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38.王城防衛戦の、後

 凄まじい数の魔獣を相手に、王城のあちこちで魔術師や騎士たちが戦っている。幸い、こちら側が優勢ではあるが予断は許さないと言っていいだろう。


 目の前にいる群れを片付ければ終わりというところで、魔力が底をつきかけた。禁じ手だが、魔石クズを二、三粒直接口に放り込んで舐め、気分の悪さに耐えながら、攻撃魔法を放つ。


 何度も眩暈に襲われて倒れそうになるたび、ルシアからもらった手巾を忍ばせた胸を押さえて意識を保つ。


「ルシア……」


 つい名前を呼んでしまう。ほんと、やっと全てが整ったのに。言おうと決めたのに。なんでこんなことに。


「空気読めよ、ほんと空気読めよ!」


 苛立ちながら、王城の広い回廊を埋め尽くす魔獣を倒していく。


 ◆


 戦いは、あまりにも呆気なく終わった。


 王城のちょうど中心、大庭園に設置された対策本部に掃討が終わったと連絡が集まりつつあった。戦いを終えた魔術師たちは、ずらずらと姿を表していて、俺もその中に入っていた。


 鳥の声が聞こえてきた。空を滑るようにして飛んできた黒い鳥は庭園をぐるりと回ると、一番背の高い木のてっぺんに止まった。


 鳥は高らかに鳴く。


 捜索担当が召喚魔法の痕跡を辿り、民家に潜伏していた犯人らしき人物を取り押さえたとのことだった。攫われて生贄にされた『色付き』の子供達も、消耗はしているが全員無事だったとのことだった。


 しばらくして届いた続報によると、犯人の正体はやはり……先日、暗黒地帯の調査中に行方不明になった、例の平民出身の魔術師だった。


「前の飛竜もそいつの仕業じゃないかって」


「……ん? 同期のはずだけど、そんな奴いたっけ?」


「召喚魔法の論文で最高評価取って次席……けど、『色付き』のことなんかわざわざ覚えてないよなあ」


 笑顔で交わされるそんな会話にやや苛立ちながら背を向けて、俺は庭園の隅、木の陰に立った。今のうちに少し魔力を足そうとパイプを取り出したところで、鮮やかな金色が視界の端に入った。


「いやあ、悪いね。無理言って呼び出して。さすがの活躍だったね」


 話しかけてきたのは、アルメラ王国王太子、エリオット殿下。魔術師団の指揮官のひとりでもある。


 もちろん魔法の腕は立ち、女性的ですらある柔和な顔立ちや態度に似合わず、自ら危険な現場に乗り込んでいく勇ましさもある。今回も、現場で陣頭指揮を取っていた。


 ちなみに俺とは魔術学院時代の同級生で、卒業後も魔術対策部隊で半年ほど一緒に働いていた。いわゆる同じ釜の飯を食った仲というやつで、身分を超えて今も親しくしている。


 敬礼をすると、殿下は俺の肩を気さくに叩き、朗らかな笑顔で話を続けた。


「いやあ、ずぶ濡れでやってきたから何事かと思ったよ」


 都合よくくしゃみが出た。


「……大雨が降ってたんですよ」


 それだけでは濡れていたことの言い訳にならないのだが、殿下は細かいことはあまり気にしてないようで、さらに畳み掛けてくる。


「ああ! わかった!!」


「何がですか」


「例の愛しい人との別れを惜しんでたってことか。あれ? 君んとこの転送陣、屋外だっけ? まあいいか」


『例の』ってなんだ、と思いながら、俺は頭を抱えた。


 まあ、当たらずも遠からず。いや、俺が一方的に不逞を働いただけだ。ルシアにはもう触れないと誓っていたのにダメだった。


 決然とした顔で、『どこへでも消える』なんて言われたら、どうしても耐えられなかった。


「そんなんじゃない……です」


 俺が言葉を濁しても、殿下は気のおけない友人の顔をしてさらに詰め寄ってくる。明るい青紫の瞳が眩しいほどに光っていた。


「で、結婚式はいつ? もちろん呼んでくれるよね?」


「だから、そんなんじゃないって……」


 殿下は冗談でも聞かされたみたいに目を丸くする。


「えっ!? もう婚約指輪も用意してるって聞いてるけど? 君の瞳と同じ色の、紫水晶の……」


「は!? 何で知ってるんだ!?」


 しまった口が滑った、と気づいても遅い。殿下から高貴で悪い笑顔を向けられて、体温が急に上がる。指輪のことはエルにすら話していない!!


「あっはっは!!」


 殿下は俺を見て、手を叩いて大笑いしている。その他のことはともかくとして、クララの件と、指輪の件に関しては内密に動いていたというのに。まさか諜報部隊でも使ったのか? そんなこと調べてどうするんだ。全く。


「……勘弁してください」


「いやあ……あれだけ女性を苦手にしていた君が、こんなことになるなんて。おもしろくって……」


 散々俺を揶揄って満足したのか、殿下はご機嫌な顔をしている。俺はもう態度を繕うことをやめ、不敬は承知で息を吐いた。


 紫水晶をあしらうことに決めた理由に俺の目の色なんか関係してない。彼女が前に紫が好きだと笑顔で言ってくれたから。それ以上でもそれ以下でもない。


 ……ああ、そうだ。彼女を想って指輪を買った。


 父の紹介で、遠縁の伯爵夫妻にルシアを養女にしてもらうことができた。ルシアは出生の証明だけはきちんとされていたので、証明書に書類を一枚添えるだけで問題なく貴族籍に復帰できた。


 俺と彼女が結婚するのに最大の障害だった、身分の問題はこれで解決した。だが……。


 それは同時に、俺の元を離れても生きていけるということでもある。


 ルシアの養父母の伯爵夫妻はとても善良な人で、喜んで彼女の逃げ道になってくれると約束してくれた。


 これで、全ての準備は整った。帰ったら、今朝の話の続きをしよう。身分が回復したことと、養父母の存在を伝える。


 それから、きちんと『愛している』と言うつもりだ。


 しかし頭に浮かぶのは、ここにくる前に浴びた雨の冷たさを、彼女のひとこと。


『どこへでも消えます』


 感情が抑えられなくなって、つい抱きしめてしまったルシアは、俺の腕の中で石のように硬くなっていた。


 そうだ。自分のことを道具呼ばわりして、儀式なんてものを強要した男のことを、誰が好きになるものか。


 ルシアが俺に笑いかけてくれていたのは、あくまで生きるためだったと、今は確信している。


 エルの話では、ルシアは俺の留守中にメイドの仕事を熱心に見て、話を聞き、手伝いをしようとしていたそうだ。近頃は書類整理の仕事もなく、暇だからなのではないか、とエルは言っていたが。


 そんなの、俺の元から離れることを望んでいるからに決まっている。手に職をつけようとするのは彼女らしい考えだと思う。愛しさが増す。ともに生きていきたいという思いが強くなる。


 だが、俺に彼女の選択を止める権利があるわけがなく、追い縋るつもりもない。なにもかも、始まりを間違えてしまった自分のせいだ。


「……求婚を受けてもらえるとは思えない。けど、ダメならそれでいいんだ」


 半分独り言だったが、耳ざとい殿下はすぐに反応する。


「え。何それ。このアルメラが誇る英雄が……魔獣には躊躇なく突っ込んでいくくせに、好きな女性には尻込みするなんて……情けないところもあるんだ」


「何とでも言ってください」


「……まあ、頑張りなよ」


 殿下はひらひらと手を振って立ち去った。


 英雄なんて呼ばれていたのは、もう昔の話。それに、おそらく、そう遠くない日に魔術師を引退することになる。


 魔石クズや魔法薬から魔力を得るのにも限界がある。単純に体に悪く、寿命をどんどん縮めるからだ。早急に代わりの『魔道具』を見つけないとならないのだが、俺は……代わりの誰かを娶るつもりはない。


 ルシアに拒まれたら、一生独り身でいることを決めている。


 魔術師を降りても、幸いなことに領主として生きていく道がある。もうそれで良いと思っている。


 背後が急に賑やかになる。おそらく陛下か殿下の計らいだろう。庭園にテーブルが並べられ、茶や軽食が振る舞われだしたのだ。


 魔術学院時代に見知った顔が揃っている。卒業以来初めて見た人間もいる。魔術師団にいても、所属している場所が違えばなかなか一度に集まる機会もない。自然と話が盛り上がっているようだ。


 しかし、俺は賑わいからは距離を置き、隠れるように花壇の隅に腰掛けてパイプをくわえた。帰りの転送に備えて、少しだけ魔力を足すためだ。


 吐き気を堪えながら、天を仰ぐ。


 空は何の懸念もなく青く、降り注ぐ秋の日差しは程よく暖かい。風が庭園に咲く甘い花の香りを運んでくる。背後からは楽しそうな笑い声が絶えない、平穏な風景そのものである。


 ……変な感じがする。


 立て続けに魔石の煙を吸ったからではない。胸の奥が冷たく騒ぐのだ。


 思えば、おかしなことだらけである。


 まず、災害級飛竜を喚び、使役できるほどの能力を有しているというなら、今日はなぜ喚ばなかったのだろうという疑問が浮かぶ。


 単に王城を落とす事が目的なら、あれと同等の飛竜を喚びつけて奇襲をかければ一発で終わる。


 それなのに、犯人は前もって予行を重ねて魔術師団に警戒させた上で、魔獣を大量召喚するなんて回りくどい手段を取った。


 魔力を補強するために生贄を使ったところで、あれだけの数を呼ぶとなると、自ずと等級が低いものばかりになる。正直、数で押したところで、大した脅威にはならない。


 今ここにいるのは自分を含めてこの国の実力者ばかり。いくら相手が低級の魔獣だとしても、この国の中枢たる王城に大勢で攻め込まれたとなったら、国中の手練れがかき集められるのは当然の流れ。


 低級の魔獣数千体と、この国の最高戦力。


 犯人もかつては魔術師団にいたというのに、この戦いの結果が読めなかったのか?


 いや、もしかすると本当の目的は別にあった?


 パイプを吸い終わり、後片付けをして立ち上がる。食欲はないが、一通り挨拶周りはしておこうと、俺は人々が集まっている方へと足を向けた。


「ん? 何だあれ?」


 そう言って誰かが空を指差した。


 振り返って見ると、抜けるような晴天に赤い星がぽつんと輝いている。


 赤い輝きは、空にひびを入れるようにどんどん大きくなり、禍々しさを放ちだす。


 空の異変に気づいている人間はわずか。


「おい!! 大変だ!! 犯人がっ――――」


 しかし、別の誰かの絶叫が響くのと同時に、和やかな空気が消え、さらに次の瞬間、空が大きく裂けた。


 黒い割れ目から、巨大な物体がぬるりと現れる。


 真紅の飛竜……その全貌を見て、誰しもが言葉を失った。あの日のもの、災害級と呼ばれるものよりさらに大きい……!! 


 城壁を引っ掻くような鋭い咆哮とともに肌を焼くほどの熱風が吹き、庭園の植物がみるみるしおれ、または干からびていく。


 そうか。


 犯人の目的は、王城を落とすことじゃない。


 ここに有力な魔術師を集めて、いっぺんに始末することだったのか。


 犯人の真意に気づいた瞬間、時間の流れが大きく引き伸ばされたように見えた。


 周りを見る。


 あるものは防御魔法を展開。大きく広げすぎたせいで、強度が足りない。


 あるものは砲撃を試みるが、詠唱が遅い。それでは間に合わない。


 あるものは杖を喚ぼうとして失敗している。


 魔術師といえど、全員が突然現れた脅威に冷静に対処できるわけではない。魔術学院で訓練を受けたきりでは足りない。


 とにかく、このままでは全員焼かれてしまって、骨も残らない。


 ……つまり、生きて帰れない。


 ぶっ飛ばさなければ。


 俺はまっすぐ飛竜の胸を見る。心臓の位置は正確に把握している。今まで何体も倒してきたからだ。


 やると決めたら細かいことを考えている時間はない。肩掛け鞄のなかの小瓶をひとつ開いて、中の魔石クズを全て飲んだ。腹の中に魔力を少しだけ流し、寝ている魔石を起こす。


 たちまち腹に灼熱を感じ、割れんばかりの激しい頭痛に襲われ、目が霞む。人が体内で扱うには強くて濃すぎる魔力が渦を巻いている。うまくやらなければ死ぬ。だが、うまくやる自信があった。


 意識が飛びそうになるのを必死で繋ぎとめ、再び目の前の飛竜を見据える。大きい口の隙間から赤い光が漏れている。


 速やかに一撃で仕留めなければならない。


 もし先手を、もしくは反撃を許せば、ここにいる全員が死ぬ。


 もはや杖を喚ぶ時間すらない。腕をまっすぐ前に出し、飛竜の心臓を捉えるように人差し指を立てる。自分の腕を杖にする。杖を介さず直接魔法を放つと、魔法に伴う反動を殺せず、体がどうなるのかわからない。


 体の内側を焼く熱さに、歯を食いしばって耐える。魔石が発する膨大な魔力が体内で暴走している。目を閉じて集中し、暴れ回る魔力を何とか束ねて極限まで圧縮する。


 指先に、光の針が形成されていく。


 魔法を組み立てる数秒の間に意識が何度も飛びかける。飛竜の口が大きく開き、喉の奥に炎の塊が見えた。


 ……死が外側からも内側からも迫っている。だが、どちらにも負けられない。


 俺には、生きて帰らなければならない理由がある。


 目を開く。飛竜の心臓の真ん中目掛け、魔法を放つ。


『貫け!!』


 光の針は俺の指先から離れ、空を迸った。


 飛竜の体が、胸の針穴から上がった紅蓮の炎に焼かれながら傾ぎ、巨大な火の玉になって地面に落ちていく。


 俺は、凄まじい地響きを全身で感じた。


 魔術師たちから大きな歓声が上がるのが聞こえる。


 しかし、俺はおそらくこの中でただひとり、絶望していた。


 ……失敗した。


 晴れた空の下にいるはずなのに、なぜか目の前が真っ暗い。自分が今、どうなっているのかわからない。立っているのか、もしくは寝ているのか。目を閉じているのか開いているのか。


 飛竜を焼く炎が発しているはずの熱も、地面を焦がしているはずの臭いも、なにも。


 ただ、胸がまるで風穴が空いたように冷たくて痛む。しかし、それもすぐに消えた。意識がどんどんぼやけていく。


 帰りたい場所が、愛しい人の顔が、どうしても思い出せない。


 ……これでは、帰れないじゃないか。


「自爆したのか?」


「違う、誰かが撃ったんだ」


「誰が?」


「おい!!」


 ……かろうじて、聴覚だけは生き残っているらしい。


 いくつもの足音に取り囲まれる。


「セドリック!! しっかりしろ!!」


 殿下の声を何とか聞けたのを最後に、俺はとうとう何もない暗闇の中に放り込まれた。

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