第16話:記憶を持ち越す方法
世界が巻き戻るたびに、何かが削られていく感覚があった。夢見太郎はそれを“疲れ”だと思い込もうとしていたが、違った。思い出の輪郭が、ほんの少しずつ曖昧になっている。昨日の会話、交わした視線、言いかけて飲み込んだ言葉。そのすべてが、確かにあったはずなのに、掴もうとすると指の隙間から零れ落ちる。
「……また、忘れてる」
太郎の呟きに、隣にいた早乙女凛が視線だけを向けた。「それでも、あなたは“少しだけ残してる”」彼女は静かに言う。「普通は、完全に消えるのよ」
太郎は拳を握る。「完全に消える前に、止める方法はないのか」
「あるかもしれない。でも、それは“ルール違反”」
その言葉に、太郎は苦笑する。「今さらだろ」
早乙女はわずかに口元を緩めたが、すぐに真顔に戻った。「方法はひとつだけ。“外側に触れる”こと」
「外側……」
その言葉に、太郎の脳裏に浮かぶのは、あの違和感のある境界だった。ゲートでも、建物でもない。存在しないはずの“隙間”。誰も気づかず、誰も見ようとしない場所。
「そこに触れた記憶だけは、リセットに巻き込まれない」
「なんで分かる」
「私は、一度だけ触れたから」
短い沈黙が落ちた。
「……代償は?」太郎が聞く。
「“現実の自分”が曖昧になる」
その答えは重かった。だが、太郎は目を逸らさない。「それでも、残るなら意味はある」
その時だった。空気が、微かに歪む。
振り向くと、そこに立っていたのはリュミエラ・スノウだった。しかし、その瞳は以前と違っていた。透明だったはずの青が、どこか濁っている。
「……遅いのね」
その声は冷たい。だが、奥底で揺れているものを太郎は見逃さなかった。
「思い出せてるのか」
リュミエラは一歩近づく。「完全じゃない。でも、“壊された跡”は残ってる」
彼女は胸元に手を当てる。「ここが、ずっと痛いの」
その言葉に、太郎の中で何かが繋がる。「それだ」
「え?」
「完全な記憶じゃなくていい。“違和感”を残せばいいんだ」
早乙女が息を呑む。「感情の残骸……」
「そう。名前や出来事は消されても、“おかしい”って感覚は消しきれない」
太郎はゆっくりと言葉を重ねる。「それを“目印”にする」
リュミエラの瞳が揺れる。「でも、それだけじゃ……」
「足りない」低い声が割り込んだ。
振り返ると、そこにいたのはミックー・マースだった。笑っている。いつもの笑顔だ。だが、その目だけが、完全に冷えていた。
「感情だけでは、記憶は形を保てない」
「じゃあ、どうすればいい」
ミックーは少しだけ首を傾げる。「簡単だよ。“記録する場所”を作ればいい」
「場所……?」
「この世界の外にね」
その言葉に、空気が凍る。
「外側に、意図的に“傷”をつける。そこに記憶を押し込む。そうすれば、リセットしても残る」
太郎は理解する。「……それが、“持ち越す方法”」
ミックーはゆっくり頷く。「ただし」
一歩、近づく。
「その傷は、世界を壊す入口になる」
リュミエラの呼吸が乱れる。「じゃあ、それを続けたら……」
「崩壊が早まる」
静かな断言だった。
太郎は目を閉じる。一瞬だけ。そして、開く。
「それでもやる」
早乙女が目を見開く。「太郎」
「どうせ、このままでも終わるんだろ」
ミックーは笑みを深くする。「理解が早いね」
太郎は一歩前に出る。「なら、選ぶしかない。忘れて守るか、覚えて壊すか」
沈黙。
その中で、リュミエラが小さく息を吸った。「……私は」
彼女はゆっくりと顔を上げる。
「思い出したい」
その言葉は、震えていた。それでも確かだった。
太郎は頷く。「じゃあ、やろう」
ミックーが、わずかに楽しそうに目を細める。「いいね。ようやく、“プレイヤー”らしくなってきた」
その瞬間、足元の床に細い亀裂が走った。
誰も触れていないはずの場所に。
世界の外へと、繋がる“傷”。
それは、小さく、だが確実に開いていた。
そして太郎は、その裂け目に手を伸ばした。




