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39.信じる決意、あなたのそばへと

 白の鳥が、歌い終わった。


 エルンスト様は長い息をつき、苦しそうに頭を抱える。指の隙間から窺い知れる表情は、とても厳しいものだった。


 セドリック様の身に何かあったのだと、言葉がなくてもわかる。銀色の瞳がこちらをゆっくりと向き、私は身構えた。


「内容を申し上げます。 魔獣との戦闘は無事終息したとのこと。セドリック様もご存命だそうです」


 よかったと、ほっと息をついて安堵したけれど、エルンスト様の顔はなぜか弛まず、さらに次の言葉で場が凍る。


「ですが、意識がないと」


「っ……」


 悪い予感が当たり、体が痛いほどに冷たくなる。がたがたと震えはじめた手を握りしめ、私はエルンスト様を見据えた。


「厄災級飛竜の急襲を受け、セドリック様は迎撃するのに必要な力を得るために……魔石クズを大量に飲んだようです。今は王城に保護され、手当を受けています」


「の、飲んでも大丈夫なものなのですか」


 そんなはずはないとわかるのに、不安を否定してほしくて尋ねてしまう。もちろん、エルンスト様は首を横に振る。


「魔道具のパイプを使って少しずつ吸引する分には……ですが、そのまま飲んだ場合は毒よりもたちが悪い、というほかありません。飲んだ魔石が燃え尽きるまで、魔石が発する強い魔力に体を内側から焼かれ続けることになる」


「火傷をするってことですか?」


「いえ、魂が壊れます」


「どういうことですか……?」


 いくら私が物知らずとはいえ、意味が理解できないわけではない。だけど、最悪の予想を否定してほしかった。しかし、エルンスト様が紡いだ言葉は残酷なものだった。


「体には擦り傷以上の傷はなく、体内の魔石は魔法医によって全て除かれたとのことですが……深く眠ったままで目を覚まさず、体の反応も徐々に弱っているそうです。魔力核、つまり魂に、修復が難しいほどに大きな損傷を受けたという診断が下りました」


 いよいよ、手足が感覚を失った。私は氷の中に浮かんでいるような心地で、話の続きを聞いた。


「セドリック様がこの手の無茶をしたのはこれが初めてではないですが、今回は魔石を飲んだ量が多かったのか、術式を練る余裕がなく制御に失敗したのか……分かりませんが。緩やかに死に向かっている、ということです」


 エルンスト様は、それっきり言葉を失ってしまった。


 セドリック様が、もう二度と、手の届かないところへ行ってしまうかもしれない。


 雨が屋根を叩く音が、一層大きく響く。


 ◆


 その後どう過ごしたかはよく覚えていない。


 気がつくと、夜半を過ぎる頃になっていた。朝から降り続いた雨がようやく止み空は晴れている。今日は月がなく暗い夜で、邸の中もまるで息を止めたようにしんと静まり返っていた。


 私は眠ることができず、ぼうっと窓辺に立っていた。


 ずっとセドリック様のことを考えていたのだと思う。


 私のことを魔道具として買い、けれど人としても大切にしてくれた。何もかもが足りない私の手を取って歩いてくださった。生まれて初めて幸せを感じた。


 何も求めてはいけないと思っていた私に、思っていることは言葉にしてもいいと。受け止めるからと言ってくださった。


 それなら、死なないで、と言えば、目を覚ましてくれますか?


 離れたくないと言えば……いいえ、と首を横に振る。


 そばにいられなくてもいい。生きていてさえくれれば。遠くからあなたの幸せを祈り続けることができれば、私はそれで十分なの。


 だから、お願い……。


 涙が溢れそうになった時、とても小さなノックの音がした。ついドアに向かって駆けてしまう。


 ルシア。もし眠れないなら、一緒に茶でも飲もう――


 そんな声が聞こえた気がして。


「お嬢様」


 ドアを開けると、立っていたのはクララだった。寝衣姿で、頼りなく光るランプを片手に力なく笑っている。アルヴェン家にいたとき、私が閉じ込められていた部屋を密かに訪ねてくれた時と同じように。


「眠れません、よね」


 クララはそっと私に寄り添ってくれた。こらえていた涙が落ちそうになる。


「来てくれて、ありがとう……」


「お話しされたいことがあるのなら、お聞きしますよ」


 クララが言う。ここでは、私たちが言葉を交わすことを咎める人間はいない。


「誰にも内緒にしていてね」


「はい。わかってますよ」


 子供のようなことを言って俯いた私に、クララは髪を撫でながら変わらず笑いかけてくれる。私はずっと胸に閉じ込めていたものを、初めて言葉にして取り出した。


「……セドリック様のこと、好きだったの」


 クララはわずかに身を震わせてから、そうですか、と頷いた。


「おかしいわよね。道具だって言われて、買われた身なのに。けど、私はとても幸せだったの。ずっとそばにいてくれって、ここにいていいって、生まれて初めて言われた。涙を拭いてくれたの。ずっと、そばにいたかった。お役に立ちたかった」


 クララは黙って頷いて、私の背中をさすってくれる。私はどんどんと胸の内を吐き出していく。


「けど、結婚は考えられないってはっきり言われて、それからはずっと避けられて……わかってるの。だって、私の代わりは、魔道具としても結婚相手としてもふさわしい方は、いくらでもいる。けれど、私には何にもない。今はもう身分だって違う。だから、もし望んだとしても……」


 クララは私の背中をさする手を止めた。


「……本当に、お嬢様の代わりはいるのでしょうか?」


「えっ」


 顔を上げる。私にはいつも朗らかに接してくれていたクララが、珍しく真剣な顔をしていた。か細いランプの光を映しているだけにしては、瞳が強く輝いていた。


 息を呑んだ私に、クララは語りかける。


「お嬢様の代わりはいくらでもいると考えられている方が、わざわざ私を探して頭を下げて、ここに呼んだりするでしょうか」


「えっ、だって、偶然だったって……」


 たまたま街で会って、と、ふたりともが言っていたはずだ。けれど、クララは首を横に振る。


「お嬢様は素直すぎます……もう少し、人を疑うことを覚えてください。そう、ご自分に何もないと信じるのではなく、疑ってください」


「どういうこと?」


「おふたりは、本当によく似ていらっしゃるのね……」


 クララは、そう言って私を抱きしめた。


 ああ。雨の庭でのやりとりを思い出す。


 私にとって、セドリック様の代わりになる人なんていないけれど、セドリック様は違う……そう思っていた。


 けれど、セドリック様も同じことを考えていたとしたら。


――どこにも行かないでほしい。


 雨と一緒に降って来た言葉。そんなことを言うはずがない、聞き間違いと片付けようとしていたあの言葉が、もしあなたの本心だとしたら。


 今の私なら、あなたにこう答えるだろう。


 本当は、どこにも行く気なんかないと。


 ずっとそばにいたいと。



 ◆



 翌朝、執務室の窓辺にエルンスト様が静かに立っていた。その肩には白い鳥……王城からの使いが止まっている。ちょうど歌い終わったところで姿を消したのを見て、私は思わず駆け寄る。


 もしかすると目が覚めたのかも、という希望は、エルンスト様の表情で否定される。


「……私宛に、セドリック様との面会を許可するという知らせでした。準備ができ次第、転移魔法で飛びます」


「……わかりました。お気をつけて」


 私も連れて行ってくださいませんか。その一言が言えない私を、エルンスト様はまっすぐに見つめる。


「ルシア様、聞いていただきたいことがあります」


「……どうされましたか?」


「セドリックに会ってやってくれませんか」


 願ってもない言葉に、鼓動が早くなる。


 咄嗟に答えを返せなかった私に、エルンスト様は一度目を伏せ、また私をまっすぐに見つめ、縋るように言う。


「きっと、誰よりもあなたに会いたいと思っているはずだ。最後になるかもしれない。どうか……お願いします」


 本当のことは確かめようがない。勘違い、思い上がりという可能性は消えない。だけど、私の唇は、本心に操られて動く。


「私も、会いたい……です」


 たとえ気持ちは確かめられずとも。私は、自分の意思で。


「感謝します」


 深く頭を下げられ、私は頷いた。


 ◆


 急いで部屋へと戻り、出かける準備を始める。リーネとクララが飛び込んできて、何も言わずとも手を貸してくれた。


 実家から持って来た、お仕着せにも見える服で登城するわけにはいかない。急いで服を脱いで着替え、髪をまとめなおしてもらう。きちんと相応しい身なりに整ったのを確認して、三人で顔を見合わせて頷いた。


 今日の服には大きな襟がついていたので、お守りのブローチを襟で隠れる位置に留めた。


 階段を駆け下り、転送の魔法陣が置かれた部屋に入る。エルンスト様が魔術師の正装に身を包んで立っていた。初めて見るお姿に、こちらも身が引き締まる。


「すみません、よろしくお願いします」


「はい、お任せください」


 エルンスト様の導きで、私たちは王城へと飛ぶ。天地が返るような感覚にももう慣れ、目を開けると、私たちは大きな扉の前に立っていた。


 扉の見張りをしていた方に、エルンスト様が話しかける。胸につけている魔術師章を見た見張りの方は、エルンスト様をそのまま通そうとして……止めた。


「来るのは補佐官ひとりと聞いていたが」


 エルンスト様の大きな背中に隠れるように立っていた私に訝しげな視線が向けられる。そういえば、私のことをどう説明されるつもりなのだろう。


 見張りの方の長杖の先が、今にも私に向こうとしている。


 しかしエルンスト様は一気に張り詰めた空気を破り捨てるように、高らかに言い放った。


「こちらにいらっしゃるのは、ノイマン子爵の婚約者様です」


 予想もしない言葉に、一瞬目の前が白くなる。


「え!?」


「……はあ?」


 見張りの方は当然、私に疑いの眼差しを向ける。当たり前だ。この国では平民と貴族は結婚できない。灰色の髪の女が、貴族の婚約者を名乗るなんて普通ならありえない。


「あの、ちが……」


 しかし、エルンスト様の鋭い目線が背後でうろたえる私を制する。はったりを言っているのだと瞬時に察し、私は否定の言葉を出しかけた唇を結ぶ。心臓が今にも転がり出て来そうだ。


 しかし、私の態度があまりに不審すぎたからか、見張りの方は声をいっそう低くした。


「そもそも、子爵に婚約者がいるなんて話は聞いていないが。証明できるものは?」


「わかりました」


 エルンスト様は見張りの方に静かに応えてご自分の杖を消し、持っていた鞄を開いた。


 ……待って。そんなもの、あるわけないですよね!?


 エルンスト様は一昨日セドリック様が持っていらっしゃった分厚い封筒を取り出し、中をごそごそと探り始めた。どうされるおつもりなのだろう。


 だって、いくら封筒の中を探しても、ないものは出てこないのだから。私は今にも体温を失ってしまいそうになる。


 けれど、見張りの方にここを通してもらえなければ、セドリック様に会うことは叶わない。


 ここまで来たのに、会えないのは嫌。けれど、ここを通るにはどうしたらいいのだろう。


「まだか?」


「……もう少しお待ちを」


 見張りの方に詰め寄られ、エルンスト様が徐々に焦りだすのがわかる。もうだめだわ、と思ったその時、私は襟の下に隠しているもののことを思い出した。そっと手を入れて、ひやりとした感触を確かめた。


 ……ノイマン侯爵家の家紋をあしらったブローチ。


 鼓動が速くなる。口の中のものを飲む。これはただの装飾品ではない。侯爵様が、いざという時は自分を頼ってもいいと言って授けてくださった品だ。


 これを出して、セドリック様のご実家である侯爵家との繋がりを持っていることをわかってもらえれば、この場を切り抜けられるのでは。


『多少のことは、これで切り抜けられるだろう』


 私に語りかけてくれた侯爵様の優しい声と、笑顔が背中を押してくれる。


 ありがとうございます。心の中で改めてお礼を言って、息を整える。襟の下に手を入れて、注意深く指を動かす。ピンが外れた手応えを感じたのと同時に、腹を括った。


 どうか、扉が開きますように!!


 見張りの方に狙いを定める。エルンスト様が書類を取り出すより先に、私は一歩前へ進み、声を張り上げた。


「こっ、これを見てください!! ハロルド・ノイマン様から直々に頂いたものです!!」


 私はブローチを持った右手を、見張りの方の顔前に突き出した。ノイマン侯爵家の紋章……狼の横顔と天標星の紋章をあしらった銀のブローチが、窓から注ぐ日光を受け取って、吠えるように強い輝きを放った。


「ルシア様!?」


 いきなりブローチを突きつけられた見張りの方よりも、エルンスト様が驚いていた。


 いつもはきりっと細い銀色の瞳は、今にも落ちてしまいそうなくらい大きく見開かれていた。

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