閑話:その頃元の世界では(失踪直後)
元の世界でのお話。閑話というか番外編。
本編に出ない設定の解説も兼ねてます。読まなくても問題ありません。
青年は書記官として城務めしている。
実家は低級貴族、当代であった実の父があろうことか不正行為に手を染め、色々あって家が爆発した。
比喩では無い。実家の屋敷が轟音と共に爆発した。
それは歴代最高と言われる現国王の仕業だったのだが、そこは割愛する。
彼は全く不正に関与せず、むしろチクッた立場だったので難を逃れたのだ。
チクッて良かったと今でも屋敷の崩壊を思い出す度にしみじみと思う。そして有能で良かった、とも。
彼は有能だったからこそ今の宰相に拾われ、書記官として城に勤め続けていられるのだ。
穏やかな宰相の元、最初は父親のおかげで周囲に何だかんだと言われていたが穏やかに職務を全うしていた。
その彼が今、城内を全力疾走している。
浴びせられる批難など何も怖くない。迷惑そうにゴミを見る視線を寄こすメイドなど何も怖くない。
自分より遙かに高位の貴族とすれ違って頭を下げなかったことに文句を言われようと、何も怖くないのだ。
もはや百メートル九秒後半。素晴らしい。
奥に進めば進むほど行く手を阻む騎士を振り払い、追われながらも速度を緩めずに目当ての扉へと突き進む。
騎士から国家級の反逆者のような扱いを受けていようが何も関係はない。
「国王陛下!」
ガンッ!
扉を開けるのが間に合わず顔面から激突した。
流石にこれ以上突き進む事は出来ず、扉を守護する騎士と追って来た騎士に拘束されそうになる。
あまりの痛みにのたうち回っている青年相手にどう拘束すれば良いのか分からず、騎士たちはとりあえず囲んで武器を構えてみた。
扉の向こうからコツコツと足音が近づいてくる。
内側に立つ誰かに扉を開けるなと言われている声を聞いて、青年は痛みに脈打つ顔面を抑えながら体を起こした。
拘束される一瞬前、扉の向こうに届けと言わんばかりに声を叩きつける。
「リゼル様が消えました!」
ダァンッ!
扉が前に立つ鎧を着込んで重い筈の騎士を二人なぎ倒しながら開いた。
現れたのは精悍な顔をした青年。一点の濁りも無い純粋な銀の髪をした彼は正真正銘この国の国王だった。
彼を見て若いと批難するものはいない。
その身から溢れる威厳は周囲に自然と畏怖を抱かせ、跪かせる生まれながらの王なのだから。
「何処だ!」
「執務室で」
す!と言い切る前に青年は腕を掴まれた。
その手を辿って国王へと辿り着く前に、周囲の風景が一転する。
国王の私室からリゼルの執務室へ。これが転移魔術かと青年が判断したのは一瞬の事だった。
選ばれた者しか得られない経験、包まれた魔力はただ強い。消えたリゼルは結構簡単に国王に頼んで使用していたようにも思えたが。
しかし転移魔術の初体験に感動する暇は無い。ずかずかと部屋の中を歩いてリゼルの机へと向かう国王が、頭に衝撃と共に叩きこまれるような声で怒鳴った。
「リズ!」
返事は無い。
何かを感じ取ろうとしばらく沈黙していた国王は舌打ちをして青年を見た。
ぴしりと直立して国王の反応を待つ。
「何があった」
「自分にも何も。会話をしている途中に座っていたリゼル様が突然消えました」
「消えたぁ?」
「消えました。瞬きしたら居なくなっていた感覚です」
国王はリゼルが座っていた椅子を見た。
先程まで座っていたような椅子は、立ち上がる為に引かれた様子も無い。
青年はリゼルが消えた直後「現場保存!」とだけ叫んで国王の元へとダッシュしたのだ。
流石有能と言われるだけある。混乱中の中の冷静部分だろう。
「ピアスは?」
「両耳とも確実に」
「なのに俺が感じ取れないとかねぇだろ!」
苛立たしげに前髪を掻き混ぜ、国王はどこか焦燥を滲ませて歯を噛み締めた。
青年は彼がこれほど取り乱したところを見た事が無い。
今居ないリゼルなら分からないが、誰もが自由奔放な国王しか知らないはずだ。
実際青年の屋敷を爆発させた時も爆笑していた。若干トラウマだ。
いくらか遅れてやってきた護衛に入んな!とだけ怒鳴って国王は腕を組んで、ドサリとリゼルの椅子へと座る。
一瞬国王まで消えたらとヒヤリとしたが、そんな気配はまるでなかった。
内心安堵した青年とは裏腹に全力で機嫌を悪くする国王は、むしろリゼルの元へ消えたかったのかもしれない。
その時ノックの音がして、老衰で掠れながらもハッキリとした声が聞こえてきた。
「国王陛下、入りますぞ」
「おう」
青年が扉を開けようとするまえに、一人の老人が部屋へと入って来た。
国王の側近の一人。相談役。彼以外に実の父親だろうと誰だろうと国王を子供扱い出来るものはいない。
もちろんリゼル以外では、だが。
「リゼル宰相が消えたとか」
「突然パッと消えたらしい、何処にもいねぇ」
「御心当たりはありますかな?」
「ピアスにも反応がねぇ」
「それはそれは」
多少余裕が出てきたのだろう。むっつりと唇を尖らせる姿は年相応のものだった。
リゼルの両耳のピアスは国王が特別に作って贈ったものだ。
ひとつは魔銃の格納用のピアス。
歴代最高の転移魔術遣いだからこそ作れる特別仕様で、勿論リゼルはそんなもの作れない。
もう一つの魔力入りは国王がその大量すぎる魔力を限界まで注ぎこんだものだ。
持ち主の影響を強く受けた魔力は、その持ち主に危機が迫ると微弱な反応を示す性質を持つ。
リゼルが国王の危機を察する為のものだが、強く呼びかければ反応を示す事もあるので先程試したが駄目だったのだ。
そのピアスに反応が無いとなると、世界中の何処にもいないという事になってしまう。
だからこそ国王は焦っていた。
「ッんでリズが消えんだよ……」
「またそういう呼び方をして。女性みたいだと宰相は嫌がるでしょうに」
「だっから呼んでんだろうが」
別に嫌がらせの為ではない。
リゼルが嫌がった事を無理やり押し通せる立場を持つのが国王だけだからこそ。
ようは幼い独占欲、幼い頃から自分の世話をやいてくれたリゼルの唯一になりたいのだ。
「ちなみに宰相は直前まで何を?」
「ん、」
青年はアゴで指名されて、混乱の直前に行われていた会話を思い出す。
とてつもなくどうでも良い会話をしていた。今この状況で言うのが戸惑われる程に。
『そういえば書類の整理のコツってあるじゃないですか』
『宰相はいまいち整理が得意じゃないですけど、コツは知ってるんですか?』
『得意じゃ無いからきちんと勉強してるんです。あ、整理と言えばカマボコ―――(消失)』
カマボコってなんですか宰相、と青年は心の中で呟いた。
「通常通り書類を片付けながら、書類整理のコツなんて話していました」
「どうしてアイツってそういう知識持ってんのに整理出来ねぇの?」
リゼルが失踪してから初めて、国王の顔に笑みが浮かぶ。
ニヤニヤとしたものだが確かに笑顔で、それは先程まで笑う余裕すらなかったのだろう事を示していた。
何にせよ手掛かりにはまるでならない。
しかし相談役は何かを思い出したのか、ふむ、と立派な顎鬚を撫でた。
「老人の戯言だと思って聞いて頂きたい」
「戯言聞いてる余裕なんてねぇよ」
「じゃあ話しませぬ」
「リズと微塵でも関係あんだろ! 話せよ!」
ほっほっと笑う相談役に、国王は精悍な顔を歪めて怒鳴りつけた。
あんな状態の国王で遊ぶなんて余裕あるな、と青年はいっそ尊敬のまなざしを送る。
相談役がリゼルが失踪したにしては落ちついているなと思いはするが、別に嫌いな訳で無い事は知っている。
青年が知っている限りでは、むしろ相談役とリゼルは仲が良い。知識人同士気が合うのだろう。
「世界には裏側がある、という話を御存じですかな?」
「裏社会的なもんじゃねぇんだろ」
「左様。この世界に反転するようにもう一つの世界が存在するという話でしてな」
またぶっ飛んだ話に、国王は盛大に顔を顰めた。
もはやお伽噺のレベルだ。
「リズからそんなん聞いたことねぇけど」
「儂も人伝に聞いた話でして。その聞いた人物の友人の曾曾曾爺様がその世界からやってきたとか。ある日突然世界の境目を飛び越え、似ているようで全く違うこの世界へとやってきた……と」
「うさんくせー」
胡散臭いが、実際にそんな世界が存在するならリゼルが突然消えた事にも説明がつく。
ピアスも反応しない。しかしリゼルは間違いなく生きている確信がある。
国王はグリ、と耳元のピアスを握りこんだ。昔嫌がるリゼルから無理やり魔力を引きだして、意識も飛び息も絶え絶えになる限界まで無理矢理魔力を詰めさせたピアスだ。
危機的状態になった際の反応は、リゼルが消えたと聞く前から一切動きが無い。
「その線で押したら俺頭おかしくなったと思われんじゃねぇの」
「おや、なら忘れて貰って結構ですぞ」
「馬鹿野郎、少しでも可能性があるなら潰す」
国王は立ちあがった。
ピアスが壊れて機能しなくなっただけで、この世界に居るならそれで良い。
放っておいてもリゼルは帰ってくるだろう。
同盟国なら保護を申し出て、敵国ならばもれなく属国にでもしてこの国まで送らせるぐらいはする。
青年もその意見には頷くしかない。
だが本当にその裏側の世界に行っているのだとしたら。
だとしても諦めない。諦められるはずが無い。
国王にしてみれば唯一隣に立つ事を許した人間で、青年にしてみれば行き場の無い自分を拾い上げてくれた大恩人で、相談役にしてみれば同じ高みで知識を交換できる茶飲み友達なのだから。
「とりあえず世界中を虱潰しに探して来るから、しばらく帰らねぇ」
そして大半の者達にとって、自由奔放な国王を止められる唯一の存在。
暴走する国王を必死に引きとめながら、多くの者達は“ああこの場にリゼルが居てくれたら”と本末転倒な事を思っているのだった。