でたらめ
弓は3日ほどで直してくれる事になった。
その間に使えと職人は言って、壁に掛けてあった弓からひとつを取って渡してくる。
「良いの?」
「ああ。必要だろう?それでどうだ?俺の見立てではそんな所だろうと思うんだが」
受け取り、試しに引いてみた感じでは軽く、引きやすい弓だった。
握りの太さもちょうど良い。
前の弓に使い勝手が似ている。
剛い弓に慣れてしまっていたので、多少物足りないくらいだ。
「ええ。問題なさそうね」
「裏でちょっと試してけ」
そこまで言って、職人はにやりと笑った。
「戦いの女神様の腕を見たいしな」
「なにそれ」
あきれ顔で、私は一度言った科白を繰り返した。
「なんつーか、どこでどういう訓練をすると、こうなるんだ?」
「何が?」
一度、矢籠の中のすべての矢を射ち、的の矢を抜き、そして再び元の位置に戻り、構えた所で職人が声を掛けてきた。
矢籠から3本の矢を抜き、その内の1本をつがえ、放つ。
離れた瞬間に2本目の矢に意識を移す。
そうしてつがえ、また次の矢へと意識を移す。
「手品ですよね」
「全くだな。でなけりゃ魔法だ」
ひとつひとつの動作が目に見えない程に早い訳じゃない。
ゆっくりならば誰にだって出来る事。
ただの一息で、淀み無く、流れるように意識し、それをそのまま動作へと変える。
「私は魔法は使えないわ。技術よ」
「これは技って言うよりも、業って言う奴だな。いや、離れ業か」
続けるようにぽつりとこぼす。
一射一射が恐ろしく精確。
それでいてそれが三射、間を置かずに放たれる。
でたらめだ。
「あの殺人鬼は?あれも良い腕してたわよ」
「あれは腕を見せなかったよ。俺が矢を射る時は相手か自分の命が掛かっている時だけ、だとよ」
3本目の矢もまっすぐに飛び、離れた的へと吸い込まれるように突き立った。
一息に放った矢は3本が3本とも、それぞれ別の3つの的へと突き立っている。
4人が手を伸ばした程の幅の細長い射撃場は、簡単な柵で囲われているだけで、その先には地面にふたつ的が、そして立てた的がふたつあるだけの簡単な設備だった。
矢が逸れたらそのまま近くの家へと矢が飛び込むだろう。
そう言うと、上手にしか売らないし、ここでやらせないと職人は簡単に言った。
それだけ人に対する目利きでもあると言う事だろうか。
そして、私はその目に適ったらしい。
「旅芸人として食って行けるだろうな」
「あ、それ良いですね!」
「やらないわよ。見せ物になる気は無いわ」
いやに嬉しそうなリデルの声に振り返って見てみると、腕を組んで立つ職人の横にふわりと浮くように宙に飛びながら、彼女はがっくりと肩を落としていた。
リックはその下で、興味ないとでも言うように丸くなって寝ている。
「いえ、そう言うだろうなぁ、とは言った瞬間に思いましたけど」
リデルは、もっと安全安心にお金を稼ぎましょうよ、と誰に言うとも無く呟いていた。
「良い弓ね」
素直な弓だった。
射るのに余計な意識を使わせないのが良いと思う。
意識がまっすぐに射るべき先へと向かう。
思った事をその通りに伝え、褒めた。
「そうか。ならこれから先も使ってくれよ、と言えないのが辛い所だな」
照れたように頭をかき、そしてぽつりと言った言葉には自嘲の響きがこもっている。
頼んだ弓と自身の弓を比べたのだろう。
職人の言葉に、苦笑した。
自分自身が作った弓を思い出した。
今、考えると、あんないい加減な弓で、よくも使っていられたなと思う。
それは今だから思える事で、あの時の私にとっては確かにあれが私の用意出来る最上の物だった。
あの弓は最初の街の古道具屋に売ってしまった。
一晩の宿代にもならない値にしかならなかったけれども、あの弓はまだあのお店にあるのだろうか?
そんなに昔の話でもないのに、妙に懐かしく、そして思い出すと見に行きたい気持ちに捕らわれる。
最近、妙に色々と思い出すようになったな。
これは以前の私には無かった事だ。
ひとりで暮らしていても、いちいち父と母の事を考えたりはしなかった。
「どうしたんです?」
不意に黙った私にリデルが声を掛けてくる。
「いいえ。何でもない」
言い、そして笑った。
「ちょっと退がってて」
矢を1本抜き、そしてそれをつがえる事無く脇の柵へと飛び込む。
柵を蹴り、高く宙を舞う。
天と地が逆になる。
矢をつがえた。
残る的はひとつ。
その的に向かって。
矢を放った。
放った手をそのまま突き出して地面に手を着く。
そしてそのまま転がり、素早く体制を直した。
矢は、的に突き立っている。
それを見て、職人とリデルが同時にぽつりと呟いた。
「でたらめだ」
「でたらめです」
「別にいつもああいう事をしている訳じゃないのよ」
多勢に囲まれると、立体的に動く必要がある。
それは前後、左右のような簡単な動きだけだと対処しきれない。
そうした時には必要になる事もある。
それだけの話だ。
「どれだけの話だってーの」
「まったくです」
お茶を振る舞ってくれるというので、元の工房の中の、テーブルへと戻ってきた。
断ろうかと思ったけれども、自分が飲みたいついでだからと押し切られた。
「そういや牧場はどうだった?昨日あれから行ったんだろう?」
この工房はひとりでやっているのだろうか?
職人が手ずから入れて持ってきたようだ。
「何かごたごたしているらしいから、日を改めてくれって」
「ああ、なんか蛮族が妙に湧いてる上に、魔獣騒ぎまで重なっちまったからな。いや、逆か。魔獣が出たせいで北の蛮族がこっちまで出てきちまってるのか」
テーブルに直接座って、カップを傾けてお茶を飲もうとしているリデルを思わず見ると、リデルも私の顔を見た。
「ん?どうした?」
「いえ、随分詳しそうね」
「まあ、ここはギルドが信用無いからな。こういう物を扱ってると自然、そういう情報に詳しくないとやってられない」
もう一度、リデルと顔を見合わせた。
「どういう事?」
そして職人へと顔を戻し、尋ねた。
「そうか。この街は初めてなんだっけな。随分前の話なんだけどな。まず、そもそもギルドってのが何なのか知ってるか?」
その言葉に、私もリデルも首を振った。
そう改めて言われると、きちんと人に説明出来るほどには知っていないと気が付いた。
それを見て、職人はやけに嬉しそうに語り出す。
「そうかそうか。それなら俺が教えてやろう」
ギルドには色々な理由からお金が集められる。
ひとつは依頼の紹介の仲介料だったり、あるいは依頼の報酬を一時的に預かったり。
ひとつは銀行としての役割で。一時的に財産を預かったり、そして時には損耗した硬貨を鋳直したりもする。
そして後は街の周りに現れる魔獣、妖獣、蛮族、そして賞金首や盗賊の討伐報酬支払いのためにだ。これは各街の住民から集められた資金が充てられている。
さらにそれとは別に大物の魔獣、妖獣が現れた時のために、余剰資金が蓄えられているらしい。
ギルド。
それは国という制度の崩壊と共に始まった自治組織と、街と街との連絡組織、そして貨幣価値を守るための貨幣管理組織と、そしてそれぞれに付随する多くの組織が長い年月をかけて統合された結果できた組織らしい。
今では世界的に人が減ってしまったために、その業務も簡素化されていて、元に比べれば随分と小さくまとまった組織へと変わってしまったようだ。
それでも街が街として機能するためにはギルドという組織は重要な役割を果たしているのは間違い無い。
所がだ。
「ここの街のギルドは絶対にやってはいけない事をしちまったのさ」
ひとつは不正な硬貨の鋳造。
金貨、銀貨、銅貨。
中でも金貨に混ぜ物をして、硬貨の価値を下げた。
当時、大物の妖獣が現れて、その討伐報酬を蓄えていたお金では払いきれず、やむをえずそれをしてしまったらしい。
所がそれは普通にギルドが運営されていれば、必ず払える額だった。
「ギルドの職員どもが架空に依頼を出して、それを身内で達成した事にして懐に金をしまい込んでたのさ」
それで当時のギルドの職員はすべて財産を取り上げた上で街から追放。
そして代わりのギルド職員が別の街から派遣されてきたのだけれども、それにはあまりにも時間が掛かり過ぎた。
「その間にも蛮族は出るし、やっかい事は起こる。それで俺たちはある程度のことまでは自分達だけで解決するようにしちまった」
それ以来、この街ではギルドと街独自の管理組織とで割れてしまっているらしい。
「それであそこの係員はやる気がないのね」
「ああ。あそこはほとんど他の街との連絡組織みたいなもんさ。もちろん、それだって大事だ。例のオーガの件にしても、そんな情報がこの街だけ入って来なければ大変な事になる」
さらに街の管理組織はギルドの運営にかなり口出しをしているので、けむたがられてもいる。
「今はさすがにもうちょっとお互いに歩み寄ろうかって段階にはなってきている。だがそれも随分先だろうな」
「だからギルドを通さずに直接牧場に行って大丈夫なんて話になったのね」
「ああ。あそこもその管理組織の窓口のひとつだからな」
その割には何だか話の通りは良くなかったような気がした。
そう言うと。
「あん?俺の紹介だって言えばすぐに話が通るはずなんだが」
「言ってないわよ」
「あん?なんで?」
「そんな風には言ってなかったわよ。あなた」
きょとんとした後、職人は笑い出す。
「そうか。そいつは悪かったな。じゃあ次はそう言いな。間違い無く、すぐに雇ってくれるはずだから」
リデルと顔を見合わせた後、そっとため息をついた。
どうりで、である。
「それで、その魔獣っていうのは?」
「ああ。それか。そっちは俺も今朝聞いたばっかりなんだけどな」
あまりにも蛮族が牧場へと流れてくるから、これはおかしいぞ、そういう話になって調査に人を出す事にした。
「ここらへんを襲ってくる蛮族はほとんどがゴブリンさ。それが今回はなぜかオークやウェアウルフなんて奴らまで襲ってきやがる。どう考えても北の森以外からも蛮族が流れてきてる。それで人をやったんだが」
結果は調査に行った4人の内、3人が死亡。
何とか戻ったひとりはまともな精神状態じゃ無かったらしい。
「ほとんど錯乱状態のそいつから聞き出せたのは、地面がぱっくりと口を開いたんだと」
まるでもぐらが進むように、地面が盛り上がりながら突進してきた。
突進してきた盛り上がりは目前まで来ると、突然ふたつに割れて、そのまま乗っていた馬にかじりついた。
「地面から何かが出てきたんじゃなくて?」
「ああ。小さな山みたいなもんがぱっくりとな。最初、そいつも何かが飛び出してくるだろうと思っていたらしい。そこを攻撃するつもりでいたら、ばっくり」
職人は両手を合わせた。
それはまるで拝んでいるようだ。
「あっという間に乗っていた馬が全部やられて、後はひとりずつばりばりやられたらしい」
「ばりばりって」
「何でも開いた地面の中は真っ暗で、その真っ暗な中から牙だけが突き出していたってよ」
私のイメージ力が貧困なんだろうか。
想像力の範疇を超えている。
それは今まで見てきたどんな獣とも違う。
いや、それはそもそも獣なのだろうか?
「あの」
考えていると、リデルが声を出した。
「ん?なんだちっこいお嬢ちゃん」
「もしかして、その中に目はありませんでしたか?金色に光る」
リデルの顔は真っ青だった。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です。それよりも」
職人に先を促す。
「ああ。なんだ知ってるのか?最後に残ったひとりが乗ってる馬にかじりつかれた時にな、見たんだってよ」
暗い穴の底を覗きこんだような闇。
周りにはまるで角のように長い牙。
その中に浮かんでいたのは、金色に輝く肉食獣の瞳だった。
「オセロットです」
「オセロット?」
職人がおうむ返しに尋ねる。
私も聞いた事が無い。
「災厄にして、人を滅ぼす怪物です」
魔獣というよりも、災厄。
「大地の魔獣とも呼ばれてましたが、何よりも恐ろしいのは普通の武器ではほとんどダメージがありません」
なにしろ相手は大地そのもの。
そして口を開けたその中身は空っぽなのだ。
「この街に魔法を使える人はどれくらいいますか?」
リデルが真剣な表情で尋ねる。
その顔色は青いまま。
「どうだろうな?確か何人かは、いたはずだったが」
職人は顎に手をやり考えるように答える。
「すぐに呼んで下さい」
そこまでリデルは言うと、少しの間、黙る。
訳が分からないという感じで職人が声をかけようと口を開きかけると、リデルは再び口を開いた。
「私も戦います」
「え?」
戦いに怯える少女。
戦う術を持っていても戦えるとは限らない。
そんな少女が今、唇を強く噛み締め、戦う決意を固めていた。
「あれはあらゆる命を飲み込んで、成長します。最後にはこの街ひとつでも飲み込んでしまいますよ」
それは明らかに私の手に負えない、圧倒的な危険だった。
合成弓 → 強化弓
冒険者の矢籠
スルゲリのナイフ
橋の剣
左手:黒水牛の小手
右手:黒水牛の小手
積層鎧
牛革のベルト
鹿革のブーツ




