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129:効き目は驚異の十二時間


 群島への里帰りの話を聞いてから、クァトは頑張った。

 基本的には日々依頼を受けて、リゼル達と一緒に行った時は等分された報酬を受け取る。大抵が討伐系の依頼なのだが、ジルと共に行くと自分で狩る前に狩られるので必死だった。

 別に意地悪ではない。良い練習になるしジルは特に加減とかいらないですよ、とリゼルから言われているからだ。わざとじゃないので意地悪じゃない。


『さっさとしろ』

『うぅ……ッ』


 パーティ登録をしていないので、クァトが指定の魔物を規定数倒さなければいけない。しかしジルが先に倒してしまう。だがジルは自分のペースで倒してるだけなので邪魔をしてる訳じゃない、クァトにもそれくらい分かる。


『あと、五』

『飯の時間までには終われよ』


 リゼルに頼まれているのか、ジルはクァトが依頼を達成するまでは行動を共にした。それは決して保護者としてではなく偏にクァトを叩き上げる為で、その癖なんの助言も一切の優しさも無いまま早く終われと言うのだからクァトは必死だった。

 もはや敵は魔物なのかジルなのか。相手の動きを常に意識して何とか掻い潜り、自らの獲物を狩られる前に狩る。そこに連帯感など一切ない。一度か二度、ジルに斬りかかったような気もするが気のせいだろう。


『俺が思ったのはこう、誰かと組んで狩りをするような戦奴隷の狩りを……まぁ良いです』


 その状況を知ったリゼルの言葉だ。最後には何かを納得したようにフンフンと頷いていたが、何故なのかはクァトにも分からなかった。

 そして余力を持って立ち向かえるような魔物にも常に全力で挑まなければ触れもしない、そんな依頼をこなした日は死んだように眠る。こうして依頼を受けていれば金も大分溜まった。





 リゼルは戦闘に関しては色々と配慮していたが、クァトを冒険者として育てようとはしていないようだった。

 ギルドカードも完全に群島へ行く為の身分証明に、受けられるようになる依頼も里帰りの為の資金稼ぎに。聞けば大抵のことは教えて貰えたが、リゼルから冒険者として必要な知識を聞くことは少ないように思えた。

 それは、もしクァトが群島で生きることを選べば必要のない知識だからなのだろう。


『罠、難しい』

『そもそも、君には向かないのかもしれないですね』


 何度でもイレヴンに騙され嵌り、騙されずとも嵌るクァトにリゼルは微笑んで言った。


『そういうのも真正面から受けて、返す。戦奴隷の本能なのかもしれません』


 言いながら壁のパネルを何やら操作し、扉を開いていた。ああいうのも難しい。

 だが、こういった罠ではなく仕掛けじみたものはジルやイレヴンもリゼルに丸投げしているのでクァトも出来ずに落ち込む事は無かった。やろうと思えばまぁまぁ出来るのと、やろうと思えば時々出来るのと、やろうと思ってもほぼ出来ないの違いはあるが、結局やらないのだから同じだ。


『気になるなら、ちょっと練習してみますか?』

『練習』

『罠の対処に必要なのは、見つける為の洞察力・解除する為の器用さ・万が一発動した時の瞬発力だそうです』


 伝聞形な時点で説得力は半減していたが、素直なクァトは素直に頷いた。その後ろではジルとイレヴンが一体何処から聞いてきたのかという目で見ている。


『君は瞬発力はあるし、洞察力は……』

『おい、そこ罠』

『! ……!?』

『ちょっと道が長そうなので』


 罠と言われて咄嗟に足を止めたら、真上から槍が降って来た。避けた。

 これで周囲を巻き込むような罠だったらイレヴンも嵌めようとはしない。クァトも散々遊ばれた所為でイレヴンの言葉を警戒するようになっているのだが、読まれきっているので訝しがろうと何だろうと発動させない事も容易いのだろう。


『じゃあ器用さの練習です。んー……得意分野と絡めてやってみましょうか』


 そうして練習として相対したのは、良く分からない魔物だった。

 壁にベタリと張り付く毛玉が第一印象。毛玉からは一房だけ長い尻尾のようなものが伸びていた。


『“おしゃれ毛玉”っていう魔物なんですけど、この長い部分を……』


 壁に四匹くっついている魔物の内、一匹の毛玉の尻尾部分へとリゼルが手を伸ばした。襲われるんじゃないかとハラハラするクァトの前で、リゼルは伸びた毛を梳く様にさらりと指を通す。

 なんと尻尾じゃなくて毛だった。そう思ってみると一房だけ長いのが微妙に気持ち悪い。


『こうして三つ編みしてあげるんです。纏めるのに紐が必須なので、編んだら結んであげて』

『こいつら名前がまんま過ぎッスよね』

『分かりゃ良いだろ』


 リゼルがポーチからフリルのついたリボンを取り出し、綺麗なちょうちょ結びできゅっと三つ編みを纏めた。魔物相手に三つ編みという光景がクァトにはいまいち理解できず、混乱してひたすらリゼルと三つ編みを見比べている。

 そんなクァトの前で、三つ編みをぶら下げた毛玉がぶるぶると震える。そしておもむろにポトリと地面に落ちると、凄い速さで何処かに行ってしまった。


『出来栄えが気に入って貰えると、色々貰えますよ。ほら』


 リゼルが毛玉が落ちた部分から何かを拾い上げた。宝石のような形だったが魔石らしい。


『女の子で良かったみたいです。男の子にレースを使うと怒らせちゃいますからね』

『リーダー雄雌どうやって見分けてんの?』

『勘です。ほら、ジル達もお手本を見せてあげて下さい』


 失敗したり、出来栄えが気に入らなかったりする場合は襲われるそうだ。よってほとんどの冒険者がスルーする魔物で、それに敢えて手を出す事に疑問を持たない程度にはクァトも染まってきている。


『前こいつでブレイズ作ったら凄ぇ宝石落としてったなァ』

『ブレイズ?』

『細かい三つ編み凄ぇ作るヤツ』


 イレヴンは面白そうに、話しながらもスルスルと器用に四つ編みを作っていた。

 リゼルから紐を受け取り、やはり綺麗なちょうちょ結びを作る。毛玉は再びポトリと落ちて、回復薬を残して去って行った。


『…………』


 何故自分がと言わんばかりのジルは眉間に皺を寄せながらも、時折考えるように手を止めつつ無難な三つ編みを作っていた。

 リゼルから紐を受け取り、適当に巻き付け解けない程度に縛る。毛玉は一瞬だけ間を空けた後、ポトリと落ちて何も残さず去って行った。


『及第点ギリギリじゃねッスか』

『十分だろうが』

『やろうと思えば出来るのに。サービス精神です、サービス精神』

『魔物相手にいらねぇだろ』


 そしてクァトの番が来た。


『魔物退治ついでに、器用さの特訓です。頑張って下さいね』


 リゼルに背を押され、クァトは恐る恐る毛玉へと手を伸ばした。

 正直三つ編みなどやった事がない。見本は三回見せて貰ったが出来る気もしない。それでも出来る限り頑張ってみようと気合をいれ、わしっと毛の束を握り締めた直後の事だった。


『あ』


 結果だけ言うなら爆発した。

 そうしてクァトは今も罠を克服できないでいる。





 リゼル曰く、“精鋭さん”とも顔を合わせた。

 それは、迷宮帰りにリゼルと喫茶店で一服していた時のことだ。本を読むリゼルをぼうっと眺めながらジュースを飲んでいたら、ふいに問いかけられた。


『そういえば、君は俺を攫う時に精鋭さんに気付いていたんですか?』

『?』

『あれ、撒かれたって聞いたんですけど』


 二人で顔を見合わせ、首を傾げる。

 どうやら当時、自身の後を追った者がいたようだとクァトは鈍色の瞳を瞬かせた。全く気付かなかった。

 クァトがやった事と言えば、言われるままにリゼルを攫い、言われた経路で森へと向かい、言われた手順を踏んで地下通路へと戻っただけだ。お膳立てしていた信者らによって、それが結果的に撒いたという事になったのだろう。


『じゃあ、気付いてなかったんですね』

『ん』

『やっぱり彼らが隠れるの上手なんでしょうか』


 ちなみに自分は全く分からない、と堂々と言われてクァトは成程と頷いた。

 気配、と改めて言われるとピンと来ないが向けられた攻撃は気付くし、魔物ならば離れ過ぎなければ大体どの辺りにいるのかもわかる。しかし殺気も無く、ただ隠れられるとやはり分からない。


『分からない、駄目?』

『いいえ、全く。君にはそれが必要ないって事でしょう?』

『?』

『向かって来ない相手は眼中に無い、ってこと』


 揶揄うように目を細めて微笑まれ、クァトはパチリと一度だけ瞬いた。

 何だか凄い事を言われた気がすると思いながら、しかしリゼルが言うのならそうなのだろうと至って普通に味の濃いジュースをごくりごくりと飲む。


『でも、一度会ってみると良いかもしれませんね』

『何で?』

『世の中にはこういう人もいるんだなって勉強になるので』


 えーっと、と周りをゆっくり見回すリゼルを不思議に思いながら眺めていた時だった。行き交う人々の絶えない通り、時折来店する客の足音、いらっしゃいませと店員の声、意識せず其処にあったものから男は現れた。

 気付けば椅子を引いて同席していた、意識としてはそれに近い。一切気配を消すことなく極々自然に現れた男が、しかし誰かを探しているリゼルを知りながら此の席に着くまで認識される事が無かったその異常にクァトは一拍遅れて気付いた。


『……ッ』

『や、どうも。一応初めましてですかね』

『突然呼んじゃってすみません』

『いえ、全然。あっちの店で一服してたんで』


 日によっては人も変わるので来てくれない事もあるのだと、ゆったり微笑むリゼルと現れた男を混乱のままに見比べた。

 男は長い前髪で両目を隠していて、その視線がどちらを向いているのかは良く分からない。ただ、何となく。


『離れろ』


 握っていたグラスがピシリと音を立てる。氷しか残っていないそれは、指の位置から飲み口まで亀裂が入り水滴を滲ませた。

 獰猛に見開かれた目が、男の一挙一動を牽制するように射抜く。


『…………怖ぇなァ』


 その視線の先で、唯一露わになった男の口元が笑みを描いた。

 まるで毛並みを逆立てる獣のように、今にも襲い掛からんばかりにクァトの体に力が籠る。酷く殺伐とした一触即発な空気は、しかし次の瞬間消え失せた。


『駄目ですよ』


 穏やかな声が場を通り過ぎる。クァトは困惑するようにリゼルを見た。


『彼が精鋭さんです。仲良くして下さいね』

『うぅ……』

『そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。余裕そうに見えて、怖いって言ってるのは本心みたいですし』

『まぁ、普通に殺されそうでしたし。や、つかそれ言っちゃうんですね』


 至って普通に話す二人を眺めながら、クァトはゆっくりと体から力を抜き所在なさげに手に持つグラスを引き寄せる。いつの間にかヒビが入っていて思わずビクリと肩が跳ねた。

 どうしよう、とグラスを手放せないままそわそわとすること数分。こんなのが後七人いると聞かされた驚きで、結局グラスは完全に破壊される事となる。

 クァトはそれから暫く、何処かにいるらしい精鋭を密かに見つけようと思っていたが、一度も見つけることが出来なかった。これは特に気にしていない。





 群島への船を頼んでくれたという男達にも顔合わせをした。

 連れて行かれたのは酒場で、外食など初めてだったものだからそわそわした。今までは外で食べるにしろ、依頼をこなしている最中に宿主から渡されていた弁当を食べるくらいだったからだ。

 リゼルと二人で訪れた店では、もう既に作業員と呼ばれる男達が酒を飲み交わしていた。


『おう、冒険者殿』

『こんばんは』

『そいつか?』

『はい』


 そいつ、という言葉と共に向けられた視線をクァトはじっと見返した。

 そして勧められるままに席につき、まぁ食えと寄せられた料理にペコリと頭を下げ礼を言って手をつける。そのままモグモグと食事を堪能し始めたクァトの横では、リゼルも運ばれてきた茶に手をつけながら男達と話していた。


『ははッ、中々行儀良いのつれてんじゃねぇか』

『素直な良い子でしょう? それで、船って大丈夫でしたか』


 実はまだ乗る船が確定していなかった事実に、クァトは思わずリゼルを見た。にこりと笑って流された。


『おう、後は出港日に声かけりゃ分かんだろ』

『船員さんに、ですよね。ギルドカードとか見せた方が良いですか?』

『や、あんたが適当に声かけりゃ全部伝わる』


 作業員の言葉にどういう事かと思いながらも、大丈夫なら良いかとリゼルは了承した。

 実の所、“凄ぇ貴族っぽい品のある冒険者に見えない冒険者が一人連れて来るから乗せてってやれ”と作業員は船員に伝えている。リゼルの事を知らない相手に対して“会えば分かる”と自信満々に言い張った事実をリゼル達は知らない。


『お手数おかけしました。有難うございます』

『良い良い、本気で大した手間じゃねぇよ』

『そうですか?』


 嬉しそうに微笑んだリゼルが、机の上の皿から刺身を一切れつまんだ。

 それを咀嚼して飲み込みながらメニューを手に取り、そして広げる。クァトも食事の手を止め、横からそれを覗き込んだ。


『何か食べたいもの、ありますか?』

『これ、何?』

『これはホタテのグラタンです。ホクホクします』

『これ?』

『つくねの串焼きです。コリコリします』


 クァトは文字が読めないので、所々に描かれたイラストを見て指差している。

 当然イラストの無いメニューは全く分からないのだが、特に苦手なものも無ければこれといった好物も無い。何が出ても美味しく食べられるので特に気にしない。

 最終的にグラタンと唐揚げを指さしたクァトに、お腹が減ってるのかとリゼルは思いながら店員を呼んだ。


『おー、お久しーッス。ご注文は?』

『ホタテのグラタンと、唐揚げ。後は……串の盛り合わせと、冷やしトマトを』

『あざーす』

『あ、此処って持ち込んだお酒を飲んでも大丈夫ですか?』

『うちの酒も頼んでくれんならオッケーっす』


 指でオッケーを作って頷いた店員に、良かった良かったとリゼルがポーチを漁る。

 そして取り出したのは、一つの酒瓶だった。角ばった背の高い瓶は気品すら感じるウイスキーの色を透かし、そして貼られた金字を写す青いラベルが更にその格を上げる。

 作業員らは思わず口笛を鳴らし歓声を上げた。


『約束の、ジルお勧めのお酒です』

『ブルーラベルたぁ太っ腹だなぁ!』

『一刀っつーのは意外とプレゼントは外さねぇタイプか!』

『俺はウイスキーってこと以外は良く分からないですけど』


 好きに飲んで、とばかりにリゼルが瓶を渡せば作業員らは大興奮で受け取っていた。

 喜んでくれるなら良し、と満足そうなリゼルの前に頼んだ料理が運ばれてくる。空けられた皿が下げられ、新しい料理が並べられていくのを割と遠慮のないクァトは嬉しそうにしながら早速手をつけた。


『君はお酒、飲めますか?』

『? 無い』

『あれ、飲んだこと無いですっけ』

『ん』


 飯時だからハイボールだ何だと、店員にソーダやら氷やらを持って来させている作業員らを尻目にリゼルは意外そうに言う。


『飲んでみますか?』

『貴方、飲む?』

『俺は飲めないんです』


 心なしか残念そうにトマトを食べるリゼルに、クァトは唐揚げを摘まみながら考える。

 良く夕食の時にジルやイレヴンが飲んでいるが、正直美味しいのだろうかと気にはなっていた。遠い記憶の中で父親も飲んでいた気がするし、何となく飲めない事は無い気がする。

 次いで運ばれてきた串盛りが続々と作業員らによって数を減らすのを眺めながら、クァトは好奇心のままに一つ頷いて見せた。


『お、兄ちゃんも飲むか』

『飲む』

『それ、強いお酒じゃなかったですっけ』

『ガキじゃねぇんだ、強い弱いで飲むもん決めてちゃ……いや、あんたは飲むなら弱いのにしろよ』


 謎の気遣いを受けているリゼルを見ていると、ふいに作業員の男からグラスが渡された。

 氷でしっかりと冷やされたグラスは冷たく、倍以上のソーダで割られたウイスキーは瓶の中で宝石のようだった重厚な色を失い透明に透き通っている。此方に向けられたマドラーがカランと氷を鳴らしながら差し込まれ、そして直ぐに引き抜かれていった。


『……?』


 くん、と匂いを嗅いでみる。

 仄かな酸味と甘さのあるドライフルーツのような、ほのかに苦さのある木のような。クァトは酒に詳しくもなければ、香りを楽しむ事も知らないので首を傾げながら無遠慮にゴクリと飲んだ。


『どうですか?』


 飲み込んでからも、酷く後を引く香りに目を瞬かせているとリゼルが楽しそうに問いかけてきた。


『苦い。ちょっと、甘い』

『美味しい?』

『美味しい……』


 数秒考え、良く分からないと少し眉を寄せながら口を開く。


『飲める』

『そんなものですよね』

『勿体ねぇなぁ兄ちゃん! こんな良い酒の美味さが分かんねぇなんてなぁ!!』

『まぁ酒なんざ飲んでりゃその内美味くなるさ! おら、飲め飲め! こりゃあ勿体ねぇから適当に他の頼んでやるよ!』


 そうして取り敢えず貰った一杯を飲み干し、リゼルに酔ってはいないようだと確認されながら次々と注文される酒を飲んでいった。とはいえ、食事がメインなのは変わらなかったが。

 食べて、飲んで、食べて、食べて、飲んで、何となく気分が浮足立ったのは覚えている。何となく頭が揺れているような感覚が心地よかったことも。

 しかし、それからの記憶が一切ない。


『……うぅ、何、これ、何』

『二日酔いですよ』


 気付いたら宿のリゼルの部屋で、何故かベッドに寝かされていた。

 心地良さが消え失せ、脳が揺さぶられる感覚だけが残った不快感にひたすら唸る。ベッドに腰掛け本を読んでいたリゼルが持ってきてくれた水を飲み、再び読書の態勢をとったその服の裾をふらふらと握った。

 伸ばされた手が額にあてられ、それが酷く心地良い。


『お酒、飲みすぎましたね。次からは自制するんですよ』

『はい。……俺、最後、酔った?』

『ん、覚えてないですか?』


 どう帰ったかも覚えていないクァトに、リゼルは何かを考えるように視線を流していた。

 そんな姿を見上げること数秒、眠いのかも良く分からないまま揺らぐ頭に目を細める。このまま眠れるかもしれないと、額に触れる掌の温度が馴染んでいくのを感じながら瞼を伏せた時だった。


『じゃあ、内緒にしちゃいましょうか』


 穏やかで静かな笑い声を子守歌に、クァトは意識を手放した。





 他にも特訓だと迷宮に潜った際にジルから獲物を奪い取ろうと、今まさに獲物を葬らんと振るわれた大剣を無理やり掴んで魔物を横取りした時に、流石にアウトだったのか直後背中を蹴られた事だったり。

 寝ていた所をリゼルを訪ねて部屋を訪れたイレヴンに勢いよく踏まれた事だったり。

 同じくイレヴンに迷宮で入り乱れた戦闘中に足を引っかけられて頭から魔物に突っ込んだ事だったり。同じくイレヴンに以下略。同じく以下略。略。


「宿主さんからお弁当は受け取りましたか?」

「貰った」


 思えば短い日々の中で色々な事があったものだと、そう思いながらクァトは頷いた。

 支配者により奴隷扱いをされていた年単位と比べても、明らかに圧倒的密度で様々な事を経験した気がする。むしろ奴隷扱い中は何も無かったようなものなので比べようも無い。


「忘れ物は無いでしょうか。こういうの、苦手なんですよね」

「そりゃな」


 考えるように誰ともなく言うリゼルに、ジルが淡々と同意した。

 三人は今、港を歩いていた。ついに群島への船が出港する日が訪れたからだ。

 あれが必要かも、これが必要かも、と言っているリゼルは基本的に荷づくりに向かない人種なのだろう。元の世界では周りが全て準備していた為に何とかなっていたが、此方では空間魔法があって大助かりだ。

 ちなみにイレヴンは居ない。特に見送りが嫌だとかも何もなく、普通に何処かへ出かけた。


「船、まだ?」

「多分、もう直ぐ見えて来ます」


 少し後ろを歩いていたクァトが、そろそろとリゼルに並びながら問いかける。

 その背には一つのリュックがあった。革製のそれは丈夫そうで、膨らんだそれは片方の肩にぶら下げられて揺れている。


「食料も一応、二週間分の木の実を持ちましたし」

「一回、一つ」

「そう。念のため、ですけどね」


 働き手として数に入れてくれて良いから融通してくれと、作業員の方から頼んで貰っている。最初はリゼルの連れだというから下手な事は言えないと考えていたようだが、酒場で一緒になった際にクァトを見て大丈夫そうだと提案してくれたのだ。

 リゼルもそうして貰った方が良いだろうと思ったし、他にやる事も無いと聞いたクァトも素直に頷いたので、木の実に頼らずとも美味しいものが食べられるだろう。


「船旅した事あんのか」

「ある」

「知ってる。お前じゃねぇよ」

「俺もありますよ。海を渡るっていうよりは、沿岸沿いに移動ってだけですけど」


 陸路より海路の方が早い、という時はリゼルも船を使っていた。

 とはいえ冒険者の船旅とは全く違ったものであるのは想像に難くなく、いつか船旅の護衛とかをやりたいと言い出しそうだ。ジャッジが船を購入する日も近いかもしれないと、ジルは人知れず来る日を危惧してため息をついた。


「軍港を越えれば、もう直ぐです」


 港を通り過ぎ、軍港への急な石階段を上り切り、そして潮風の吹く軍港を警備兵に二度見されながら歩いて行く。そして反対側の階段までたどり着けば、目の前に広がるのは荘厳と並ぶ巨大船の数々だった。

 見下ろせば人々が精力的に動き回り、目線の高さには今にも迫りくる船首が雄々しく、そして見上げればマストが太陽を背負い巻き付けた白い帆を煌かせている。


「流石にでけぇな」

「結構波も荒れるみたいですからね。魔鳥用の場所ってあるんでしょうか」

「あそこじゃねぇの、船尾」

「でっぱってる所ですか?」


 ジルが指さした先を覗こうと体を斜めにしているリゼルの横で、クァトはただ口をぽかりと開けていた。

 元々彼が何故支配者に奴隷扱いされていたのか。切っ掛けの一つはというと、幼かった頃の溢れんばかりの船への好奇心だった。

 その時に見た船とは違うような気がするが、巨大な船に酷く感動したことに変わりはない。そして今、その頃と変わらない感動を抱いている。彼にとって船はロマンだ。


「船、見る。行く、一緒」

「はい、行きましょう」

「大興奮じゃねぇか」


 そわそわと落ち着きがないクァトが、微笑んで階段を降り始めたリゼルにパッと顔を明るくしながら続く。急な階段をのんびりと降りていくリゼルに、ちょっと先に進んでは止まって待ち、先に進んでは振り返りながら降りていく。

 いいからさっさと先に降りろ、というのはジルの談だ。イレヴンがいたら蹴り落していた。


「そういえば以前、とある女性が彼のことを“クールな人”って称してましたよ」

「あ?」


 少しだけ潜められた声で告げられた言葉に、ジルは言っている意味が分からないとばかりに返す。

 ちなみにリゼルも言われた時は思い切り疑問符を浮かべた。一瞬誰のことを聞かれたのか分からず、しかし話の流れ的にクァトだろうと当たりをつけて至って普通に話を続けたが。


「あぁ、まぁ見た目だけならな……」

「知らない人にはギャップがありますよねぇ」


 ほのほのと笑うリゼルに、ジルも首元を広げて熱を逃がしながら同意してみせる。

 何せリゼル達からしてみれば最初からあんな感じだったのだから、今更印象が外見に引き摺られることはない。しかし確かに言われてみれば、感じる無機質さに初見では誤解されそうだ。


「凄ぇ今更感」

「俺も聞いた時は驚きました。今からそうやっては見れないですよね」

「お前が居ねぇとこだと少しはそれっぽいかもな」

「そうなんですか?」

「ぼーっとしてりゃ見えねぇ事も無ぇ」


 何の話かと不思議そうなクァトに何でもないと手を振り、そうして雑談を交わしながら最後の一段を下りる。

 群島の船は一番手前側にある。足をつけた地面には張り出した船首が作る影がくっきりと映り、近付けば行き交う作業員や船員らが視界を埋め尽くしていた。


「船、乗る?」

「いえ、多分誰かに声をかけないと」


 ずっと船を見上げていたクァトからの問いに、さてどうしようかとリゼルが首を傾けて答えた時だ。


「あっ! お、おぉ、成程……」


 こちらを見て声を上げた男が、何かを酷く納得しながら近付いてきた。

 服装からして船員なのだろう。真っすぐ此方へと向かってくる姿に、もしや作業員が話をつけてくれた船員かとリゼル達も向き直る。


「こんにちは、この船の船員の方ですよね」

「あぁ、そうだ……です」


 まさに取って付けたような敬語に、ジルの視線がリゼルを見た。不本意だ。


「えぇと、あいつらから話は聞いてるんで。乗るのはー……」

「俺」

「だよな!!」


 心からの安堵を浮かべた船員は、任せろとばかりに頷く。

 一応の確認にギルドカードを確認し、それなりに持ち込む荷物をチェックし、簡単に乗船にあたっての注意事項を告げた。魔法は使用禁止なこと、火の気は厳禁なこと、魔物が出た時や部屋のことは実際に船に乗ってから詳しい説明があるようだ。

 リゼル自身も興味深く聞いていたそれに、クァトは素直に頷く。元々余計なことはしない性分だ、特に気を付けるべきことも無いだろう。


「じゃあもう乗れるけど、どうする?」

「え」


 クァトがぱちりと目を瞬き、そしてリゼルを見た。

 しかし、促すような微笑みだけを返される。自分で選べという事なのだろう。


「ぁ……」


 何かを言わなければと開きかけた口は、しかし何も言わないままに閉じる。

 そのまま目を伏せ、ぎゅうと噤まれた唇は何かを断ち切ろうとするかのようで。どうしたのかと、どうしたいのかと問うように首をゆるりと傾けたリゼルに、伏せた瞳をゆっくりと持ち上げた。


「乗る」

「そうですか」

「ん」


 伸ばされた掌が送り出すように頬を撫でるのにすり寄り、クァトは鈍色の瞳を細めた。


「家族とたくさん話して、戦奴隷として日々を過ごして、故郷を愛おしむべき場所に出来るように」


 クァトの眉が、きゅうと寄せられる。

 ずるい、と思った。自分のものだと言った癖に、戻って来てほしいと直接言葉にせずとも隠さない癖に、今になってもまだ故郷に根付けと言う。

 そのどちらも本音なのだから、クァトは迷わなければならない。答えが決まっていようと、リゼルの願いを叶える為には選ばなければならない。


「誰にも流されず、どんな理由もつけず、自分の意思で選びなさい」


 クァトは頬にあてられた掌を握った。力を込めてしまいそうになるのを必死に耐え、しかし自らの意思を伝えるようにしっかりと。

 そしてまるで祈る様に身を屈め、握った手へと額を押し付ける。


「 許さないで 」


 ゆっくりと瞳を開ける。

 後一歩前に出れば額同士が触れ合いそうな距離に、どこまでも清廉な笑みがあった。


「……行く」

「はい、いってらっしゃい」


 それで十分だった。クァトは握った手を離し、背筋を伸ばす。

 確信が欲しかったのは一つだけ。帰ってきた時には完全にリゼルのものになれる、それだけ分かれば良かった。


「行く。良い?」

「えっ、あ、あぁ。んん!?」


 惜しんだ割にはあっさりと言葉を交わす二人に、船員は完全についていけてなかった。

 先程まではいっそ住む世界が違うような、何処か神聖な儀式めいた空気すら感じたというのにこの変わり様は何なのか。ついて行けないままに案内を始めた彼は船員の鑑だろう。


「じゃあ、気を付けて。ご両親に宜しく伝えて下さいね」

「伝える」

「ほら、ジルからも」

「あ? ……海の魔物相手に水中戦はすんなよ」

「分かった」


 こくりこくりと頷いて、手を振るリゼルに手を振り返してクァトは船へのタラップを上っていった。

 今度は振り返らないその背を見送りながら、ふとリゼルが口を開く。


「大丈夫でしょうか」

「何がだよ」

「前に聞いたんです。彼がどうして群島からこっちに来たのか」


 それがどうしたと訝し気なジルの視界から、完全にクァトの姿が船内へと消えた。その時だった。

 バターンッと何かが倒れる音と共に船員の悲鳴が響き渡る。


「好奇心で支配者さんの船に乗ったら凄く船酔いして、気付いたら出港してたみたいですよ」

「馬鹿じゃねぇの、あいつ」


 本人が何も気にしていなかったし、船酔いしたのも幼い頃だというからすっかり治っているものかと思ったが駄目だったようだ。クァト自身が何故平気だと思い込んでいたのかが分からない。

 リゼルは一応用意しておいて良かったと、ポーチから一つの瓶を取り出した。中には色とりどりの大きな宝石、に見えるような美しい小さな飴玉が入っている。


「あの爺から貰ったやつか」

「同じものを買ってみたんです。インサイさんが勧めるなら効き目も凄いでしょうし」


 そうして瓶を片手に船へと上がっていったリゼルによって、クァトは効き目即効の恩恵を受け元気にアスタルニアを去って行った。




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― 新着の感想 ―
「 許さないで 」 に心が締め付けられるようでした。 クァトはそれに縋り付いているようにも見えて、切ない。
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