14:苦労人フラグ?
マルケイドの朝は早い。
冒険者の朝も早いが、商売人の朝もかなりのものだ。
彼らは品を仕入れようと開店前に競りに出かけ、客が来る前にと商品補充をし、さらに飲食店は昨晩の仕込みにさらに手を加えて温めなければいけない。
賑やかな空気が薄暗い内から漂い、やはり落ちつかない国だとジルはぐっと上半身を起こして横のベッドを見た。
少し離れたベッドからは寝息が聞こえて来る。当然リゼルが起きているはずはない。
昨晩はずっと月明かりで早速マルケイドで仕入れた本を読み続けていた。
全くの無音じゃなければ寝られないという訳ではないが、同室で誰かと共に眠るという経験はジルが思い出す限りはほとんど無い。
人の気配で寝られないのでは、と自分では少し思っていたが全く問題なかった。
それがリゼルだからなのか、他の誰かでも可能なのかは分からないが。
完全に寝ている事を確認して、微かに覗く脚先を隠すように毛布を直してやる。
自分がこういった事をしている事実がひどく気持ち悪いが、気になるものは仕方無い。
渦巻く嫌悪感を晴らす為に外をブラつこうか、と木製の窓を微かに開ける。
「……、」
感じたのは誰かの視線。監視するかのようなそれは、正しく此方を監視していたのだろう。
昨日領主相手に無茶を通したのだ、予想はしていたが流石に対応が早い。
外に出るのも諦めた方が良さそうだ、と未だ寝ているリゼルを見る。
ジルにとって、リゼルとパーティを組んだのは自然な事だった。
リゼルがこれからも冒険者として動き、そしてそんな彼と共にいるのならば同じパーティを組む事が当たり前だったからだ。
雇われていない以上リゼルの身の護衛の義務はない。
同じパーティメンバーとして身を案ずるのは当たり前の事だが、パーティを組む以前と何か差異があるかと聞かれれば、無いと答えるだろう。
何が変わったのか。
それはジルの中で明確に変わった何かがあるのは確実だが、説明する事は難しかった。
言うならば意識が変わったのだろう。意識が変わる事で在り方も変わった。
今の自分はリゼルと出会う前の自分とは別人だろうと、自分だけが変化を理解している。
「……ん、」
窓を空ける動作すら無音で行ったので、リゼルが起きる様子は無い。
しかしやはり人が動く気配を感じたのか、小さく身じろいだ。
リゼルは自分で気配なんて分からないと言うが、人間無意識に気配を感じているものだ。ジルはそれを戦闘用に強化しているだけ。
寝てる方が気配に敏感なんじゃないか、なんて浮かぶ笑みを隠さずにリゼルのベッドへと近付いた。
サイドボードに置かれた数冊の本の内の一冊を手に取る。
リゼルは自分が読み終わった本の中でジルに合いそうだと感じた本を数冊、外に置いておく事が多い。
サイドボードに載っている本はどれもそうだろう、と特に選ぶでもなく微かに開いた窓際に椅子を移動して読み始めた。
さて、リゼルが起きる前に一冊は読み終えられるだろうか。
それは朝食を食べていた時の事だった。
賑わっている大衆食堂の一席に二人で座ってパンを食べていた時、店内にピシリとした黒い燕尾服姿の男性が入って来て、席に座る人々に何やら配り始めたのだ。
リゼル(品の良い男)とジル(ガラの悪い男)の組み合わせにパチパチと目を瞬かせていたが、にっこりと笑ってやはり近付いて来た。
「オークション、ですか?」
「こんな街ですしね、毎日のようにイベント事があります」
どうぞ、と宣伝と共に渡された一枚のチラシを覗きこむ。
此処から近い大きなイベントハウスで行われる、観光客も参加できるオークション体験のようなものらしい。
参加出来ると言っても侮る事無かれ、品物は銀貨一枚のものから金貨を必要とするものまで揃っている。
オークション体験、というよりもほとんどの人々にとってはオークション見学、になるのだろう。
チラシにはオークションを主催する商会の名前と、場所、入場費、開催時間が大きく記されている。
あとは出品する品物のおおまかな種類、イラストが所狭しと描かれていた。
どうやらとある商会が珍品名品迷宮品が集まる度に定期的に開いているようだ。
店の宣伝にもなるし、場合によっては赤字の商品もあるだろうが良い手なのではないだろうか。
リゼルがそれを眺めながらパンの最後の一切れを口に含み、飲み込む。
「……あ、ジル、見て下さい。本が出品されてますよ」
「お前大抵の本読んでんじゃねぇか」
「もし貴重な本だったらどうするんですか」
とっくに食べ終わっていたジルが、片肘をついてリゼルが差し出したチラシを受け取る。
たしかに出品項目に書籍、とあるがこれだけでは貴重品なのかどうなのか分からない。
もし迷宮の宝箱から出た書物なら一点物の貴重品だ。ジルの知る迷宮品書物には、その迷宮内で起きた珍プレー好プレーがひたすら書かれていた。
しかも何故か名指しなので、珍プレーを書かれた冒険者は必死になって本を手に入れて燃やそうとする。
もちろんそんな本ばかりでは無いが。
「行きてぇの」
「んー……今日はマルケイド中の書店を回ろうと思ってたんですけど」
「どっちにしろ本漁りじゃねぇか」
呆れたように此方を見るジルの視線をかわし、リゼルはもう一度チラシに視線を落とした。
開催時刻は三時の鐘がなる頃、六時の鐘が鳴るまでには終わるらしい。
それならば、それまで書店巡りをしてオークションに参加しても良いのではないかと思う。
半日で書店が回り切れるかは謎だが。
「ジル、オークションは一緒に行きましょう」
「なら時間に会場で良いな」
「はい」
文句も言わずに付き合ってくれるジルに微笑み、リゼルはチラシをポーチへと入れた。
ちなみに今日は朝から別行動だ。
監視が付いている事は知っているが、延々と書店を廻っているなどジルには面白くもなんともないだろう。
リゼルと分かれている間普段何をしているのかは知らないが、書店巡りよりは有意義に過ごしているだろう。
監視に敵意が無い事は確認済みだし、リゼルとて此処でシャドウがおかしな真似をするとは思っていない。
「じゃあ、また後で」
「ああ」
会計を済ませ、店先で別れる。
恐らく監視はリゼルについているだろうが、二人いるのならジルにも付いているだろう。
言われるまで気付かなかったリゼルは、当然今も自分について来ているのかは分からない。
分からない方が楽と云えば楽なんだけど、なんてジルに言ったら渋い顔をされそうな事を思いながらマルケイドの地図を思い出す。
大通りの空を横断する宣伝用の旗を見上げながら書店を探し、時には屋台で適当なものを買って聞きだす。
そうしてみると結構な数の書店があるようだ。
とりあえず近場に行こうと宣伝用の旗に案内されるがままに路地に入り、狭い敷地内で時には床に本を積みさえしながら経営している書店へと入る。
想像しうる路地の本屋そのままの様相は、雑多だがひどく美しく見えた。
リゼルは何処でも本を読むが、本を読んだり選んだりするより良い環境があるならば勿論そちらを選ぶ。
老いた店主が一人で経営されている本屋の狭い隙間とも言える通路を歩きながら、ふとリゼルは一冊の本を見つけた。
「あ、この人の研究書続きが出てるんだ」
とりあえず手に取ってみて、裏の年号を見る。
続きと云っても数年前に出されたそれは、以前リゼルが読んだことのあるものの続巻だった。
魔法に関する研究書だが、ひどく読みにくかった覚えがある。
それはリゼルが無知だからではなく、研究書としての形を踏まないで自分勝手に書かれていたものだったからだ。
「兄ちゃん、そいつ買うのかい」
「あまりにも読みにくいから、著者の性格が丸分かりである意味面白いです」
「違いねぇ」
客が一人しかいないからか、老いた店主が此方を見ていたようだ。
買うのか、と見る目が無い者を見ていた視線が一転。読みにくいと断定したリゼルに対して機嫌を良くしている。
豪快そうな見た目に反してふっふっと低く籠った声で笑う様子は、確かに書店の主に似つかわしい。
とりあえず読んだことのない系統のものを片手に積んで行く。
この世界に来てから既に千を超える本を読んでいるリゼルだ。内容がかぶっているものを省けば、読んだことのない系統の本を購入しようとしても最初のように店一軒には到底届かない。
全く読んだことのないジャンル、そして気に入った著者の他の作品、ぽんぽんと会計台の上に載せて行くリゼルに店主は目を丸くしている。
もっともリゼルが訪れた書店では、大抵の店主が似たような表情をしているが。
取り敢えず五十冊ほど見繕うと、会計台の上に積んだ本が店主の顔を隠していた。
「後は……ジャンルが被っても良いので店主さんのおすすめ、教えて貰えますか」
「お、おう」
適当では全く無い、しっかりと本を選んで五十冊弱の本を抜きだしたリゼルが本好きだと理解したらしい。
店主は嬉しそうに破顔しながらも、気を抜いた本は勧められないと気合を入れた。
並べられた本を眺め、更にそこに無い系統の本は既に読破したのだと察して唸る。
全く新しいジャンルを勧めるより、相手が既に読んでいるジャンルを勧める方が目が肥えている為緊張するものだ。
「お前さん、今回こいつの本二冊買ってるが気に入ってんのか」
「ああ、魔道具研究の。図解が好みなんです」
「ならこいつを読んでみろ」
本の山の向こうからもぞもぞと店主が姿を現して、本棚から一冊の本を取り出した。
背の低い店主がどうやって高所の本を取るのかと思っていたが、流石に長年使用しているらしい脚立の使い方は全く危なげが無い。
そこそこ分厚い本がぽんっとリゼルに手渡された。
「これも魔道具研究ですよね、でも大分被って……あれ、」
「面白ぇだろ、兄ちゃんが読んでる本に真っ向から喧嘩売っとる」
内容の範囲は丸被りだが、方向性は全くの真逆だ。
リゼルの好む本がより大衆的に使いやすい簡易で量産できる魔道具の研究に対して、この本では同じ魔道具でもより専門性を高めて一部の専門家しか利用できないような魔道具の研究内容が書かれていた。
広く浅くと、狭く深くの違い。どちらも必要だろう。
成程気付かなかった、とリゼルは思わず読みこみそうになってしまった。
「おいおい兄ちゃん、読むのは買ってからだぜ」
「ああ、そうですね。しかしこれも良い本ですね……読み比べてみるのもそうですが、単体でも凄く面白い」
「ある程度知識なけりゃ読めないけどな、兄ちゃんには関係無さそうだ」
良い本だ、とリゼルはほくほく顔でその本も本の山に追加する。
書店の主はいわば本のプロだ。書店なんて趣味で開く人々がほとんどなので、まず信用できる。
だからリゼルは毎回自分で選んだ本に加え、店主のおすすめを聞くのを忘れない。
今回のように嬉しい出会いがある事も少なくないからだ。
「じゃあ、これ下さい」
「そりゃ良いが、運べんのか?」
「空間魔法付きです」
「何だ兄ちゃん、冒険者みてぇだな」
「冒険者ですから」
笑われたので、恐らく信じて貰えていないだろう。
まあ良いかとリゼルは言われた値段を払う。本と云うのは安いものではないが、書物に関してリゼルが金を惜しむ事は無い。
ちなみに最後の一冊はサービスして貰えた。
「聞くのもどうかと思いますが、他にもおすすめの書店があれば教えて貰いたいんですが」
「本当にどうかだな……まあこんだけ買って貰いや文句はねぇけど。兄ちゃんが相当な本好きっつぅのも分かるしな」
他の書店ともなるとライバル店だが、やはり同じ書籍好き同士付き合いがあるのだろう。
何軒か近場の書店を教えて貰う。近場といえどほどほどに歩かなければいけないが、オークションが始まる前には廻り終えられそうだ。
本談議に熱中さえしなければ、だが。
リゼルは礼を言って店を出た。相変わらず監視の存在など分からなかったが、気にせず歩き出す。
しかし、と考えてリゼルは姿なき監視者を思った。
自分の書店巡りに付き合わされて、大層退屈な思いをしているのではないか。
思いながらも止める気は無いので、御愁傷様と心の中で呟くだけなのだが。
その後リゼルは数店廻り、大量の本を購入した。
流石商業国と云うべきだろう。しばらくは新しい本に出会う機会は無さそうだろうという程、様々な本を手に入れる事が出来た。
嬉しいような寂しいような気分を胸に、速足で待ち合わせの場所であるオークション会場へと歩いている。やはり本談議が白熱したのだ。
会場に近付き、さて何処にいるかとリゼルはジルの姿を探そうとして止めた。
探す前に見つかった為だが、さてどうしようかと首を傾げる。
会場の門に背をもたれさせているジルに直ぐ声を掛けても良いのだが、そのジルの横を陣取って話しかけている大人の女性が二人いた。どうやら観光客のようで、一緒に遊ぶ異性は現地調達するタイプらしい。
そういった女性は観光を刺激的にするのが目的なので、一緒に楽しめなさそうなノリの悪さを察したらすぐに引くのだが、余程ジルの事が気に入ったのだろう。
露骨に面倒そうな様子が意外と面白い、と離れたところから眺めていると流石に気付かれたらしい。
ジルの早くしろという恨みがましい視線を受けて会場へと近付く。
もたれていた門から背を離したジルに気付き、女性二人もその視線を追ってリゼルを見た。
「連れが来た」
「あら、残念。……ご一緒は出来なさそうね」
近付いてみると分かるが、かなりの美女二人だ。
面倒そうな様子を隠そうともしなかったジルに対して、男性から妬みの視線が送られているのも納得だろう。
リゼルを見て微笑んだ女性たちは、残念そうな様子も見せずに手をひらりひらりと振って去って行った。
ジルに絡み続けた割にあっさりと引いたのはリゼルを見たからだろう。
ジルの事を“見るからに良い出身のリゼルにオークションの為に雇われた護衛”だと思ったらしい。ようは仕事中なら仕方ない、と云う事だ。
「お前、しばらく見てただろ」
「分かります?」
「おい」
「まぁまぁ、思慮深い女性達で良かったじゃないですか」
リゼルの姿を確認した一瞬で仕事中だと判断したのだ、恐らく普段から護衛や付き人と馴染みのある良家の女性なのだろう。
折角なんだからお近づきになれば良いのに、と言うリゼルにアホ、とだけ返してジルは会場の扉を潜った。
続いてリゼルも入ると、舞台と舞台を中心に扇形に広がる多数の椅子が目に入る。
それらしい雰囲気を出す為に品の良い小道具に溢れている様子は本物のオークションハウスのようで、もうじき時間になるからか多くの人が椅子へと座っていた。
それこそ本気で挑みに来ている人から観光ついでの人まで、様々な人々が見て取れる。
「ようこそいらっしゃいました。今回は参加、観覧どちらになさいますか」
「参加です、俺だけで」
「ではこちら“37番”の札をお持ち下さい。どうぞごゆっくりお楽しみを」
良く良く見ると、朝リゼル達にチラシを渡して来た男性だ。
相変わらずピシッとした黒の燕尾服を着ているが、昼間は多少周囲から浮いていた様子から一転、今この場所では驚くほど馴染んでいる。
男性もリゼル達のことを覚えているのか、気まじめな表情を少しだけ崩してウインクしてみせた。
洒落っ気のある様子にリゼルも小さく微笑み、案内された席へと向かう。
案内といっても席の一つ一つが指定されている訳ではない。
参加してみたいと思えば前半分に、観覧だけで良いなら後ろ半分に分けられているだけだ。
適当に空いている二つの席に並んで座る。
「オークション参加は二度目です、懐かしいですね」
「別に元居た場所ならこんなもん出る必要なく、何でも手に入んだろうが」
「何でもって訳でもないんですが……。でも、そうですね。俺も元教え子がお小遣い欲しさに国宝を勝手に出品しなければ出ることは無かったでしょう」
オークションでしか手に入らない本とか有りませんでしたし、とリゼルはゆったりと笑った。
言ってる事は結構とんでもない、と思いながらジルはへぇと適当に返事を返す。
リゼルが断片的に話す教え子の話は確かに聞いていて面白いが、大抵が笑い事で済まされないので他に返答の仕様が無いのだ。
勿論その武勇伝というには行きすぎた話を気に入っているし、自分にしか見せない教え子の事を語る時のリゼルの微笑みも嫌いでは無いので文句は無いが。
「―――― 大変長らくお待たせいたしました」
ふと明かりが消え、ぱっと舞台にライトが灯る。
どうやら時間になったようだ。
夜のイメージが強いオークションだからか、タキシードを着た進行役が舞台の真中で堂々と開始を宣言する。
「これより第二十三回マルケイド名物オークション大会を開催致します!」
「結構やってるんですね」
「ああ」
宣言と共に響く拍手に、同じくリゼルも拍手を送りながら言った。
ジルはもちろん腕を組んだままだ。
彼はテンションが上がる時があるのだろうか、とリゼルは横目で見ながら内心首をひねる。
それを言うならばジルはリゼルに対して“取り乱すことはあるのか”と常々思っているのだが。
「それでは全員楽しんでご参加ください! 一品目、“迷宮産の回復薬(小)”銀貨四枚から!」
「銀貨四枚と銅貨五十!」
「銀貨五!」
最初は希少性の低いものから始め、観光の一環で参加している人々を楽しませる趣向のようだ。
回復薬も薬師が手間をかけて作るものなので大量ではないが、珍しくない程度に流通している。
リゼルもジャッジの店でいくつか購入してある為に所持していた。
(小)というのは回復の程度で、さほど深く無い切り傷や火傷がかけただけで治るものだ。
(中)で骨のヒビが即座に完治する程度、(大)で完全に折れた骨が即座に完治する程度、(特)は完全に希少品で滅多に出回らない伝説級のものだがちぎれた腕もくっつく程度だという。
しかし回復薬は買うと(小)でも銀貨5枚はする大変高価なものなので、危険と隣り合わせの冒険者以外は滅多に購入しない。
そして何よりすごく沁みる。包丁で指を斬った時に仕事に支障が出るからと使用した料理人が、使わないほうがマシだったと良い年して号泣するほどに痛い。
しかし迷宮産の回復薬は不思議と全く痛みが無い為、宝箱から出ると大変有難がられる。効果は変わらないが。
しばらくそういった出品が続くが、リゼルが求めるような書籍は無かった。
それもそうだろう。珍品として扱われるような書籍は迷宮産がほとんどで、そのどれもが一点ものだ。
当然希少性も高くなるので出番は後の方になりそうだ。
一度序盤で一冊出たが、それは著者のサイン付きだから希少扱いされているだったのでリゼルはスルーした。
「お次は当然迷宮品、貴族から一般まで広くコレクターが存在する絵画です! 何と少し前に王都で迷宮の初踏破を成し遂げた新鋭のパーティが、まさにその迷宮を踏破している最中の奇跡の瞬間!」
前半で出るには惜しい品の登場に会場が沸いたが、バッと布が取り払われた瞬間会場を納得の空気が包んだ。
絵画の中には分かれ道の暗号を前に、まさに分かれ道の先に進んで行った冒険者達の姿。すでに殆ど姿を壁の向こうに消しており、最後尾の一人が辛うじて姿を確認できるのみ。
構図的にも芸術的とはとても言えない絵画だが、進行役の説明を聞けば成程希少だと思ってしまうのだから凄い。
リゼルは聞き覚えのある状況にまじまじと絵を見て、思わず俯いた。
「ふっ……」
「……何いきなり笑い出してんだ」
すっと俯いて口元を抑える姿は品に溢れているが、その肩は隠しようが無く震えている。
ジルも当然気付いているが絵画に描かれている最後尾の一人はアインだった。
ほとんど壁の向こうに消えている姿は顔の確認がつかないが、実際会ったことのある二人ならば分かる。
口元を笑みに染めてそうっと顔を近付けるリゼルに、ジルも微かに体を傾けて耳を貸した。
「アイン君、逆です、進むの」
ジルはちらりと改めて絵画を見る。
ど真ん中に暗号がきた構図では、はっきりとその内容が読めた。
しばらく眺め、ハッと鼻で笑う。ジルも決して無学でも頭の回転が鈍くもないので、そこそこの暗号までだったら普通に解けるのだ。
そして出た解答では進むべき方向は右、アイン達は堂々と最初の角を左へ進んでいる。
「多分迷路でしょうけど、本当に虱潰しだったんですね」
「あいつ等にはその方が早ぇんだろ」
いつか言っていた言葉を思い出し、成程本当に頑張って突破したのだろうとリゼルは今更ながら感心した。
絵画に描かれる通路は狭く、しかし迷宮の一階層はそれなりに広いのでとてつもなく複雑な迷路になっていただろう。
暗号が解けずひたすら歩きまわって攻略しようなど、どれ程の時間がかかったのか。
褒めておいて良かった、と数度頷いて自己満足にひたる。
途中休憩を挟んで前半が終わり、そして後半が始まった。
配られた飲み物に口を付けながら、俄かに活気づき始める参加者たちを眺める。
参加者席の中でも後ろの方に座っている御蔭でほとんどすべての参加者が見渡せるが、先程まで値を争っていたオークション体験の人々が本当の競い合いに胸を高鳴らせ、本気で幾ら出そうと珍品を手に入れようとする人々が姿勢を正す。
リゼルもこれから争いに身を投じるのだが、その姿勢に気負いは無く様子は変わらない。
先程まで隣で値争いをしていた、まだ幼さの残る若い女性二人が休憩中の間に支払いの済んだ戦利品を手に楽しそうに話していた。
まさに唯一の書籍であったサイン入りの本を手に入れた様子は嬉しそうだ。
サイン以上に会って話してみたいと興奮気味に話す様子は本当にその著者のファンのようで、リゼルも読んだことのあるその著者の作品は若者向きだが正統派の純文学だったはずだ。
良い趣味だ、と目があった為に微笑むと、はしゃいでいた事が恥ずかしかったのか頬を染めて照れ臭そうに笑っていた。
「それではオークション後半を開始致します。観客となる方々は玄人同士の緻密な駆け引きを、そして参戦する皆様は我らが誇る品々との邂逅をぜひお楽しみください!」
再びの拍手喝采は先程よりも大きいものだった。
出て来る品もぐっと希少性が上がり、偶然の変異しか出ることのない色合いを持った魔物の毛皮や、素晴らしい装飾を持った骨董品、迷宮の深層ででる迷宮品の数々が続々姿を現す。
リゼルが見た事の無い物も多くあり、とても興味深い。
「そういえばジルって迷宮の最下層まで潜ってるのに魔物素材を取ってきたりしませんよね」
「面倒だろ」
「ほら、地底竜の逆鱗とか金貨二十枚もしてますよ」
「流石にボス級からは取ってきてる、お前の装備だってそれで揃えてやったろ」
「ああ、確かに……やっぱり持ち込みで製作を頼むと割安ですね。あれだけの希少材料を使ったのに金貨二百枚ぐらいでしたし」
「普通に材料揃えようとする方が面倒だ。出回らない上にこんなオークションに出されて値段が釣り上がる」
ジルも空間魔法の付加された入れ物を持っている。
なので手に入れた素材は高難易度の魔物のものなのでかなり高価になる為売り払うが、いつ装備の造り直しになっても良いように余分に確保していた。
それをリゼルに奉仕した形になるのだが別に惜しいとは欠片も思っていない、また取ってくれば良いのだ。実力者だからこその思想だろう。
世の冒険者が死にそうになっても集められない素材がリゼル達の装備には、金で揃えようと思うと数年がかりな上に金貨五百枚はゆうに飛んでいく程の量が使われている。
リゼルの言うようにやはり割安だろう。
「今更ですが材料費を払った方が良いですか?」
「いらねぇよ」
「さてお次は真実一点もの! 迷宮の宝箱から出た正真正銘の“攻略本”の登場です!」
なんて事ない様子で否定するジルにとって、やはり大したことでは無いらしい。
良い冒険者と協力関係になれたなぁとしみじみしているリゼルの耳に、待望の単語が飛びこんで来た。
飛び交う値を悠々と聞きながら、リゼルは首を傾げた。
「攻略本……ですか?」
「その本が出た迷宮を攻略する為の本、略して攻略本だ。迷宮内の各階層の地図、その階層に出現する魔物、その動きや取れる素材が書かれてる」
「それは凄い。ん、でも欲しがっている人達は冒険者では無さそうですけど」
「お前なら分かんだろ、コレクターだ。御蔭で冒険者には滅多に廻って来ない。その上本が出るのはほとんど迷宮の最下層に近いせいで、発見した当の冒険者にとってはほとんど無用の長物だな」
後一階層残すのみ、という所で攻略本が出てどうするのか。
大抵の冒険者は「遅ぇよ!」と叫びながら地面に叩きつけたい気持ちで一杯になるだろう。
叩きつけないのは高く売れるからだ。
「それに出る魔物が書かれてるっつっても何時何処で何匹でるかなんて分かんねぇし、普通に戦って勝てねぇもんは本見ても勝てねぇよ」
「じゃあ役に立つのは地図だけじゃないですか。あれ、でもギルドで地図売ってなかったですっけ」
「売ってる」
「じゃあ何の役に……」
「見ての通り希少性は高い、売れば金になる」
今の所ひとつの迷宮につき一冊しか出ていないようなので、希少価値ともなると言うまでも無い。
隅々まで探索され尽くし、作った地図がギルドで平然と売られるようになった迷宮からでも平然と出る事もあるらしい。冒険者達にとってはまるで無価値なようだ。
初めて潜る際にあれば便利、その程度だろう。それでもギルドから全階層の地図を購入した方が早いし安い。そもそも本を片手に潜れるような場所ではない。
釣り上がっていく値段に、彼らは本当に実用性などいらないのだと思わずにはいられない。
「十六番金貨十三枚! 金貨十三枚の他はありませんか!」
「じゃあ、十五枚で」
だが気持ちは分からないでもない。読んだ事が無い本はリゼルとて読んでみたいものだ。
すっと番号札を持った手を挙げて宣言すると、今まで価格争いに参加していなかった新しい声に視線が集まる。
「買ってどうすんだよ……」
「見てみたいじゃないですか、攻略本」
分かっていたが一応尋ねるジルに、リゼルはふんわりと微笑んだ。
集める気は無いので一冊手に入れば充分だろう。本当にどんな本なのかが気になっているだけだ。
「金貨十六!」
「金貨二十」
「くっ……金貨二十二!」
「じゃあ、二十五」
現在争っている相手は、後半戦に入ってから何度か落札している人物だ。
余程の攻略本に特化したコレクターでなければ、本一冊にそれ程予算は掛けられないだろう。
じわりじわりと上乗せする金額に余裕の声で被せられれば、相手は不利を悟ったらしい。
リゼルの容姿もあるだろう。いかにも金持ってそう、そんな雰囲気を醸し出している。これで冒険者だと知られれば詐欺だ!と罵られるかもしれないが、容姿も戦略の内だ。
「三十七番金貨二十五枚、落札です!」
与えられる拍手に、手をひらりと振って答える。
相手は悔しそうだが遺恨を残すタイプでは無いようだ。
ちなみに隣に座っている先程の女性が目を輝かせれば良いのか引けば良いのか見惚れれば良いのか分からない顔をしているが、ジルと話しているリゼルは気付かなかった。
その後も二冊程本が出品されて、とりあえずリゼルは落札しておいた。
ちなみに一冊は迷宮品の“冒険者達の迷宮内での赤裸々会話”が一冊。戦闘中の掛け声から雑談まで、その迷宮に潜った全ての冒険者の会話が名前付きで一月分書かれている。
もう一冊は世界最古のミステリーと称されている本だ。今はどれだけ探しても見つからないらしいので落札した。確かに様々な書店を巡るリゼルも見た事も無い。
「ジルは何か欲しい物ありますか」
「あー……苦戦するぐらいの強敵。最近雑魚ばっかで腕がなまりそうだ」
「オークション会場で言われても……じゃああの“真偽不明! 伝説の魔物の住処を示す古の地図”でも落としてみます?」
「いらねぇ」
即答された。本当だったら面白いのに、と呟いてリゼルは上げかけた番号札を下ろす。
結局オークションでは本以外落札しなかったが、リゼルは満足そうだった。
何せ朝から晩まで新しい本に出会える生活、彼にとっては夢のようだろう。
もちろんオークション会場から出て夕食を食べた後は、寝るまでひたすら読書に励んだのは言うまでも無い。
「報告しろ」
「はっ、――」
とある屋敷で一日リゼルを監視していた男とシャドウは向き合っていた。
語られる内容はシャドウが考えていたものと全く違い、思わず額に血管が浮かびかけた。
「その報告から本好き以外の何が分かる」
「さ、さぁ……」
「まさか本当に観光に来ているとは思わないだろう……!」
散々意味深な事を言って此方を掻きまわしたリゼルだが、言葉通りその一日は観光に間違いない。
観光にしては趣味に傾き過ぎている一日だが、彼がマルケイドで楽しんでいる事が報告から分かる。
シャドウに接触する様子など欠片も見せなければ、怪しい動きなど微塵も無い。
自分が勝手に穿った見方をしただけだが、それでも一日ほのぼのと観光している人物を優秀な部下に追わせたという事実がシャドウの心をごりごりと削っていた。
おろおろとその様子を見ていた男が恐る恐るシャドウへと問いかけた。
「伯爵、明日も監視を続けた方が……」
「……却下だ。通常業務に戻れ」
今日が此方の目を眩ます為の、とはもう思わない。
目を離すのは得策では無いが、数少ない隠密に長けた有能な人員を観光客の一人に当て続ける訳にもいかない。
色々な人物が集まる国だからこそ、そういった人物は常に不足しているのだ。
部屋を出て行った部下を見送り、シャドウは疲れたように眼元を押さえた。くっきりと刻まれた隈はもう何年も薄れる事すらない。
「……目立つ奴等だ、何かあればすぐに情報が廻るだろう」
手に入れた情報によると滞在は三日間。
その間は街に出歩かないでおこう、とシャドウは心に決めて終わらない執務の続きを開始した。