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キセキ  作者: かがりいずみ


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16/18

空白の時間

【Vol.16:He never forgets the most important thing】


熟年離婚だった。


私が60、彼が52のこと。

娘が成人したと同時に、離婚を切り出された。


戸惑いはしたけれども、想定の範囲内だった。

というより、絶対にこうなると思っていた。


私は彼に、優しくなかった。

年下の彼で羨ましがられつつ入籍

諦めかけていた子供も持つことができた。


最初は私のほうが好きだった、と思う。

でも、結婚して、一緒に暮らすようになって、

どうにも我慢できないことが増えていった。


年下の彼は、家事は良くしてくれたし、子育てにも積極的、

いい旦那さんだね、と友達にも言われていたけれども、

私の目から見ると、

段取りが悪かったし、楽観的に過ぎるし、

出たとこ勝負で、毎日呑気に暮らしている感じが、本当に嫌だった。


私が一生懸命話しても、その話はあんまり聞いてくれていないみたいで

すぐに忘れてしまうみたいだったのも腹が立った。

そのくせ、色んな人に親切にする。

その行動がいちいち私を苛立たせる。


だから、言葉がきつくなる、やることなすこと気に食わなくて

何をされても文句が先に出た。

何度も彼は家を出て、何度も離婚の話が出たけれど、

娘のことがあるし、無責任だと言って、その都度、その話はなんとなく流れていった。


私は謝らなかったけれど、

彼は私が傷ついた顔をすると、何度も謝っていて、

それがまた、私は腹が立つ理由になっていた。


でも、やっぱり彼は我慢していたみたいで、

娘が成人を迎えた日、とうとう離婚届を出すと言ってきた。


そして、彼は言った。


『君の言葉は痛かった

 だから離婚したらもう電話とかそういうのはなしにしてほしい』


その言葉に、私は軽くめまいを覚える。

それは怒りだったと思った。

私の方こそ何度も傷つけられたのに!と


そんな私の気も知らないで、彼は最後にこう付け加えた。


『でも、もし、どうしても寂しい時があったら、

 その時だけは連絡してきて』


そんなこと、するわけがない

その時、私はそう、彼に言った。


瞬く間に5年が過ぎた。

仕事も辞めて、私はひとりでアパート暮らしをしていた。

たまに娘からくるメールが、私の心の支えだった。


ある時、病気になった。

そんな大したことがない、風邪のようなものだと思う。


咳が出て、熱が出て、体がだるくて、

眠れなかった。


眠れなかったことはこれまでいくらもあるし、

風邪を引いたことだってあった。


夜、カチコチと鳴る時計の音がいやに耳についた。

しんとして、誰の気配もない狭いアパートで、

私は何度も寝返りを打った。


そして、本当に、本当に何の気なしだった。

彼に、久しぶりに、メッセージを送っていた。


『風邪ひいた』


一言だけだった。

真夜中だし、返事が来るわけもない、

返事が来たとしても、何の足しにもならない。


じゃあ、いったい、なんで私はこのメッセージを打ったのだろう?


ああ…馬鹿らしい。

私は、ごろりと寝返りを打った。


ぴんぽん


なにか聞こえる。


ぴんぽん


あれ?いつの間にか、眠っていたみたいだ…


ぴんぽん


これは何?夢?何の音だっけ?


ぴんぽん


…ああ、チャイムの音だ。

私…あれ?今、何時?


ぴんぽん、ぴんぽん


枕元の時計を手繰り寄せると、午前5時をちょっと過ぎたところだった。


誰?と思って、ドアスコープを覗くと

そこに、彼が立っていた


なん…で?


混乱したけれども、鍵を開ける。

開くと、ずいとコンビニの袋を差し出された。


「冷えピタと、スポーツドリンク

 あと、ゼリー飲料とおかゆ

 それから、のど飴…って、必要なのってこれくらい?」


どれも、家にあるものばかりだった。


あ…と何か声が出そうになる。


「なにか、他に、ある?」


多分、メッセージに気がついて、急いで来たのだろう。

少し、額に汗が滲んでいた。


汗かきなのも昔のまま、だった。


上がっていく?

とは言えなかった。


玄関先で少しだけお話をして、

コンビニの袋を受け取った。


アパートの階段を降りていく彼を、

私は見送った。


コンビニの袋いっぱいの『無駄なもの』


変わらない。いつも、いつまでも変わらないあなた。

色々忘れちゃうくせに

いちばん大事なことだけは、こうして覚えていてくれて


俯いた私は

堪えた涙がこぼれないように

ぎゅっと、目を閉じていた。

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