↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/45

後日談2.生まれ直す日、未来への希望

 私が暮らすアステルフォルド伯爵領の季節は冬の只中。今夜は一段と冷え、闇の中しんしんと雪が降り、地面を白く塗りつぶしていく。私は眠い目を擦りながら、ランプの細い灯りを頼りに分厚い教本に向き合っていた。


 セドリック様と結婚し晴れて伯爵夫人となった私は、夫人教育を受けるため、月の半分ほどを王都にある新しい両親の家で過ごしている。


 今まで貴族令嬢としての教育をほとんど受けておらず、基礎がまるでなかった私。最低限を身につけるだけでも寝る間を惜しまなければならないほど、とても厳しいものだ。


 セドリック様は、私が連日夜遅くまで机に向かっているのを見て『君は俺の隣で笑ってくれていればいい。何があっても守るから』と言ってくれたけれど、私のせいでセドリック様まで冷たい目線に晒すわけにはいかない。


 それと、頑張らなければならないことはあとひとつ。


「こちらも少しだけ進めておこうかしら」


 私は教本を閉じ、机の引き出しから刺しかけの刺繍を取り出した。


 黒いタイに白や銀の糸を使って、雪の結晶を表した図柄を並べている。


 これはセドリック様のお誕生日に差し上げるつもりの贈り物だ。


 お生まれになった日は綺麗な雪景色だったと聞いたので決めたけれど、雪には悪いものを払うという意味もあるそうで、お守りにもぴったりなのだそうだ。


 セドリック様は、前に私が贈ったハンカチを肌身離さず持ってくださっているらしいから、身につけられるものを喜んでくださるはず。セドリック様の笑顔を想像しながら、ひと針ひと針に心を込める。外の景色と同じように、黒地が少しずつ雪の模様に染まっていくのが嬉しい。


「……あと半分、かしらね」


 両親の家でも少しずつ進めていたけれど、セドリック様のお誕生日はもう四日後に迫っている。


 もう夜も深いけれどあと少し、キリのいいところまでと、針を動かそうとした時だった。


 ドアがとても静かに開く。


「えっ。奥様、まだ起きてらっしゃったのですか?」


 リーネが驚いたような声をあげた。ずっと手元に集中していたからか、リーネの顔はぼんやりとしか見えない。


「ええ。習ったことのおさらいをしてたのよ」


「うそ、こんな遅くまでですか?」


「そうね。お勉強しなきゃいけないことがたくさんあるから……」


 私は慌てて刺繍枠を机の引き出しに隠すと、机に積んでいた本を手に取る。セドリック様を驚かせたいから、何をしているのかはリーネにも知られたくない。


「……ここに戻ってこられた時くらいゆっくりしてくださいね。もしお体を悪くしたら、旦那様も悲しまれます……」


 私は笑ったけれど、リーネの声は今にも泣き出しそうだった。胸がずきんと痛む。理由はわかる。ここに来たばかりの時、目の前で倒れてしまったからだと思う。


「そうね。いつも心配してくれてありがとう」


 私は本を置くと、素直に布団にくるまった。リーネの肩から力が抜けるのを見て、瞼が少し重くなる。


「おやすみなさいませ、奥様」


「おやすみなさい」


 温かい布団の中でまぶたの裏に暦を広げ、頭の中で針を動かしてみる。うん、大丈夫。この調子で進めれば、なんとか間に合うはず。


 やはり連日の勉強で疲れていたのだろう。寝ようとしなくても、あっという間に眠りに落ちた。


 ◆


「足音……?」


 昨日は夜更かししたというのに、いつもよりずっと早くに目を覚ました。外はおそらくまだ薄暗く、いつもなら静かな時間のはず。どうしたのかしら?


 階下で足音が聞こえる。しばらくは布団の中で聞き耳を立てていたけれど、馬車が着いたような気配までして、いてもたってもいられなくなった。


 自分で軽く身支度をして、廊下へそっと顔を出す。二階の廊下は早朝らしく静かだったけれど、 一階ではやはり使用人の皆さんが慌ただしく動き回っている気配がする。


 私は抜き足差し足で廊下を進んで階段を降り、玄関の方へ向かった。やはりホールには、荷物がまだいくつか置いたままになっていた。


 さっそく確かめてみることにする。まずは外国から届いたらしい重そうな荷物。それ自体は特に珍しくないのだけど、今回は荷札が見たことのない文字で書かれていて内容が見当もつかない。


 隣にはカゴいっぱいのお花。名前のわからない薄い紫、濃い紫、それから白い花。その三種類しかないけれど、冬の只中にもこんなに綺麗に咲くお花があるものなのだというのに驚く。


 同じものを植えられたら、冬のお庭も寂しくないかも……そんなことを思いながら花カゴを眺めていると、玄関からエルンスト様がひょっこりと現れた。頭と肩にうっすら雪を積もらせ、鼻の先も少し赤くなっている。結界の見回りをされていたのだろう。


「おっ、奥様!?」


 エルンスト様は、まるでお化けにでも出会ったみたいな声を上げた。いつもはまだ眠っている時間だから、驚くのは当然だ。


「エルンスト様、おはようございます」


 エルンスト様は丸めていた目を細め姿勢を正し、私に一礼される。


「おはようございます……まさか、もう起きていらっしゃったとは」


「皆様お忙しそうだったので、気になったのです。今日は何か大切な予定でも?」


 すると、やはり後ろめたいことがあるのだろうか、エルンスト様はいつもはきっぱりとしている銀色の瞳をフラフラと泳がせた。


「その……旦那様をお出迎えするための支度です……」


「そ、それは……朝早くからご苦労さま……です」


 私は夫人らしく返したけれど、心の中ではとっても焦っていた。ただのお出迎えではない。だって、こんな真冬にわざわざ取り寄せてまでお花を用意する理由なんてひとつしかない。


「も、もしかして、お誕生日祝いの席は今日開くのかしら……?」


 胸を押さえながらおそるおそる尋ねた私に、エルンスト様はどこか歯切れが悪く答える。


「そ、そうですね……今夜の予定になっています」


「ええっ……うそ……」


――セドリック様のお誕生日は四日後のはずなのに。


「急な話で申し訳ありません」


 再び頭を下げてくださったエルンスト様の声はどこか遠い。体が妙に冷たいのは、寒さのせいだけではない。


 だって……お祝いを前倒しにされてしまったら、お誕生日の贈り物が間に合わないんだもの。


「……奥様?」


 凍りついた私を見て、エルンスト様が首を傾げている。とにかく、こうしてはいられない!!


「すみません! 朝ごはんはお部屋に持ってきていただけますか!?」


「えっ!? か、かしこまりました」


 もはや一秒すらも惜しい。私は急いで階段を駆け上がった。



 ◆


「出来上がらなかったわ……」


 今日お渡しすることを諦めて、糸を止めて切った。


 あと一日もらえればなんとかなったのだけど……思いっきり伸びをしてから、ひりひり痛む目を擦り、目の前の刺繍枠から数時間ぶりに目を離す。一点を見続けたせいで他に焦点がうまく合わなくて、睨んだような顔になっていると思う。


 すっかり冷めてしまったお茶で乾いた喉を潤して、窓の外に目を向けた。


 青い空には黄みが差し、あたりに薄く積もった雪をところどころ金色に光らせている。ここからあっという間に陽が落ちるだろう。


 そろそろセドリック様がお仕事から戻られる時間だ。刺繍の道具をしまって立ち上がる。


「支度をしなくちゃ……」


 お祝いの席に手ぶらで行くことは気が引けるけれど、仕方がない。一週間ぶりに会えるのだから、せめて綺麗に着飾って喜んでいただこう。


 ベルを鳴らしてからワードローブを開いてドレスを選んでいると、リーネとクララが大きな箱を抱えて部屋に入ってきた。


「あの、その箱はなあに?」


 私が尋ねると、ふたりは顔を見合わせて笑う。


「今日はこちらをお召しいただきますね」


 開かれた箱の中を覗き込んだ私は、溢れてきた色に思わず息を呑んだ。


 ◆


 着付けられたドレスは、このまま王都の舞踏会に出かけられそうなくらい華やかなものだった。


 夜明け前の空のような深くも鮮やかな青だった。その上に、雪のような銀の刺繍が静かに散っている。大人の女性が身にまとうに相応しい、気品あふれる品。髪も綺麗に結い上げて、隙なく飾りつけられている。


 髪飾りやドレスの裾の重さに負けそうになりながら広間に入ると、セドリック様自ら手を取って部屋の中央まで導いてくださった。来客はおらず、代わりにエルンスト様以下、使用人の皆さんが勢揃いして、歓声を上げている。


「……いやあ、綺麗だな。よく似合っている」


 美しく着飾ったセドリック様に向かい、私は膝を深々と折った。


「少し早いですが、お誕生日おめでとうございます……あの、お祝いが、まだ用意できていなくて」


 不甲斐なさでつい背中を丸めた私を、紫色の瞳が覗き込んできた。


「……大丈夫。今日の主役は君だからな」


 そう言って渡されたのは、朝見た花で作られた花束。


「え?」


 部屋はしんと静まり返り、暖炉の火が弾ける音がよく通った。花束とみなさんの視線を受けとって、私は混乱してしまった。


 セドリック様のお誕生日祝いの席で、どうして私がお花をいただいているのだろう。疑問をうまく言葉にまとめられず、壊れたように目を瞬かせているだけの私に、セドリック様が笑いかけた。


「誕生日おめでとう、ルシア」


「……わ、私?」


 予想外の言葉にただ困惑するばかりの私に、したり顔で頷いたセドリック様。それを合図に私の手の中に、一枚の紙……私の出生証明書の写しと記されたものが喚ばれてくる。日付の欄を見て、私は息を呑む。


「なんと、俺と四日違いなんだよな……ああ。もちろん年は違うが」


「そうなのですね……」


 書類に記された、二十一年前の今日の日付を指でなぞった。


 ……そう、私は自分の誕生日を知らなかった。


 生まれた日を祝われることがなく、いつなのかを教えられる機会もなかったからだ。


 そんな私は、かつては人目を盗んで覗き見するしかなかった輪の中心にいる。


 妹の成人を陰ながら祝った日の記憶が引き摺り出されてくる。宴には当然呼ばれず……暗い廊下、ドアの隙間から漏れる光の上に立っていた。


 みんなに祝われて、花のように微笑む妹を見るのは、悲しいけれど、幸せでもあった。


「おめでとうございます!」


 拍手が湧くと、胸の奥がじんと熱を持った。そうだ、私もあの時の妹のように笑わなければと、表情を作ろうとする。


 だけど頬が固まって動かない。あの日の記憶が行き着く闇へと急に連れていかれる。足元がふっと抜けて、耳の中に怒鳴り声が蘇る。


「どうした?」


 セドリック様は片耳を押さえて震える私の肩を抱いて、優しい手つきで髪を撫でる。


「大丈夫です……びっくりしてしまって」


 冷えた指先が温かい手に包まれると、視界が徐々に明るさを取り戻す。もう私を覆う闇は払われて消えている。


 背中に添えられた手の温もりを感じながら、息を整えて前を見る。私を嘲笑う人はここにはいない。大丈夫。


「私のために、こんな素敵な席を設けていただいてありがとうございます。皆さんと一緒に過ごせて、とても幸せです」


 今日、もう一度生まれ直そう。


「まあ、そういうことだから。みんなでこのめでたい日を祝おう。いつも通り堅苦しいのはなしで、好きなように楽しんでくれ」


 そう言ってセドリック様が指を鳴らした瞬間、空気がふっと変わる。


 焼きたてのパンの匂いと、香草のきいた肉料理、甘い果実の香りが広間に満ちた。皿が並ぶ音が連なり、白いクロスを敷かれただけだったテーブルの上が一気に色づいていく。


「相変わらず、すげえ!! 作ったのはオレだけど!!」


 まずは料理人のジェリーが手を叩いて笑った。


「おいしそう!!」


 私だけではなく、使用人の方からも歓声や拍手が上がると、セドリック様は片目をつぶってから、したり顔で笑う。少年のような屈託のなさに、私の胸が高く鳴る。


「……今日は、みんなで立ったままいただくんですか?」


 そういう形式の宴もあると聞くけど、経験するのはもちろん初めてだ。


「そう。俺の誕生日もこうなんだ。こんな日くらい、みんなでわいわい過ごしたいだろう……ああ、君はドレスが重いだろうから、座っていてくれ。料理は俺が取ってこよう」


 料理を取る前に、セドリック様曰く、『とっておきのブドウ酒』で乾杯をする。


 まだ苦手を克服できていないので、覚悟を決めてグラスの中身を口に含み……私は驚いた。口の中にブドウそのものを食べているような甘酸っぱさが広がる。


「甘くておいしいです!」


「だろう? とびっきり甘いものがあると聞いて、遠い東の島国から大急ぎで取り寄せたんだ……殿下のコネで」


「えっ!? 王太子殿下のですか!?」


「ああ……君のためなら喜んでと言っていたぞ。そうだ。カードも預かってるから、あとでゆっくり読むといい」


「きょ、恐縮です……」


 なんだか、とんでもないことになってしまっている……なかば酔いが覚めた私の前で、クララとアンナ、リーネが、グラスを片手に語らっていた。


「すごいわ。果汁と区別がつかない」


  「……あ、リーネはまだ飲んじゃダメよ」


「ううっ、わたしだけ仲間はずれなんて……かなしい……」


 リーネが柑橘水入りのグラスを切なそうに見つめている。しっかり仕事をしているからつい忘れがちだけど、リーネはまだ当分の間は子供なのだ。


「……たくさん頂いたから、リーネが大人になった時のために残しておくわ。みんなで一緒に飲みましょう」


 私がそっとリーネに近寄って耳打ちすると、夜空のような色の瞳に星が瞬いた。


「本当ですか奥様!! 大好きです!!」


 リーネを抱きしめた私ごと、あたたかな笑い声に包まれる。


 みんなが、私が生まれた日を笑顔で祝ってくれる。


 私の人生にこんなに幸せな時間が訪れるなんて、暗い廊下でひとりぼっちだった時の私は想像していなかった。


 ◆


 夢のような時間の後、私とセドリック様は同じ部屋にいた。今日は久しぶりに隣で眠れることが、贈り物と同じくらい嬉しい。


「楽しんでくれただろうか」


 私は頷いて、隣に座るセドリック様にもたれかかった。お酒を召されたからか、体がいつもより熱い気がする。


「なんかいつもより温かいな。酒のせいか?」


 私を抱きしめたセドリック様がそう言うと、触れているところ全てがくすぐったくなる。


「ええ。セドリック様こそ。なんだか胸の音も速いです」


「まあ、俺の場合は君のせいだな」


 急に落ちてきた口付けを受け止めて、見つめ合う。セドリック様の瞳は、わずかに青い光を帯びて、頬に赤みがさしている。


 ちなみに、私たちの間に決まった『儀式』がなくなって久しい。『夫婦が触れ合うのに、理由などいらない』という理由だ。


「……あの?」


 私をじっと見て動かないセドリック様。お化粧も落としてしまっているから、少し恥ずかしくなる。


「どんどん綺麗になっていくもんなあ」


「あなたがいてくださるおかげです」


「ありがとう」


 どこまでも暗くて、色がない生に、あなたが光を灯して彩りを添えてくれた。生きていていいのだと思わせてくれた。


 なにより、なんの取り柄もない私を伴侶にと選んでもらえた。だから、あなたを受け止められるように、背筋を伸ばして努力し続ける。


「これからは毎年祝おうな」


「私にもあなたの生まれた日をお祝いさせてください。贈り物は……お誕生日にはちゃんと間に合うように頑張ります」


 セドリック様がとたんに笑顔になる。


「さては何か作ってくれてるんだな? 何だろうな、楽しみだな……」


 そう言って、私の髪を撫でながら嬉しそうに目を細めた。今日は一段と冷える夜なのに、胸の中が温もりではち切れそうなほどに満たされていく。


「春に式を挙げたら旅行をしよう。ここからずーっと南の方に、観光で有名な港町があってな」


 王都とここしか知らない私にとって、港町は読み物の中にしか存在しない場所だ。


「あの、港ということは、海が見られるということですか!? 私、海を見るのは初めてなのです」


「だろうな。俺は海を見たことだけはあるが……本物の船に乗ってみたい。とにかく、君と一緒に初めてのことがしたい。これから、たくさん」


 私の隣で大きな地図を広げ、楽しそうに語るあなた。私はあなたの肩にもたれ、降り注ぐ春の日差しを、目の前に広がる青い景色を、潮風の匂いを想像して胸を弾ませる。


 愛しい人と、明るくひらけた未来を語らえる時間が幸せ。これから先の人生は凪いでばかりではないだろうけれど、荒波に遭ったとしてもあなたといれば大丈夫。


 これから先、どれだけ季節が巡ろうとも。


 あなたのことだけは、決して離さない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。