておきます」


 ふいにリゼルが零した声は、穏やかなのに不思議と凛として馬車内へ落ちた。

 イレヴンは笑みを浮かべたまま、まるで何かを探ろうとしている様子で仰ぐように首を傾げてみせる。


「今もまだ、俺のパーティに入りたいと思っていますか」


 ぴくりと眉を寄せたイレヴンに、リゼルは面白そうに笑った。

 ただ楽しげなだけのそれは、今更何を言っているのか怪訝に思っているイレヴンに対してか。

 カタカタと小さく揺れる馬車と、馬の足音だけが聞こえる静かな空間だ。

 ジルはちらりとリゼルを見ただけで、何も言わず窓の外に視線を戻す。


「決まってるじゃないスか」

「それは何で?」

「何でって、そりゃ、」


 言いかけて、言い淀む。

 辛うじて笑みを浮かべながらも戸惑う内心は、リゼルの問いに対してと言うよりは答えを出せない自分自身に向けたものだった。

 最初は面白そうだと思ったから。接触目的でパーティ入りを申し込んだ。

 次は衝動的に。今思えば従わされた本能だったのだろう。泣き腫らした翌日から思考は絡めとられた。

 次第に楽しくなってきて。本能では説明がつかない程に気分が高揚した。

 そして、今。


「ただ、一緒に、」


 目的など無い。本能でもない。楽しい事ばかりを求めているわけではない。


『何も求めず何も欲せず、ただ彼の望みを叶える事を唯一至上の喜びと感じていますので』


 ふと、ジャッジにパーティ入りを反対された後スタッドから聞いていたことを思い出した。

 数々の問いを投げかけながら唯一答えが返って来たそれは、何故リゼルの為に動くのかという問いに対するものだ。

 それに対して信者じゃねぇの、と茶化したイレヴンに見返りを求めるような連中と一緒にするなと返したスタッドはそれ以降完全に話を切り上げた。


 イレヴンは茶化しながらも深く納得をしていた。

 たった一月前の自分ならば理解出来ず一笑しただろうスタッドの言葉に納得が出来てしまったことに、イレヴンは気付かない。気付きたくないというべきか。

 自分が洒落にならない程ただ一人に傾倒している事が、本音を出したがらないイレヴンにとって受け入れ難い事実だった。もはや自覚の問題であり、まさにジャッジも其処が引っ掛かったのだが。


「一緒に?」


 促すような優しい声に、ふっと思考に潜り込んでいたイレヴンが顔をあげてリゼルを見た。

 瞬間、悟る。もう駄目だ。本音を隠す余裕などない。

 今までで一番柔らかい微笑みが、視線を逸らせない引きこまれるような微笑みが向けられている。

 それだけで、死を身近に感じることでしか味わえない刺激を軽く凌駕する程の喜びをイレヴンへと与えるのだから。

 もはや自分が笑みを浮かべていない事も気づかず、イレヴンは立ち上がった。

 かすかに揺れる車体にふらつく事無くゆっくりと数歩の距離を詰め、此方を見上げる微笑みに視線を絡め取られたまま自然と握りしめていた手をほどく。


「一緒に、隣に、居たい。 いさせてよ」


 静かに伸ばした指先で、イレヴンは笑みを浮かべているリゼルの眼元を撫でた。

 細められた視線がまだ自分を見ているのに小さく笑い、初めて自分から触れたが拒否されないことに安堵する。

 感触を楽しむかのようにゆるゆると頬を撫でる指先を握り、リゼルは小さく首を傾げてみせた。

 折角離れる機会をあげたのに、と何処か仕方なさそうに笑いながらじっとこちらを見下ろすイレヴンを見る。

 心から嬉しそうに目を細めた顔は、やけに大人びて見えた。


「なら、やらなきゃいけないことがあるでしょう。手伝ってあげるから解決してしまいなさい」

「ッ了解ッス!」


 パッと笑みを浮かべた顔は既にいつも通りに戻っていたが、示した喜びに嘘はないだろう。

 指先を包むリゼルの手をしっかりと握り返し、顔を寄せてその手に額をぐりぐりと押し付けているのを見てジルはヘビの愛情表現なんだろうかと呆れている。

 イレヴンがパーティ入りすることに対しては特に異論は無い。リゼルが選んだ人間に文句をつけるはずが無いし、足手まといにはならないだろうと思っているからだ。

 滅多に見つからない鍛錬になる相手だ、というのもある。


「今何人ついてますか?」

「二人」

「何で一刀のニィサンが答えるんスか…」

「じゃあ少ししたら馬車を止めさせます、その時に―――――」


 未だリゼルの手に懐いているイレヴンに、リゼルは少し声量を落として語りかける。

 内部の声が外に漏れないとはいえ、恐らく完全ではないだろう。

 リゼルの言葉にイレヴンはにんまりと唇を引き上げ、ジルはえげつないと呆れたように溜息をついた。






「やぁリゼル殿。君の方から会いたいとは珍しい!」

「すみません、お忙しいのに」

「構わないとも! 珍しいと喜びこそすれ、少しも嫌ではないのだからね」


 両手を広げて歓迎を示すレイに、リゼルは申し訳なさそうに苦笑した。

 憲兵長の様子では何やら用事をすっぽかしたらしいのだが、そんな事は欠片も感じさせない堂々たる姿だ。レイとしてみれば詰まらない会合よりリゼルを優先する事は当然の事なのだろう。

 さぁ入りたまえと相変わらず自ら部屋へと案内する様子は、まるで対等か上の立場に対するものだ。

 イレヴンはちらりとリゼルを見てまぁ当然かと頷き、物珍しそうに一瞬向けられた視線にニッコリと愛想よく笑って見せた。


「ところで、新顔が増えているね?」

「今回のお話に関係があるので。お気に障るようでしたら外で待っていて貰いますが……」

「君の身内なかまなら大歓迎だとも」


 さり気なく言われたが、身内じゃなければ歓迎はしないという事だろう。

 レイとて実力なく憲兵の最上位として立っている訳ではない。代々この子爵家が担って来た務めだが、決してそれに胡坐をかいて行えるものではないのだから。

 貴族相手に物怖じしない様子も、リゼル相手には感じる敬意を此方には向けない様子も、常人では無いことぐらい察しがついている。シャドウ曰く“鼻が利く”レイが分からないはずがないだろう。

 通常ならば警戒を持って当たる相手を今家の中に招いている理由は、偏にリゼルの身内だという一点のみ。


 変わらず快活な笑みを浮かべながら発せられた言葉に、リゼルは全てを汲み取って肯定するように微笑んだ。

 さり気ない攻防はまさに貴族同士のやり取りに近い。

 通された部屋で互いに向きあうように座りながらの掛け合いに、面倒な人種だとジルはふっと息を吐いてリゼルの隣に腰かけた。

 イレヴンは立っていれば良いのだろうかとソファの後ろに回ろうとしたが、リゼルが招くように自らの隣をぽんぽんと叩いたので喜んで隣に座る。

 改めて真正面から向き合うと成程、レイはやはり貴族なのだとイレヴンも納得できる存在感を持っていた。


「さて、君との会話をゆっくりと楽しみたい所だが、用件から先に済ませてしまおうか」

「そうですね、お願いします」

「何か聞きたい事があるらしいね」


 子爵の瞳が真っ直ぐリゼルを射抜く。

 嘘偽りは全て見透かされるその視線で普通ならば平常心を保つことさえ珍しいそれに、しかしリゼルは平然と微笑んでみせた。


「フォーキ団について、何処まで御存じか伺いたくて」

「固い!」

「知っている事を教えて欲しいです」


 相変わらずだ。言いなおしたリゼルに満足そうに頷いている。

 この人貴族まで手玉にとってんの?とイレヴンが考えている事など露知らず、リゼルは可笑しそうに笑った。ちなみに固い口調はわざとだ。

 レイはリゼルが襲撃にあっていただろう事を知っているだけあって、今回の訪問が盗賊関係である事を予想していたらしい。

 さして意外にも思わず、しかし企むように笑みを深めて見せた。


「私個人としては教えてあげたいのは山々だがね、調査内容を簡単に洩らす訳にはいかないな」


 何処か期待を含んだそれは、まるで子供の遊びのようにわざとらしい。

 リゼルはどうしようかな、何て此方もわざとらしく口にしながらポーチに手を入れた。

 ゆっくりと取り出したそれに、レイの金の瞳が一層輝きだす。

 重厚な箱と、それを彩るリボン。相変わらず欠片も手を抜かないラッピングは花まで添えられて高級感溢れる趣向となっている。

 差し出されたそれを受け取って、レイはいそいそと丁寧にリボンを解いて箱の蓋を持ち上げた。


「私は君のチョイスを本当に尊敬している! 素晴らしい!」


 敷き詰められた黒い布の中で輝くのは、透明感がありつつも光を反射する“水晶の遺跡”の攻略本だった。

 一迷宮に一冊のそれは、間違い無く他と被る事が無い迷宮品だ。希少性も高い。

 レイは攻略本を掲げるように持ち上げて、しばらく眺めた後に使用人を呼んだ。相変わらず手に入れた迷宮品はすかさず飾っているらしい。

 リゼルは喜んでもらって良かった、と微笑んでさらにとあるプレゼントを取り出す。


「今日はその攻略本で見つけた新しい隠し部屋にいた、地底竜の逆鱗もつけちゃいます」

「私は君を心から愛しているよ!!」


 表面に美しい細工のされた薄いガラスケースに収まる、エメラルド色の鱗。

 テンションの上がり切ったレイに若干引いたように、イレヴンは見慣れているらしく平然としているリゼルに数センチだけ近付いた。

 良い年したおっさんがテンション上げまくる光景はレイが美形じゃ無ければ今すぐ憲兵を呼びたい程に怖い。まあ彼が憲兵のトップなのだが。世も末だ。

 まさか盗賊の首領にそんな事を思われているとは勿論気付く事も無く、呼ばれた執事長が宥めてくれるまでレイは大袈裟に喜びを表現し続けていた。


「これ程大盤振る舞いされては、私は君の願いを叶えざるを得ない。何でも答えてあげよう!」


 ふぅ、と運ばれた紅茶を飲んで一息ついたレイは、ようやく落ち着いたようだ。

 あからさまな賄賂だが、レイとリゼルの間ではお決まりのやり取りに過ぎない。

 例え土産が無くともレイは情報を渡すだろうし、リゼルが乗るので楽しんでいるだけだ。あのテンションは本物だが。


「さて、フォーキ団の情報だったか。情報自体はそこそこあるんだがね、上部の人間については徹底して隠されているところが厄介だ」

「上部、というと?」

「初期メンバー、といえば良いかな。盗賊として幅を利かせるようになってハイエナのようにおこぼれを狙おうと入る者ではなく、結成に関わっているメンバーの事だ。フォーキ団は盗賊としては大きすぎる勢力を抱えているが、正直盗賊として脅威があるのはその少数の上層部だけだろう。それ以外は使う人間がいなくなれば有象無象に過ぎないと私は思っているがね」


 大正解、イレヴンは内心で呟いた。

 レイの言う上層部が所謂イレヴンが良く使う精鋭であり、下っ端は基本的に使い捨てだ。

 減ったり増えたりする下っ端の中に変に間諜が潜り込んでいると面倒だし、冒険者も兼ねているイレヴンを何処かで見かけてバレるのも嫌なので、イレヴンは普段彼らの前に姿を現さない。

 適当に人数をつれていく場合はマントをかぶるし、指示程度ならば精鋭達に任せてしまう。


「じゃあ、首領についての情報は?」

「密かに噂されている程度のただ一つきりだが、」


 レイが笑みを浮かべた。


「赤髪だと、それだけだとも」


 言いながら、しかしその視線は決してイレヴンを向かない。

 レイは自分が向きあうべき人物が誰であるか、しっかりと理解している。

 微笑んだリゼルがゆるりと手を伸ばし、ソファの上でとぐろを巻くイレヴンの髪を撫でた。

 そうしてようやくレイの視線がイレヴンを向く。


「これぐらい綺麗な赤ですか?」

「いや、赤だというだけで色味までは伝わっていないがね」


 あくまで純粋に疑問に思ったかのように問うたリゼルに、レイも肩を竦めて返す。

 唯一流れた噂だと思えばその赤は特徴となるほど鮮やかな可能性が高いが、しかしそれらの可能性を二人はあくまで可能性として流した。赤髪は濃淡の違いこそあれ探せばそこかしこに居る。

 レイはリゼルに視線を戻し、膝の上で手を組んだ。


「首領について気になっているらしいが、心当たりでもあるのかね」

「心当たりというか、見つけましたというか」

「ほう! 流石はリゼル殿だ!」


 身を乗り出して誰だね、と問うレイは心から面白そうな顔をしている。

 レイとて馬鹿ではない。リゼルが襲撃された事も知っているし、その襲撃が終わったらしい事も知っている。

 絶妙なタイミングでリゼルに接触を図り、いつからか同行し始めたイレヴンも知っている。

 監視している訳では無いが、しかしリゼルの動向は噂として流れる事が多いので彼に関する噂は積極的に取り入れているのだ。

 そんなレイが、イレヴンの事をただの冒険者だと思っている訳が無い。

 だからこそリゼルの首領を見つけたと言う言葉に、さて何が来るのかと期待しているのだ。


「先日、商業ギルドの方で問題があったでしょう」

「ああ、貸出スタッフの不祥事だね」

「憲兵の方で捕えたというし、今はどうしてるんですか?」


 ふいに話が飛び、レイは不思議に思いながら問いに返す。

 昨日中に被害店舗を洗い出し、商業ギルドと結託しながら事態の収拾に努めたばかりだ。

 未だ完全に落ち着いては居ないが、そのスタッフを憲兵側で拘束した事でギルドの隠蔽は無くなるだろうという点は商人らも納得しているようだ。

 勿論、異常なほど広まった噂もあり商業ギルドは未だ職員が家に帰る暇もない程の大混乱のようだが。


「此方で拘束中だが、処分は商業ギルドと話し合う必要があるだろう。ギルドが落ち着くまでもう少し預かることになりそうだがね」

「憲兵が拘束してるなら安全ですね」


 ふいに言ったリゼルに、レイはどういう事かとその言葉の意味を探る。


「子爵は直接彼の事見ました? 彼の髪、結構明るい赤褐色ですよ」


 レイは突然返って来た本題に目を瞬かせ、ふむと顎に手を当てて考え込む。

 相変わらず演劇染みた仕草だが、嫌味なく似合ってるのだから問題はない。

 その様子を見守り、リゼルはゆっくりと言葉を付け足していく。


「彼と結託してた冒険者、実はフォーキ団の一員だったんです。彼らの処分は冒険者ギルドが一任されていましたが、厳しく追及した際に自分達のこともスタッフが首領だって事も自白したようですよ」

「うん? そんな報告は受けていないが」

「ついさっきの事みたいですから。スタッド君が俺にはこっそり教えてくれました。あの子は俺が襲撃を受けていた事を知っているので心配してくれたみたいです」

「君が襲撃を受けていたのは?」

「マルケイドからの帰り道、襲われているんです。顔を見ちゃったので、恐らく証拠隠滅の為だと思います」


 真実の中に嘘を混ぜ込むのか、それとも嘘を真実とするのか。

 事実ギルドから報告はあがるだろう。冒険者達も自分が盗賊団でスタッフが首領だったと自白したのだから。

 実際そうじゃなくても、彼らは自分達がそうだと思い込んでいる。

 何故ならあの晩にそういう風にイレヴンが仕込んだのだから。強力な洗脳、毒を用いた手法、今頃はイレヴンの部下がギルドへと潜り込んで彼らを仕込み直しているだろう。

 ギルドに忍び込むには冷たく強力な守り人の存在があるが問題ない。それがリゼルの意思だと理解したのなら気付かない振りをする程度簡単なのだから。

 今頃はその自白を実際に耳にしてギルド長に報告でもしているだろう。


 レイの元へと向かう際に馬車を止めさせた数分、その時すでに仕込みは済んでいる。

 ついてきていたイレヴンの部下二人に伝えた指示は、間違い無く遂行されるだろう。

 そこかしこを飛び回る二人は大変だ、とリゼルは笑みを浮かべて冷め始めている紅茶を飲む。


「成程、それならばあのスタッフはうちで預かっていた方が良さそうだ! しかし、だとすると残った盗賊団がどんな事をするか分からないな。先手を打って統率を失った彼らを捕縛したいところだが」

「そんな時に必要なのが、彼です」


 紅茶を持った手の平を此方に向けるリゼルに、イレヴンは少しダレていた背筋を伸ばした。

 向けられたレイの視線に愛想よく笑う姿は、変わらず緊張の欠片も無い。緊張した振りぐらいすれば良いとは思うが、フリとはいえ自分が貴族に畏まっている真似をするのは矜持が許さないのだろう。


「フォーキ団の、子爵曰く上層部の一人です」

「イレヴンッス。今はこの人至上主義なんで、盗賊団とかはどうでも良いッス」

「彼なら拠点も全て知ってますし、間違い無くフォーキ団を一網打尽に出来ます」



 正直、彼のような上層部が集まっているのなら手を出したくない。

 貴族として、憲兵のトップとしての勘がイレヴンを相手にそう判断していた。

 しかしリゼルが出来るというのなら出来るのだろう。あるいは、“出来るように準備して貰っている”のかもしれない。これまで国が出来なかった事も、リゼルならば出来ても不思議ではないと思ってしまう。

 それならばイレヴンは、とそちらを見ると音を立てずにカップを置いたリゼルが苦笑しながら口を開いた。


「襲撃のとき、俺のこと探るフリをしながら警告してくれてた良い子なんです。見逃してくれませんか?」

「ふむ、今回の土産にプラスがあったのはこの為か! 私が君のお願いを断るとでも思っているのかね?」

「ありがとうございます」


 ふんわりと微笑んだリゼルに、イレヴンが彼の身内に入っている事は間違いないのだと確信する。

 ならば言及することは出来ない。それはリゼルを敵に回す行為に他ならないのだから。

 数度の邂逅で良くぞ、と自分でも感心してしまうほどに、レイはリゼルの事を評価している。評価していると判断しているのがおこがましいと思ってしまう程に。

 もはや自分は国王に心から忠誠を誓えないのだろう、と愉快にすら思う。


 レイはイレヴンからフォーキ団の拠点を全て聞きだした。

 特に明日集まる予定の拠点、どこも王都パルテダに近くわざとらしい程に都合がよい。

 しかしレイは何も問わない。ただ向けられるリゼルの穏やかな笑みが何より価値があると満足を浮かべるだけだ。


「私は君の期待に応えられたかな?」

「何のことか俺には心当たりがありませんが……。でも、そうですね。貴方の言葉を借りるなら、心から愛していますと言いたいぐらい」

「最高の栄誉だとも!」


 一通り聞き終わり、ゆっくり話すどころか準備に追われる事になってこれでもかとばかりに残念そうなレイに見送られて玄関を潜る。

 最後にそう問いかけたレイにリゼルはからかい交じりにそう伝えてみた。

 輝くような笑みを浮かべたレイは、まるで密談など何も無かったと言わんばかりにリゼル達を送りだす。そう、充分に密談と言えるだろう内容を今日は話していたのだ。

 それなのに誰も疑わない程に二人は平静な別れを迎えている。元々そういったイメージを持たれない二人だ、誰も気づかないだろう。


 リゼル達は帰りも送ってくれるという馬車に乗り込んだ。

 笑みを浮かべて手を上げるレイに、通りすがりの貴族令嬢が頬を染めている。

 リゼルも馬車の中からひらりと手を振り、そして動きだした馬車に身を預けた。

 隣では溜息をついたジルが此方を見ているし、向かいからは唇を尖らせたイレヴンがじっとりと見つめている。


「首領扱いされた奴が楽に死ねる訳ねぇだろ。お前は身内に手を出されると容赦しねぇな」

「因果応報、悪い事はしちゃ駄目ですよってことです」

「俺の為にアンタが借り作んのは嫌ッスけど」

「子爵は貸しとは思いませんよ。何せ騎士さえ手を出し控える盗賊を一網打尽に出来るんだから、子爵家としては大きすぎる見返りでしょう」


 例えかのスタッフがいくら否定の台詞を吐いても意味が無い。

 誰もがそれを罪を逃れる為の嘘だと判断する程、周囲が固められているのだから。

 レイは気付いているだろう。しかし彼を盗賊の首領とする事は戸惑わない。それで全てが解決するのだ。

 その地位にいた誰かは、とある誰かに立派に教育されるようだし。


 こうしてイレヴンのパーティ入りを妨げるものは無くなった。

 盗賊はいなくなり、首領は処刑され、フォーキ団は完全に壊滅するだろう。

 残るのはただのCランク冒険者のイレヴンと、彼に従う数人の精鋭と呼ばれる裏社会の腕利きたち。

 冒険者が裏に住む住人と交流があったところで誰も気にはしない。元々荒くれ者なのだ、裏社会と繋がりがあったとしてもギルドはそれぐらいで目くじらを立てないのだから。


「パーティへようこそ、イレヴン」

「ッよ、ろしく……ッス……リーダー…!」


 恐らく明日名ばかりとはいえ過去の部下が大勢捕えられようと。

 たった今精鋭と呼ばれる部下がその為にひーひー言いながら走り回ってようと。

 まるで関係がないとばかりに考えもせず、初めて名を呼ばれたイレヴンは余裕など感じられるはずもなく全身を喜びで赤く染めながら顔を覆い、その余韻に浸りきっていた。

 悶える様にバタバタと動かす足をやかましいとばかりにジルに踏まれ、痛みに震えるまで後数秒。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ