歪んだ世界
「ひとつ分からないのは、その助かったひとりはどうして助かったの?」
馬を潰されて助かるような相手では無さそうだ。
「一目散に走って逃げたんだと。他の奴らが犠牲になってる間にな」
後は良く覚えてないってよ。
そう続けて、話は終わる。
その助かったひとりからは何も討伐するのに役に立つ情報は得られ無さそうだ。
「リデル」
「はい」
リデルの表情は硬い。
「私に出来る事は?」
「正直、あまり無いと思います。モリーアンが持っているのがアーティファクトなら話は別なんですが」
「そのアーティファクトって言うのは何?」
「魔力を帯びた武器だな。いや、正確には武器自身が魔力を生み出し、超常の力を発揮する奴だよ」
その多くが製造者不明。
神代の武器とも言われ、簡単に手に入れられる類いの物では無い。
「物によっては、手にするだけで力が増して、素早く動けるようになるとか、魔法が使えるようになるとか、投擲しても手元に戻ってくるとか、まあ無茶苦茶な奴だよ。俺も見た事は無いがな」
職人は首を振った。
つまりこの街にも無いという事だろう。
不意に殺人鬼の鉈の事が思い浮かんだ。
しまったな。
こういう事になるなら貰っておくべきだった。
あれがそうだったとは限らない。
しかし、あれが魔力を帯びていたのは確かだ。
今からあの街に取りに戻って間に合う保証は無い。
そもそも、まだあのギルドに残っているとも限らないのだ。
いや、それを言うなら、その魔獣がこちらに来るとは限らない状況ではある。
「こちらに、この街にまで来るかしら?」
「それは何とも言えません。もしかしたら別の方に向かうかもしれません。でも、その魂の無い人達が牧場の方に追われてきてるのなら、それを追ってくる可能性は高いと思います」
「そう。確かにそうね」
状況はいつかの魔獣を退治に向かった時に似ている。
ただ、今回はどうもあの時よりも状況は逼迫しているようだ。
「その北の森っていうのは遠いのかしら?」
「馬があれば2、3日って所だな」
調査に向かったひとりは馬無しで戻ってきたのだ。
そう考えると、すぐにでも現れそうだ。
「最悪ね」
「すまんが、そのオセロット?っていう奴はそんなにヤバいのか?」
職人は聞いた事もない魔獣に半信半疑という様子だった。
「私も直接見た事はありません。でも、ひとつの里がただの1体のオセロットに食い尽くされたという話は有名でした」
庭園の国。
そちらでは有名な魔獣のようだ。
職人がいるので、庭園の国の事までは言わなかったけれども、リデルは自分の生まれ故郷では有名で、魔法と一緒に必ず教えられる最も危険な魔獣の内のひとつです、と話した。
「まだ小さい内なら数人の魔法使いで囲んで集中的に攻撃すれば倒せます。もしも成長して、成獣になったオセロットなら、その倍以上の戦力が必要になります」
「本当に魔法しか駄目なんだな?」
「はい。その逃げた方は確認出来なかったのでしょうけど、外側、つまり大地そのものの面にいくら攻撃しても、意味はありません。剣で突いても、すぐに塞がるだけです」
「その口を開けた中ならどう?」
私も口を挟む。
「駄目です。見えているというだけで、そこに本当の実体がある訳では無いんです。それでも魔法でなら、実体として世界に繋ぐ事が出来ますのでダメージが与えられます」
実体が無い。
それを実体として繋ぎ止めないと、ダメージは与えられないようだ。
「良く分からないんだけど、それならその魔法でこちらに実体として繋いだ瞬間に武器で攻撃するのならどう?」
「多少はダメージが与えられるかもしれませんが、それでも普通の武器ではかすり傷みたいなものでしょう」
聞けば聞く程にどうしようも無い相手に思えた。
「分かった。とにかくすぐに街中の魔法使いを集めよう。あまり数は期待するな。ちっこいお嬢ちゃんの言う里ほどには、こっちは魔法使いは多くない」
ちょっとだけ留守番を頼む。
そう言い置いて、職人は工房から外へ出た。
「どうして」
「何?」
リデルの不意のつぶやきの意味が分からずに尋ねる。
「オセロットがこちらにもいるなんて」
その呟きにはあまり良くない響きがある。
絶望。
無理と分かっていながら挑まなければならない相手。
「それはリデルがここにいる理由と同じなのかも」
そう言うと、リデルが私の顔を見た。
しかし、言葉は出ない。
「庭園の国とこちらはそんなに違うの?」
あまりあちらの事を思い出させるのも良くないかと思い、今まで尋ねなかった事を尋ねる。
もしかしたら今、近くにいる魔獣というのはオセロットに良く似た何かなのかもしれない。
あちらとこちらがどれくらい同じでどれくらい違うのか、そこから何かを考えられるかもしれなかった。
「そうですね。色々と違う事があります。例えば、みなさんが蛮族と呼ぶ、魂の無い人達はあちらにはいません。姿は同じなのに、野に生きて街の人を襲う魂と呼ぶべき意識の無い存在なんて言うのは、どう考えてもおかしいです」
人の道具を使い、人と同じような生活様式を持ち、そして何より全く同じ種族でありながら蛮族と人とがいるというのはリデルにとって、完全に理解を超えていた。
それは確かに私もそう思う。
ナイフを残した彼が言葉を話した時には本当に驚いた。
「魔獣や妖獣というのは良く出るの?」
「良くは出ません。それでも確かにいます。ただ、話を聞いていると、どうもこちらの方が数が多い気がします。それに頻繁に人の街のすぐ側に現れるというのもちょっと」
オセロットに代表される危険な魔獣は確かに存在する。
ただし、それは数年から数十年に一度、現れるか否かといった程度。
「それがどこに行くにもその影に怯えなければならないこの世界は正直、おそろしいです」
そう言って、何か考えるように口を閉ざす。
そして、しばらく考えた後にぽつりと漏らした。
「こちらで生まれ育ったモリーアンが聞いたら怒るかもしれませんが」
「何?」
何かに気が付いたのなら、聞いておきたい。
そう伝えると、それでも迷ったように視線を逸らし、ややあってから私と目を合わせた。
「私には、どこかこの世界は歪んでいるようにも見えます」
歪んでいる。
その言葉は、何故か私の心を大きく揺さぶった。
聞いた事がある。
それはスルゲリと出会う前。
どんな話でその言葉が出てきたのかは覚えていない。
しかし、それはかつて、父と、そして母から聞いた言葉では無かっただろうか?
歪んでいる。
その言葉は私の胸にいつまでも残った。
職人はそれほどの時を待たずに戻ってきた。
とにかく戦える人を牧場へと集める事になったようだ。
もしもその魔獣が現れ、襲ってくるのなら、最初に襲われるのはまず間違い無く牧場だろう。
それに、もともと蛮族に襲われる事を想定して砦のように造ってあったので、防衛拠点とするにはちょうど良かった。
「それとギルドにも話した。周辺の街にもこれで伝わるはずだ。万が一、他の街に向かっていたら、とにかく魔法を第一の手段として戦うようにも伝えてある」
「そう。追加戦力は期待出来るのかしら?」
万が一、リデルが言ったような状況になったら、どうしようも無い。
出来ればこの街で叩いておきたい。
「一応、伝えてはある。ひとまずは飛べる奴に斥候をって話になってるから、何にせよ、それで位置を割り出してからだろうな」
「西に行けば魔法使いが多い街があるって聞いたけれども」
そう。私たちはそこを目指しているのだ。
「ある。ただ、遠いぞ。そこまで伝わった頃には既に状況は終わってるんじゃないか?」
こっちにやっこさんが来たら、の話だけどな。
そう続けた職人の声は明るくない。
段々と意識が良くない方へと傾いているのだろう。
ここからでもまだまだ距離があるようだ。
それを聞き、考えていた事は言わずにおいた。
「そう。一度、宿に戻っても良いかしら?」
「ああ。いいぜ。準備が出来たら牧場へと向かってくれ」
私たちは工房を出て、宿へと戻った。
宿へと向かう道中、ただのひとつの言葉も無かった。
部屋へと戻ると、すぐに窓を開ける。
入ってくるのは街の喧噪。
街の人達にはまだ何も知らされていないのだろうか。
その様子は昨日までの日常と何も変わっていない。
ベッドへと歩き、そこに腰を下ろした。
リデルは入れ替わるようにして窓へと向かい、そして窓枠に腰掛ける。
「リデル」
「はい」
「リデルには水を差すようで悪いんだけど、本当に戦うの?」
そう言うと、リデルは驚いた表情になった。
「モリーアン?」
正直、話を聞いていると、どうしようも無い相手のように思えた。
「あなたが無理をしているのは分かるわ」
いつもならすぐに丸くなるリックが私の足下で行儀良くおすわりをしている。
そしてその目は私と同じくリデルを見ている。
「戦えるという事と、戦わなきゃいけないという事は同じでは無いでしょう?」
そしてリデルは戦えるというだけの理由で戦いに向かおうとしているように、いや、戦いに向かわなきゃならないと考えているようだ。
リデルに言葉は無い。
部屋を沈黙が支配する。
そして、やがて部屋に笑い声が響いた。
笑ったのはリデルだった。
静かに、でも確かに笑っていた。
「逆ですね」
何の事だろうか?
そう思って気が付く。
殺人鬼と戦う事を決めた時と確かに逆だった。
「そうね。逆ね」
そう答えて、そして私も静かに笑った。
なるほど。
殺人鬼と戦おうとしていた時、リデルはこんな気持ちだったのか。
不思議な納得があった。
「話を断りに行って、このまま西に向かったって良いのよ」
確かにリデルは今街に迫りつつある魔獣の事を知っている。
でも、戦ってそれに確実に勝てるとは言わなかった。
戦って確実に勝てる見込みがないのに、逃げるなと言うのは傲慢だろう。
自分の命は自分の物なのだ。
他の人間が勝手に死んでこいと言える訳が無い。
それに西に行けば魔法使いが多くいるというのなら、そちらで仲間を募って、それから戻ってきた方が勝つ可能性は高くなるだろう。
ギルドから盗賊の件で街に居て欲しいとは言われていても、それは強制ではなかったはずだ。
勿論、その間に街が無事な保証は何ひとつ無い。
それでも、本当にその魔獣を狩る事を最優先にするのなら、その方が確実だ。
私が剣を取って、変わる事があるのならば私は剣を取る。
しかし、今回はそう確信が持てない。
私ひとりの問題ならば私は逃げる。
あの倒せなかった竜の時のように。
あの時は戦って、勝っても負けても結果は同じだった。
多少なりとも得られるお金に差があっただけだろう。
今は正直、良く分からない。
大地の魔獣を倒せば、大勢の人が助かる。
しかしその倒せる見込みが、リデルを見ているとどうにも薄いと感じている事だけは確かだ。
とにかく挑んでみる。
それで駄目なら逃げれば良い。
以前の私なら、その程度の考えで何もかもに挑んでいた。
そう思うと、自分自身に違和感があった。
部屋に影が差し込む。
それは昇る日に、飛翔する鳥が横切ったせい。
それを見て、何かが脳裏によぎった。
父の形見の剣、既に折れたそれを持った私がいる。
その顔は歪んでいた。
歪んでいる。
それは私の顔だけじゃない。
周りの何もかもが歪んでいた。
そして歪んだ私は、ただ笑っていた。
嘲るように。
ただ笑っていた。
「モリーアン?」
気付けばリデルが目の前を飛んでいる。
ふわりと浮遊するように。
右手を差し出すと、リデルがそこに腰掛けた。
思う。
あの私なら、間違い無く立ち向かっただろうなと。
「もう一度言うわ。逃げても良いのよ」
リデルは困ったように笑うだけだった。
「どうしても戦うのね」
「はい。私は誰かが倒してくれるのなら、その人に任せます。でも、その誰かになれるのがほとんどいないのに逃げるのは嫌だなって思いました」
一度、リデルは目を瞑る。
そして開く。
はっきりとその顔は笑っていた。
「モリーアンのせいですよ。きっと」
「私のせい?」
「はい。モリーアンがあまりにも強くて眩しいから、私もそんな風にいつかなれたらなってちょっと思ってました。でもそれはずっと先の事。ずっとずっと先。そう思おうとしてました」
リデルの目に意志が宿る。
強い光。
「オセロットはモリーアンには倒せません。私にも倒せるかどうかは分かりません。でも、私になら可能性がある。それなら試すべきだって思ったんです。それにモリーアンがオセロットに街ごとバリバリ食べられちゃうなんて私は嫌ですよ」
「私ならその前に逃げる」
「ええ。そうかもしれません、いや、きっとモリーアンはそうするでしょう。でも、この街の人たちはきっとそうじゃない。私にとってのモリーアンみたいな人はきっとこの街の人にもたくさんいると思います。だから」
リデルは笑う。
いつかの私も、戦うと決めた時の私もこんな顔をしていたのだろうか。
「戦います」
「そう。分かったわ。なら、作戦を立てないとね。今回、私を役立たずだと思ってるみたいだけど、きっと私にも出来る事はあるわよ」
私も笑った。
力強く。
リデルが頼もしく思ってくれるように。
リデルの力になるために。
「なにせ、私はリデルの知る中で最強の女なんだから」
それを聞いてリデルは声を上げて笑った。
私も声を上げて笑う。
私の大切な友人を死なせはしない。
声に出さずに決意する。
リックが吠えた。
自分の存在を忘れてもらっては困るとでも言うように。
「そうね。リックも戦ってくれるのね」
「リック!」
彼にリデルは抱きつき、私は頭を撫でてあげた。
さあ、決意したのなら、準備をしなくては。
今度は誰も死なせない。




